友達
〇
それから彼女が泣き止むまで、僕らは二人、社殿の裏側に背を預けていた。
身を寄せ合うでもなく、互いの顔色を伺うわけでもなく。
ただ隣同士に肩を並べて、静かに腰を落ち着けていた。
日没を迎えた空では星が一つ、また一つと姿を見せ始める。
それを遠く仰ぎながら、僕は久方ぶりに口を開いた。
「どう、ちょっとは落ち着いた?」
僕が尋ねると、隣に座る彼女はこくりと小さく頷く。
「すみません、私……取り乱してしまって」
消え入りそうな声で彼女が言った。
対する僕は否定も肯定もせず、ただぼんやりと星を眺めていた。
彼女の心が不安定になっていることは、火を見るよりも明らかだった。
特にさっきまでは、まるで幼い子どもが癇癪でも起こしたかのように泣きじゃくっていた。
那智、那智、と鏡宮の名を呼びながら、ひっきりなしに嗚咽を上げていたのだ。
ひどく傷ついているのだと、一目でわかった。
それほどまでに、彼女にとって鏡宮の存在は大きなものだったのだろう。
大切な人が突然いなくなってしまったときの寂しさは、僕も知っている。
「……君も、鏡宮の友達だったんだな」
僕が言うと、彼女は小さく鼻をすすりながら頷いた。
そうして僕と同じように空を仰ぐと、少しだけ気持ちが落ち着いたのか、やがてぽつりぽつりと呟くようにして話し始めた。
彼女の名前は、玉木 泉というらしい。
鏡宮とは幼稚園の頃からの付き合いで、昔から二人で遊ぶことも多かったという。
それを聞いてやっと思い出した。
彼女は以前、鏡宮が僕に見せた写真に写りこんでいた、鏡宮の幼馴染だったのだ。
「けど、僕が聞いた話だと鏡宮は……最近友達とあんまりうまくいってなかったって」
「…………」
あまり触れてほしくない話題だったのか。
玉木は妙な間を空けた後、わずかに眉根を寄せ、どこか困ったような顔をこちらに向けた。
「猫の首の事件のことは、知っていますよね?」
猫の首。
もはや聞き慣れてしまったそのワードに、僕は顔をしかめた。
「そりゃあ、あれだけニュースでやってたんだから」
知らないわけがない、と僕が言いかけたところで、玉木は首を横に振った。
「今、あの事件のことを覚えているのは、私たちだけなんですよ」
「え?」
予想外の言葉に、僕は彼女を見つめ返す。
「私たちだけを残して、みんな……忘れてしまったんです」
そんなまさか――と、僕はすかさずスマホで事件のことを検索した。
けれどいくら探しても、それについてのニュース記事を見つけることはできなかった。
「本当だ……」
過去が変わっている。
かつて鏡宮を追い詰めたあの忌まわしい事件は、すでに跡形もなく消えていた。
「刀坂さんは、那智の存在が消える直前まで、彼女と一緒にいたんですよね?」
聞かれて、僕はあの夜のことを思い出しながら頷いた。
あの神社で、鏡宮と最後まで一緒だったのは僕だけだ。
「那智と一緒に、丑の刻参りをしたんですか?」
「! なんで、それを……」
見事に言い当てられて、僕は動揺した。
「そんなにびっくりしないでください。丑の刻参りは私も以前、那智に何度か誘われたことがありますから」
「そ、そっか……」
あのオカルト好きな鏡宮の幼馴染である。
この玉木という少女もまた、そういう類の話には長けているのだろう。
探るように僕が見つめていると、玉木はどこか居心地が悪そうに目を逸らして、
「……あの子は、神様に魅入られたんです」
と、何やら不可解なことを口にした。
「魅入られた……?」
「那智がお願い事をすれば、神様はいつも応えてくれました。丑の刻参りだって、普通の人間がやっても効果はないけれど、神様に愛されたあの子なら、どんな願い事も叶えてもらえるんです。あの子が望めば、世界は変えられる」
「……そんなこと」
あるはずがない、と言いかけて、僕は口を噤んだ。
実際、鏡宮が丑の刻参りをしたことで、世界は変わってしまったのだから。
「本当なんですよ。去年だって、私と那智がケンカしたとき……那智が寂しがっていたら、それを慰めるように野良猫が現れて」
「!」
まるでデジャヴだった。
ひとりぼっちになって、寂しくなったとき。
どこからともなく猫が現れ、孤独な心に寄り添ってくれるのだ。
「他にもいっぱいあるんですよ。それに何より……今回こうして、あの子はいきなり消えてしまったじゃないですか」
どこか必死な様子で彼女は言う。
「あの子がいきなり消えたという事実に、気づいたのは私だけでした。私の親も、周りの友達も、みんな那智のことを忘れてしまっていました。私が何を言っても、誰も信じてはくれませんでした。どれだけ私が真実を訴えても、周りは『オカルト好き』の一言で片付けてしまって……」
誰も信じてはくれない。
そんな彼女の心境に、僕は過去の自分を重ねた。
「せっかく、今まで那智と仲良くしてきたのに……。こんなことになるなら、最初からあの子と仲良くなんてしなければよかった」
玉木はそこまで言うと、急に泣きそうな顔をして俯いた。
「あの子と一緒にいた時間、全部返してほしい……。その時間があれば私はもっと、他の友達と仲良くなることができたのに」
どこか後悔を滲ませるような、悔しげな横顔。
そんな彼女を見て、僕は疑問に思う。
「君は、鏡宮のことが好きじゃないの?」
「え……?」
きょとん、とした彼女の目が、僕を不思議そうに見上げた。
「小さい頃からずっと、鏡宮と仲良くしてたんでしょ? でもその割には……君はなんだか、鏡宮のことをあまり大切に思っていないような感じがする」
「……どういう、ことですか?」
そう聞き返した玉木の声は低く、どこか緊張した感じがあった。
僕は続けた。
「鏡宮は前の学校で、友達とうまくいってなかったって言ってた。猫の首のことで濡れ衣を着せられて、それで転校したんだって。……君も、鏡宮を疑ったの? 友達だったのに、鏡宮のことを信じてやれなかったの?」
「それは……」
鏡宮は誰にも信じてもらえなかった。
彼女がその話を僕に打ち明けてくれたとき、彼女は泣いていた。
――本当はね、私じゃなかったんだよ。でも……みんなが私だって信じ込んだら、それが真実みたいになっちゃって……っ。
彼女の悲しそうな顔が、脳裏で鮮明に蘇る。
「ねえ、玉木。君は鏡宮のことを友達だって言ってたけど、鏡宮のことを大切にしようとは思わなかったの? もし都合が悪くなったら切り捨てるっていうなら、それは……本当の意味での『友達』じゃないんじゃないの?」
見せかけの友情ほど醜いものはない、と思う。
都合のいいときだけ利用して、要らなくなったら突き放して。
それは、相手のことを一切考えていない、無慈悲な他人のすることだ。
「……私、は……」
玉木は掠れた声で呟いたかと思うと、
「……ごめんなさい……っ」
くしゃりと歪めたその瞳から、大粒の涙をボロボロと零し始めた。
「玉木?」
「ごめんなさい! 那智がいなくなったのは、私のせいなんです!」
半ば叫ぶようにして、彼女はどこかヒステリックな声を上げる。
その様子は、先ほどの癇癪が再び戻ってきたようにも見えた。
「私が那智に冷たくしたからっ……。だから那智はきっと、この世から消えてしまいたいって、神様にお願いしたんです!」
「えっ? いや、それは違――」
思わぬ方向へ話が転びそうになって、僕は慌ててストップをかけた。
鏡宮が神様にお願いしたのは、消えたいなんてことじゃない。
僕のことを思って、僕の姉が帰ってくるようにと一緒に祈ってくれたのだ。
けれど、慌てて訂正しようとした僕の耳に飛び込んできた玉木の告白は、僕の理性を一瞬にして吹き飛ばした。
「那智を追い詰めたのは私なんです。私が……あの猫を殺したんです!」




