第1話 4月21日 東の森 早朝 1
環アルスは、クンスト・トーキョー城下町にある小さな喫茶店――『カフェラート』で働いている。
生まれつきの癖っ毛で、オリーブ色の髪は放っておくとすぐ跳ねる。そのせいで朝はいつも、鏡の前で髪を押さえながら小さくため息をつくところから始まる。
まだ少年と呼ばれる年頃だ。
「この辺だったよな……」
ぽつりと漏れた声が、木漏れ日に満ちた森へ吸い込まれていく。
今日は店の仕事の延長だった。
仕事仲間の雪緒に「期間限定メニュー用の水を汲んできてほしい」と頼まれ、この森の奥深くまで足を運んでいる。
雪緒いわく、この泉の水で淹れるコーヒーは驚くほど味が変わるらしい。
そんな話を聞かされたら、少し期待してしまう。アルスは、同じ豆でも水一つで変わるような、そんな小さな違いを見つけるのが好きだった。
森は噂どおり静かだった。
陽光を浴びた木々が風に揺れ、葉の隙間から零れる光が、道しるべのように足元へ降り注ぐ。
「……あれ? おかしいな」
足を止め、辺りを見回す。
「雪緒くん、この辺に泉があるって言ってたんだけど」
雪緒は同い年ながら店では先輩で、落ち着いていて物知りだ。森にも詳しい彼の言葉を信じて来たものの、それらしい場所はどこにも見当たらない。
景色は美しい。歩くだけでも気持ちがいい。
けれど似たような景色が続くうちに、自分がどこを歩いているのか分からなくなってきた。
――もしかして、迷った?
胸の奥が少しだけざわつく。
「……いや、大丈夫か。時間がかかるかもって言ってたし」
自分を安心させるように呟き、背負っていたリュックを掛け直す。
中には空のポリタンク。
今日の仕事は、それを泉の水でいっぱいにして持ち帰ることだ。
そのときだった。
ちゃぷ……ちゃぷ……
どこからか、水音が聞こえた。
「!」
アルスはぱっと顔を上げる。
聞き間違いじゃない。
音を頼りに枝葉をかき分け、木漏れ日の中を駆け抜ける。
やがて視界がぱっと開けた。
「……あった」
そこには森が丸く切り取られたような空間が広がっていた。
壁一面には色とりどりの草花が咲き誇り、淡い陽射しを受けて静かに揺れている。
その中央で、澄みきった泉が絶えることなく湧き続けていた。
こんこん、と響く水音は、不思議なくらい心を落ち着かせる。
「やっと見つけた……」
早朝から歩き続けた疲れが、一気にほどけていく。
アルスは泉の縁へ腰を下ろすと、リュックからステンレスのマグカップを取り出した。
水をすくい、一口飲む。
ひやりと冷たい。
透き通るような清らかさが喉を滑り落ち、体の内側まで洗われるようだった。
「……すごい」
思わず声が漏れる。
この水で淹れたコーヒーは、きっと格別だろう。
紅茶もいい。緑茶ならどうだろう。
そんな想像をしているだけで、自然と口元が緩んだ。
アルスはポリタンクいっぱいに泉の水を汲み終える。
すると泉の中央で、小さな星が瞬くような光が揺れた。
「……なんだ?」
靴を脱ぎ、冷たい水へ足を浸す。
慎重に近づいてみると、水底に沈んでいたのは、淡い緑色に輝く一つの石だった。
不思議に思いながら両手ですくい上げる。
その瞬間だった。
石が眩い光を放つ。
「うわっ!」
石は鼓動するように脈打ち、光の中でゆっくりと膨らみ、姿を変えていく。
あまりの光に目を細めながら、恐る恐るまぶたを開く。
そして、息を呑んだ。
泉の水面に、一人の少女が静かに浮かんでいた。
艶やかな真珠色の髪が水にたゆたい、穏やかな寝息を立てている。
首元には、月の雫を閉じ込めたような白い宝石のネックレス。
その幻想的な姿は、この世のものとは思えなかった。
アルスは声も出せず、ただ目の前の少女を見つめ続けていた。
本日から新しいお話を更新します!
またまた少年と幼い女の子の組み合わせですが、前作とはまた違ったコンビとなっております!
前作とは世界線は同じでして、少し交差する場面もあります。
感想やコメントなどいただけたら嬉しいです!
最後までお楽しみください。




