第二百三十四話:不協和音 その2
「恭介、今度の休日は予定が空いているかしら? 空いているならわたしと一緒に出掛けてほしいのだけれど」
「ん? んん? え? さ、沙織っち? 博孝じゃなくて俺っすか?」
とある平日、自主訓練の休憩中に沙織から切り出された話題に、恭介は困惑したような声で尋ねた。博孝やみらいは飲み物を買いに行っており、この場にはいない。
まるでタイミングを見計らったように話しかけてきた沙織に、冗談かと思った恭介だったが沙織の顔は真剣である。
「ま、まさか、俺とデート――」
「寝言は寝てから……いえ、来世で言いなさい。“適役”なのが貴方だったって話よ」
「今世では死んでも有り得ないっすか!? って、適役?」
ないと思いつつ尋ねた恭介だが、思ったよりも冷たい反応が返ってきた。それに驚愕する恭介だったが、気になる言葉があったため声を潜めて尋ねる。
沙織は周囲の気配を探り、“何も”いないことを確認してから頷く。
「今後の休日に博孝と松下さんがデートに行くのよ。それを尾行しようと思って」
何でもないことのように言い放つ沙織だが、恭介としては驚くしかない。希美がデートというのも驚きだが、その相手が博孝となると驚きは倍だ。
「は? いや……博孝の浮気調査……なんてオチじゃないっすよね?」
何の理由もなく沙織がこんなことを言い出すとは思えない。そして、沙織と付き合っている博孝がデートに誘われたからといってついていくとは思えなかった。
「博孝はアレで一途だし、沙織っちを悲しませるようなことはしないと思うっすけど」
「そこはまったく心配してないわ。博孝はわたしのことが好きで、一緒に隣を歩んで行こうって言ってくれた。そんな博孝を疑う必要なんて、空が落ちてくることを心配するようなものだし」
照れることもなく言ってのける沙織に、恭介は少しだけ羨ましい感情を覚えてしまう。沙織は自分で口にした通り、博孝が浮気をするなど微塵も疑っていないのだろう。
だからこそ、希美が博孝をデートに誘うことを承諾したのかもしれない。
――だが、それならば何故博孝達の後を尾行する必要があるのか。
「ごちそうさまっす……何かがあるっすね?」
「“ないこと”を確認しにいくのよ」
真剣な表情で尋ねる恭介に、似たような表情で答える沙織。前回の休暇は砂原が強制的に取らせつつも、外出は小隊単位で行うよう推奨された。しかし、通常の休暇ならば分隊で外出すると言えば止められることもない。
「里香が何も言わないから大丈夫だと思っているけど、どうにも引っかかるものがあってね……」
「引っかかる?」
目を細めて話す沙織に、恭介も思考を巡らせていく。沙織が何を気にしているのかわからないが、現状でおかしな点を挙げるとすれば一つだろう。
「彼女持ちの博孝をデートに誘うこと……とか? 博孝からは好意を告げられたことがあるって聞いてはいるっすけど……」
「そうね、“ソレも”引っかかるわね。わたしは松下さんとそこまで親しくないけれど、いくら好きだからって彼女がいる人をデートに誘うような人だったかしら?」
沙織からすれば、希美と親しくないからこそ違和感を覚えてしまう。希美は訓練生時代から面倒見が良く、唯一の年上ということもあって男女問わず慕われていた。その性格は善性のものであり、かつて一匹狼だった頃の沙織も希美のことを下に見たことはない。
砂原からの信頼も厚く、第七十一期訓練生をまとめる立場にあった内の一人だ。しかし、それ故に解せない。博孝に彼女が出来たことを察し、その上で思い出のために一度だけでもデートをしたいと言い出すような人物だっただろうか。
“そんな人物”だった、という話ならば沙織も安心である。博孝とデートをして、それで終わりだ。多少気まずくなるかもしれないが、希美の言う通り思い出として済ませてしまおうと沙織は思っている。
「実は隠していただけで、博孝のことが本気で好きだったとか……」
沙織を前にして口にするべき話ではないが、可能性の一つとして恭介が仮説を挙げる。
「その可能性もあるわね。でも、なんて言えば良いのかしら……」
恭介の仮説に頷く沙織だが、その顔に納得の色は見えない。
「そう……こういう表現はあまり使ったことがないけど、女の勘ってやつかしら? 前々から少し気になっていたのよね」
「……普段使ってない分、さぞ的中しそうな勘っすね」
沙織が何を気にしているのか、恭介にはわからない。しかし、勘の優れる沙織がここまで言うのならば、何かがあるのだろう。
「まあ、俺は別に構わないっすけど……俺を選んだ理由は? 隊長とかじゃなくて良いっすか?」
沙織の雰囲気から察するに、“何か”があった場合は厄介な事態になりそうだ。それならば砂原などに相談した方が良さそうだと恭介は思うが、沙織は首を横に振る。
「あの里香が何も言ってないのよ? これは身内を疑う行為だし、その理由もわたしの勘だけ……松下さんの性格を引き合いに出しても、ことが恋愛ごとだけに正解もない。恋愛が絡むと色々と豹変する人もいるみたいだし?」
「たしかに……何かあれば岡島さんが気付いてるっすよね。てか、博孝も無駄に勘が良いし……杞憂じゃないっすか?」
「かもしれないわね。でも、何かがあった場合に頼りになって、なおかつわたしと一緒に気配を隠しながら博孝を追跡できるだけの技量を持った人……そうなると恭介ぐらいしかいなかったのよ」
博孝と里香が何も気付いていないのならば、希美を疑う余地もないのではないか。恭介はそう考えるが、沙織はそれを笑い飛ばす。
「何もないのならそれでいいわ。余裕ぶってデートにゴーサインを出して、それでも彼氏が浮気しないか心配でついていく馬鹿な女……わたしがそう思われるだけで済むもの」
一片たりとも博孝の浮気を疑った様子がない、眩しい笑顔で言い放つ沙織。そんな沙織の様子に深々とため息を吐き、恭介は沙織の願いを了承する。
「沙織っちの言う通り、恋愛が絡むと豹変する人がいるっすよね……俺の目の前にも」
「あん? 車を貸せだ? たしかに俺の車は誰が運転しても保険が出るようにしちゃいるが……は? デート? 長谷川の嬢ちゃんじゃなくて、別の嬢ちゃんと? 死ねよ」
「車を借りに来ただけなのに反応が冷たすぎる!」
希美とデートをするということで移動手段を確保しに来た博孝だが、野口に話を通すなり手酷いコメントが飛んできた。博孝としてもその反応は予想できたが、実際に言われると心苦しいものを感じてしまう。
「つーかお前、いい加減にしろよ? この前はアイドルの嬢ちゃんに長谷川の嬢ちゃん、んで、今度は別の女? うちの部下共に話題を提供しまくって楽しいか?」
「神楽坂さんは別口なんでノーコメントで。というか、野口さんの部下って自由過ぎません?」
車を借りる相談をしつつ、雑談を行う博孝。野口は煙草を咥えつつ、呆れたように言う。
「悪いことは言わねえから、相手は一人に絞っとけ。痴情の縺れで『ES能力者』同士がぶつかり合ったら洒落にならねえぞ?」
「いやいや、それを解消するためといいますか……というか、さすがに一人に絞った人の台詞は重みが違いますね」
からかうように博孝が言うと、野口は石になったように動きを止める。そして煙草の灰が地面に落ちるまで固まり続け、絞り出すようにして声を発した。
「……何のことか、さっぱりだ」
「そうですか……いや、つい最近、訓練校のとある女生徒から手紙が届きまして。好きな人と上手くいきそうだからって、手紙でお礼を言われましてね。俺は訓練生時代にちょっと気を利かせて、特定の時間は野口さんのところに行かなかっただけなんですが」
律義で良い子ですね、と博孝が締め括ると、野口は視線をあちらこちらに彷徨わせながら紫煙を吐き出す。
「そ、そうか……最近の若い子にしちゃあ律儀なもんだな。誰のことかはわからんけど」
「ええ、本当に。俺だけじゃなく、恭介や中村達のところにも似たような手紙が届いたそうですが、全部文面が違ったらしいです。よっぽどその人が大切なんでしょうねぇ」
ニヤニヤと意地悪く笑う博孝だが、雑談はほどほどに切り上げる。野口は終始挙動不審だったが、結果として車を借りることができた。
――そして、今は助手席に乗った博孝の隣で希美がハンドルを握っている。
「あの……松下さん? 本当に大丈夫ですか? なんか、さっきから視線が動いてないですよ?」
「ちょっと静かにしてて。運転に集中してるから」
「あ、はい……」
道路の状況と行き来する車、歩道の歩行者などを凝視しつつ、希美は真剣そのものといった様子でハンドルを操作する。ペーパードライバーというのは嘘ではないらしく、運転開始から肩に力が入りっぱなしだった。
博孝や希美ぐらいの『ES能力者』になれば、例え車が加速した状態で壁に激突してもかすり傷も負わないかもしれない。しかし、自分達はともかく普通の人間を事故に巻き込んでしまえば危険だ。
(ま、その時はドアを開けて相手を助けて……一秒じゃ厳しいか?)
余程視界の悪い場所で、出会い頭に激突でもしない限りはどうとでもなる。そう考えた博孝は気楽に構えるが、運転をしている希美としては借り物の車で事故を起こすわけにはいかない。
そのため真剣に、安全運転で目的地まで向かう。後続車に煽られようと無視し――むしろ気付かず、即応部隊の基地から最も近い街へと向かった。
「あー……良かったわ。無事に到着した……」
有料の駐車場に車を止めた希美は、疲れた様子でそう呟く。それを聞いた博孝は労わるように笑いかけた。
「お疲れ様です。代わりに運転したいところですが、まだ免許を取ってないんですよね」
「取っておくと便利よ? わたしみたいにペーパーだと、いざという時に運転を躊躇しちゃうけど……」
そんな会話をしつつ、二人は市街地を散策していく。博孝も希美も私服姿であり、傍目から見ればデートに見えるだろう。
希美は季節を意識した、春らしい明るい色をベースにして服を選んでいる。やや胸元が強調されているのは、わざとなのか勝手にそうなったのか。博孝は他人が見て寒く見えないよう適度に着込んできただけであり、ファッション性はそこまで意識していない。
いくらデートといっても、相手が沙織でないのならば必要以上に着飾る必要もないと判断したのだ。もちろん、失礼にならないよう清潔かつ色合いも意識して服を選んではいるが。
相変わらず国境付近がキナ臭いため、道行く人の数も少ない。歩く分には空いていて楽だが、どこか物悲しさが漂う街の空気を味わいつつ、希美は困った様子で言う。
「さて……どこに行きましょうか?」
「どこに行きましょうかね……」
困ったことに、博孝も希美もノープランだった。希美の願いを叶えるためのデートとはいえ、互いに行きたい場所があるわけでもない。その場その場で気の向くままに行動しよう、ぐらいにしか考えていなかった。
「誘っておいてなんだけど、わたし、デートって初めてで……何をすればいいのかしら?」
「そいつは光栄なことで……ただ、俺もそんなに経験があるわけじゃないんで」
里香の時は励ますために博孝が自分から引っ張り、沙織の時は洋服を買うという目的があった。ついでに言えば博孝と希美の間に深い親交がなく、沙織や里香の時のように気兼ねなく行動できるというわけでもない。
「何か欲しい物とかあります? 折角ですし、プレゼントしますよ」
状況に気まずさを覚えてそんなことを提案する博孝だが、それを聞いた希美は虚を突かれたように目を瞬かせた。そして数秒経ってから拗ねたように視線を逸らす。
「もう……そんな風に言われたら、“次”があるのかもって期待しちゃうわよ?」
「……すいません」
“記念”にプレゼントなど、残酷極まりないだろう。博孝は反省すると、その視線を別の場所へ移す。
「立ち話で決めるのもアレですし、まずはコーヒーでも飲みますか」
「そうねぇ……自分から誘っておいてなんだけど、特に行きたい場所があるわけでもないのよね」
右頬に手を添え、困った様子で希美は言う。しかしすぐにその表情を変えると、照れ臭そうに、それでいて切なそうに目を細めた。
「一日だけでも良いからあなたを独占してみたかった……そんなところかしら」
何とも反応に困る言葉だ。博孝は迂闊なことが言えず、困ったように頭を掻く。
「ふふっ、困らせちゃったわね。お詫びにわたしが奢るわ」
少しだけ表情を緩ませる希美に苦笑を返し、博孝は喫茶店へと入る。昼時と呼ぶには早い時間だからか、客はまばらだ。
博孝と希美は席に案内されると、コーヒーを注文する。そしてコーヒーが運ばれてくるまでのつなぎとして話題を探すが、思った以上に共通の話題がないことに気付いた。
「えー……そういえば松下さんは俺達の三歳上ですけど、もしも『ES能力者』じゃなかったら進路はどうしてました?」
とりあえずといった様子で話題を振る博孝。それを聞いた希美は窓の外に目を向け、遠くを見るように目を細める。
「就職よ。故郷が田舎だから、そのために運転免許も取ってたわけだし。十五歳の時に初めて受けた『ES適性検査』では落ちたし、大丈夫だと思って就職しようとしたら今度は通るし……一応内定をもらってたんだけど、わたしの代わりの新入社員って見つかったのかしら……」
「へぇ……松下さんなら進学かなって思ったんですけど。やりたい職業だったんですか?」
下手をすれば地雷を踏みそうだが、民間人の耳がある場所で機密に関わる話はできない。そのため個人的な話をしているのだが、希美の反応は芳しくなかった。
「単純に進学するだけのお金がなくてね。奨学生になれるほど頭が良かったわけでもないし、地元の企業に就職すれば色々と楽かなぁって」
そこまで言って、希美は言葉を切る。それに合わせるようにコーヒーが運ばれ、博孝と希美は互いにコーヒーカップを傾けた。
「そうなんですね。俺は高校に進学する予定でしたけど、検査に引っかかったもんで……『ES能力者』になりたかったですけど、せめて卒業式ぐらいは出たかったですね」
希美が話したのだから、自分も話すべきだろう。そう考えた博孝は自分の過去について話すが、昔の自分は『ES能力者』になって空を飛んでみたいとしか考えていなかった。
今のように『天治会』に狙われ、命の取り合いを行うことになるとは思ってもいなかったのである。空を飛ぶという夢は叶えたものの、厄介事までついてきてしまった。
「そうなの……それじゃあちょっとした興味から聞くけど、河原崎君はもし『ES能力者』になっていなかったらどうなってたと思う?」
「『ES能力者』になること以外で、将来の夢は何かってことですか? それとも進学先や就職先の未来図?」
「そこまで細かくないわよ。こんな自分になってたとか、そういう予想?」
希美からの質問に、博孝はコーヒーを飲みながら思考を巡らせる。もしも『ES適性検査』で何事もなく、“普通”の人間として結果が出ていればどうなったか。
「そうですね……普通に進学して、普通に就職して、普通に結婚して……普通に死ぬ?」
「さすがにその返答は反応に困るわね」
細かくはないが、あまりにも漠然としすぎている。博孝もそう思ったため、首を捻って答えを訂正した。
「もしかすると、戦闘機のパイロットとか目指してたかもしれません。空を飛んでみたいなー、なんて言いながら」
『ES能力者』になれなかったのならば、戦闘機や飛行機、あるいはヘリコプターなどのパイロットになっていたかもしれない。そんな自分の姿を想像する博孝だが、実際に『飛行』で飛べる身としては曖昧に感じてしまう。
「パイロットかぁ……男の子ってそういうの好きそうだものね?」
「ははは。でも、実際にパイロットになれたとしても、空を飛べるタイプの『ES寄生体』に撃墜されそうですけどね」
『ES寄生体』の脅威をきちんと理解していれば、生身の人間がパイロットになり、『ES寄生体』と空中戦闘を行うというのはゾッとしない話だ。下手をすれば、一撃で叩き落とされてしまう。
「むむむ……実際に飛び慣れてると、戦闘機ってのは自由が利かないですね。後退もできないし、武装にも限りがあるし」
加えて言えば、戦闘機は高給取りの『ES能力者』と比べても金食い虫だ。戦闘機は最高速度に関しては評価されているが、それ以外の面では『ES能力者』に劣ってしまう。
「考え方が物騒よ? でも、わたしは発現していないからわからないけど、『飛行』に慣れていたら窮屈そうよね」
「ですね。速度的に相手が『ES寄生体』ならまだどうにかなりそうですけど、空戦の『ES能力者』が相手なら『狙撃』の一発で勝負がつきますし。下手すりゃ地上から射撃系ES能力を撃たれるだけで落ちます」
そう考えると夢がない。博孝はそう締め括り、肩を竦める。
「そういう点では、『ES能力者』になって『飛行』まで発現できたんですから大収穫ですよ。日頃から物騒なのが難点ですけど、叶いそうになかった夢が叶ってるわけですし」
「そう……羨ましいわね。わたしは『ES能力者』になりたかったわけじゃないし、目標がないのよね。そういう目的意識の有無で腕前も変わってくるのかしら?」
「どうですかね……ん?」
とりとめない話をしている途中で、博孝は顔を上げる。『探知』を発現していたわけではないが、『構成力』が接近してくるのを感じ取ったのだ。
反射的に身構えそうになった博孝だが、『構成力』の移動速度は速くなく、歩いて移動している。数は一つであり、敵意は感じられない。
(街中だし、どこかの部隊の人か?)
この街の近くにある基地は、即応部隊だけではない。日本海側への備えとして、いくつかの部隊が配置されているのだ。対ES戦闘部隊なども含めれば、その数は一気に増える。
敵の可能性も捨てきれないが、もしも敵ならば有無を言わさず襲ってきているだろう
「……『構成力』が近づいてきているわね」
希美も気付いたのか、不思議そうな顔をしている。博孝よりも警戒心が薄いのは、これまでに積んだ経験の差によるものか。
『構成力』は迷うことない足取りで博孝達に近づき、喫茶店のドアを開けて入ってくる。相手も近くに『構成力』があることが気になったのか、周囲を見回しながらの入店だった。
そして、喫茶店に入ってきた者と目が合うなり、博孝は目を見開く。その人物には見覚えがあり、この場所で再開するとは思わなかったのだ。
「――あら、懐かしい顔に会ったわね」
そう言って、女性が微笑む。その顔には博孝同様に驚きが混じっているが、同時に懐かしさを含んでいた。
「……清香さん?」
そこには、博孝が『ES適合者』になってから訓練校へ入校するまでの間世話になった陸戦少尉、丸山清香が立っていた。




