第百九十九話:要請 その4
作業場の奥には、柳専用の鍛冶場が用意されていた。高温の炎が燃え盛る炉に、刀鍛冶に必要な各種道具。博孝には何の用途に使用するかわからないものも大量にある。それでも柳の言葉通り、ここで刀を打つのだと理解できた。
鍛冶場には三人ほど人がいたが、護衛を務める『ES能力者』や対ES戦闘部隊の面々とは様子が異なる。戦闘に身を置く者ではなく、何かを作る者――刀鍛冶の類なのだと、博孝は一目で看破した。
「こいつらは俺の弟子……みたいなもんだ。俺の作刀を手伝わせている」
博孝の疑問に軽く答えた柳。弟子と言い切らなかったのは、彼らが『ES能力者』ではないからだろう。柳が持つ『付与』を使うことができない以上、対『ES能力者』用武装を作る柳の弟子には成り得ないからだ。
それでも彼らが柳に向ける眼差しには敬意が混ざっており、その視線を受けた柳はどこか照れ臭そうだ。
「それじゃあ坊主、お前さんにも作刀を手伝ってもらう。『活性化』の調節は覚えたな?」
「一日で覚えたと言わせる気ですか……ええ、大丈夫ですよ」
ここで否定しても始まらない。博孝はため息を堪えて頷くと、柳は上等だと呟いて炉――火床に向かった。そして作刀の準備を行う傍ら、博孝に軽く説明を行う。
「坊主、お前さんは『武神殿』の孫娘に渡した『無銘』を知っているな?」
「もちろんです。切れ味も頑丈さも知っていますよ。今の沙織の腕なら、『収束』を発現した俺の防御を抜いてきますからね」
模擬戦で何度も対峙したのだ。『無銘』に関しては、身を以って知っている。
「……新米のお前さんが『収束』を発現しているってのは置いといて、だ。何故『無銘』がそこまで頑丈かわかるか?」
そう問うなり、小声で『砂原の馬鹿は教え子に何をさせてんだ?』と聞こえたが、博孝は聞かなかったことにした。
「『無銘』が折れないのは沙織自身の腕もありますけど、『付与』のおかげですよね? あとは日本刀だから対ES戦闘部隊に配備されているナイフよりも頑丈……とかですか?」
博孝が思いつく理由はそれぐらいしかない。すると、柳は僅かに目を輝かせながら大きく頷いた。
「七十点ってところだな」
「意外と高いですね……高いんですか?」
「おうよ。日本刀だから……そこに答えが含まれている」
準備を進めつつも、柳の言葉は止まらない。銃弾や既製品のナイフに『付与』を行う時とは異なる、生き生きとした感情がそこにはあった。
「お前さん、日本刀の作り方は……知ってるわけねえな。日本刀ってのは、多くの段階を踏んでようやく完成するものなんだ」
そんな前振りから、柳は博孝が反応をする暇もなく語り出す。
水挫しや小割りといった鋼の選別、準備から、実際に鋼を鍛える鍛錬。焼き入れや鍛冶研ぎ。柳は本当に納得のいく刀でない限り銘を切ることがないらしく、銘を切る話は省略されたが、それでも博孝としては初めて聞く話ばかりだった。
「……刀が好きなんですね」
辛うじて、絞り出すように言えたのはそれだけである。どこか距離があるように感じた博孝だが、柳の姿はまるで、空を飛びたいと願っていた頃の自分のようだ。
博孝の言葉を聞いた柳は、照れるようにして視線を逸らす。
「……日本刀の魅力に憑かれてな。しかも、今の時世にゃ名刀業物の類でも斬れねえ生き物がいる。それらを斬れる刀を生み出せるんだ。刀匠冥利に尽きるわな」
そこまで詳しくない博孝でも、過去の刀剣で知っている物はいくつかある。しかし、それらの名刀でも『ES能力者』や『ES寄生体』は斬れないのだ。名高い名刀でも、『武器化』で生み出した刀と打ち合えば一合ともたずに叩き斬られるかもしれない。
「いや、そんな話はいいんだ。俺が話したかったのは、なんで俺が作った刀がそこまで頑丈かってことなんだが……」
柳としても予定外の脱線だったのか、博孝と視線を合わせようとしない。その場にいた弟子の者達から注がれる視線が暖かみを増したように博孝は感じたが、わざわざ藪を突くことはしなかった。
「説明した通り、刀は打ち上げるまでにいくつもの段階を踏む。俺はその間、常に『付与』を発現している」
柳がそう言うと、弟子の一人が作刀に使う鋼を運んできた。『ES能力者』である博孝から見ても、頑丈そうな鋼である。
「昼間にお前さんに協力してもらった時は、『構成力』を『付与』するだけだった。対象が耐えられるギリギリまで『構成力』を与えて、『ES能力者』にも通じるようにしている……が、それだけだ。既製品に『構成力』を与えただけで、威力は一定でしかない」
言葉を重ねつつも、柳の右手に『構成力』の光が輝く。そして一瞬の後に握られたのは、『武器化』によって生み出された鎚だった。
「だが、刀の類は一から作っている。鋼に『付与』をかけつつ、ひたすらに鍛えていく。そうすることで鋼の芯から『構成力』が宿り、頑丈さと切れ味を兼ね備えていく」
『武器化』で鎚を発現したのは、通常の鎚では『付与』を施された鋼が鍛えられないからだろう。柳は『付与』と『武器化』を維持し、その上で鋼を鍛えて日本刀を作り上げていくのだ。
ただ『構成力』を付与するのではなく、鋼を鍛える段階から“練り込んで”いく。そうすることで『無銘』のような作品ができたのだろう、と博孝は理解した。
しかし、さすがの柳でも『付与』と『武器化』、さらには刀鍛冶の全てを満遍なく並行するのは難しい。そのための弟子であり、博孝の『活性化』にも期待をしているのだ。
「『武神』殿には色々と理由を言ったが、俺としてはこっちが“本命”だ。部隊を任された砂原には悪いと思ったが、わざわざ護衛任務なんて名目で呼びつけたのも全てこのためだ」
そこまで言うと、柳は博孝に視線を向けた。まるでこれから殺し合いでも行うような、真剣な眼差しである。
「お前さんにも迷惑をかけるが、『活性化』の効果を知ってからは試したくて仕方がなかった。タイミング的にも、今を逃すといつになるかわからないと思った。悪いとは思うが、さっき言った通り納得がいくまで付き合ってもらうからな」
人の手で刀を打つというのは、並大抵の労力では済まない。それは『ES能力者』である柳も同様で、体力と精神力、集中力を鑢掛けされるほどに消耗するのだ。
ノルマとしてただ『付与』を発現する場合とは異なり、己の手で刀を打ちながら『付与』を発現するのである。使用できる『構成力』も限りがあるため、可能な限り長く、それでいて少しでも多くの『構成力』を『付与』できるよう“調節”する必要があった。
博孝に『活性化』の制御を磨けと言ったのも、柳自身の体験に因るものだろう。限りある『構成力』を無駄なく使うために、柳は何十年とかけて『構成力』の操作を磨いてきたのだ。
博孝は表情を引き締め、柳に劣らない気迫を浮かべて頷く。
「任務ですから……ただ、俺も柳さんの作品作りに協力したくなりましたよ」
『活性化』の訓練にもなり、まだ見ぬ名刀が生まれる可能性もある。博孝は力強く返事をして――そんな返事をしたことに後悔するまで、三日もかからなかった。
即応部隊の隊長である砂原は、第六空戦部隊が管理する駐屯地を訪れても多忙である。部下の統率に護衛任務の遂行、第六空戦部隊との模擬戦に折衝、挙句には第六空戦部隊の隊長に部下へのアドバイスも頼まれ、寝る暇もないほどだった。
それでも隊長として護衛対象の様子を確認する必要があり、時間が空けば顔を見せている。駐屯地は周囲の警戒を密に行っており、常に博孝とみらい、更には空戦一個小隊が柳についていた。
柳も非常に腕が立つ。それ故に心配する必要はなく――むしろ護衛についている博孝の方が心配するべき有様だった。
「ああ、みらいよ……俺はどうやらここまでみたいだ……」
「おにぃちゃん、しんじゃやだ!」
博孝は何故か作業場の隅で床に転がっており、みらいが膝枕をしながら切々と訴えている。みらいは博孝の冗談に合わせているだけだろうが、その瞳には心配の色が宿っていた。
「あの……博孝君?」
副官として砂原と同行していた里香が、心底不思議そうな顔で声をかける。砂原は任務中に何故寝転がっているのかと怒鳴り付けようとしたが、博孝の様子がおかしいため怒声を飲み込んだ。
博孝は砂原と里香が現れたことに気付いて立ち上がろうとしたが、糸が切れた人形のように崩れ落ちてしまう。すると即座にみらいが博孝の頭をキャッチして、自分の膝の上へと置いた。
「隊長、岡島少尉……こんな体勢で申し訳ないです。『活性化』を使い過ぎて体が動かないんです……」
申し訳なさそうに謝罪する博孝だが、それだけで辛そうだ。その傍では柳が困ったように頭を掻いており、砂原は射殺さんばかりに鋭い視線を向ける。
「――柳、どういうつもりだ?」
外気に反して蒸し暑い作業場が、一気に冷え込むような声だった。しかし、柳は臆した様子もなく視線を彷徨わせる。
「おっかねぇ声を出すなよ……『活性化』を使わせ続けてたら、いきなり倒れちまったんだ」
柳としても予想外だったらしく、その声には反省の色があった。
宣言通り、柳は博孝に『活性化』を使わせ続けた。しかし、疲労で倒れてしまっては意味がない。そのため博孝には十分な休息を取らせていたのだが、ふとした拍子に倒れてしまったのだ。
「や、なんかちょっと気を抜いたら一気に疲れが……」
倒れた状態で手を振る博孝だが、酷く動きが緩慢だった。意識はしっかりしているが、意思に反して体の反応が鈍いのである。里香が試しに『治癒』を発現してみるが、博孝の様子に変化はなかった。
「どれほど酷使したんだ……」
砂原がため息を吐きながら呟くと、柳は心底不思議そうな顔で首を傾げた。
「いや、たしかに酷使した自覚はあるが、倒れるほどには……坊主、空いた時間は休んでたよな?」
柳が問うと、博孝は億劫そうに頷く。『活性化』を長時間発現すると疲労が蓄積するため、休める時には休んでいたのだ。
「本人が自覚しないほどに疲労が溜まっていたとか?」
博孝の容態を確認していた里香がそんなことを口にするが、自分自身の体調を把握できないような“間抜け”など砂原の教え子にはいない。博孝と沙織はその傾向が少しあったが、三年間の教育によって身に染みている。
それでもしばらくすると、博孝は体を起こせる程度には回復した。試しに『活性化』を発現してみるが、問題なく発現ができる。
「何とか動けるようになりました。『活性化』も問題なく使えます」
「さすがに今すぐ動けとは言わねえよ。ただ、もしかすると……」
銃弾等の『付与』に関しては、博孝の『活性化』は必要ない。多少作業効率が良くなるだけで、柳が求めているのは刀鍛冶の時だけだ。沙織や野口には検証作業を頼んでいるが、それらも今回の実験を源次郎へ報告するために必要なだけである。
柳は博孝の様子から、もしやと思い尋ねた。
「お前さん、今までも『活性化』を使って倒れたことはあるか?」
「何度かありますけど……それがどうかしましたか?」
「それはどんな状況でだ?」
思いの外真剣な様子で尋ねられ、博孝は記憶を辿る。『活性化』を使って初めて倒れたのは、みらいと初めて出会った時だろう。みらいを落ち着かせるために限界まで『活性化』を発現し、みらいが落ち着くなり意識を失ってしまった。
他にも、ラプターと交戦した時などは限界を超えて発現した記憶がある。その時も意識を失い、回復するまで時間がかかってしまった。
それらを軽く説明すると、柳は顎に手を当てながら視線を宙に向ける。
「ふむ……お前さん、気を抜いたら倒れたって言ったな。気を抜かない……つまり集中力を保った状態でなら、ある程度は疲労を無視できるってわけか?」
「あー……言われてみればそうですね」
柳の言葉に納得する博孝。これまでの経験からそれはすぐに理解できる。『活性化』を使い過ぎて倒れた経験が少ないのは、倒れるほど消耗する前に休んでいたからだろう。しかし、そんな博孝の顔を見た柳は深刻そうに眉を寄せた。
「おい、砂原。お前、一体何のつもりだ?」
「……何の話だ?」
先程の砂原にも劣らぬ、冷たい声。その声に対し、砂原は怪訝そうに答える。
「この坊主が使う能力は明らかに異質だ。通常のES能力と違って、『構成力』が尽きようとも発現できるだろう。話を聞く限り、消耗しているのは『構成力』というよりも体力に近いらしいからな」
通常のES能力は、『構成力』がなければ発現できない。かといって、『構成力』がないということは既に枯渇してしまったということだ。それは『ES能力者』にの死因の一つなのだが、『活性化』で消耗するのは通常の『構成力』ではない。
柳は博孝に視線を向けると、頭から爪先までじっくりと注視する。
「いや、体力よりも生命力に近いのか……この坊主は何回“限界”を超えた? 下手すりゃ命を削ってるんだぞ? 何故お前が止めねえ。その危険性に気付かないほど愚鈍な奴でもあるまいに」
咎めるように、責めるように柳は言う。その言葉の裏にあったのは、博孝に対する心配だった。博孝の『活性化』を利用してみたいと思ってはいたが、それが命を削るほど物騒な代物ならば使おうとは思わない。
柳が疑問に思ったのは、何故砂原がそれを放置しているかだ。一山いくらの『ES能力者』とは異なり、砂原は『穿孔』とあだ名されるほどの猛者である。戦闘力も高いが、同時に冷静さと思慮深さも持ち合わせていた。
そんな指摘に対し、砂原は虚を突かれたような様子で目を細める。“言われてみれば”、確かにその通りだ。
莫大な威力を誇るES能力も、『構成力』がなければ発現できない。自分自身や他の『ES能力者』に対して能力の底上げを促すような『活性化』が、何のリスクもなく使えると何故判断したのか。
『構成力』を枯渇させて命を落とした仲間や敵を、砂原は何度も見てきた。『ES能力者』にとって『構成力』は強力な矛であり頑強な盾にもなる。しかし、全てを消耗すれば命を落とすのだ。
博孝が発現する『活性化』はその“例外”だと思った砂原だが、柳の言葉には頷ける。代償もなしに巨大な力を発揮することはできないのだ。
「長時間『活性化』を使わせたのは悪かったが、さすがにこいつは看過できねえな。使用禁止……と言いたいところだが、使い方を熟知しないままに放置する方が余計に危険だろう。当分俺が監視するが、構わねえな?」
「……ああ、頼む」
『構成力』の扱いに関しては、柳の方が上である。『収束』を編み出した砂原の操作技術も高いが、柳はそれ以上だ。莫大な『構成力』を操る砂原と比べ、柳は細かい操作に習熟している。
(しかし、何故だ?)
柳の提案に頷きつつ、砂原は降って湧いた疑問に内心で首を傾げた。博孝の『活性化』に関するリスクを見逃していた――気付かなかった自分自身に愕然とする。
言われてみれば、なるほど正論だ。砂原もそう思い、納得できる話である。もしも砂原が事前に気付いていれば、博孝が訓練生だった頃から『活性化』の扱いに注意していただろう。
博孝は普段の訓練から無理をすることがあったが、その都度たしなめている。しかし、『活性化』の使い過ぎに関してはそこまで注意した覚えがない。
『活性化』を使い過ぎて倒れても、博孝はすぐに復活した。短くて数時間、長くても数日とかけずに回復したのだ。そのリスクと比較すると『活性化』の力は大きく、魅力的なものだろう。
最初の頃は数分発現するだけで限界だったが、今ではその十倍以上の時間維持できる。それを博孝の努力の賜物だと思っていたが、違うのだろうか。
(そういえば昔、河原崎が言っていたな。『構成力』が急に増えたように感じる、と)
過去の記憶を辿り、砂原は訓練校時代の記憶を漁る。『構成力』が増えたと、相手の動きがよく見えるようになった、と。あれは一体、いつのことだったか――。
「――隊長、ちょっとお話が」
そんなことを思考する砂原のもとに、斉藤が姿を見せた。その顔は真剣であり、砂原は何事かと意識を向ける。
だが、思考を継続しながら斉藤の話に耳を傾けるのだが、『活性化』の危険性に関する思考の糸は何故かするりと砂原の頭から抜け落ちていく。
そして、その場を後にする砂原の背中を、柳は訝しげに見送るのだった。
斉藤に促された砂原が駐屯基地の正門まで移動すると、そこには第六空戦部隊の隊長やその部下達が多く集まっていた。それぞれが怪訝そうな顔をしており、足元に視線を向けている。
「一体何があった?」
そこに砂原が顔を出すと、人垣が割れた。そして促されるままに歩を進めると、その場に集まっていた者達が足元に視線を向けていた理由がわかる。
「……これは?」
思わず怪訝そうな声を出す砂原だが、それも仕方がないだろう。どこから運んできたのか、地面には多くの遺体が横たえられていたのだから。
「周辺の山を警邏で見回っていた兵士が発見しました。ひとまず見つかった分だけ移送してきましたが、他にも仏さんが見つかるかもしれません」
そう答えた斉藤の声にも、疑問の色が多く宿っている。有事の際に民間人に被害が出ないよう、駐屯基地は市街地から離れた土地へ建設されている。周囲は山森があるが、迷い込んで死んだにしては数が多すぎた。
「八人……装備から考えるに、他所の国のスパイでしょうね」
遺体の傍では身につけていた“装備”も並んでいるが、小型の望遠鏡に双眼鏡、無線に野戦食、更にはサイレンサー付きの拳銃や自動小銃も転がっており、どう見ても一般人のはずがない。体躯もそれなりに恵まれており、砂原の目には軍属の者だと看破できた。
服装も草木に溶け込む迷彩服や体中に草葉を生やしたギリースーツなど、明らかに潜伏を目的としたものである。
「ただの監視か、情報収集か。それとも柳がここにいることを嗅ぎつけたのか……しかし、何故死んでいる?」
『ES能力者』の基地を監視するには、『ES能力者』よりも普通の人間を使った方が良い。『構成力』を発さず、迷彩を施せば目視で視認するのも難しいからだ。加えて、監視や観測に望遠鏡や双眼鏡を使われれば電波も発さない。
他国の『ES能力者』に関する情報を得ようとするのは、どの国も同じだ。故に、密かにスパイを潜り込ませて諜報活動に当たらせている。
それはどんなに緊密な同盟国同士だろうと変わらず、日本にも多くのスパイが潜り込んでいる。反対に、日本からも多くのスパイを他国に潜り込ませていた。
「背後から刃物で心臓を一突き……これは余程の手練れでしょう。他国のスパイ同士が遭遇戦をやった……にしては一方的ですな」
斉藤も何故彼らが死んでいるのかわからず、首を傾げた。鹵獲した銃器に関しても、一発すら発砲していないのだ。傷口は背中にしか存在せず、全員が全員、一撃で命を落としている。
即応部隊や第六空戦部隊の面々が遺体を検めているが、身元につながるような物は出てこない。他国に潜むだけあり、その辺りの証拠隠滅は徹底しているのだろう。顔を確認してみるが、おおよその人種は特定できても国籍の確定はできなかった。
所持していた拳銃で特定したいところだが、多数の国に輸出されている銃だったため証拠にはならない。
「これで相手が刀傷で死んでいれば、柳さんが勝手に抜け出して作品の試し切りをしたってことで納得できるんですがね」
第六空戦部隊を率いる少佐は、困ったように呟く。当然ながら柳は勝手に抜け出してなどいない。むしろ鍛冶場にこもって『活性化』を使用した刀鍛冶に熱中していたほどだ。
「ひとまず長谷川中将閣下に報告をしましょう。スパイ同士の小競り合いで死亡した可能性もある。近隣の監視に関しては増やす必要がありますが……」
少佐の発言に同意しかけた砂原だが、今はさすがに冗談を口にしている場合ではない。速やかに源次郎へ報告し、場合によっては山狩りをする必要もあるだろう。
スパイが捕まることは珍しくないが、複数のスパイが揃って死体になっていることはさすがに見逃せない。それも、駐屯基地の傍でとなれば尚更だ。味方がそれを成したという報告もない以上、第三者の関与があったはずだ。
「相手がただのスパイなら楽なのですが、ね……」
そう呟き、砂原は遠くに見える山林に視線を向けた。何事もなければ良いのだが、とは思う。即応部隊だけでなく、第六空戦部隊まで駐屯しているのだ。戦力としては大きく、申し分ない。
それでも備えるに越したことはなく、砂原は部下に警戒の指示を出すのだった。




