第百五十九話:訓練校防衛戦 その11
日本ES戦闘部隊監督部が管理するビルにて中隊を編成した砂原は、一路訓練校へ向けて飛び立っていた。
率いる部下は十一名。一個中隊を統率した砂原は、雲が多く漂っている空を切り裂くような速度で飛行する。
『飛行』は空を飛ぶES能力だが、その飛行速度は練度によって多少の差が出る。『飛行』に慣れた者ならば『構成力』をほとんど消費せずに飛ぶことができるが、その速度には限界があった。
速度だけ比較するならば、『ES能力者』よりも戦闘機の方が優越する。『構成力』を消耗して速度を優先したとしても、最高速度では敵わない。並の『ES能力者』ならばその差が顕著であり――しかし砂原は並の『ES能力者』ではない。
進路上に存在する鳥型『ES寄生体』を片端から排除しつつ、可能な限り急いで訓練校へ向かう。
『探知』で発見した鳥型『ES寄生体』を射撃で“爆砕”し、行く手を遮るように向かってくる場合はそのまま突撃して粉砕。極力速度を落とさず、それでいて地上に死骸が落下しないよう、文字通り木っ端微塵にして押し通っていく。
中隊を率いて先頭で暴れ回る砂原だが、それに続く“元部下”達も砂原に従うように鳥型『ES寄生体』を排除する。空戦部隊から借りてきた残りの四名はついていくだけで精一杯だが、砂原達も手を貸せとは言わなかった。
多少『構成力』を消耗してでも速度を優先し、目にも止まらない速度で飛びながらも敵を落とす。そんな芸当をできるほど空戦部隊員として練度が高くなかったのだ。
彼らは空戦部隊員として平均よりも上の技量を持っていたが、『ES能力者』の戦い方は戦闘機とは異なる。飛びながらも小回りの利く機敏な動作こそが最大の特徴であり、一直線に突き進みながら“ついで”に敵を倒すなど本来の戦闘方法ではない。
難なく鳥型『ES寄生体』を粉砕しながら直進する砂原とその部下達の姿に若干畏怖しつつ、それでも必死についていく。
『――総員、止まれ』
だが、急いでいるはずの砂原からそんな声が飛んできた。追加の小隊は慌てて速度を殺して止まるが、砂原の部下は命令が下った瞬間にその場で停止している。
「大尉殿?」
そして思わず声をかけるが、砂原は振り向きもしない。空に漂う雲に視線を向け、冷え冷えとした声を吐き出す。
「貴様等は何も感じないのか? 妙なものがいるぞ」
「……え? 『構成力』は感じませんが……」
『飛行』を発現しながら『探知』を行うことは、空戦部隊員として基本に近い。だが、小隊の面々は異常を感じ取ることができなかった。
「ああ、何かいますな」
「妙な感じですね……『構成力』ではなく、感覚に引っかかるものがあります」
「『隠形』とも『擬態』とも違うようですが……」
砂原の元部下も気付いていたのか、砂原と同じ方向に視線を見ながら発言する。
(ラプターかと思ったが、毛色が違うな……)
可能な限り速度を出しつつも、周囲の索敵は怠っていない。それ故に“異常”に気付いたのだが、過去に交戦したことがあるラプターとは違うようだ。
『こちら訓練校救援先遣中隊の砂原空戦大尉です。官姓名の申告を』
“一応”は『通話』で話しかける砂原。内心では敵だろうと判断しているが、万が一味方だった場合は厄介だ。そう思って問いかけたが、相手からの反応はない。
「……反応がありませんね。もう一度勧告を――」
借りてきた空戦部隊員が進言しようとするが、砂原の行動は速かった。何の躊躇もなく『爆撃』を発現すると、敵が潜んでいるであろう場所を雲ごと吹き飛ばしたのだ。
「ちょっ!? た、大尉殿!?」
「こちらの方が早い。そら、出てきたぞ」
空戦部隊員が思わず声を上げたが、砂原は取り合わない。元部下達は大した反応もせず、互いの位置を確認して戦闘に備えた。
そして、砂原の言葉通り吹き飛んだ雲の中から“敵”が姿を見せる。その数は一個小隊であり、問答無用で『爆撃』を敢行した砂原に視線を向けていた。
「おっと、砂原先輩の『爆撃』を食らって浮いてますよ」
「けっこう頑丈な……って、どうやら“タネ”があるみたいですね」
「『構成力』を感じないし、目にも見えないですね……この奇妙な感覚といい、どうなっているのやら」
そんな男達を見た元部下達は、口々に所感を述べる。砂原の『爆撃』を受けた割に、男達が負った傷は浅い。僅かに出血しているが、軽傷とすら呼べないほどの傷だ。
「中隊長殿、どうしますか?」
元部下の一人が尋ねるが、砂原からの返答は予想できていた。しかし予想できない者が中隊にいたため、一応は尋ねたのだ。
そんな質問に対し、砂原は口の端を吊り上げて獰猛に笑った。
「どうやら俺達を待ち伏せしていたらしい。ならば、“そこに至る経緯”を聞かねばならん」
偶然遭遇したなどと考えるほど、砂原は楽観的な考えを持っていない。相手の服装や顔立ちからはほとんど情報が得られない以上、体に聞こうと思った。
「何人残しますか?」
「相手は四人だ。半分口が利ければ良いだろうよ」
「では、そっちは俺達が担当しましょうか」
手早く方針を固める砂原と元部下達。その会話が聞こえたのか、それとも機を見計らっていただけなのか、敵の男達は砂原達に向かって一斉に降下し――。
「――きちんと残せよ? 残り三人だぞ」
気付いた時には、一人減っていた。砂原に従っていた空戦部隊員が見失いそうになる速度で砂原が姿を消し、敵の背後を取るなり『収束』を発現して心臓を抉り抜いたのだ。
「ははは、相変わらずお手が早い」
「いやまったく。訓練は欠かしていませんが、どうにもそこまで上手くいきませんよ」
「教官職に就いても『穿孔』の名に陰りはありませんな」
更に、元部下の三人が『収束』を発現しながら男達へと接近していた。一人は砂原と同様に心臓を狙い、残りの二人が鳩尾に拳を叩き込む。他の四人は空戦部隊員の“お守り”をしつつ周囲を警戒していた。
「……ん?」
砂原の元部下は軽く笑いながら敵の男達へ攻撃を行ったが、腕に伝わってくる感触に違和感がある。心臓を抉るはずが多少穿った程度で止まり、鳩尾に拳を叩き込んだ二人も相手が気絶していないことに眉を寄せた。
その奇妙さに警戒心を刺激され、元部下の三人は即座に退く。
「妙に硬いな」
「こっちもだ。肋骨を折るついでに気絶させようと思ったのに、意識があるぞ」
「『収束』を防ぎきるたあ、いい腹筋してんな」
そんな軽口を叩きつつも、表情には微塵も油断がない。それまであった余裕を消し去り、眼前の男達への警戒心が強まる。
「貴様等、部隊で怠けていたのではあるまいな?」
自身が仕留めた敵の遺体を部下に預けた砂原が、三人にそんな声をかけた。さすがに心臓を抉り取られれば絶命するのか、部下に渡した遺体はピクリとも動かない。
「怠けたつもりはないんですがね……奇妙な頑丈さがあるんですが、大尉殿はどうやって貫いたんです?」
気絶させるつもりだった二人はともかく、砂原同様に敵を殺すつもりだった元部下が尋ねる。言葉にした通り怠けた覚えはなく、砂原が『零戦』に転属してからも『収束』の鍛錬は欠かしていない。
全力ではなかったが、並の『ES能力者』が相手ならば一撃で仕留める自信があった。痛手は負わせたが、仕留めきれなかったのは予定外である。
「確かに奇妙な硬さがあったが、それごと貫いただけだ」
「……大尉殿は相変わらずですなぁ」
そんなものは関係ないと言わんばかりの砂原に、元部下は諦めたように呟く。しかし、その呟きを聞いた砂原は首を横に振った。
「貴様等が気絶させられないのなら、相手は元々気絶しない生き物だと判断した方が良いかもしれんな……見ろ、痛がる様子もない」
元部下全員が『収束』を習得できたわけではないが、彼らは違う。砂原に『収束』を伝授され、戦いにおいては砂原が背中を預けられるほどだ。そんな彼らでも意識を奪えないのなら、元々そういう生き物だと思った方が良いと砂原は考えた。
「手応えとしては気絶させられると思ったんですが……仕留めて良いんですか?」
「死体からでも多少は情報を得られる。それに、今は訓練校の救援が我々の任務だ。ここで時間をかけるわけにはいかん」
この場で時間をかけた分、訓練校の生徒達が危険に晒されるのだ。ここで足止めを受けた以上、訓練校で何かしらの危機が発生している可能性も高い。
自身の教え子達は可能な限り鍛えてきたが、それでも不安は尽きない。他の期の訓練生はそのほとんどが平均的な訓練生でしかなく、戦力としては期待できないだろう。
心中に焦燥が漂うが、それを表に出さず砂原は告げる。
「極力大きな傷をつけるな。ただし、手早く仕留めるぞ」
砂原からの命令を聞いた元部下達は、揃って獰猛な笑みを浮かべた。
「了解! しかし、無茶を仰るのも相変わらずですな」
「なるべく傷をつけずに、それでいて手早く仕留める……では、ここは大尉殿に倣って心臓を一突きといきましょうや」
笑って言ってのける元部下達に頼もしさを感じつつ、砂原も眼前の敵を排除するべく動き出すのだった。
敵の男達を倒した博孝と沙織は、恭介とみらいを背負って中央校舎まで『飛行』を使って戻ってきた。戻る間も鳥型『ES寄生体』を叩き落としていたが、地上の『ES寄生体』も含めて数が増えているように感じられた。
「悪い! 遅くなった!」
すぐに戦線に加わる必要がある。そう判断した博孝は中央校舎で指揮を執っていた里香に声をかけた。里香は『通話』を発現して指示を飛ばしていたが、博孝と沙織の到着に気付いて視線を向ける。
「二人とも無事で……」
良かった、と言おうとして言葉が途切れた。博孝は恭介を、沙織はみらいを背負っており、両者とも意識がない。恭介などは全身が血濡れであり、一見すれば“最悪の事態”が訪れたのではないかと思ってしまったのだ。
「いや、二人は生きてるよ。ただ、治療をしたけど恭介は重傷、みらいは『構成力』を枯渇寸前まで使って意識がない」
即座に誤解を解く博孝。それと並行して周囲の様子を確認するが、第七十一期と第七十二期訓練生が主力となって戦線を形成している。しかし負傷者も出ており、戦線の内側で『支援型』の者に治療を受けている者が多くいた。
里香は第七十一期と第七十二期の中から『攻撃型』と『防御型』だけで防衛線を構築し、『支援型』はその内側で治療とサポートに当てている。第七十三期以下の生徒については比較的“使える”者だけを選抜し、前線が抜かれた際の備えとして使っていた。
残った生徒については自分よりも下の期の者を励ましつつ、可能ならば『射撃』を発現して鳥型『ES寄生体』への牽制に努めている。陸上の『ES寄生体』を狙えば誤射をする危険性もあるが、空に向かって撃つ分にはその危険性も少ないのだ。
治療の人員に関しては希美が統率し、里香は前線の指揮に集中できるようにしている。それを見て取った博孝は、長くは語らずに希美へと視線を向けた。
「恭介とみらいを預けたら俺と沙織も戦いに加わる。里香は指示を頼む」
時間が惜しいと言わんばかりにそれだけを述べ、博孝は沙織と共に希美のもとへと向かう。里香は咄嗟に声をかけようとしたが、敵の返り血で体のところどころを朱に染める二人に何も言えなかった。
「松下さん、この二人もお願いします」
「ええ……って、河原崎君に長谷川さん!? 二人とも血がついてるけど大丈夫なの!?」
恭介とみらいを丁寧に地面に寝かせながら話を振った博孝だが、希美からはそんな声をかけられる。周囲で治療を受けていた生徒も驚きから目を見開き、何事かと視線を向けてきた。
「ほとんど返り血ですよ。俺や沙織が負った傷はほんのちょっとです」
強がりのようにも聞こえるが、それは事実だった。博孝も沙織も、敵の攻撃が掠めた際に少しばかり出血しただけだ。軽傷とすら呼べない傷であり、二人ともこの程度は怪我のうちに入らないと割り切っている。
「それなら良いのだけれど……武倉君とみらいちゃんは?」
「恭介は首と腹部に大きな傷、それと左腕骨折です。腹部はみらいが無理矢理治しましたけど、首と左腕は出血を止めただけで……特に、左腕は骨が折れたままですね。みらいは限界まで『構成力』を使っただけで、治すような怪我はないです」
そんな博孝の説明を聞き、希美は恭介の治療に取り掛かる。みらいは気絶しているだけであり、安全な場所で眠っていれば目を覚ますと思われた。
「わかったわ、こっちは任せて。二人は戦いに戻るのよね? 少ししか怪我をしてないと言っても、『構成力』の方はどうなの?」
恭介とみらいを託した博孝と沙織は戦線に加わろうとしたが、それよりも先に希美が尋ねる。いくら怪我が少ないと言っても、『構成力』が限界を迎えれば『ES能力者』として戦うのは難しくなる。
例え限界を迎えようとも戦うと思われたのか、博孝と沙織は顔を見合わせてから小さく笑った。
「なあに、まだまだ大丈夫ですよ。半分ほど『構成力』を使いましたけど、“それだけ”です。それで戦うことを諦めるような鍛え方はしていませんから」
「わたしは博孝よりもマシかしら? 『無銘』がある分、まだ余裕があるわ」
それは希美を納得させるためだったのか、それとも周囲の生徒を元気づけるためだったのか。博孝と沙織は気負うことなく、世間話でもするように答えた。
「そう……でも、気を付けてね? 侵入してくる『ES寄生体』の数も増えているみたいだし……」
心配するように声をかける希美に対し、博孝と沙織は頷いて応える。そしてすぐに意識を切り替えると、『飛行』を発現して空へと舞い上がった。
それほど高度を取らないものの、地上よりは周囲の状況を確認できる。博孝は『探知』を使いつつも周囲を見回すと、思わず舌打ちしてしまった。
「ちっ……たしかに敵の数が増えてるな。どこかの防衛部隊がやられたか?」
地を駆けて中央校舎へ向かってくる『ES寄生体』。その数は時間を追うごとに増えているように感じられ、博孝は僅かに焦りの感情を覚えた。鳥型『ES寄生体』の数はそれほど増えていないが、それは四方で教官達が奮戦しているからだろう。
そして、地上で戦う生徒達もこれ以上ないほどに奮戦している。実戦経験を持つ第七十一期訓練生や市原達だけでなく、他の生徒も死力を尽くして『ES寄生体』と戦っている。
だが、足りない。どう考えても、戦力が足りない。
いくら生徒達が己の技量を超えた奮戦を見せようと、いくら里香が指揮の粋を尽くそうと、時間が経つごとに敵戦力が増え、自分達の戦力は減少していく現状を前にしては体力と精神力を鉋で削られるようにすり減らすだけだ。
飛来する鳥型『ES寄生体』を沙織と共に叩き落としつつ、博孝は思考する。
(戦いが始まって一時間は経った……救援はまだか? 敵の戦力はまだ尽きないのか? 後方支援に努めている『支援型』はともかく、前線で戦う『攻撃型』と『防御型』は消耗が大きい……これ以上長引くと、士気はもっても体がついていかなくなりそうだ)
実戦というものは訓練とは異なり、加速度的に体力と精神力を消耗していく。何せ、自分自身や周囲の仲間の命がかかっているのだ。そのプレッシャーは尋常のものではなく、博孝や沙織のように“慣れた”者でも消耗を強いる。
開戦当初に引き上げた士気によって生徒達は疲労を無視するように戦っているが、その疲労を自覚すれば一気に崩れる危険性もあった。そしてそれは、博孝達と比べると訓練期間が短い上に実戦経験がない者であるほど顕著になる。
『里香、地上の戦力はあとどれぐらいもつ?』
『……敵の圧力が増してるから、このままだともって十分ぐらいだと思う』
博孝が『通話』を発現して里香に問うが、返答は芳しくない。何か手を打たなければと里香も考えているが、手札は全て開示している。追加の戦力もないため、このままでは遠からず敗北するとわかっているのだ。
このまま押し込まれれば、下級生達が恐慌を起こすことも考えられた。もしもそれで周囲に逃げ出しでもすれば、守り切るのは不可能になる。
『博孝、どうするの?』
鳥型『ES寄生体』と戦いつつも、博孝と里香の会話を聞いていたのだろう。沙織が『無銘』を血振るいしながら聞いてくる。鳥型『ES寄生体』を叩き落とし、新手が接近してくるまでの合間に博孝は沙織へ視線を向けた。
『上空は俺が抑えるから、沙織は地上でみんなの援護を頼む』
『わかったわ』
負担は増すが、それしかない。そう判断した博孝が指示を出すが、里香が待ったをかけた。
『でも、それだと博孝君の負担が大きすぎるよ? 『支援型』で戦える人と怪我をした前線メンバーを入れ替えれば、もう少しもつけど……』
『戦力的に、“それ”は最後の手段だろ?』
『……うん。それならせめて、紫藤さんをそっちに回すから。これは拒否しないでね?』
治療に奔走している『支援型』を戦線に投入しようと提案する里香に、博孝は否を唱える。里香はそれならばと、射撃能力に秀でた紫藤を使うことにした。
博孝と沙織が恭介達の救援に向かった際も、紫藤は『狙撃』で鳥型『ES寄生体』を撃ち落している。例え博孝が上空を飛び回ろうと、誤射するような腕でもない。
『わかったよ。ありがたく使わせてもらうさ』
そう答え、博孝は眼下に視線を落とす。沙織は既に地上へと下りており、『無銘』を片手に『ES寄生体』の群れへと飛び込んでいるところだ。
『紫藤、聞こえるか?』
『河原崎先輩? うん、聞こえてる。援護だよね?』
即座に里香から指示が飛んでいたのか、紫藤は博孝を見上げながら応答した。それを聞いた博孝は、さすがに里香は仕事が早いと思いながら紫藤に尋ねる。
『そうだ。『構成力』はどれぐらい残ってる?』
『……半分ぐらい』
僅かに言いよどんで返ってきたその声は、どこか申し訳なさそうだった。
『それは本当か? 報告は正確に頼む』
『……ごめんなさい。残り三割ぐらい』
声の高さが一段下がる。それを聞いた博孝は、尖った嘴を突き出しながら突撃してくる鳥型『ES寄生体』を回避し、伸びて隙だらけになった首を膝と肘で挟み折りながら目を細めた。
紫藤は射撃系ES能力に秀でているが、『構成力』の量自体は並の域を超えない。普段ならば『構成力』を使い切るまで『射撃』や『狙撃』を発現することはないが、今回は話が別だ。
その技量を十二分に発揮した結果、もう少しで戦闘を継続することが不可能なほどに消耗している。
『わかった。だが、ここで後ろに下がってもらうわけにはいかない。もう少し頑張ってもらうぞ』
そう言いつつ、博孝は『飛行』を切って地上へと落下した。そして紫藤の傍に着地すると、突然落下してきた博孝を見て目を丸くしている市原に視線を向ける。
「里香からの指示は聞いているな? 紫藤を借りていくぞ」
「え? あ、はい……俺達はまだもちますし、長谷川先輩が暴れ回っているから大丈夫ですが……」
そう言って市原が視線を向けた先では、地上に下りた沙織が『無銘』を振るって犬型『ES寄生体』を輪切りにしていた。『瞬速』を発現し、苦戦している者達の元へと駆け付けては強引に斬り破っている。
この危地にあってなお、『無銘』を片手に暴れる沙織の姿を見た博孝は思わず笑った。
「はっはっは。沙織は相変わらずだなぁ……いや、みんなを庇っている辺り、だいぶ変わったのかね?」
「いや、この状況でそんな気軽に笑われても反応に困るんですが……」
市原は思わずそう呟くが、気負った様子のない博孝の姿を見て緊張が解れる。ここまで戦闘続きで焦燥感が増していたが、博孝の態度はそれを払拭するものだった。
「お前も沙織と同類だと思うんだがねぇ……さて、救援要請から一時間近く経ったんだ。もうひと踏ん張りだから頑張ろうぜ?」
そんな励ましの言葉を残し、博孝は紫藤へと視線を向ける。
「紫藤はあの鳥共を地上から狙ってくれ。使うのは『射撃』だけで良い」
「でも、それだと牽制にしかならないけど……」
残った『構成力』を考えれば、博孝の言う通り『射撃』だけの方が良いだろう。威力は期待できないが、牽制には十分だ。しかし、博孝にはそれを覆す力がある。
「相手の動きが鈍れば、あとは俺の仕事だ。それと、紫藤にはちょっとした“魔法”をかけよう」
「……魔法?」
訝しそうに首を傾げる紫藤。そんな紫藤に対し、博孝は『活性化』を発現する。『活性化』に使用する『構成力』はかなり目減りしており、紫藤に対して『活性化』を発現するなり博孝は大きな疲労を感じた。しかしそれを微塵も表に出さず、意識して笑う。
「俺のとっておきだ。しばらくの間、『射撃』でもそれなりの威力になる。普段と違うから少しばかり『構成力』の制御が難しくなると思うが、紫藤なら大丈夫のはずだ」
「これは……」
「先輩、それってまさか……」
自身の体が薄緑色の光に包まれた紫藤だけでなく、『ES寄生体』を迎え撃とうとしていた市原達も目を見開いた。博孝は困ったように頬を掻くと、遠くから飛来する鳥型『ES寄生体』の姿に気付いて視線を上げる。
「俺の独自技能だ。詳しい話はこの戦いが終わってから話す。今はまず、目の前の敵を倒すんだ。いいな?」
有無を言わせぬよう言い含める博孝。それを聞いた市原達は僅かに逡巡してから頷いた。
「よし、それなら紫藤は指示通りに頼む。俺はまた空に上がるから」
それだけを言い残し、博孝は『飛行』を発現して空へと舞い上がる。本当ならば射撃系ES能力で鳥型『ES寄生体』を撃ち落したいが、敵に必中させる技量はない。『構成力』の消耗を抑えるため、博孝は体術だけで敵を倒すことにした。
幸いというべきか、『飛行』を使えば中央校舎の上空を移動する際にかかる時間は少ない。防衛する必要がある空域は、空戦の『ES能力者』にとってみれば非常に狭い範囲だ。
それでも“終わり”が見えない以上、『構成力』は極力節約する必要がある。これまでに行ったことがある任務では常に全力で戦っても良かったが、今回はそうではない。
十を超える鳥型『ES寄生体』と戦い、正体も身元も不明の男達と戦い、その上でいつ救援が到着するかわからない持久戦を行っているのだ。
通信は回復しておらず、砂原や源次郎との連絡も取れない。そうである以上、博孝にできるのは仲間や後輩の士気を保ちつつ戦うことだけである。
複数方向から接近してくる鳥型『ES寄生体』の位置を確認し、紫藤に指示を出し、牽制をさせながら博孝自身は最短距離で突っ込む。地上では博孝と同じように、足を止めずに駆け回る沙織が『ES寄生体』を相手にしている。
「おらぁっ!」
『飛行』の勢いと共に鳥型『ES寄生体』を蹴り上げ、首を圧し折っては生徒がいない場所へと殴り飛ばす博孝。もしも落下地点に生徒がいれば『通話』で声をかけるつもりだったが、博孝の動きを把握した里香から指示が飛び、上空からの“落下物”を考慮した陣形を取っている。
そのため博孝は思う存分飛び回り、鳥型『ES寄生体』を地上へと叩き落としていく。
「っと、さっきの敵の死体の上には落とさないようにしないとな……」
博孝は自分が仕留めた男のことを思い出し、後々の情報収集を考えて遺体を潰さないよう注意することにした。そのため上空から敵の遺体を探し――。
「……は?」
思わず、気の抜けた声を漏らした。
自分がどこで敵を倒し、その遺体がどこに落下したか覚えている。確実に仕留めたかを確認するため、わざわざ地上に下りて脈も確認したのだ。
「あれ……記憶違いか?」
しかし、思わず動きを止めて地上を見回すほどに博孝の表情は困惑の色に満ちていた。これまで“それなり”の修羅場に巻き込まれてきたと自負する博孝だが、眼下の光景はさすがに理解できない。
「――死体が消えた?」
倒した男のものと思われる衣服は、地面に落ちている。だが、それを着ていたはずの男の姿がなかった。まるで幻だったかのように、“体だけ”が消え失せている。
(おいおい……どうなってんだ? まさか仕留め損なった? いや、それなら服だけを残して消える理由が……誰かが死体を回収したにしても、服だけを残していく必要はないはず……)
死体が生き返り、服を脱いでから姿を消した。そんな馬鹿な考えが一瞬頭を過ぎった博孝だが、それはないだろうと頭を振る。
『博孝君? どうかしたの?』
空中で動きを止めた博孝を不思議に思ったのだろう、里香が声をかけた。その声を聞いた博孝は、若干混乱しながらその声に答える。
『いや、さっき倒した奴なんだけど……服だけ残して死体が消えた』
『……え?』
博孝の言葉を聞いた里香も、さすがにその報告は想像の埒外だった。しかしすぐに思考を回すと、周囲の状況を確認してから指示を出す。
『残りの三人も倒したんだよね? 沙織ちゃんを一度上に戻すから、博孝君は遺体を確認してきて』
『……了解。何もなければすぐに戻る』
他の三人はどうなったのか。そこに思い至った里香がすぐに指示を出し、博孝はそれに頷く。そしてみらいと恭介が戦っていた場所へ向かうが、眼下の光景が信じられずに額に手を当てた。
沙織がとどめを刺したはずの敵の遺体は、着ていたものだけを残して姿を消している。
博孝は思わず自分の右手に視線を落とすが、敵の血で濡れていたはずだというのに血の跡は残っていない。自分の血や鳥型『ES寄生体』からの返り血がところどころについているが、目に見えるのはそれだけだ。
地上に下りて散らばった衣服を集めてみるが、ところどころ破けているだけで異常はない。ポケットなども漁ってみるが、何も入っていなかった。
一応の証拠として衣服を集めた博孝だが、理解が追い付かない。無理矢理思考を切り替えて中央校舎へと戻ろうとするが、その最中にも頭の中では疑問が溢れていた。
「……俺達は、一体何と戦っていたんだ?」
博孝は無意識の内にそう呟いたが、その疑問に答える者はいない。“通常”のES能力が通じにくかったのもそうだが、戦った男達には疑問が多すぎた。
(……考えるのはあとだ。まずは戻って『ES寄生体』を倒さないと――)
そんなことを考える博孝だが、『探知』に巨大な『構成力』が引っ掛かったため慌てて視線を巡らせた。その『構成力』は『探知』の索敵範囲よりも遠くに位置しているようだが、存在を誇示するように発現した『構成力』があまりにも巨大だったため感じ取れたのだ。
そして、その『構成力』はどこか馴染みのあるものである。
(この『構成力』は……教官か!?)
もしも敵ならば危険極まりないほどの『構成力』だが、普段から接している博孝には見分けがつく。巨大な『構成力』には複数の『構成力』が追従しており、その数は一個中隊程度だ。
『――こちら訓練校救援先遣中隊の砂原空戦大尉だ。すぐにそちらに到着する』
次いで響く、砂原の声。姿はまだ見えないが、『通話』の範囲に入ったのだろう。訓練校に所属する全ての『ES能力者』の耳に砂原の声が届き、一瞬の間を置いてから各地で歓声が上がる。
その声を聞いた博孝は、思わず全身から力が抜けそうになった。だが、つい先ほど遭遇した事態が脳裏に過ぎり、気を引き締めながら中央校舎へと戻る。
「あっ、博孝君!」
敵がいたという証拠として集めてきた衣類と共に着地した博孝に、明るい声で里香が声をかけた。その表情は希望に彩られており、そんな里香の顔を見た博孝は小さく苦笑する。
「まだ気を抜くなよ、里香。教官達が到着するまでは……って、言ってる間に到着したな」
博孝は注意を促そうとしたが、言い切るよりも先に、中央校舎に向かおうとしていた『ES寄生体』が轟音と共に吹き飛んだ。上空を見上げてみれば、それを成した砂原が中隊を率いて下りてくる。
「すまん、待たせたな」
どこか申し訳なさそうに、それでいて安堵が混じった声だった。中央校舎周辺にいた『ES寄生体』を中隊の者達が掃討し始め、砂原は訓練生達を見回す。
見たところ、訓練生に大きな被害はない。そう思った砂原だが、意識がない恭介とみらいを、そして、地面に寝かされたまま身動ぎ一つしない大場を見て僅かに目を見開く。
「……河原崎、報告を」
「はい……恭介は重傷で、みらいは『構成力』を限界まで使用したことで意識不明。大場校長は、逃げ遅れた新入生を逃がすため囮になられて……“殉職”されました」
「……そうか」
極力感情を排して報告する博孝に対して答える砂原も、似たような様子だった。それでもすぐに視線を巡らせると、博孝が持つ衣服を見る。
「そちらでも出たのか?」
「教官の方でもですか?」
主語はなかったが、互いにそれで伝わった。砂原は部下に指示を出すと、博孝が持つものと同じ意匠の衣服を持ってこさせる。
「足止めのつもりか、邪魔をしてきてな。一分ほど時間を取られた。情報を取るために部下に遺体を運ばせていたが、霧のように消えてしまってな」
「こっちもです。気付いたら服しか残っていませんでした」
砂原の方でも同じ状況が訪れたようだ。博孝が内心でそう考えていると、砂原は衣服を博孝へ手渡す。
「考えるのは後だ。まずは周辺を“掃除”する。お前達はこの場で警戒をしておけ」
「了解です」
救援は到着したが、まだ全てが終わったわけではない。部下を率いて飛び立つ砂原を見送った博孝は、最後のひと踏ん張りと自分に言い聞かせ、里香と共に生徒達の統率に努めるのだった。