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第百二十二話:里香の悩み

 高さ二十メートル程度とはいえ、体育館の屋根の上では周囲に遮蔽物がない。もしも普通の人間だったならば、夜風と気温の低さで凍えてしまうだろう。

 しかし、博孝と里香は『ES能力者』である。冬の寒さも、吹き付ける夜風も、然程影響はない。それでも博孝は羽織っていた上着を脱ぐと、里香へと差し出した。


「あまり変わらないと思うけど、良かったら着てよ」

「あ……うん、ありがとう」


 里香が頷いたため、その背中を覆うようにして上着を被せる博孝。そして屋根の淵に腰をかけると、隣を叩きながら笑った。


「女の子が体を冷やしたらまずいですからねぇ……って、こんな場所に誘った俺の言う台詞じゃないか」

「ふふっ……博孝君、おじいちゃんみたい」


 体を冷やすなと言う博孝に対し、里香は小さく微笑んだ。そして促されるままに博孝の隣に腰を下ろし、屋根の上からグラウンドを一望する。

 第七十一期訓練生は自主訓練にも熱心であり、第二指定都市での一件以来、自主訓練を控えていた生徒達の姿もあった。ただし、その大部分は『飛行』の訓練施設周辺で自主訓練を行っており、沙織達以外でグラウンドを使用しているのは数人しかいない。

 博孝と里香は無言でその訓練風景を眺め、屋根の淵からはみ出た足をプラプラと揺らす。

 何か温かい飲み物でも買ってくれば良かったか、などと考える博孝だが、最悪の場合は体育館の管理をしている野口からコーヒーでももらってくれば良いだろう。

 頭の片隅でそんなことを考えつつ、博孝はタイミングを計る。どうやら里香も口を開くタイミングを計っているらしく、時折視線が揺れていた。


「それで、さ……」

「……うん」


 結局、先に口火を切ったのは博孝だった。互いに視線を合わせないが、それでも二人の間に息苦しさなどはない。今あるのは、“これから”のことを考えての緊張感だけだ。


「最近、何か悩んでる……よな?」


 ここにきて、博孝は里香へ視線を移す。この場についてきたということは、里香としても話す気があるということだ。そう判断して尋ねた博孝に、里香は逡巡した後で頷く。

 博孝は里香の口が重いことを確認すると、心中で嘆息してから話を続けた。


「それは、この前のことが原因で?」


 里香が相手では腹芸も通じず、遠回りに聞くこともできない。それ故に、博孝は真正面から踏み込むことにした。

 そんな博孝の言葉を聞き、里香は少しだけ身を震わせる。それは冬の寒さ――では、ないだろう。博孝からかけられた上着を握り締め、里香は頷くようにして視線をゆっくりと落とす。

 博孝の言う通り、ここ最近は悩んでばかりだ、と里香も思う。

 元々つき始めていた博孝達との“差”。それが一気に広がり、第二指定都市の一件で眼前に突きつけられてしまった。

 機動力の違いというのは、『ES能力者』にとっては致命的である。『飛行』もそうだが、『瞬速』を発現できるかどうかでも大きく違うのだ。

 移動速度が遅ければ、周囲についていけない。ついていくためには、誰かの手を借りなければならない。だが、そうすると手を貸した者の“手”が塞がってしまう。

 博孝の声を聞いた里香は、下がりかけていた視線を持ち上げる。そして心配そうに眉を寄せた博孝と視線を合わせると、その顔をまじまじと見つめた。

 あと三ヶ月も経てば、訓練校に入校して二年が経過する。博孝とは二年に満たない付き合いだが、訓練校で過ごした日々の密度によるものか、それ以上の付き合いがあるように里香には思えた。

 長いようで短く、短いようで長い。そんな日々を過ごし、眼前の博孝に心を惹かれるようになったのはいつ頃からだったか、と里香は思考を飛ばした。

 最初は『構成力』を感じ取れず、ES能力が発現できなかった博孝。それが初任務で死に掛けたことを切っ掛けとして『活性化』という独自技能を発現し、博孝本人の努力もあってメキメキと頭角を現していった。

 追いかけられ、追いつかれ、追い越され。今ではその背中も見えなくなりつつあり、焦る気持ちが里香にはあった。それは博孝一人だけはなく、同じ小隊員である沙織や恭介、みらいに対しても言えることだ。

 周囲との“差”を感じてはいたが、それを痛切に、痛烈に実感したのは第二指定都市での一件が原因だろう。『瞬速』も発現できず、博孝達についていけず、その上、重傷を負った博孝の治療に向かうことすらできなかった。

 傷の具合を見ていないため断言はできないが、自分の手では博孝の左腕をつなげることもできなかっただろう、と里香は思う。精々、傷口を塞いで生き永らえさせるのが限界だ。

 いつかはその背中に追いつくと思い定め、努力を重ねてきた――つもりだった。しかし、第二指定都市での一件のように、事態は突然訪れるものである。

 自分にできることを、と考えていたが、今のままでは“それすら”もできない。今のままでは、同じステージに立つことすらできない。自分の手が届かない場所で博孝達は戦い、傷ついているのだ。

 考えれば考えるほど、泥沼に嵌っているような気分になる。それは他者へ向ける仄暗いものではなく、自身へ対する悔しさと情けなさからくる感情だ。

 もしも里香が楽観主義で、他者を思い遣る感情が弱ければここまで悩まなかったかもしれない。

 もしも里香が博孝達――博孝に追いつこうと、隣に立とうと思う程の情熱を秘めていなければ、ここまで悩まなかったかもしれない。

 もしも里香が博孝達と比肩するだけの“何か”を持っていれば、ここまで悩まなかったかもしれない。

 そんな、『かもしれない』という仮定。しかしそれらは仮定に過ぎず、事実として里香は悩んでいる。もっとも、里香本人が気付いていない“仮定”が一つだけ混じっていたが。

 博孝は最近悩んでいるかと聞いたが、里香としてはずっと悩んでいる。それこそ、いつ頃から悩み始めたか、自分でもわからないほどだ。

 博孝は気にしていないが、里香には頭にこびりついて離れない光景がいくつもある。

 初めての任務で『ES寄生体』の攻撃から庇うために自身の体を盾とし、瀕死の重傷を負った博孝の姿。

 初めて訓練校から外出した時にハリドに襲われ、里香を守るために多くの傷を負った博孝の姿。

 沙織と“私闘”を行い、袈裟懸けに斬られて倒れる博孝の姿。

 誘拐された里香を助けるために駆け付け、ハリドと戦い――そして殺めた博孝の姿。

 ハリドを手に掛けたことで精神的な不調を抱え、それだというのに心配をかけまいと明るく振る舞った博孝の姿。

 軽く思い出すだけで、里香の脳裏には様々な博孝の姿が思い浮かぶ。インパクトの強いものだけでなく、日常生活を送る上でも博孝の色々な一面を見てきた。

 庇われるのが申し訳なく、手助けのできない自分が歯痒く、隣に立つどころから徐々に技量が離れていく我が身が腹立たしくももどかしい。

 戦いに限らず、何かしらの分野で博孝達の――博孝の隣に立ちたいと決意して幾日が経ったのか。駆け足で技量を高める博孝に比べ、自分は牛歩の歩みだと里香は思う。

 無言で博孝と見つめ合っていた里香は、何かを言うこともなく視線をグラウンドへと移した。視線の先では何があったのか、沙織だけでなくみらいまで攻撃に加わり、恭介を一方的に攻め立てている。声は聞こえないが、恭介は悲鳴を上げながら必死に防御を固めているようだ。


「わたし、ね……」


 そんな沙織達の様子を見ると、自然と里香の口も開いた。ただしそれは、博孝に向けた言葉ではない。自分自身に対してか、それとも里香本人の心情が漏れ出しただけなのか、茫洋とした視線をグラウンドに向けながら言葉を紡ぐ。


「最近、すごく焦ってるの」

「……焦る? 里香が?」


 呟くような声だったが、この場には博孝と里香しかいない。そのため聞き漏らすことはなかったが、博孝としては納得半分、疑問半分という心境である。

 たしかに、ここ最近の里香は深く悩んでいる節があった。博孝もそう思ったからこそ会話の場に誘ったのだが、里香はわかりやすいようでわかりにくい。博孝から見れば、どれほど悩んでいるのかが読めないのだ。

 それ故に、里香がはっきりと『焦っている』と口にしたことで疑問を深める。里香の顔を見てみると、つい最近目にした、博孝にとってはあまり見たくない表情が浮かんでいた。

 それは、第二指定都市が鳥型『ES寄生体』に襲われた際、里香に民間人の誘導へ向かうよう命令した時の顔だ。

 絶望したような、呆然としたような、悲嘆するような、儚げな表情。“あの時”は一瞬だけだったが、今ならばその表情をじっくりと見ることができ、博孝は思った。


 ――ああ、こんなにも里香は悩んでいたんだな、と。


 里香の表情を見て博孝の脳裏に過ぎったのは、かつての自分の姿だ。訓練校に入校して半年余り、『構成力』すら感じ取れなかった自分の姿。あの時は前向きに考えて体術を鍛え、集中力を磨き――それでも、心のどこかで不安を抱えていた。

 自分以外の全生徒ができるのに、自分だけができないという恐怖や劣等感。里香の表情を見た博孝は、かつての自分が抱いた感情を回顧した。

 もちろん、博孝と里香では立場も状況も異なる。博孝の場合は完全に周囲に置いていかれたが、里香は違う。確かに博孝や沙織、恭介やみらいなどが“前”を歩いているが、その“後ろ”には多くのクラスメートがいるのだ。

 里香の表情を見た博孝としては、自分自身でも様々な感情が湧き上がるのを感じる。それでも、最初に強く浮かんだのは一つの“納得”だった。


(そっか……『活性化』を発現して普通のES能力も使えるようになったけど、継続して自主訓練をしてきたのは“あの頃”の無力感を味わいたくなかったから、か……)


 『焦っている』という言葉を聞き、浮かんだものは一つの結論。初めて『防殻』を発現できた時の喜びが胸に去来し、同時に、昔のことを思い出す。

 当時は必要以上に焦らないよう心掛けていたが、その“きっかけ”は何だったか。ずいぶんと遠くに思えてしまう記憶を掘り返そうとした博孝は、不安げな顔をしている里香を見て思い出す。

 そして博孝は、知らない内に小さく笑っていた。


「……博孝君?」


 焦っていると話したはずだというのに、笑みを浮かべた博孝。一瞬嘲りを受けるのかと思った里香だが、博孝の表情に負の感情は一欠けらもない。それどころか、何故か懐かしむような色が混ざっている。


「ああ、悪い。ちょっと昔のことを思い出してさ……まあ、昔っていうほど時間が経ったわけじゃないけどな」


 里香の不安を煽ったかと、博孝は謝罪した。対する里香は、博孝が何を言っているのかわからない。そんな里香の訝しげな表情に気付き、博孝は表情を苦笑へと変える。


「里香が焦っているっていうのは、薄々察しがついてた。でも、俺は本人じゃないから里香が何を考えているか全部はわからないし、的外れなことを考えているのかもしれない。ただ、今の里香を見ていたらES能力がまったく使えなかった頃を思い出してね」

「そうなんだ……」


 博孝が自分自身の無力さを嘆いていた頃の姿は、里香も知っている。実際に、目の当たりにもしている。だからこそ、博孝の言葉を聞いた里香は、ほとんどのことが見抜かれているのだと悟った。

 “似た立場”にいた人間ならば、気付くのも当然だろう。そう思った里香は、これまで博孝に対して弱音や本音を隠そうとしていた気持ちが薄れるのを感じた。

 博孝が渡した上着を握り締め、深呼吸を一つ。里香は少しだけ目を閉じると、考えをまとめてから目を開く。目を合わせた博孝は、どんな話でも聞くと言わんばかりに穏やかな表情をしていた。


「いつからかな……博孝君や沙織ちゃん、武倉君やみらいちゃん。みんなとの間に、大きな“溝”があるように感じたの」


 ポツポツと語り始める里香。博孝は余計なことを言わず、静かに耳を傾ける。


「普段みんなと一緒にいる時は、それほど気にならなくて……でも、ふとした拍子に気付くの。みんなに置いていかれてるって」


 淡々とした独白。それでいて、犯した罪を懺悔する罪人のようでもあった。


「博孝君、強くなったよね。『活性化』を発現して、汎用技能を覚えて、特殊技能もどんどん覚えて……」


 強くなったと言われれば、確かに強くなったのだろう。入校した当初に比べれば、それこそ雲泥の差だ。それでも、博孝としてはそれに見合った努力をしたつもりである。

 時折振り返るものの、“初心”を忘れそうにもなるが。


「そんな博孝君を見てると、思うんだ……わたしも、少しは強くなったのかなって。でも、望んだ強さは持てなくて、それがすごく悔しくて……」


 博孝が空を飛びたいと願ったように、里香は外傷だけでなく心の傷も癒せるようになりたいと願った。まだまだ勉強を始めたばかりで、『支援型』の『ES能力者』としては未熟だが、そう願ったのだ。

 それを叶えるためには、ある程度の“力”も必要である。『支援型』だからといって、『ES能力者』である以上は戦いから逃れることはできない。せめて、最低でも自分自身の身を守れるだけの力は必要だ。

 自分の身も守れずして他者を癒せるほど、『ES能力者』は平穏な道ではない。


「最近わたしが悩んでいたのは、自分の力不足が原因なの。博孝君たちについていくことも……そのままの意味で、ついていくことも、追いかけることもできない自分自身が情けなくて、悔しくて……」


 抱えていたものを吐き出すようにして喋る里香。言葉を紡ぐ度に表情に影が差し、今にも俯いてしまいそうだ。気を抜けば、情けなさから涙が出そうになる。

 それでも、里香は涙を流すことはなかった。締め付けるように胸が痛むが、声を途切れさせることはなかった。


「第二指定都市での一件でそれを強く実感してね……追いつこうと足掻くほど、追いつくための手段がわからなくなってきたの」


 学校のテストならば、勉強をすれば点数を伸ばすことができる。運動という分野でも、努力を重ねれば相応の実力がつく。しかし、『ES能力者』は努力以外にも才能が重要だ。あるいは、センスと言い換えても良い。

 『構成力』の量に、操作力。ES能力を発現する際には、普通の人間だった頃にはなかった“感覚”が重要になる。例えるならば、新たに背中に生えた腕を曲げ、指先を器用に動かすようなものだ。

 慣れや努力によって『構成力』を操る感覚を研ぎ澄ませることも可能だが、一定以上のラインを超えるのが難しい。博孝達が習得した『瞬速』は、そのライン上にある技能だ。

 時間を掛ければ、里香も『瞬速』を発現することが可能になる――かも、しれない。それは数日後か、数週間後か、数ヶ月後か、数年後か。あるいは、数十年後か。もしかすると、一生発現できないかもしれないが。

 静かに語り終えた里香は、顔を上げて博孝を見る。博孝は黙って話を聞いていたが、その顔には疑問の感情が濃くなっていた。


「里香の話はよくわかった。そこまで里香が悩んでいるのに声をかけなかったのは、申し訳なく思ってる」

「……ううん。悪いのは博孝君じゃ――」

「だけど」


 謝罪の言葉に対して首を横に振ろうとした里香だが、その途中で博孝が遮る。

 里香がどんな悩みを持っているのかは、よくわかった。それは博孝としても共感できる話であり、“かつて”は博孝自身も悩んだことだ。


 ――しかし、である。


「多分、これを聞いたら里香は怒ると思う。でも、俺としては……いや、多分沙織達が聞いたとしても、同じことを言うはずだ」


 博孝としては、どうしても納得できないことが一つだけあった。里香の言葉も、心情も、納得はできる。無論、全てを理解したとは言えない。それでも、言わなければならないことがあった。


「――里香が“弱い”って、誰が言ったんだ?」


 里香は自分が博孝達よりも劣っていると、力不足だと言っている。だが、博孝としてはその言葉には頷けない。これは、自分だけでなく沙織や恭介、みらいも同意見だと博孝には断言できた。

 博孝の言葉を聞いた里香は、虚を突かれたように目を瞬かせる。しかし、すぐに言葉を理解したのか、反発するように口を開いた。


「で、でも、わたしはこの前も博孝君達と一緒に戦えなくてっ!」

「そうだな。で、それがどうしたんだ?」


 そんな里香の反応に対し、博孝は淡々と切って捨てる。里香は思わず絶句するが、博孝は里香を真っ直ぐに見つめながら言葉を続けた。


「あの時の里香の“役割”は、民間人の誘導だった。あの時、俺は言ったよな? 民間人を、俺達の家族を守るのは里香達だって」


 里香は空戦技能を持っていないため、民間人の誘導に従事した。博孝達は空戦技能を持っているため、空中戦闘に駆り出された。その差異を見れば、里香の言う通り一緒に戦っていない。里香の力が及ばず、共に戦線に立つことができなかった。

 だが、それがどうしたというのか。


「里香の言いたいことはわかるし、理解できる。できている奴から言っても、ただの嫌味なのかもしれない。でも、俺から……俺達からすれば、里香は足手纏いじゃない。むしろ、俺達を引っ張ってくれているんだ」


 里香が悩んでいるのは、戦闘能力の低さについてだろう。里香は『支援型』の『ES能力者』ということで、攻撃や防御が苦手だ。博孝とて、戦闘能力においては里香が第一小隊の中で最も劣っていると判断する――が、それは所詮、一つの側面でしかない。

 博孝に否定された里香は、反論の言葉を口にしようとする。だが、それよりも先に博孝が先手を取った。


「そうだな……それじゃあ、俺からすれば里香がどんな風に見えているか。それを話そうか。里香だって、ただ否定されるだけじゃ納得できないよな?」


 せっかく里香から腹を割って話してくれたのだ。ここは自分も腹を割るべきだろうと判断し、博孝は里香の返答を待たずに続ける。


「たしかに、第一小隊の中で考えれば里香の戦闘能力は一番低い。これは俺も否定しない」


 最初に博孝がしたのは、里香の言葉の肯定だ。里香が最も気にしている部分を肯定し――次いで、それを引っくり返す。


「ただ、同じ訓練生の立場で偉そうなことを言わせてもらうけど、第一小隊の中で誰を一番評価するかと聞かれた場合……俺は里香だと答える」

「……え?」


 何故そこで自分なのかと、里香は呆けたように声を漏らした。何故沙織のような攻撃力もなく、恭介のような防御力もなく、みらいのように大きな『構成力』を持たない自分なのかと、疑問を抱く。


「そこで不思議そうな顔をされると、俺の方がビックリするよ。里香は自分に対する評価がそんなに低いのか?」


 困ったように博孝が問うと、里香はその通りだと言わんばかりに頷いた。


「だってわたし……弱いよ?」

「戦闘っていう分野に限っては、な」


 卑下する里香に、それを“限定的”に肯定する博孝。そして博孝は、話の続きを行う。


「まずは性格だけど、入校当時に比べれば明るく元気に……っていうのも変だな。とにかく、教官とかにも言われていた気弱さがなくなった」


 それは博孝からの影響だったが、博孝自身はそれを知らない。


「元々の性格からして、真面目で勤勉で努力家だ。他人を思い遣る優しさ、周囲の不和を収める献身さも持っている。観察眼、知略面では同期の中でも一番だろうね」

「そ、そんなこと……」

「あるんだよ。実際さ、さっきの恭介に対する助言。アレは俺にはできないことだった。いや、多分教官にもできないことだ」


 博孝からすれば、何故里香がそこまで自分を低く見るのかがわからない。たしかに里香は『飛行』も『瞬速』も発現できないが、それを補って余りあるものを持っているのだ。


「普段から思っていたことだけど、俺が思いつくことは里香が先に思いついている。それも、俺よりも広く深いレベルで。まあ、今回みたいに“考え過ぎる”のが玉に瑕かな?」


 もしも任務中に迷ったことがあれば、博孝は最初に里香に意見を聞く。それは自分以上に物を見ている里香の言葉ならば、自分のこと以上に信頼できるからだ。自分と同じ意見ならば確信を持ち、自分と違う意見ならば再度検討する。

 それは、下手をすれば博孝自身の意見を里香に委ねているようなものだ。しかし、博孝としては、里香は自分の考えの間違いを暴き出し、または補足するものだと思っている。

 そういった面において、博孝は里香以上に信頼できる相手がいなかった。


「でも、それを実行したのは博孝君で……」

「たしかにそうだけど、里香が何も言わなければ工夫することはしなかったよ。というか里香、本当に気付いてないのか?」


 なおも否定しようとする里香を見て、博孝は呆れたように話を振る。


「え? な、なにが?」

「里香の助言ってさ、恭介以外にも流用できるんだぞ? 実際に俺もやって見せたけど、“それ以外”にも応用が利く技術だと思う」


 例えばの話だが、『防壁』を球体ではなく多面体で発現すればどうなるか。『射撃』で発現する光弾の形を変え、貫通力を高めればどうなるか。

 考えれば他にも案が出てくるだろう。実現できるかは話が別だが、これまでのES能力に対する固定概念を破壊することが可能になるかもしれない。

 それらを説明する博孝だが、里香にその実感はないようである。それならばと、博孝は違う面から訴えかけることにした。


「なあ、里香。覚えてるか? 訓練校に入って何日経った頃だったか……俺が中村達と喧嘩してボコボコにされた時、里香が治療してくれたよな」

「え……うん」


 突然昔の話を振られ、里香は反射的に頷く。それまでほとんど話したことのなかった博孝と話すようになった切っ掛けだ。“本当”の切っ掛けは、その前にあったが。


「あの時は治療してくれて、滅茶苦茶嬉しかった。でも、それ以上に嬉しいことがあったんだよ」


 昔を懐かしむように博孝は言うが、里香には博孝が何を言おうとしているのかわからない。そのため耳を傾けると、博孝は懐かしそうに、嬉しそうに言う。


「あの時さ、里香は俺に言ってくれたよな。『空を飛ぶ夢、応援してる』って」


 そう言われ、里香も思い出す。その当時、たしかに博孝に対してそういった言葉を投げかけた記憶があった。


「あの一言は、本当に嬉しかった。今だから言えるけど、あの時の俺は『構成力』が感じ取れなくて、周囲に置いていかれて焦って、苛立っていたんだ。でも、里香の一言が俺を変えた。俺を救ってくれたんだ」


 それまでは周囲に置いていかれる不安や苛立ちから、内心では鬱々としたものを感じていた。しかし、それ以来は必要以上に焦ることはなくなったのだ。


「里香にとっては、何でもない一言だったのかもしれないよ。でも、俺にとってはそうじゃなかった。逆に、俺にとっては何でもないことが里香にとっては重要なのかもしれないけど……」


 そこで言葉を切った博孝は、里香を見つめる眼差しに力を込める。里香の弱音を吹き飛ばすように、心を込めて言う。


「俺は里香に何度も助けられてる。これだけは里香が相手でも否定はさせない。里香が俺は強い、自分は弱いって言っても、俺からすればその逆だ」


 思い返してみれば、何度も里香には助けられてきた。戦闘という面では何度も里香を助けた博孝だが、日常という面においては何度も里香に助けられたのだ。


「里香は弱い……でも、強い。俺が強くない部分が里香は強いんだ。里香本人がそれに気付いていないのは弱点かもしれないけどな」


 最後に笑って言い放ち、博孝は眦を下げる。


「知らぬは本人ばかりなり、ってことなのかねぇ。俺も里香から見た場合と自己評価には大きな差があるのかもな……もしも信じられないのなら、沙織達にも聞いてみてくれよ。沙織なら熱弁してくれそうだ」


 そう締め括る博孝と、言葉をゆっくりと噛み砕く里香。博孝の言っていることは、難しいことではない。自分で下した評価と周囲の評価のミスマッチ。それがあまりにも鮮明過ぎたため、すぐには飲み込めないのだ。

 博孝の言う通り、里香としては大したことを言ったつもりはない。それだというのに、博孝にとってはそれが大事なことだと言う。


「――博孝君って、優しいけど厳しいよね」


 特に考えることもなく、自然とそんな言葉が里香の口から零れ落ちた。

 慰めるためか、激励するためか、博孝が選んだのは里香の不安に対する肯定と否定。戦闘面で劣る里香を肯定し、それ以外に優れた部分がないと断じたことに対する否定だ。

 器用なのか、あるいは不器用なのか。博孝の“気遣い”に嬉しさを覚えた里香は、博孝に釣られるようにして微笑んだ。


「でも、これからも迷惑をかけちゃうよ?」

「俺だって、これまで何回も迷惑をかけたさ」

「戦いでは足手まといになるかも」

「その分、俺達が頑張る。だから里香は“他の部分”で全力を出してくれよ」


 里香ならば、戦闘以外の面で活躍が出来るだろう。それこそ、博孝では及びもつかないほどに。


「……そう言われたら、もっと頑張ろうって気になっちゃうな」

「なら丁度良い。俺の左腕は当面まともに動かないし、いくらでも協力するよ。もちろん、腕が治ったあとにもな?」


 冗談なのか本気なのか、戦闘面においても更なる努力をすると里香は言う。それならば、博孝としては答えは一つしかない。


「里香は大事で、大切な仲間だ。遠慮なんてしないでくれよ。それこそ、『おい河原崎、ちょっと手伝え』ぐらいに言ってくれて良いんだ」

「わたしって、そんな風に言うと思われてるの?」


 おどけるように話す博孝に、微笑みながら里香は問う。


「滅相もない。里香が相手なら、いくらでも協力するって話さ」

「そっか……うん、わかった」


 無力を補えたわけではない。『飛行』や『瞬速』を発現できたわけでも、『療手』以上の治療系ES能力を発現したわけでもない。しかし、抱えていた不安を吐き出したことで楽になったのは確かだ。

 並んで腰を掛ける博孝を見て、里香は言う。


「ねえ、博孝君。今から『瞬速』の練習に付き合ってくれるかな? できれば『活性化』を使ってほしいの」

「オッケー。里香の頼みなら断れないね。『活性化』を使うのは俺の訓練にもなるしな」


 そう言って、互いに顔を見合わせて二人は笑い合う。

 自分の不安を打ち明けて、協力をしてもらう。それだけのことだというのに、一体いつからそれができなくなっていたのか。

 時を経るごとに、『ES能力者』としてできることは増えている。しかし、それと同時に“出来ないこと”が――否、できたはずのことを忘れているようだった。

 それは周囲との関係の変化が原因なのか、自分自身が原因なのか、里香にもわからない。

 それでも、もっと自分に素直になろうと里香は思った。素直に、正直に、博孝達を頼ろうと、そう思えた。


「それじゃあ、早速行きますか」

「……うんっ!」


 これからは、自分一人で抱え込まないようにしようと里香は思う。それが博孝達の迷惑になると考えるのも、もうやめだ。

 里香は博孝よりも思考の回転が速く、視野も広い――が、考え過ぎるのが一番の“弱点”だった。

 追いつけなくなったのならば、博孝達に手を取ってもらって引っ張ってもらえば良い。その代わり、違う面で博孝達を引っ張るのだ。それは、以前の里香が思い定めた“目標”でもある。

 自分にできることで、博孝の隣に立つ。そう決意したはずだというのに、周囲との差を目の当たりにしただけで容易く揺らいでしまった。しかし、それももう終わりだ。

 博孝から借りた上着を握り締め、里香は前を向く。先ほどまで心中に巣食っていた不安は、もうない。




 ――自身の“想い”を告げる勇気はまだ持てなかったけれど、たしかに“一歩”前に進んだのだ。











自分のことは意外とわからない、というお話。


どうも、作者の池崎数也です。

前回書こうと思って忘れていましたが、あけましておめでとうございます。

活動報告の件もありますが、今年もよろしくお願いいたします。

そして、毎度ご感想やご指摘、評価等をいただきましてありがとうございます。

この度、いただいたご感想が1000件を超えました。4ケタになったのを見て、目を疑ったのは内緒です。驚くと同時に、とても嬉しく思いました。ありがとうございます。


それでは、こんな拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。

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