第百四話:修学旅行 その9 人面樹
突然木の枝に殴りかかられるという体験をした博孝達は、護衛に先導されながら雪の斜面を滑り降りていた。ストックを使って加速し、速度が出にくい林間コースを滑走していく。そんな博孝達を追うようにして、全高五メートルほどのヒイラギの木が追いかけてくるのだ。
木の幹を見れば、人の顔のようなものが浮かんでいる。枝を見れば、人の腕のように自在に動いている。根を見れば、人の足のように前後へ動いている。
そんな悪夢に出てきそうな物体が、五体。逃げる博孝達を追うようにして、背後と左右を固めて追走してくる。
ヒイラギの木――人面樹の速度は、それほど速くない。緩やかな斜面を下る博孝達と、ほとんど同じ速度での移動だ。それでも、枝葉を揺らしながら追走してくるその姿は威圧感があった。
博孝達を護衛していた二人の陸戦部隊員は、思わず歯噛みしてしまう。『構成力』を感じず、目視でも異常を発見できなかったのだ。まさか、樹木タイプの『ES寄生体』が潜んでいるとは思いもよらなかった。
陸戦部隊員や空戦部隊員達が見落としたも、実のところ無理はないことである。植物型の『ES寄生体』は珍しく、世界的にも発見例が少ない。その上、かつて発生したタンポポ型『ES寄生体』による大規模災害、通称『タンポポ事件』でも『ES寄生体』はその場から動かなかった。
蔓を伸ばして手近な人間を捕食し、綿毛で浮遊する種子を周囲に撒き散らし、大規模な増殖を行うという手を取った。だが、そのタンポポ型『ES寄生体』自体はその場から動かなかったのである。
後ろを追いかけてくる人面樹のように、顔らしきものが存在したり、枝を腕のように扱ったり、自らの根っこを足のように駆使して走り回るということはなかった。それに加えて、博孝達が通りかかった瞬間に狙うというその行動。攻撃自体はお粗末だったが、それは人面樹が待ち伏せと不意打ちを行えるだけの知性を持つことになる。
レアケース中のレアケースだろう。捕獲して研究所に突き出せば、馬場などは狂喜乱舞するレベルのレアケースだ。
しかし、現在陸戦部隊員達に課せられているのは訓練生の護衛である。訓練生といえば、『ES能力者』としては卵が割れていないヒヨコのようなものだ。『穿孔』とあだ名される砂原が扱き上げていると噂だが、それでも護衛の陸戦部隊員達は暗澹たる気持ちになる。
『ES寄生体』――外見と行動から判断すると“アンノウン”を相手にして、訓練生達の護衛を完遂しなければならない。
こういった突発事態に際して、最も警戒すべきは敵の行動ではない。護衛対象が取り乱し、予期せぬ行動に出ることこそが警戒すべきだった。
訓練生ならば、『ES寄生体』と遭遇する機会もほとんどない。恐怖を感じるだけならばマシだが、恐慌でも起こされれば手に余る。『飛行』を発現するほどに優秀なようだが、実戦経験がなければ恐怖に怯えて下手な行動を取る可能性があった。
冷静さを保っているようならば、最悪の場合は離脱できる者だけでも離脱させるべきかもしれない。そんな心配をした護衛だが、護衛対象である博孝達は時折後ろに視線を向け、追いかけてくる人面樹を観察していた。
「へぇ……最近の木ってすごいな。あんなに元気良く走り回るのか……どんな品種改良をしたらああなるんだ?」
「アレを木材にして家を建てたらどうなるのかしら? 勝手に動いて崩れるかもしれないけれど、少しばかり興味があるわ」
「『ES寄生体』の体で作られた家とか、勘弁してほしいっすよ……」
そして、暢気に会話をする始末だ。博孝が冗談を飛ばし、沙織は真面目に考え、恭介は嫌そうな顔をする。護衛の『ES能力者』からすれば、状況を理解していないのかと頭を抱えたくなるほどの楽観振りだ。騒がれるよりはマシだが、もう少し緊迫感を持ってほしかった。
そんなことを考える陸戦部隊員だが、博孝達はふざけているわけではない。単に、『ES寄生体』と遭遇しても狼狽えない程度には修羅場を潜っているだけだ。
「それにしても、木の姿をした『ES寄生体』か……擬態をされたら見分けがつかないな」
「さすがに、周辺の木を全て切り倒すわけにもいかないもんね……」
斜面を滑り降りつつ博孝が話せば、里香が困ったように応答する。今回は護衛を受ける身であり、勝手な行動は許されない。そのため、極力情報収集に努めることにした。有事の際の護衛の動き方などは、とても勉強になるだろう。
そして、護衛の動きを見ながらも、それとなく周囲に気を配る。折角の修学旅行だというのに、『ES寄生体』に襲われているこの状況。外出する度に問題が起き過ぎだろうと心中で嘆息した。
一度、二度ならば偶然で済ませられる。しかし、三度続けば必然だ。それならば、それ以上の回数を重ねた場合はどう形容すべきなのか。
(たまたま樹木型の『ES寄生体』がこの付近にいて、たまたまスキーで通りかかった俺達を狙って攻撃してくる……まあ、有り得ないな)
人面樹は動き出すまでは『構成力』を感じず、普通の木としか認識できなかった。博孝達よりも熟練の『ES能力者』達が索敵を行っても気付けなかった以上、人面樹の擬態は完璧と言えるだろう。
任務中ならば即座に情報収集なり迎撃なりを行うが、今回は修学旅行の最中であり、護衛を受ける立場である。緊急の際ならば仕方ないとは思うが、人面樹の移動速度も大したことはなく、射撃系のES能力を発現する様子もない。ひとまずは様子見だろうと博孝は結論付けた。
警戒すべきは、“新手”が現れないかである。スキー板に乗って移動をしているため、即座には動きにくい。そのため、もしもの場合は『飛行』を発現する必要があると判断する。
「しまったわね……『無銘』を持ってくれば良かったわ」
そんな博孝と同様の考えを抱いたのか、沙織が口惜しそうに呟く。午前中一杯のスキーということで、泊まっている部屋に置いてきたのだ。置いていかせるために里香が言葉の限りを尽くしていたのだが、それは別の話である。
「こら沙織。俺達は護衛を受ける側だ。勝手に戦えるわけないだろ」
「わかってるわ。でも、折角の試し切りの機会なのに……」
唇を尖らせる沙織に対し、博孝は苦笑を向ける。護衛を務める陸戦部隊員達からすれば、生徒達が取り乱さないのは有り難い話だ。しかし、少しばかり釈然としない気持ちもあった。
「珍しいタイプの『ES寄生体』に追われているというのに、君達は落ち着いているな」
人面樹からの攻撃を警戒しつつ、護衛の一人が尋ねる。それを聞いた博孝は、思わず目を瞬かせてしまった。
「まあ、敵性の『ES能力者』が追いかけてきているわけでもないですし。あの木の化け物も、自分で動いてはいるけど動きが遅い。『射撃』も飛んでこないしで、そこまで警戒することはないかと」
「……もしかして、最近の訓練校では『ES寄生体』と戦うことは珍しくないのか? いや、教育課程にそこまで大幅な変更があったとは聞かないが……」
きょとんとした顔で返答する博孝を見て、護衛の『ES能力者』は少しばかり現実逃避をしたくなる。頼もしいと思うべきか、それとも場慣れしすぎだと驚くべきか。そんなことを考える護衛だったが、『通話』によって声が届いたことで表情を改める。
『こちら第六小隊護衛。現在“アンノウン”と交戦中。林間コースの中間地点にいるが、カバー可能な人員はいるか?』
林間コースの中間地点といえば、もう少しすれば第一小隊が通る場所だ。そこでも戦闘が行われていると聞き、護衛の『ES能力者』は舌打ちしたい気持ちになる。
『こちら第一小隊護衛。“お客様”の追加だ。数は五匹。あと一分程度で合流することになる。そちらの数は?』
『こちらの数は三匹だ。手が足りんな。空戦部隊へ至急報! 応援求む!』
向かう先では三匹の人面樹が待ち構えているようだ。第六小隊の護衛も分隊規模であり、数に勝る相手と戦っては護衛対象が危険に晒される。そのため上空を警戒している空戦部隊員に応援を求めると、即座に応答があった。
『こちら空戦部隊の町田だ。目視で確認した。応援に向かう……何?』
『通話』で返答したのは町田だった。しかし、言葉の最後に不穏な響きが混ざっている。
『空戦部隊から全域へ。どうやら敵の数が多いらしい。三十近い数を確認している。遭遇していない者は木がある場所には近づくな。それと第一、第六小隊護衛。数を減らすから下手な動き方をするなよ』
そんな声が響くなり、上空で大きな『構成力』が発現した。町田は『狙撃』を発現すると、即座に狙える人面樹へと光弾を放つ。高速かつ強力な光弾は、博孝達を追い掛けていた人面樹を四匹、第六小隊を襲っていた人面樹を二匹吹き飛ばし、それぞれ残りの数を一匹ずつへと減らした。
『さて、生徒達に護衛方法の手本を見せる良い機会だ。残りの一匹は任せるぞ』
どうやらわざと一匹だけ残したらしい。その言葉を聞いた第一、第六小隊の護衛達は、思わず苦笑を浮かべる。
『どうぞお気遣いなく。全てを平らげても良かったのですよ、町田少佐殿?』
『なに、間近で護衛の腕を見せるチャンスだろう? そら、生徒達に呆れられるような真似はするなよ』
笑って返す町田に、護衛達も獰猛な笑みを浮かべた。
『それなら仕方ありませんな……陸戦部隊自慢の偏差射撃を生徒達に見せてやるぞ! 相手は地面を走る的だ! 『飛行』を使う相手とは違う! 外した奴は部隊に帰ってから覚悟しておけよ!』
そんな声を上げると同時、それぞれの護衛が人面樹へと狙いを定めた。放つのは、ES能力の中でも基本である『射撃』。しかし、相手の動きを予測し、複数の射手が同時に光弾を放つ。それは単発ながらも『構成力』を込めて威力を重視しており、狙いは正確だ。
本来は、空を飛ぶ『ES能力者』や『ES寄生体』を叩き落とすために磨いた射撃技能である。高高度を高速で飛翔する相手に比べれば、地面を走る人面樹は彼らにとって的でしかない。
町田が放った『狙撃』に比べれば、光弾の威力は低く、速度は遅い。されど、正確かつ複数の方向から放たれた光弾は交差するようにして人面樹に直撃し、そのまま体を吹き飛ばして絶命させる。
「今回は町田少佐殿のおかげで余裕があったから見せたが、護衛の最中に敵と戦う場合は極力接近戦を避けるんだ。護衛対象の近くで戦闘を行えば、その余波で護衛対象が危険に晒されるからな」
相手の動きを予測し、苦労した様子もなく命中させた護衛の『ES能力者』が付け足すように説明する。それを聞いた博孝達は、思わず拍手をしながら頷いた。
「スキー板に乗ったままで……相手の動きを予測するっていうのもそうですけど、よく不安定な足場で命中させられますね」
博孝達を追っていた人面樹とは、数十メートルの距離が開いていた。彼我の距離と移動速度、そして相手の動き方を正確に見切らなければ『射撃』を当てることはできないだろう。
博孝が同じことをしようと思うなら、弾速に優れる『狙撃』で相手が避ける間もなく撃ち抜くか、『射撃』で弾幕を張って相手が避けられないようにする。それに比べれば、『射撃』の単発だけで動く相手に命中させる技量は称賛すべきものだった。
『射撃』で倒そうと思えば、博孝にもできる。しかし、倒すまでに消耗する『構成力』の量を考えれば雲泥の差だろう。
「護衛を行う時は長丁場になることもあるから、『構成力』の消費はなるべく抑えるんですか?」
「おっ、良いところに目を付けたな。その通りだ。今回は予定が決まっているが、場合によっては襲撃してくる相手が手を引くまで護衛を続ける場合がある。そういう場合を考えると、『構成力』の消費は最小限に抑える必要があるんだ」
第六小隊の護衛がいる場所まで滑りつつ、博孝は護衛の『ES能力者』に尋ねた。そして、その答えを聞いた博孝は眉を寄せる。
「むぅ……俺の場合は牽制を兼ねて『射撃』をばら撒くことが多いんだよな……もう少し戦い方を考えるか」
「それを言ったら、わたしなんて射撃系のES能力が上手く使えないわよ?」
「沙織っちの場合、使えないんじゃなくて使わないんじゃないっすかねぇ……」
沙織は射撃系のES能力が苦手だが、それでも第七十一期訓練生の中では平均よりも上である。射撃系のES能力を使うぐらいなら、自分の足で近づいて大太刀で叩き斬る方が性に合っているのだ。
博孝達がそんな会話をしていると、林間コースの中間地点まで到着する。中間地点は道が広がっており、ちょっとした広場のようになっているのだ。
そこには中村達第六小隊が護衛に挟まれて待機しており、博孝達を見るなり右手を上げる。
「河原崎達の方にも出たのか?」
「おう、出た出た。こっちは五匹だ。まあ、町田少佐と護衛の人達が片付けたんで、何もすることはなかったよ」
「こっちもだ。まあ、いきなり木が殴りかかって来た時は、夢でも見ているのかと思ったけどな」
そう言って笑う中村だが、第六小隊は前回の任務で兎型の『ES寄生進化体』と遭遇している。その経験があったからこそ、大事には至らなかったのだろう。
そんな会話を行う博孝達を見て、護衛の『ES能力者』達は互いに顔を見合わせてしまった。訓練生が強がって虚勢を張っているわけではない。『ES寄生体』に襲われたことを、『少し驚いた』程度で済ませているのだ。
自分達が訓練生だった頃に『ES寄生体』と遭遇していれば、どれほど取り乱したことか。護衛の『ES能力者』達はそんなことを考えてしまうが、今はそんな場合ではないと意識を切り替える。
『こちら第一小隊護衛。第六小隊護衛と合流。現在林間コース中間にて待機。移動は危険と思われる。応援を求む』
この場にいる訓練生は八人。それに対して護衛は四人だ。林間コースを下るのは問題ないと思うが、再度襲われれば危険である。林の中に散っていた『ES能力者』や兵士達は、それぞれ近くにいた人面樹と交戦中。空戦部隊は手薄な場所への応援だ。それでも、今回は多くの人員を投入してある。
『こちら空戦第一小隊の第二分隊。貴官らを確認した。上空で護衛を行うので、そのまま移動されたし』
『こちら第一小隊護衛、了解した。よろしく頼む』
上空を見上げてみれば、町田の部下である空戦部隊員が二名降下してくる。そして博孝達の頭上三十メートル程度の高さで停止すると、周囲の索敵を行う。
陸戦部隊員一個小隊に、空戦部隊員一個分隊。それだけの戦力があれば、人面樹の十匹程度はどうとでもなる。
林間コースは周囲を木々で囲まれているため、いつ人面樹が襲ってくるかもわからない。そのため、即座に移動することを決断した。
護衛達が周囲を固め、博孝達は移動を再開する。襲撃があれば即座に対応できるよう、護衛達は周囲の変化に気を配っていた。博孝達生徒も、万が一の際には即座に行動できるよう注意しながら移動する。
大量の人面樹が発生するという大事件だ。雪に隠れた敵性の『ES能力者』が襲いかかってきても驚くまい。そう考えていた博孝だが、何の問題もなく林間コースを抜けてしまう。
「……あれ?」
何もない。それは喜ばしいことのはずだというのに、拍子抜けのようにも思ってしまう博孝。視線を向けてみると、他の護衛達が守り抜いた生徒達がスキー場の麓に集合していた。山頂の林間コースに行った博孝達は、最後の合流だったようだ。
生徒達を一ヶ所に集め、その周囲を陸戦部隊員や兵士達が固めている。人面樹の索敵と戦闘は継続中のため、護衛は一個中隊程度。それに加えて、砂原が不機嫌そうな顔で立っていた。
「……お前達で最後か」
博孝達の顔を見た砂原は、安堵しながらも低い声を吐き出す。その声を聞いた博孝は首を傾げたが、『なんで不機嫌なんですか?』などと聞けるはずもない。聞いたが最後、強烈な雷が落ちそうだ。
「きょーかん、どしたの?」
そんな砂原の不機嫌さを気にせず、みらいが口を開く。空気を読まないその言葉に、何故か近くにいた陸戦部隊員達が身を震わせた。
博孝達は半ば慣れてしまったが、砂原は『穿孔』とあだ名される『ES能力者』である。力量差は肌で感じることができ、そんな人物が怒りを溜めこんでいることに恐怖を感じたのだ。
「河原崎妹か……なに、相手の意図が読めんだけだ。樹木型の『ES寄生体』が襲ってきたと思えば、その力は訓練生程度。擬態については、まあ、“見事”と言えるだろう。索敵の人員が“誰も”気付かなかったのだからな」
相手がみらいのためか、砂原の声色が少しばかり柔らかくなる。しかし、その発言を聞いた陸戦部隊員達は、まるで自分達が責められているように感じて恐縮してしまう。
警備は万全だった。国の将来を担う『ES能力者』の訓練生が行う修学旅行なのだ。手抜かりなど一切なく、これまで行ってきた護衛任務と同様に集中していた。
それだというのに、人面樹の発見ができなかった。その点を砂原に責められているように感じたのである。
無論、砂原としてはそんなつもりは微塵もない。護衛の人員が全力を尽くしていることは、砂原も知っている。砂原でさえも、満足できる水準での護衛だった。その証拠に、この場に集められた生徒達は傷一つ負っていない。周囲を護衛に囲まれても整然と並び、無駄口を叩かずに砂原の指示を待っている。
敵の接近を許したという意味では、護衛失格かもしれない。だが、相手は完全に樹木に擬態していた。いや、正確に言うならば樹木が『ES寄生体』だった。『構成力』を発さず、その場から動かず、相手が接近してくるのを待つという手法を取られれば、砂原ですら不意打ちを受けるレベルだ。
――そんな『ES寄生体』が、何故この場にいる?
砂原が不機嫌になっているのは、その一点だった。敵性の『ES能力者』が襲ってくるかと思えば、それもない。『天治会』辺りが手を出してくると思っても、その兆候はない。
「教官、俺達はどうしますか?」
一通り砂原が思考したのを確認し、博孝が生徒を代表して尋ねる。生徒達は整列して平静を保っているが、中には怯えた表情を見せる者もいた。本当に平然としているのは、博孝や沙織、みらいや恭介などの限られた生徒だけだ。里香でさえも、何が起きているのかを不安に思って眉を寄せている。
「教官、ホテルに戻って『無銘』を取ってきて良いですか?」
「……お前は平常運転だな、長谷川。駄目に決まっているだろうが」
真顔で『無銘』を取ってきて良いかと尋ねる沙織に、砂原は思わず脱力しかけた。平常通りにもほどがある。しかし、毒気を抜かれた気分になった砂原は、すぐさま思考を切り替えた。
『こちら砂原軍曹であります。近藤少佐殿、状況は?』
『軍曹か。相手は大した脅威ではないが、数が数だ。それに、近隣にどれほど潜んでいるかもわからん。市民の安全を思えば山狩りでも行うべきだが、我々だけでは手が足りん。それに、今回は訓練生の護衛が任務だ。さすがにそちらを放棄はできんだろう』
『では?』
『近隣の部隊に応援を要請するしかあるまい。それだけで足りるかはわからんがな』
近藤の声には、厄介な事態に遭遇したという危機感が浮かんでいた。相手は弱いが、擬態している時は完全に『構成力』を隠すために『ES能力者』の『探知』を潜り抜ける。
砂原の『探知』でも補足できないが、『隠形』とは異なる形態の技能に感じられた。
(『隠形』に特化した『ES寄生体』か? しかし、樹木型の『ES寄生体』である理由がわからん……それに、俺でさえ気付けない『隠形』を使えるとしても本体が弱すぎる。俺の勘が鈍ったという話ならそれで良いが、完全に『構成力』を消せるのなら厄介極まりないな……)
前回の任務で遭遇した『ES寄生進化体』のような、特殊技能以上の力を持つ『ES寄生体』だろうか。そんな相手が付近一帯に潜んでいる“かもしれない”という事実は、非常に重たいものだ。
人面樹はどれだけ潜んでいるのか。何故ここまで数が増えているのか。生息域が広がっている可能性もある。下手をすれば、付近に生えているヒイラギの木すべてが人面樹かもしれない。そもそも、人面樹はヒイラギの木だけではないかもしれない。
『町田少佐、近隣の部隊への要請を頼めますか?』
『了解です、近藤少佐。一個分隊は俺の周囲を固めておけ。連絡の間の指揮は中尉、君が引き継げ』
近藤からの要請を受け、部下の空戦中尉に指揮権を移譲する町田。『通話』で要請できれば楽だったが、さすがにそこまで長距離の『通話』は無理だ。そのため、携帯電話を取り出して発信する。
近隣の部隊に直接つなぐことが可能ならば良かったのだが、部隊の出撃を行うとなると一佐官の要請だけでは弱い。そのため町田が連絡を取ったのは、日本の『ES能力者』を掌握する日本ES戦闘部隊監督部だった。
“上”に連絡を入れても良いのだが、『ES能力者』のことは『ES能力者』に要請する方が面倒が少ない。何せ、日本ES戦闘部隊監督部の長は源次郎だ。必要があれば、“上”が相手だろうと一切引かない。
『こちら日本ES戦闘部隊監督部――』
『こちら第五空戦部隊の町田少佐だ! 識別コード10501659691! 長谷川中将閣下に至急つないでくれ!』
町田が口にした識別コードというのは、通常のルートを辿らずに連絡を行う場合に提示するものである。名前や階級だけならば、どこから情報が漏れるかわからない。そのため、個人個人に識別コードを割り振ることで本人であることの証明としていた。
『識別コードを確認しました。長谷川中将閣下におつなぎします』
幸いにも、源次郎はすぐに連絡を取れる状態にあったらしい。コール音が鳴るが、僅か1コールで源次郎につながる。
『こちら長谷川。町田少佐か、何があった?』
緊急の連絡ということで、源次郎も無駄なことは聞かない。何が起きたのかを伝えるよう、町田に促してくる。そのため、町田も何が起きているかを簡潔に伝えた。
樹木型の『ES寄生体』が大量発生したこと。『探知』でも発見できないという特性。そして、その『ES寄生体』がどれほど潜んでいるかわからないため、確認と殲滅の人員を手配してほしいということ。
その要請を聞いた源次郎の声が、僅かに低くなる。
『……なるほどな。付近の動員可能な部隊を動かす。まずは空戦部隊を向かわせる。安全が確保されるまで訓練生の護衛を継続し、安全を確保次第、訓練生を移動させたまえ』
『了解いたしました』
町田の説明を聞いた源次郎は、即座に部下達へ指示を出す。近隣に存在する部隊の状況を確認させ、動員可能な者から逐次移動を開始させた。
防空網に穴を開けるわけにはいかないが、それでも可能な限りの空戦部隊を導入。同時に、付近の陸戦部隊も導入して山狩りの準備を整える。
相手の数は不明であり、どれほどの戦力が必要となるかも不明瞭。そのため、“上”にも一報を入れて承諾を得た上で各部隊を行動させる。
“上”も事態を重く見たのか、近隣の住民の避難を検討。『ES能力者』にとっては組し易い相手でも、普通の人間にとってはそうではない。調査および殲滅、そして付近の住民を避難させるための人員を向かわせることを確約する。
人面樹の発生規模は不明だが、今の段階で動きがわかったのは僥倖だろう。下手をすれば、『タンポポ事件』以上の大災害につながる危険性があったのだ。『タンポポ事件』では初期対応を誤ったために、被害が一国だけに留まらなかった。
周辺各国が強制的に介入するほどの事態に発展し、日本からも空戦部隊を派遣している。今回も下手をすれば同様の事態に陥る危険性があるため、“上”も戦力の導入を渋ることはなかった。
結果、先駆けとして空戦一個大隊が急行することとなる。速度で劣る陸戦部隊は五個大隊を導入し、連隊を超える増強連隊で現地へと向かう。合計すれば六個部隊であり、混成二個連隊が派遣されることとなった。それに加えて人間の兵士も動員し、付近の住民の避難や人面樹の捜索に当たる。
任務中の部隊などを除き、集められた『ES能力者』の数は二百名を超えた。これは日本の『ES能力者』の約三パーセントに当たる人数である。休暇中の『ES能力者』も緊急招集して集められており、源次郎や“上”が今回の事態に対してどれほど危惧したかが窺えた。
重要な施設等の護衛は動かせないが、近隣の部隊から抽出できる者は根こそぎ抽出されている。元々、日本の『ES能力者』の数は質に比して多くない。少数精鋭と言えば聞こえは良いが、人口に対する『ES能力者』の割合は先進国の中でも中堅程度だ。
しかし、緊急招集から部隊を編成し、即座に現場へ急行した練度は称賛すべきだろう。町田の報告から三十分と経たない内に空戦一個大隊が駆け付け、陸戦五個大隊などは陸路を移動したにも関わらず三時間程度で集結している。
それから始まるのは、大規模な山狩りだ。一般の兵士も導入し、ヒイラギの木を中心として人面樹を捜索。目についたヒイラギの木を切りつけ、反応がなければ他を調べるという手法で人面樹を探し出していく。
その間、博孝達第七十一期訓練生はホテルに移動して待機することになった。安全が確保されるまでは外出が許可されず、結果としてホテルから移動をするのは日が暮れる時刻になる。
スキーは中断され、市街地に移動してから予定されていた自由時間もカット。バスに乗って新しいホテルに移動すると、外出することなく一晩を過ごすこととなった。
人面樹については規模が規模だけに隠蔽が不可能で、夕方の全国ニュースで一斉に報道される。付近の住民は兵士の指示に従って速やかに避難し、事件が解決することを祈った。
修学旅行が中止にならなかったのは、今回の事件が突発的かつ偶然に起こったものだと判断されたからである。第七十一期訓練生達が行った過去の任務と照らし合わせた場合、これほど大規模な事態に発展すれば、『ES寄生体』以外の存在が手を出していた。
訓練生が修学旅行中に大量の『ES寄生体』に襲われるという事態を知っている者がいれば、それを利用して訓練生を亡き者にしただろう。それだというのに、敵性の『ES能力者』の一人すら現れなかったのだ。
“上”は、密かに繁殖していた樹木型『ES寄生体』に『ES能力者』である訓練生が接近したため、防衛行動を取ったのだと結論付ける。ある意味では訓練生が引き金を引いたと思われそうだが、その引き金を引かなければ人面樹の数がさらに増えていた可能性が高い。故に、“上”は訓練生には何の咎もないと判断した。
それに対し、源次郎が食い付く。訓練生に咎がないという点には同意したいが、それならば、何故護衛の『ES能力者』が林の中を調査した時に襲ってこなかったのか、と。防衛行動を取るならば、訓練生よりも正規部隊員の方に反応しそうなものだ。
そうやって文句を付けた源次郎だが、正規部隊員を襲えば返り討ちに遭うことがわかっていたのだろうと返答される。実際に戦闘を行った者達からの報告は、精々訓練生に毛が生えた程度の力しか持たないというものだった。
自分よりも弱い者だけを襲うというのは、生き物として正しい。『構成力』を隠す能力だけは大したものだが、戦闘に関連するES能力は何も有していないという報告もあった。
人面樹は人語を介さず、どんな意図があったかは不明である。それでも、力の弱い訓練生を襲い、捕食なりして力を蓄えようとしたのではないかという意見には、源次郎としても矛を収めざるを得なかった。
まずは事態を収拾し、国民を安心させるべきだという主張もされ、源次郎は渋々引き下がる。導入した部隊だけでなく、交代の部隊の手配に、行う必要がある任務の調整。日本各地で発生する“普通”の『ES寄生体』についても、何か異常がないか警戒するよう指示を出す。
最近発見された『ES寄生進化体』といい、今回の人面樹といい、予想外のことばかりだった。これならば、敵性の『ES能力者』が襲ってきた方がまだ納得ができる。
そんなことを考えつつ、源次郎は今回の事件で導入した部隊や“上”とのやり取りに忙殺されることとなった。
そして、修学旅行最終日であり、人面樹発生の翌日。源次郎は、常の厳格な表情を脱ぎ捨てて驚愕することとなる。徹夜で人面樹の処理に当たっていた源次郎に、緊急で一報が入ったのだ。
――ES保管施設より、“オリジナル”のESが複数奪取される。
その一報は、源次郎だけでなく“上”の大部分を驚愕と恐慌に陥れるのだった。
補足説明
拙作における『ES能力者』部隊の規模について。
今回は連隊という単語が出てきましたが、『ES能力者』は通常の軍隊とは異なるため、以下のように分類されます。
分隊:二人
小隊:四人
中隊:十二人(三個小隊)
大隊:三十六人(三個中隊。作中に登場する『一部隊』とイコール。例として、町田が隊長を務める空戦第五部隊は三十六人の空戦部隊員で構成されている。通常は一個大隊を最大戦力として運用)
連隊:百八人(三個大隊。大隊の上で、余程の非常時でない限り編成されない)
小隊以上は三つの隊で一つ上の隊として扱われます。なお、部隊の前に『混成』や『増強』とつく場合がありますが、
混成:空戦部隊と陸戦部隊の両方が所属
増強:今回の例(陸戦五個大隊)で言えば、一個連隊+二個大隊。一個連隊に二個大隊が『増強』されているため、この呼び方を使用。既定の部隊数以上、その上の部隊数以下の場合に使用しています(例:四個中隊がいれば、増強大隊)
なお、現実の軍隊とは人数や呼称の使用方法が大きく異なりますので、その点はご注意ください。
・追記
ブナの木をヒイラギの木に修正いたしました。
それでは、こんな拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。