プロローグ
「ほほう、君の職業は……」
遥か頭上には繊細な壁画が描かれた天井と、燦々と光が降りそそぐ色鮮やかなステンドグラス。
昨日、十五歳になったばかりの俺はその荘厳な神殿の雰囲気に飲まれて、【司祭】さまの言葉には上の空、周りをキョロキョロと見回していた。
「アタル、ちゃんと前を見なさい!」
背後から飛んできた母さんの小声にハッとして、俺は左手首をつかんでいる【司祭】さまに目を向ける。
【司祭】さまは普段は常にニコニコと微笑んでいる朗らかなおじさんなのに、今は眉を寄せた難しそうな顔で俺の腕を見つめていた。
俺の左手首の外側にはグレーのタトゥーのような紋様、職紋が浮かび上がっている。
ついさっき司祭さまが転職の書を使って祈りを捧げ、俺を職業【子ども】から転職させたからだ。この職紋は転職の証、つまり大人の証だったりする。
この世界に生まれた者はみんな同じだ。
生まれてから十五歳の誕生日までは子どもだけど、その翌日に一生を決める転職の儀を行う。
そして一つだけ、スキルを授かる事ができるってわけ。
どんな職業になるのか?
そんでもって、どんなスキルをもらえるのか?
子どもたちは暇さえあればそんな話をしてる。
もちろん俺だってそうだった。
きっと今頃、俺の家の前で友達みんなが待ち構えてて、俺が帰ってくるのを待ってるんだろうなぁ。
でもまあ、うちは父さんも母さんも町の小さな雑貨屋を営むごくごく平凡な【商人】だし、どうせ俺も【商人】だろうな。
儀式は【司祭】さまが行うけど、その職業やスキルまで決める訳じゃない。
なんでも女神さまがその人それぞれにぴったりのものを選んでくれるんだとか。
だからどういう基準で職業が決まるのか分からないけど、両親のどちらかと同じ職業になるのが普通だ。
しかし。
【司祭】さまはさっきから黙り込んだままだ。
腕に刻まれる職紋は人によって様々で、同じ職業でもいろんな色や柄があって同じものは一つとして無いらしい。
だからこの紋様が何を表しているのかは【司祭】さまでないと分からない。職業【司祭】の<職業鑑定>というスキルで鑑定するからだ。
待つのに飽きた俺は、恐る恐る声をかけてみる。
「【司祭】さま……?」
すると【司祭】さまはハッとした様子で顔を上げ「う~む」と唸ると、何か決意したかのような毅然とした様子でこう告げた。
「どうやら君の職業は【プログラマー】というものらしい。スキルは……<コードインスペクション>? 残念ながら両方とも聞いたこともなければ、この神殿にある転職の書にも載っておらん」
「へ?」
この「へ?」は俺だけじゃない。
後ろでドキドキワクワクしながら待っていた父さんと母さんとの三重奏だ。
どういうこと?
司祭さまが知らない職業って……。
あれ? それより、ちょっと待てよ……。
「しかし気落ちすることはないぞ。世の中には数は少ないが、何の役に立つのかわからない職業もあるにはある。しかしそれもすべて女神さまのお導き……日常生活を送る上では大きな問題はなかろう」
「し、しかし、司祭さま! この子の職業とスキルは、その……役立たず、ということでしょうか?」
母さんが直球でひどいことを聞いているけれど、俺はそれどころじゃない。
プログラマー。
プログラマー……。
なんだこの、切なくて重苦しくて、逃げ出したくなるような響きの言葉は。
頭の奥底をぎゅっとつねられたような不快な感覚。
それが鼓動にあわせて徐々に強まっていき――。
ついに、俺は思い出した。
そうだ!
お、お……俺は、プログラマーだった!
普通ランクの四年大の経済学部卒で。
文系学部だってのに、大学の講義で少しだけ習ったプログラミングが楽しかったから、システムエンジニアを目指してシステム開発の会社に就職したんだ。
だってほら、エンジニアって響きが格好いいだろ?
大きい会社だと入れ替わりも激しくて転勤もありそうだから、二百人ちょっとのアットホームな会社を選んだんだけど……。
それが失敗だったんだろうなぁ。
一年目は研修もちゃんと受けさせてもらえて、簡単なプログラミングから始めて。
しかし二年目に入った途端、猛烈に忙しいプロジェクトに異動させられたんだ……。
それでもまだ、スマホ向けアプリを作る会社だとか、ゲームを作るプログラマーなら良かった。
実際のシステム開発会社のほとんどはそうじゃない。
どこかの会社のなんとか管理システムだとか販売なんとかシステムだとか、そういう社会の裏方の……こう言っちゃなんだけど、地味なシステムを作る。
しかも新人が最初に組むプログラムなんて、受け渡された情報を使って、条件分岐して、計算して、結果を返すだけって感じの地味で簡単なメソッドだ。
そして条件や計算方法がちょっと違う似たようなものをわんさか作って、一つのクラスというプログラムにまとめる。
しかもそれは大きなシステムのほんの一部の、さらにその隅の隅の隅っこに過ぎない。
つまり何が言いたいかというと……自分がプログラミングしたソースが、なんとか管理システムのいったいどこの部分かなんて、良く分からんってこと。
まあ、それでもしっかりした会社ならちゃんと説明してくれるだろう。
君の作ったソースはね、このシステムのこういう部分で使われるんだよ、と。
その新人はゆくゆくはプログラマーを卒業して、システム自体を設計するシステムエンジニアに育つはずなんだから。
俺の入った会社がそうじゃなかったってだけだ。
終電で帰る毎日。
土日出勤も当たり前。
当然、勤務時間超過で労働基準法違反になるわけだけど、そんなものは会社ぐるみで隠蔽だ。
疲れ果ててるのに炎上しているプロジェクトに次々と投入されて、誰が組んだかも分からないボロボロの……つまりバグばっかのソースコードのテストばかりで、モチベーションも落ちるしスキルも上がらない。
そんなシステムエンジニアにはなれぬままの日々に、俺は心底後悔した。
いつ会社を辞めて別の仕事に就こうかって、毎日考えて。
そして……あれは確か、久しぶりに早めに帰れた、梅雨明け間近の蒸し暑い日だったと思う。
会社近くの大通りで信号待ちをしていて、信号が青になったと思って横断歩道を歩き始めたんだけど……。
最後に聞いたのは背後からの女性陣の悲鳴と、おっさん達のどよめき。
どうやら信号が変わったと思ったのは俺の勘違いだったらしい。
疑う余裕もなく過労のせいだ。
目を刺すまぶしい光に横を見れば、すぐそばに大きなトラックが――。
「我が家は代々【商人】の家系なんです! なにとぞ【司祭】さまのお力で、【商人】に変えていただけませんか!?」
母さんの無茶ぶりな懇願に、我に返る。
そうか……俺、死んで生まれ変わったんだ。
しかも異世界転生ってやつ?
だって、この世界は剣と魔法の世界だ。
世界の最果てには魔王とやらがいて、町の外には強弱様々なモンスターが生息してる。
それに対抗するために、女神さまにスキルを恵んでもらった人間たちが日々奮闘していて。
今は人間が総人口をほぼ占めているけれど、エルフやドワーフなんてファンタジーな種族もいるし。
それなのに。
そ・れ・な・の・にぃ~!
「なんで【プログラマー】なんだよぉ~!」
俺は膝から崩れ落ちた。
異世界に転生したんだから、もっと異世界らしい職業にしてくれよ!
冒険者になれる【戦士】とか【魔法使い】だったら最高だけど、そうじゃなくてもせめて【商人】とか【吟遊詩人】とか【薬師】とかさぁ……色々あるじゃんよ!
大体、この世界にはパソコンなんてないんだぞ?
【プログラマー】になったって、どうやってプログラミングすればいいんだよぉ!
気がつけば俺はブツブツ悪態をつきながら、神殿の床に拳をたたきつけていた。
後ろの方で転職の儀を待っている別の家族が、引き気味にこっちを見ている。
「まあまあ、お母さんも落ち着いて。ほら、アタルくんも元気を出すんだ」
同情のにじみまくった【司祭】さまの声を頭上に、俺は絞り出すようにつぶやく。
「ここは夢と魔法の世界じゃないのかよぉ、くそぉ……」
そう、夢と魔法の……あ、夢じゃなくて剣だった。
夢と魔法の世界は前世にあった某アミューズメントパークのことだっつーの。
なんて自分でつっこんで「へっへっへ……」なんて笑いながらも、俺の絶望は深まるばかり。
あ〜もうっ!
異世界転生して記憶をなくしてたんなら、忘れたまんまでいさせてくれよ!
よりによって【プログラマー】なんて役立たずに転職させて前世を思い出させるなんて、悪趣味すぎないか!?
女神さまに会いに行って、文句の一つでも言いたいわ、まったく……。
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