テュール
「キサマはオレの敵である――○か×か」
真っ赤な髪に、片腕の男が、木の上で猿のように佇んでいた。
「キサマは狩猟者である――○か×か」
男は血が染みこんだ布で口元を覆っており、正確な年齢はわからない。ぎょろりと血走った目で、俺をにらみつけている。
「キサマはオレを楽しませてくれる――○か×か」
赤い三日月の紋章が、残された左手の甲に浮かんでいる。左腕は頑強な筋肉に覆われ、とてつもなく太い。左腕だけで生活しているからか、能力によるところか、そのどちらもなのか……まあ、すぐにわかる。
「うーん……これまた癖の強いやつが出てきたな」
俺の相手はこんなのばっかりだな。……むしろこんなのだから俺が相手をするのか。
「んで、お前の名前は?」
「オレには名前がない――○か×か」
「あー……まる?」
「セイカイだ。オレに名前はない」
「あっそう……まあ、どうせすぐに死ぬんだし別にいいさ」
「そうだナ。お前はオレがコロス。殺してコロス。ウジの苗床になる。腐敗する肉片にナリ下がる。悲鳴を録音して、マイバン聞いて眠ろうじゃないカ。ああ、タノシミダ。楽しみだ」
男は嬌笑と共に木々を揺らし、能力を開眼させる。ゾワリと、周囲の緑が震え出す。
『――剣を掲げ 唄を紡ごう――』
これまでの狂気は鳴りを潜め、男は穏やかに詠唱を始める。
『――勝利の神 法廷の守護者――』
自身が取り込んだ神が、どんな存在なのか――そして、どんな力を持っているのか明確にし、知覚し、行使するための儀式。それが詠唱。
『――我より先に敵はなく 我より後ろに自由はない――』
人間と神を橋渡しするための言葉であり、逃れられないユーザーへの呪い。
『略奪しろ――《呪腕の牢獄》――』
紅色の魔力を左腕に収束させ、大気を振るわせる程の大音量で笑う片腕の男。
「その魔力……知っているぞ。お前、テュールの欠片を拾ったのか」
テュール――魔狼フェンリルを育てた男であり、フェンリルを騙したことにより右腕を喰い千切られた軍神だ。――要するに、俺の仇敵である。
「面白い。ここまで足を運んだかいがあったな。俺を騙して、ドウェルグが作ったグレイプニルなんぞで縛りやがって……あのとき口に入れられた剣の冷たさは、今も覚えてるぞ」
懐かしい魔力を感じ、フェンリルとしての意識が強まる。
俺はフェンリルを取り込んだことにより、狼と一体になった。他のユーザーのように力だけを借り受けているのではない。人間としての、元々の魂が、フェンリルと融合しているのだ。
つまり俺は、レインという一個人の人間でもあり、フェンリルという魔狼でもある。フェンリルとしての知識や記憶は『俺』の記憶でもある。
『――牙の渇きを 愚者の血で潤そう――』
テュール……最終戦争では冥界の番犬ガルムと戦い、勝手に死んだそうだが……そんなこと、俺が許さん。
『――地を揺らす者 獣の王 災厄の化身――』
欠片だろうが構うものか。俺は目の前の仇敵を、完膚無きまでに殺し尽くす。
『――爪牙の限りを以て 終わりなき殺戮を――』
ラグナロクが終わった世界でも、ここまで楽しめるとは……。俺は幸せなのだろう。
『斬り刻め――《魔狼の凶牙》――』
ならば、この幸福が逃げてしまわぬように、精一杯牙を剥こう。
血肉がはじけ飛ぶまで、戦い続けよう。
それが俺なりの、神への手向けだ。
◆ ◆ ◆
「安心しろ! すぐには殺さん!」
ピンボールのように森を逃げ回る敵を、喜々として追いかける。こんなにも楽しい戦いは滅多にあるものじゃない。じっくりと味わわなければもったいない。
「キサマはケモノである――○か×か」
「まるだ――なぁ!」
気合いと共に刀を薙ぎ、敵が乗っている木を切り倒す。
「ハハハ!」
相手は哄笑しながら、別の木へと飛び移る。森に潜んでいるユーザーだけあって、その身のこなしは軽やかだ。
「片腕だというに器用な……逃げてないで戦ったらどうだ?」
「……そうダな」
素直に俺の言葉を聞き、男はひょいと降りてきた。
「キサマは魔力が高い。その魔力……奪わせテもらう」
隻腕の男は、一本の大樹に手をつき、能力を発動させる。一世紀以上は根を張っていたであろう樹木がみるみるしおれていき、瞬く間に枯れ落ちた。
「命の強奪か……時司の言っていた通りだ」
テュールは元々そんな能力なかったはずだが……器に合わせて変容したのだろう。目の前の男が、ユーザーになる前からシリアルキラーならあり得る話だ。
「これがオレの能力。魔力も生命も等しく奪う。キサマの肉は、オレが喰ってやるから安心しろ」
「人肉嗜食まであるのかよ」
人の肉を喰らえば、特別な力が宿ると信じている輩も居るからな……こいつもその手合いかもしれん。稀に、猛烈に人肉を食したくなるウェンディゴ症候群なんてのもあるのだとか。なんとも世界は広いものだ。
「どれ、一つ勝負をしないか?」
「勝負ダと?」
「お前の力を俺に使ってみろよ。逃げないでやるから、俺の魔力を全て吸い尽くせるかやってみろ」
珍しい能力を前にした好奇心から、俺はそんな提案をした。逃げる相手に刀を振るうのはいつだってできるからな。
「…………正気ナノカ?」
「もちろん。さあ」
俺は刀をおろし、脱力する。喜びに歪む顔を隠すこともせず、ただありのままの姿をさらけ出す。
「……いいダろう。何を考えテいるのカ知らないが、ノッてやる」
男が笑いながら近づき、呪われた左腕を伸ばす。
「略奪しろ――《呪腕の牢獄》――」
常人よりも遙かに巨大な左手が、俺の顔面を掴む。そしてそのまま能力を発動し、こちらの魔力を奪い取る。
「――っ! これは……ナンと純度のタカイ魔力だ」
血が徐々に抜き取られるような、珍しい喪失感をかみ締める。こんなにも希少な能力を味わうことなどなかなかない。いい経験になる。
「イイ……いいゾ!」
口角から涎を垂らしながら、男は俺の魔力を奪い続ける。
「キサマ……何者だ? これほどの魔力は味わったことがない」
「お前さんに裏切られ、右腕をかみ切った狼だよ」
「ナニを言っているのかわからんが、遠慮なく魔力はいただくぞ。コレほどのチカラ、もう二度と出会えないダロウからな」
「それは構わんが……お前に耐えられるか?」
「なんダと?」
「俺たちユーザーが異能を発現するために必要なのが魔力――お前は魔力という物をどの程度理解している?」
ユーザーというものは、神の欠片を取り込み、異能力と魔力を操るようになった存在だ。俺以外のユーザーはみな、なりたくてユーザーになったのではない。全て偶発的なのだ。自分で努力をして、つかみ取った力ではない。
ただ偶然力を与えられた者には、その真価がわからない。汗水流して働いたことのない者が、宝くじでぽんと大金を手にしても、その価値に実感が湧かないように。
「魔力というのは人間で言う血液のような物だ。魔力にはそれぞれ型があり、色によって区別される。自分と違う型の魔力を宿すというのは、危険が伴う。血液型がA型の人間に、B型の血液を輸血するようなものだ」
俺はこの世界でただ一人……ユーザーになりたくてユーザーになった。ならなくては生きていけなかった。
棚から牡丹餅が落ちてきたのではなく、牡丹餅を引きずり落として口に入れた。だからこそ、世界で一番牡丹餅の価値がわかる。
「なんだ、そんな心配をしているのか? 安心シロ、オレはその程度の違いなど問題にしない。タイナイで、別の型の魔力を、自分と同じ型に変化できるんだよ」
「ほう、それはすごいな……で――この俺の魔力も変化できると? 本気で思っているのか? キサマ程度の器で?」
「愚問なり。とうぜ――」
男は突如言葉を切り、その代わりに真っ赤な血を口から吐き出す。紅色の魔力よりもなお鮮やかな血液が、地面を濡らす。
「――っ!? なっ」
熱した鉄板に触れたかのように、男は慌てて左手を離す。困惑と怒りによって、男は牙を光らせる。血と憎悪に汚れた牙を。
「なんだ……こレ……キサマの、魔力が……体内で暴れてっ!」
「どうした? 俺の魔力はお気に召さなかったか?」
「なにを……シタ?」
「別に何も。ただお前も言っていただろ? 俺の魔力は普通のユーザーよりも『純度が高い』んだよ。あまりにも綺麗すぎるものは、一周回って毒になる。人間の器では収めることができないってことだ」
偶然欠片を拾っただけの人間風情に、魔力の真髄は理解できるはずもない。
這いつくばり、みっともなく血反吐をまき散らし、怨嗟と苦痛の中で力を手にしなければ、わからないこともある。
「そんな……バカな話が……」
「あるんだよ」
男は舌打ちをしつつ、大きく後ろへ跳び下がる。
「ハ、ハハ……アハハハハ! 楽しい! タノシイぞ!」
狂笑を続ける片腕の男。その目は未だに、闘気であふれている。
「狂気は糧である――○か×か。神は偶像である――○か×か。命は弱者である――○か×か」
口と目から血を流し、誰に向かってなのかもよくわからない問いを投げかける。
俺は小さく息を吐き、刀を握る手に力を込める。呼吸を一定に保ち、全身に血を巡らせる。
「死ネェェェ!」
地面を強く蹴り、血で弧を引きながら飛びかかってくる隻腕のユーザー。魔力を奪うことは諦め、物理的に頭を潰そうという魂胆だろう。大きく発達したこの腕ならば、通常の頭蓋骨程度なら豆腐のように砕けるはずだ。
「俺からも問題だ。今日がお前の命日である――○か×か」
「バツだぁぁあ!」
迫り来る呪われた左腕。常人なら即座に気絶するであろう狂気を、俺は真っ向から受け止める。――この程度で怯むほど、俺の奪ってきた命は軽くない。
「残念。答えはまるだ。次回の回答権は来世。またどうぞ」
敵を見据え、刀を下段に構える。腰を落とし、足裏で地面の感触を確かめる。
「魔狼流 壱ノ太刀 《月下》」
相手の呪腕が俺に届く――直前に、前へ出る。
相手の下に身体を滑り込ませ、円を描くように刀を上に振るう。斬撃の感触すら手に残ることなく、戦いの幕は下りた。




