黒竜王国編 侵攻 08
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「なんだよ、ほんとにもぉ~」
自分にあてがわれたベル村の詰所に入るなり、服も脱がずに寝具に倒れ込むヨシュア。
彼が珍しくだらしないまでに酔っていた理由は、彼の仕事に関係していた。
ヨシュアは神殿省に所属する兵士であるのだが、今彼が担当して進めている仕事に、上からのストップがかかったのだ。
神殿が完成していない今は、完成予定地であるベル村の状況を上役に報告しながら村民との折衝雑務に明け暮れていた。神殿が完成すれば、門番の傍らに雑務を押し付けられることになるだろう。
そのこと自体に文句があるわけではない。この村に神殿を作る以上、誰かがやらなければならぬ仕事だ。
しかしその仕事にストップがかかった。理由はドワーフ自治区内を第二皇子フレットル率いる大軍が通るからであり、その間は神殿省は目立った動きをするなという通達が来たのだ。
というよりも、できない状況にあると言った方が正しい。
ドワーフ自治区にいたる手前の涼東州でフレットルが襲撃を受けたことにより、涼東州の神殿に治癒のためフレットルが居座ってしまった。
そのことで、ヨシュアに指示を出している立場の高位神官や神殿所属の高位武官が、フレットルへの対応にかかりきりになってしまってベル村の神殿ごときに時間を割けなくなった。
かいつまんで言うと、ヨシュアのような地方の木っ端武官は暇なのだが、その上役が忙しすぎて仕事の指示や連絡調整をできない状況にあるのだ。
「だからって、なにもするなってのはおかしいじゃないか……」
進軍中の皇子が何者かの襲撃を受けたというのは大事件である。
神殿の新設という仕事どころの騒ぎではないかもしれないのもわかる。
しかしそれ以外にやるべきことがあるはずだと、彼は忸怩たる思いであった。
自分は帝国に身をささげた一人の兵なのだ。こういう場合、所属を超えて刺客の捜索や掃討にあたったり、周辺の警邏や治安維持に協力したりするのが筋だと思う。
しかし彼の上役は、それらの業務に神殿の地方武官が協力することを禁じた。それは神殿省がそもそもフレットルを中心とした軍部と、折り合いが悪いからである。
強引に神殿に乗り込んできて治療をしろとまくし立てるフレットルをむげに扱うわけにはいかない。しかしそれ以上の協力はゴメンだという態度を神殿省は選択したのだ。
異種族を武力で恭順させ、兵や税収を増やすことを至上命題とする軍部。
精霊信仰によって異種族を教化して、その威光によって寄付金を集めることを主目的とする神殿省。
この二つの機関は客を取り合っているライバル企業のようなものだ。フレットルの横暴に業を煮やした神殿省のお偉方は、今回の視察と遠征でフレットルの影響力が下がるような失態が生じてくれればいいと考えているのだ。
そうなれば神殿省と関係の深い第一皇子や元老院の発言力が相対的に高くなるのだから。
上に立つ者の政治的な駆け引きによって、純粋に国を思い民を案じ、敵を憎むヨシュアの義心に水が差された。
慣れない酒に溺れてしまうのも無理はない話と言えた。
「はーあ。アカネくんもいないし……つまんないなあ。あの人間の男、彼女の兄さんって言ってたな。明日にでもサッカー教えてもらおうかな……」
ぼやきながらヨシュアは眠りについた。翌日は二日酔い確定である。
「エルフの兄ちゃんがこれをくれたのか? まあ、使えるものはこの際使わせてもらうか」
融から治癒の札を受け取ったコーダは、小屋の中でダークエルフ兵の治療にあたっている部下にそれを渡す。
「大丈夫なのかな、彼」
瀕死のダークエルフを心配する融。
内臓に傷があるかどうか融にはよくわからなかったがかなりの重傷で満身創痍だということはわかる。
「俺たちは医者や神官じゃねえからな。助かるって自信持って言えるわけじゃねえ。だが助けるために最善は尽くすつもりだぜ。トールと妹ちゃんは適当に休んでていい。こっちは俺らの仕事だ」
コーダは拾ったダークエルフの手当てが終わり次第、なんとかエルフ帝国兵の警戒を潜り抜けてこの男を獣人族のテリトリーまで一度連れ帰ろうと思っていた。
コーダたちがつかんでいないフラウたちの動き、情報などをこのダークエルフは持っているはずだ。せっかく危険を冒してまで助けているのだから、価値のある情報を提供してもらわないと割に合わない。
「ところで、やっぱりこの村にいた人間の女がトールたちの妹だったのか?」
「ああ。さっき村長と話したけど特徴から性格からなにからなにまでうちの妹で間違いない。今はいないみたいだけどね。明日には帰って来るという話だった」
「そいつは良かったな。兄妹3人そろったら自分の国に帰るのか?」
「ん、どうかな……」
コーダの質問に、融は答えられなかった。
茜にもうすぐ会える。それがとてつもなく嬉しいことであるのは間違いない。
しかし家に帰る方法が、融にはまったくわからないのだ。
茜がベル村に滞在している間、使わせてもらっているという小屋に融と玲奈は入る。
意外に中は広く、日本風に言えば12畳ほどの広さがある。
入り口から入ってすぐのところは土間になっており、切り石で組まれた浴槽らしきものがある。井戸から水を汲んで来て、外側から火を焚いて使うのだろう。古い日本の家庭でも家の外側から燃料を放り込んで風呂を沸かすタイプのものがある。原理的には同じものだ。
奥は高床の板の間になっており、枯草や布、動物の毛皮などを組み合わせた寝具があった。
「茜ちゃん、この世界の文字を勉強してたのかな……」
小屋の中にはこの世界の文字の書かれた薄い板、樹の皮などが散乱していた。
そして土間に石で直接、茜の筆跡らしい文字が描かれている。
子供が漢字の書き取りをするように、同じ単語を何度も繰り返し土に描くことで覚えようとしていた形跡がそこにあった。
自分の妹の逞しさに安心と誇らしさを覚えつつ、それでも融は差し迫った一つの問題について考える。
小屋の中には間仕切りもなければ、寝具は一つしかない。
「玲奈ちゃんはちょっと休んでて。俺はもう少しコーダさんたちの方を手伝ってくる」
問題を先送りにして融は逃げた。
「こっちの手は足りてるし、あんまりウロウロバタバタして怪しまれたくねえからトールたちはさっさと飯食って寝ておけ。あっちに宿があるから、その一階に行けば食事を出してもらえるぜ」
逃げた先でも融は邪魔者扱いされ、小銭まで握らされてしまった。
とりあえずその金で兄妹は宿に行き、蛇肉とキノコと野草が入った具だくさんのスープで空腹を満たす。
「融お兄ちゃん、このスープ、味付けはお塩だけなんだって。それでも具からいろんな味が出て凄く美味しいね」
もうすぐ茜に会えるということもあり、玲奈の表情もいくぶんか明るくなった。蛇肉に抵抗はないようだ。もちろん好き嫌いを言ってられる状況でもないが。
それでも生死の境をさまよっているダークエルフのことは気になるらしく、食事を終えた後もしばらくコーダたちがいる小屋をを黙って見つめていた。
「融お兄ちゃん。こんなこと言っても信じてもらえないかもしれないけど……」
「ん? どうしたの?」
遠巻きにコーダたちの方を二人で眺めながら、玲奈が語り出す。
通りすがる他のドワーフたちに聞こえないよう、小声で。
「私、怪我して動けなくて声も出せないはずのあの人の声が、はっきり聞こえたんだ。姫さま、我らが命をささげしフラウ王女殿下、って泣きそうな叫びが。すっごく強い思いが、私の頭の中にドドドって直接入ってきた感じで……」
玲奈の瞳は真剣そのもので、嘘をついている気色は微塵も見られない。そもそもこんな嘘を玲奈がつく理由がないのだから当然ともいえる。
「俺は信じるよ。なによりそのおかげであのダークエルフのお兄さんは今こうして手当てを受けられるんだから、玲奈ちゃんの大手柄だよ」
「そうかな……良くなるといいね、あの人。ううん、絶対良くなる。良くなって欲しい」
二人がコーダたちの様子を見守りながら話していると、コーダが近寄って来て融を手招きした。
「融だけちょっとこっち来い。妹ちゃんは小屋に戻っててくれ」
なんの話があるのか疑問に思いながらも、兄妹は熊獣人の大男に言われるとおりにした。
「トールよお、お前、気付いてないのか?」
「何がだい」
コーダの質問に何も心当たりがないという顔をした融。
いきなり言われてもなんのことかわかるわけはないので当然である。
「あー、人間族はそうなのかもな……俺らはほら、耳も鼻もお前らよりいいせいか、なんとなくわかっちまうんだよなあ」
「だから、なんの話だって」
「妹ちゃん、欲情してるぜ」
コーダが爆弾発言を放ったので融は一瞬フリーズした。
自発的に脳のOSを再起動させ、正気を取り戻す。
「浴場? ああ寝る前にお風呂には入りたいよな。水を汲んでお風呂を溜めてあげるとしよう」
取り戻していなかった。
「いやまあ、風呂は風呂でそうなる前かそうした後かに好きに入りゃあいいと思うがよ。とにかくレナは欲求不満なのか発情期なのか知らねえが、欲情しちまってる、性欲を持てあましてる状態だ。うちのモンでよけりゃあ相手させるが」
コーダは獣人である。メスの発情に対しては非獣人よりも敏感だ。
「ふざけるな。殺すぞ」
とっさに口にして、融自身が驚いた。
今まで自分の人生で、他人に対して「殺す」などと言ったことがあっただろうか。
「ならトールが何とかしてやれよ。姫さまのところのゴブリンどもから聞いたぜ。お前とレナ、血がつながってねえんだってな」
またその話か、と融は辟易した。
余計なことを言ったのはおそらく融と一緒に仕事をしたことのある、ゴブリンのブルルだろう。
「明日にはじゃじゃ馬の方の、やかましい妹が帰って来て二人でゆっくりなんてできなくなるんだろう。今夜しかねえぞ。今のままだと、可哀想で見ていられねえよ」
右も左もわからぬ異世界に飛ばされた。
それに自覚したときよりも大きな焦燥と混乱を胸に抱き、融は小屋に戻る。
戻ってどうするつもりなのか。今の話をコーダから聞かされて、どのような態度を玲奈に対してとればいいのか。
なにもかもわからぬまま、いっそこのまま貝になりたいという気持ちで融が小屋の扉を開ける。
目の前には着替え途中の玲奈がいた。
着替えを覗くのが流行っているようなので取り入れてみました。




