黒竜王国編 侵攻 01
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神聖エルフ帝国ドワーフ自治区、ベル村。
ここは自治区の西端に位置し、山ひとつ越えれば神聖エルフ帝国の数ある州のひとつ「涼東州」に至る。
名前の通り、一年を通じて暑さ寒さがそれほど過酷ではない気候を持っている。隣接するドワーフ自治区においてもそれは同様であった。
「雑用が山積みだ……」
そんな快適な気候風土の中、若年のエルフ兵がベル村に仮設された作業小屋内の文机の前で溜息をつく。
涼東州の警邏兵であったエルフ族の若者ヨシュアは、このたびベル村に新しく建設される精霊神殿の雑役門衛の任に就くことになった。州兵から神殿省へと人事配属が変わったということである。
エルフが崇める精霊の神殿をドワーフ自治区内に造る。
すぐさまドワーフたちがエルフの宗教に改宗するとはヨシュアも思っていないが、新しく帝国領になった土地に神殿省が足がかりを作るということに意味がある。
いずれドワーフ自治区内を移動するエルフ、あるいは自治区で働くエルフたちも増えるだろう。それを見越し、エルフたちの活動拠点として神殿を用意しておけば神殿省の存在感も上がるというものだ。
もともと神官の家系に生まれたヨシュアは、神殿に関わる仕事に就くこと自体抵抗はなかった。
しかし一つ、目の前にヨシュアを憂鬱にさせる事案が待ち構えていた。
「皇子が軍を連れて来られるのか……この村に人間族のアカネがいることを変に思われるのでは……」
高貴な人物がドワーフ自治区を視察に来る。
すでに州軍の所属から外れているヨシュアはこれと言って特別な任を与えられていないが、それでも第二皇子の来訪である。緊張で胃が重くなるのを感じた。
「いっそ皇子の目につかないところに隠れてもらっていれば安心なんだけど……」
「誰がなんだって?」
ヨシュアの独り言に対して、いきなり小屋の扉が開き返事をする者が現れた。
挨拶もノックもなしに茜が入ってきたのだ。
左手の怪我はまだ完治しておらず、布で吊った状態である。治癒、痛み止め魔法の効果がある札のおかげか顔色はいい。
「あのさあ、いきなり入らないでせめて一言あってもいいんじゃないかな」
「ねえねえ。ここに神殿ってのを作るんでしょ? あたしも出入りしていいの?」
苦情は軽くスルーされる。
げんなりしながらもヨシュアは茜の質問に答えた。
「もちろん来る者は拒まないよ。精霊神さまに帰依する気持ちがあるの?」
「入信するかどうかは内容次第ね。それよりも文字の読み書きとかを教えてくれるって言うから」
神殿はエルフ社会の基礎教養や高等教育をつかさどる場でもある。
ベル村の神殿も神官が配属されれば、エルフ族固有の神聖文字、加えて全種族共通の公用文字の読み書きや、魔法の使い方などを教える場になる予定だ。
神官個人の教養に応じて教えられる内容はさまざまだが、文字の読み書きという基本中の基本はどこの神殿でも教えている
帝国に住むエルフは小さい頃から神殿に通い、それらを一通り学んで大人のエルフになっていくのだ。
「う、うーん……文字ねえ」
ヨシュアは返答に困った。信者でない者が教育だけ受けるために神殿に出入りするという事例を聞いたことがなかったからだ。なにせ、多くのエルフは物心ついた時から神殿に通い、精霊神に帰依し、その加護に感謝して育つのが常識であったから。
「神聖文字っていうのと、俗字? っていう公用文字と、両方教えてくれるんでしょ。だったらあたしも習いたいかなって。まあ公用文字の方はドワーフさんたちに教わってもいいんだけど、みんな忙しいみたいだし」
そう言いながら茜は、ヨシュアが作業している机の上の書類を眺めた。
羽ペンで羊皮紙になにかを書きこんで書類を作成している途中だったようだ。
「こ、こら。見ちゃダメだ。大事な仕事の書類なんだから」
「いいじゃない減るもんじゃなし。それにどうせ見たってわからないわよ。読めないんだから」
その時ヨシュアは一つのことを思いついた。
村の住人なのかどうかわからない宙ぶらりんの茜の立場を確かなものにし、なおかつ第二皇子フレットルが査察に来た時にこの村に茜という正体不明な人間がいることをいぶかしまれないようにするための案を。
「きみ、神殿で働かない?」
「自衛隊の勧誘みたいに軽々しく言わないでよ。なんでそういう話になるのかしら」
「きみがどの種族の誰でなにをしている者だってことをはっきりさせないと、いろいろ面倒なことになりそうなんだよね。身元不明、みなしごのきみを神殿で保護して軽い作業に従事してもらっている、ってことにすれば、なんていうのかな。おさまりがいいんだよ」
要するに世間体の問題である。
そして茜は不思議と村のドワーフたちに好かれている。そういう人物を神殿が取り込んでおけば、ドワーフ自治区における教化活動も活発になるのではないかとヨシュアは思ったのだ。
エルフの中には、エルフ以外の種族に対して明確に差別感情を持っている者も多い。しかし神殿省は帝国が領土拡大政策を打ち出してから、異種族との融和を基本理念に掲げている。
ここが軍部との考えの違いであった。
軍部を主導している将軍や大臣たちは、異種族は前線の尖兵として使い捨てることのできる消耗品と思っている者が多い。
しかし信徒から寄付金を集めている神殿省は、異種族であっても信徒を増やし彼らを経済的にある程度肥え太らせて、神殿に寄付をする余裕を持ってもらわないと困るのだ。
神殿が無償で信徒に教育を施しているのも、そこで得た教養や勤勉の精神を武器にして経済活動を活発化させ、豊かになった信徒から少しでも多くのの寄付金を得るためである。
そういう意味で神殿省の最も重大な仕事は、人材に対して先行投資を行い、それを寄付金としてあとから回収することであると言える。
「んー。まあちょっと考えておくわ。とりあえず他にやることあるし。あと、ヨシュアくんもたまにはサッカーに交じりなさい」
茜はベル村だけではなく近隣の村にまでサッカーを広めている。すでに3つの村で合計100人足らずのドワーフがサッカーに興味を持って、茜の指導の下に遊びの試合を何度か行っている。蹴ってゴールに入れるという目的がわかりやすいため評判は上々だ。
「きみたちがやってる球蹴り遊びかい? 内容自体はいいんだけど、どっちの組が勝つのかを賭けて熱くなってるドワーフが多すぎるね……治安に問題がないか心配だよ」
そう、実際に試合や練習に参加するドワーフより、試合を賭け対象にしている野次馬の方が多い有様なのだ。
もっともドワーフは基本的に勤勉で生産労働を好む種族である。賭け事は息抜きの娯楽でしかなく、大きなトラブルに発展しているということもない。
「まあいいじゃないの。他の村と仲良くすることも大切よ。じゃあまたね」
「神殿で働くこと、考えておいてくれよ」
そんなに高い給金は出せないけど、とヨシュアが言う前に茜は部屋から出て行った。
その足で茜はベル村の村長ドワーフの家に赴く。
「村長、また馬車とドガを借りるわよ。今日はちょっと遠くの村まで行ってくるから、帰りは明日になるかしらね」
「う、うむ。気を付けてな。しかしのう、本当にええんじゃろうか、こんなやり方……」
「いいのいいの。表向きはサッカーの試合の打ち合わせだし」
茜がドワーフにサッカーを教え、親善試合の打ち合わせや練習指導と称して近隣の村を回って歩いているのには別の目的がある。
それはドワーフ自治区の生産量を総動員させて、コーダたちの勢力に「戦争に必要な武器防具」を大量に売るための話し合いを詰めるためだ。
コーダは多忙のためベル村に頻繁に来られるわけではない。しかし荷受けに村を訪れたコーダの部下を通してベル村はコーダに親書を送った。
内容を要約すると以下のとおりである。
「格安で武器を提供したいので、それを他の客に売って大いに繁盛して欲しい。ベル村の窮状を救ってくれたお礼と思ってくれればいい。武器の需要はこれからさらに高まるものと思われる」
どこに売れ、とは明言していない。
しかし茜には確信があった。コーダはその武器を必ず黒竜王国に転売するはずだと。
案の定、こちらが申し出た取引を受諾する親書がコーダから届いた。買ってくれたということは転売するあてがあるのだ。
ドワーフ自治区の金銭的な利益自体は少ない。しかしみんなが食っていけるだけのラインは保っている。
武器を手にした黒竜王国がエルフ帝国相手に粘れば粘るほど、ドワーフ自治区は軍需景気で活性化するはずだ。なにせ多数の軍人が出入りし、駐留するのである。いくらエルフが鉄製の武器を好まないとしても、それ以外の消耗品は飛ぶように売れる。
ドワーフ自治区の民に兵役の義務はない。労役や兵役で労働力が持って行かれるのは、あくまでも税が払えなかったり犯罪を起こした際の懲罰的措置によるものだ。
茜の発案で自治区の村長会議が開かれた際、多くの村ではコーダに借金をして村人が滞納している税の支払いにあてた。労役に駆り出されていたドワーフの多くが村に戻り、生産をフル稼働させる体制が整った。
重ねて、ドワーフ自治区はエルフ帝国がどこかの国と戦争中であっても、無償で軍資を徴発されることはないという契約を結んでいる。
帝国軍がドワーフ自治区に駐留して物資を調達しようとするなら、ドワーフに金銭を支払って「買う」しかないし、自治区から兵を募りたいと思ったら賃金を払って「雇う」しかない。どちらにしても自治区には金銭収入が確実に入るのだ。
茜は心根が優しくヒューマニストではあるが、戦争自体に賛成や反対という意見を持っていない。やりたいやつは勝手にやりあって勝手に死ねばいいと思っている。
やりたくもないのに戦争にまき込まれて蹂躙される弱き者たちに対しての憐憫と同情、憤りは人一倍持っているが、今回は話が違う。
黒竜王国はエルフ帝国に対抗するための武器を「買った」のだから、やりあう意志があるということだ。
それならば茜はその状況を最大限に利用して、軍事力、暴力で身を立てることのできない、か弱くも愛すべきドワーフたちが「最も豊かになる方法、自分たちの権利と誇りを最大限に保てる方法」を全力で模索するだけである。
「次の村での話し合いも上手く行くといいわね」
ドガが御する小さな馬車に揺られながら茜が楽しそうに言う。
「俺には、アカネの考えてることがさっぱりわからねえよ……」
ドガはそう言いつつも茜の行動すべてに従い、補佐してきた。
次の村でも茜は目に涙を浮かべ、ドワーフたちの誇りを刺激する言葉をまくし立てるのだろう。
その言葉の熱量にあてられ、得体の知れぬ人間の女の言葉に多くのドワーフたちがなびいてしまうことになる未来が見える。
本当にこの女は魔女なのではないかと、ドガは思った。
同じ日、ドワーフ自治区と黒竜王国の境界線を多数の武装した龍族獣人が越えた。




