ザハ=ドラク編 復讐 09
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泣き疲れて眠ってしまった玲奈を楽な姿勢にして幕舎にとどめ、融はいったん外に出た。
手や胸元にまだ玲奈の肌の感触や体温の余韻が残っている。気分がざわついて寝られたものではない。
日本ではなかなか見ることのできない満天の星空を眺め、星座を探す。
しかしオリオン座や北斗七星と言った分かりやすい星座すら、一つも見つけることはできなかった。
「眠れぬのか、トール」
地べたに座り込んで星を眺めている融に、フラウが近寄って声をかける。
「ええまあ。フラウさんたちはなんで外に?」
後ろにはもちろんレムも付き従っている。
「使いに出していた者が帰って来るでな。それを出迎えるためじゃ」
フラウは就寝前に必ず探索の魔法「鷹の目」を行使し、周囲の状況を確認してから眠ることにしている。
いつもと同じく今夜もそれを行ったところ、情報収集のために各地に飛ばしていた部下の一人が近くまで戻っている気配を感じたのだ。
どうせ起きているのだから、遠出して戻ってきた部下をねぎらいたいと思い、外まで出て待っているのである。
フラウの手にはヒョウタンのような、植物で作られた飲み物の容器がある。中身は酒であろう。フラウが飲むわけではなく、帰ってきた部下に駆け付け三杯で与えるためのものだ。反対の手には小さなランタンを持っていた。
本当に部下思いでよく気が付く、いいリーダーだと融は思った。
しかしそんなフラウだからこそ、文字通り命を捨てる覚悟の部下が集まってしまうのだろう。
フラウたちがどのような修羅場に身を置いているのか、実際のところ融はよくわかっていない。
しかし先日、龍獣人がエルフ兵を殺したのを目の当たりにして、フラウたちもそうした命のやり取りに身を置いているのだろうということを実感した。
「困ったな」
融は誰に聞かせるでもなく呟いた。
自分の目的は茜を探し出し、家に連れて帰ることである。もちろん一緒にこの世界に飛ばされてきた玲奈のことも守りつつ。
しかし融はすでに、フラウやその仲間たちに感情移入してしまっている。一か月に満たない日数であるが、同じ幕舎で寝て同じメシを食った関係だ。
ここにいる、フラウをはじめとした好ましい「仲間たち」に、死んでほしくないと思っている。
融がなにか思案するような顔をして夜空を見上げている。
フラウはそれを見て、やはり探している妹のことが心配なのだろう、とおもんばかった。
コーダから預かっていた茜印の版画のことを思い出し、融に差し出す。
「これは……なんですかね。絵かな?」
フラウから渡されたランタンの灯りを用い、融はその絵がなんであるか、隅々まで確認する。どう見てもムンクのパクリである。
「ドワーフ自治区で、コーダどのが入手したらしい」
フラウ自身、この絵を融に見せるのはしばらく後回しにしたかった。
しかしそれでも融の顔を見ていると、教えないわけにはいかない気持ちになったのだ。
当然、絵の右下端に記されている「茜」という文字に融は気付いた。
厳密に言うと版画なので左右反転しているのだが、反転していてもそれほどつくりが変わらない漢字である。どこからどう見ても「茜」という見慣れた漢字であった。
「……妹の名前です。コーダさんはドワーフ自治区のどこでこれを?」
「この絵をコーダどのが手に入れたのはドワーフ自治区の西端、ベル村という場所じゃ。おぬしやブルルに先ごろ行ってもらったのはドワーフ自治区の東端じゃから、そこからさらに進まねばいかんの」
融は地図に描かれていた周辺の状況を思い出す。
今いる場所から徒歩でドワーフ自治区の東端まで三日以上はかかる。玲奈を連れて行くとしたらもっとかかるだろう。
ドワーフ自治区に無事に入れたとして、そこからさらに同じくらい、あるいはそれ以上の道のりでベル村に着くのだろうと融は想像した。合計で片道にして10日以上、15日未満というところだろうか。
「ドワーフ自治区はいまや帝国領じゃ。わらわたちは立ち入ることができぬ。おぬしとレナは大丈夫であるじゃろうがの」
旧ザハ=ドラクの民であるダークエルフやゴブリンは、帝国に支配されてからというもの移動の自由を認められていない。
金を払って手続きを踏めば移動できるドワーフたちと違い、ザハ=ドラクの旧領、今は帝国直轄地となった土地から出ること自体が許されていないのだ。
これはザハ=ドラクの旧民たちが外に逃げた勢力と結びつかないための政策である。フラウたちのように散り散りになった勢力が、帝国の支配を受けている同胞と連絡を取り合うのは非常に難しいのが現状だ。
そもそもフラウとその側近たちはお尋ね者なので、帝国領に入って見つかり次第捕縛される。捕まれば処刑である。そうならないために、コーダのような第三者の協力を得て活動している。もちろん、それでも不便なことは多い。
「玲奈ちゃんと二人で、その村まで行こうと思います」
自分と玲奈だけでこの右もわからぬ異世界の旅。なんとかなるのだろうか。
色々と思うところはある。しかし融は力強く言った。
「その絵がおぬしの妹の手によるものという確証はまだないのじゃろう? それでも行くのか」
「はい。俺も玲奈ちゃんも一刻も早く茜に会いたいと思っていますから」
「そうか。寂しくなるの。しかしわらわの方からいくつか条件、と言うか約束ごとを述べていいかの?」
「ええ、もちろん」
フラウが提示した条件は以下のものであった。
近日中にフラウたちは陣払いをして別の場所に拠点を構え直す。
その移動中にコーダと落ち合うので、そこで別れて融と玲奈はコーダと一緒にドワーフ自治区に入ること。
これなら獣人の隊商の一員として無事に帝国領、ドワーフ自治区内を移動できるからだ。
「次が肝心じゃ。おぬしとレナはコーダどのに拾われたということにするのじゃ。そしてわらわたちの存在をこれから先、どのような相手であれ教えてはならぬ。わらわたちも困るし、おぬしらの身にも災いが降りかかることになるからの」
「わかりました」
本当にわかっているのかわかっていないのか。
無表情がデフォルトの融の様子から、フラウはいまいちその機微を推し量れない。
しかし短い間の付き合いではあるが、融は一度決めたら必ずそうする男だ。ここを出て行ってベル村に向かうと言った以上、なにがなんでもそうするつもりだろう。
若干の不安と、自分でも気づかないくらいの名残惜しさはある。
それでもフラウは融たちを引き止めずに送り出すことを心に決めた。
「わらわたちが大望を果たして落ち着いた暁には賓客としておぬしたちを招くゆえ、ぜひとももう一人の妹を交えた3人で遊びに来るがよいぞ」
「ありがとうございます。恩は一生忘れません」
融は、その頃に自分たちはまだこの世界にいるのかどうかわからないので、遊びに行くと明言はしなかった。
「お、立ち話をしていたら待っていた者が来たようじゃ」
フラウの視線の先に一頭の馬。
馬上に二人のダークエルフが乗って、こちらに向けて猛然と駆けてきた。
フラウが差し出した酒を彼らは一口ずつだけグイと飲み下し、幾分か焦った表情で報告を始めた。
「ひ、姫さまに申しあげます! 国境沿いに黒竜王国の軍勢! 奴らは……ドワーフ自治区に攻め込むつもりのようです!」
「な、なんじゃと? なにをトチ狂って自分から喧嘩を売ったりするのじゃあのトカゲどもは!?」
まるで意味が分からない、という顔色で大口を開けるフラウ。
「加えて、ドワーフ自治区に査察と称して神聖エルフ帝国軍中将にして帝国第二皇子、フレットルが近々到着する模様です! 戦が始まったならばそのまま軍の指揮をフレットルが行うものと思われます!」
神聖エルフ帝国軍中将、第二皇子フルットルという人物の名を聞き、フラウの時間が一瞬だけ停止する。
「……フレットル、じゃと。やつが帝都からドワーフ自治区へ来るというのじゃな。あの忌まわしき『異種狩り皇子』が!!」
わなわなと震えながら呻くフラウ。
「は、はい。確かな情報です。我らがザハ=ドラクの地を蹂躙した戦の司令官、憎きフレットルめが……」
フラウの思考が急速回転する。
本来であれば、神聖エルフ帝国は新しく領土にくわえたザハ=ドラクとドワーフ自治区の治安や政治機構を安定させてから、じっくり準備や交渉をした末に黒竜王国に侵攻する、あるいは降伏を促す算段であったに違いない。フレットルの査察というのはドワーフ自治区の安定に関連した動きだろう。
しかしその準備が整わない間に、黒竜王国の方が先手を打って戦を仕掛けようとしている。
しかし、いくら先手を打ったとしても到底勝ち目のある戦ではない。
いたずらに戦費を消耗するだけならいざ知らず、帝国からの巻き返しを受けてザハ=ドラク同様に完膚なきまで叩きのめされるに決まっている。
「それでも黒竜王国から仕掛けたということは、本当に何らかの勢力から支援を受けている……?」
レムが融の顔を横目に見ながら呟いた。
会議の場で融がなんとなしに言ったことが、実際に行われているのではとレムも、フラウも考えたのだ。
黒竜王国は先制攻撃でドワーフ自治区を制圧した後、支援を受けながら防備に徹して戦を膠着状態にする。
そうしてエルフ帝国の東への侵攻を防ぐと同時に、自分たちに有利な状態で講和を結ぶつもりでは。
「今日はご苦労であった。おまえたち。明日からは忙しくなる。早く幕舎に入って休むがよい」
ここから先の話を融や報告に来た二人に聞かせまいとし、フラウは彼らを寝床に戻らせた。
そしてレムにこう告げた。
「別働隊に早馬を飛ばせ。トカゲどもが騒いでくれている間にドワーフ自治区に潜入し、フレットルを暗殺するよう指示を出すのじゃ。手持ちの弓矢や毒、火付けの資材は全て使ってしまって構わん、ここが大一番の勝負どころじゃとな」
フラウはここの陣とは別の場所に暗殺や破壊活動、諜報活動を専門とした部下たちを配備、育成している。
日々の過酷な訓練の傍らで各地、各勢力と連携を取って情報収集を行っている部隊であり、フラウとコーダに接触の機会を作ったのもこの部隊の功績だった。
そしてこの部隊を構成する人員にはある一つの共通点があった。皆、身寄りが全くいないのだ。
「……かしこまりました」
レムはフラウの心中を察し、余計な言葉を挟まずにただ受諾の意だけを口にした。
フラウ自身でも効果を期待していなかった暗殺予告の木札。
相手が皇帝ではなく皇子とは言え、こんな形で意味を持つとはフラウも考えていなかった。
仮にこの暗殺が成功せず未遂で終わったとしても、この一手は大きな意味を持つ。
外には黒竜王国という敵。そして内には正体のわからぬ暗殺者。
内外に病巣を抱えた帝国の指揮系統は乱れ支配力は確実に弱まる。
旧ザハ=ドラクの中でも帝国に反旗を翻す勢力が現れるかもしれない。
「……ここからじゃ。ここから、わらわの復讐は始まるのじゃ。フレットルの血でその門出を祝う杯を、高々とあげてくれようぞ」
フルットル暗殺は決死の仕事になる。別働隊のうち何割が生きて戻ることができるかわからない。達成できるかもわからない。もちろん、未達での全滅もありうる。
それらすべての可能性を考えつつ、フラウは指示を撤回しない。
家族を帝国に殺され、全く身寄りのないものを子飼いの特殊部隊としてフラウは育成し続けた。フラウの部下の中でも特に命知らずで、帝国を憎んでいて、そして何よりフラウへの忠誠心が最も高い集団だった。
死ねと言われれば真っ先に喜んで死ぬような者たちが集まっている。フラウから直々に、この作戦が勝負どころだと指示を受けたのだ。彼らは笑って誇り高く死んでいくに違いない。
「……う、うう。ぐうう。わらわに力が足りないばかりに、知恵が足りないばかりに、また同胞の血が流れるのじゃな」
嗚咽を漏らすフラウの顔を、レムはその豊かな胸に優しく抱いた。
「姫さまの敵は我らの敵でございます。ここにいる我ら全ての命が潰えようとも、姫さまが生きて故国を再興していただければよいのです」
自分の指示で死んでいくであろう仲間たちの顔を思い浮かべながら、夜空の下でフラウは涙を流し続けた。
次回で復讐編は終了です。
そのあとは茜パートに戻ります。




