第83話 勝利の余韻
嵐が去った後の海は、驚くほど静謐だった。
旗艦ヘルメスの飛行甲板。
かつて凄惨な着地痕を刻んだその場所に、カインとラズロは再び立っていた。
出迎えた兵士たちの視線は、もはや「得体の知れないサイボーグへの畏怖」ではなく、「奇跡を成し遂げた英雄への敬意」へと変わっている。
ブリッジ(艦橋)へ足を踏み入れると、そこには勝利の熱気に当てられた将校たちが待ち構えていた。
「まさか……本当にやり遂げるとはな! ゾディアック(十二宮)を、それも二人同時だと!?」
艦長の顔は、まるで極上のワインを煽ったかのように赤く火照っている。
アンダーソン艦隊司令が身振り手振り30倍くらいに話を着色しながらアリエスとスコーピオンの首の話をしているのだ。
軍人としての理性をかなぐり捨て、艦隊司令から話を聞いていた彼はその興奮を隠そうともしなかった。
その喧騒の中で、アンダーソン艦隊司令――フェリペ・J・アンダーソン少将が、重厚な通信コンソールを叩いた。
「ジュリアン・ヴァルテールUPL中尉。久しぶりだな。……ニューヨーク以来か?」
ホログラムディスプレイがノイズと共に展開され、UPLハワイ本部にいるジュリアン中尉の姿が浮かび上がる。
UPLの本部の場所だけは将官と言えども、誰も知らない。
「アンダーソン少将。ええ、その節はどうも。相変わらずお元気そうで何よりです」
画面越しでも伝わる中尉の氷のような冷徹さ。少将は不敵に笑い、自らの顎をさすった。
「相変わらずUPLの階級制度は分かりにくいな。中尉の身でありながら、実質的な権限は少将以上の君だ。……喜べ、君の部下たちがやってくれたよ。我が艦隊でシドニーまで送り届けよう。その後は輸送機で何処かに消えるんだろう?我が艦隊は修理を兼ねてシドニーに帰還するが、その時は私の奢りだ。覚悟しておけよ」
「……UPLの食欲と酒量は底なしですよ、少将。破産なさらないように」
「ハッハッハ! それは楽しみだ。私の幕僚たちも同席させてもらうぞ。……そして、マリアンヌ・ルフェーヴル曹長の件だ」
少将の言葉に、これまで魂の抜けたような顔をしていたラズロの肩がピクリと跳ねた。
「ヘリは撃墜された。だが、彼女は生きている。……もっとも、損傷は激しい。膵臓、腎臓、そして肝臓……主要な臓器を欠損したが、最新の義体パーツで補う手はずだ。現在は意識不明だが、いずれ目覚めるだろう。……さて、中尉。『エクスキューション・レポート』は、直接部下から報告を受けたいだろう?」
中尉の瞳が、わずかに細められた。
その反応は、彼にしては最大級の動揺と言えた。
「……マリアンヌを救っていただいたこと、心から感謝します。カイン、そこにいるな?スコーピオン(蠍)の状況を報告しろ。損害は与えられたか?……まさか……十二宮は出たのか?」
カインが一歩前に出る。
ホログラムの向こう側では、カメラの死角からドクトルFの白衣や、メイシーのポニーテール、ノエルの頭頂部がひょこひょこと見え隠れしていた。
本部の連中が、仕事も手につかずに画面の向こうで固唾を呑んでいるのが手に取るようにわかる。
「中尉、ゾディアック・レポートです」
カインの声は、いつになく低く、そして重かった。
「スコルピウス(蠍座)のアレハンドロ・ファン及びアリエス(牡羊座)のベルリオーズ・ヴォルシャニノフ両名の公的なエクスキューション(抹殺)を完了。まぁ……頭部パーツなら、オモチャ(研究材料)として保管してますが……今頃テキサス整備兵らに、隠し持った武器の類を外されて、廃油にでも漬け込まれてるでしょう。整備用生命維持装置は廃油缶の下から繋げたと、整備長が自慢してたよ。そして……こちら側の損害、マリアンヌ・ルフェーヴル曹長の重傷、及び機体の全損。以上です」
ラズロがボソリと付け足す。
「中尉……マリアンヌは……重傷だが生きてる……」
一瞬の静寂。そして。
「「「うわあああぁぁぁぁぁっ!!!」」」
ディスプレイの向こうから、鼓膜を突き破らんばかりの歓声が爆発した。
メイシーとノエルが抱き合って飛び跳ね、ドクトルは顔を覆って椅子に崩れ落ちている。
中尉だけが、彫刻のように動かない。
ただ、その凪いだ瞳には、かつてないほどの激しい情動が渦巻いていた。
少し上を向いている。
「……二体。二体だと……? ログを転送しろ。………………………………素晴らしい。カイン……ラズロ……よくやってくれた」
中尉は穏やかに話しているようだが、興奮しているという事は、中尉と言う人物を知る誰もが察していた。
それほどまでに、この勝利は「不可能」という概念を粉砕する奇跡だった。
「――中尉、それともう一つ、公式な報告があります」
カインが、チラリと隣のラズロを見た。
今のラズロは、マリアンヌの生存報告に脳がフリーズし、自分の吐いたプロポーズの重さに今更ながら戦慄し、もはや機能停止した「鋼鉄の文鎮」に成り下がっている。
「なんだ、カイン?」
「ラズロ・スタイン警部補が、戦闘中、マリアンヌ曹長に対し、艦隊全員が聞いている広域回線でプロポーズを。……曹長はそれを受諾。事実上の婚約状態にあります」
刹那、ラズロの回路がショートした。
「カイン! 貴様ぁ!!」
ガシャリと金属音を立て、ラズロがカインの襟首を掴み上げる。
全身が、怒りか羞恥か、凄まじい振動に襲われていた。
「……ラズロ。お前、マリアンヌに何を言ったか覚えてるんだろう? 全艦隊の兵士たちが証人だ。ちゃんと男として責任取れよ」
カインの冷ややかな、だがどこか楽しげな指摘に、ラズロは力なく手を離し、膝から崩れ落ちた。
「分かった……分かったさ……中尉、マリアンヌは……あいつは、俺の……俺の大事な人だ……カイン、お前、覚えてろよ! 次はお前の番だからな!!」
「「「えええええええええっ!!!」」」
通信の向こう側で、今度は複数の女性陣の驚愕と、何らかの期待が混じった絶叫が重なり、響いた。
ブリッジにいるアンダーソン少将と幕僚たちは、もはや堪えきれないといった様子で、肩を震わせてニヤニヤと笑っている。
中尉は深く、重いため息を一つ吐いた。
「ラズロ。……マリアンヌの人生を救ったこと、私からも感謝する。ジェシカへの想いは、そのままマリアンヌにぶつけろ。マリアンヌなら大丈夫だ。……蟠りを残さず、前に進め。祝福する。以上だ……それと、マリアンヌが目覚める前にその体を何とかしろ……アンダーソン少将……お願い出来ますか?」
アンダーソン少将が、動けないラズロの肩を力強く抱いた。
「済まないな。中尉。我が艦隊にMCSの配備は無いからな……施設もないんだ。私の責任においてシドニーの施設を優先して使わせるように手配しよう」
この日から二日の間、艦隊を上げての酒宴が行われた。
ラズロはその間の騒ぎを、ほとんど覚えていない。
酒の匂いと、将校たちの笑い声。
それらはすべて遠い世界の出来事のようだった。
ただ、去り際の少将の言葉だけが、ラズロの電脳に、確かな熱を持ってリフレインし続けていた。
「安心しろ、ラズロ。マリアンヌが目覚めた時、お前が真っ先にその手を握れるよう、私が取り計らってやる。……それが、英雄への報酬だ」
『カイン……聞いたか? 「次はあんたの番」だって。……ふふふ、楽しみね。ほのかかしら?メイシー?ノエルも美人よね』
アリアはワインを飲めてご機嫌だ。
アリアのアバターは、海軍の白で綺麗に統一されているが、本来はあり得ないはずの白いプリーツスカートを穿いていた。
そのスカート姿は、カインの電脳の隅をチリチリと焼き焦がす。
「海軍音楽隊のパレード衣装」か……。
『ねえねえ、どうするのよ?ラズロが色んな女の子をアンタに当てがおうとするわよ?アリア嫉妬しちゃうかも』
(……余計なことを言うな。俺は一生、頭の中の声と話す偏屈ジジイでいいと言ったはずだ)
カインは紫煙を燻らせながら、窓の外、シドニーへと続く水平線を見つめた。
明日にはニュースで、ネットで……ありとあらゆる媒体が熱狂するはずである。
「レッドスコルピオンの十二宮二体撃破。海軍第45ヘリ空母艦隊損害軽微」
鋼鉄の義体に流れるオイルが、心なしかいつもより温かかった。




