第74話 フォード反重力浮遊ファン・シティ
翌日、空に浮かぶ巨大な人工島「フォード反重力浮遊ファン・シティ」は、地上の重苦しい空気を一変させるほどの極彩色の光と喧騒に包まれていた。
今はハロウィン。
高度8000メートルの成層圏から降り注ぐのは、本物の雪ではなく、何万もの「パンプキンズ・ホログラム」だ。
空を舞うオレンジ色の光の粒が、カインの黒いロングコートの肩に触れては、電子の火花のように弾けて消えていく。
「カイン、見て! あれ、すっごく可愛い!」
網膜に直接響くアリアの声は、いつになく弾んでいた。
彼女が指し示した先では、巨大なカボチャの着ぐるみが子供たちに囲まれて揉みくちゃにされている。
内部AI機動ドローンがコミカルな動きで子供たちをわかせている。
(おいおい……カボチャなのに耳がクマだぞ。設計ミスか、それともただのパチモンか。あんなので喜ぶのは、あそこの小さい子たちくらいだろ)
『いいじゃない、夢があるんだから!パンクマ知らないの?カイン!ほら、あっちを見てよ。カップルだって並んでるわ。……あ、二組も。いいなぁ、楽しそう……』
アリアの視線に同期するように、カインの視界が自動でズームされる。
そこには楽しげな若い女性三人組がいた。
カインの電脳に内蔵された会話解析システムが、周囲の喧騒をカットして彼女たちの声を拾い上げる。
動かしているのはアリアの意思だ。
「ねえ、見て。あの人、絶対一人だよ。誘ってみない?カッコいいよー」
「やだ、かっこいいけど怖そう……でも、あの渋さ、彼氏になったらどうしよう!」
「ねぇ、もし、あの人が私と気が合ったら、今日は私、あの人と消えるわ」
「「はぁぁあ?!」」
『カイン、行くわよ! ぼーっとしてないで、あっち!』
アリアは、まるでカインの手を引くかのように、アバタで激しくジェスチャーをして、カインを急かす。
いくつかの楽しそうなブロックを素通りさせると、早足で人通りの多いメインストリートへと向かわせた。
『あぶないあぶない、あんな子たちに私の息子は渡せないわ……少なくともUPLの子達くらいじゃないと、ママ(アリア)許しません』
(おいおい……一体何のことだ……勘弁してくれ……)
言葉とは裏腹にカインの口角は上がっていた。
道中、カインの足を止めたのは、通路の脇に整然と並ぶ「カプセルマシン」の列だった。
『あ、M-カプセル! カイン、一回やってみてよ。何が出るかな』
(……幼い子用じゃないのか?)
毒づきながらも、カインは古びた金属に手を触れる。
カチ、カチという硬質な音共に、透明な球体が転がり落ちてきた。
中身は、ピアニストの女の子の精巧なミニチュアだ。
『……センサーでピアノ曲が500曲ランダム再生……ステキ!これなら満足よ。ありがとうカイン!』
(どこに置くつもりだ?)
『それは帰ってから夫婦会議よ……』
(ああ、初めての夫婦会議は「M-カプセルの景品をどこに置くかだな。空間火器管制システムをフルに使って計算するぞ)
『アハハハ。ちゃんとセンサーの感知位置計算するのよ、カイン』
(当然だ)
カインの正面には高さ2mのホログラム・パンクマがコミカルに踊り狂っている。
その近くにあったホログラムの看板が光る「ペットドローン・サロン」があった。
ショーウィンドウの中では、子犬や子猫を模した最新型の自律ドローンが、愛くるしい動作で尻尾を振っている。
「ねえ、見て。あの子、本物みたいに毛並みがフワフワ。……もし私が死ななかったら、こういうのを一緒に飼う未来もあったのかな」
アリアの不意に漏らした一言が、カインの胸を微かに締め付ける。
(ああ……UPLでは許されないだろうから……退役してからでもいいか?一緒に飼おう)
『あちゃあ……確かにあれ(ドローン・ペット)は諜報にはもってこいだからね……蠍を全部叩き潰し終わったら早期退役出来るよ。頑張ろうねカイン』
(ああ)
カインはウィンドウに映る自分の、無機質なはずの表情を眺めると、少し口角が上がっている自分に初めて気がついた。
カインは自らが見せるはずのなかったはずの笑顔を自覚すると、「悪くない……」と漏らし、再び歩き出した。
辿り着いたのは、手足の換装パーツ専門店「ゴッド・ハンド・ジョニー」。
店内には、アスリート用の高反発パーツから、繊細な職人仕事に向いた様々な民生用パーツが、整然とディスプレイされている。
油と消毒液、そして金属とシリコンの匂い。
アリアはある一角で、磁石に吸い寄せられるように足を止めさせた。
そこにあったのは、透き通るようなシリコンの人工皮膚を纏った「女性用演奏特化型換装擬態」。
ホログラムに展開されていた注意書きには、製品には生体皮膚パーツを別でお買い求めくださいと記載されていた。
ピアノの鍵盤を叩くために設計されたその指先は、今の戦闘用パーツとは比べ物にならないほど、しなやかで、脆く、そして美しい。
そして、ピアノを弾くためだけであれば、今の義手とは比べ物にならない繊細さを宿していた。
『今の……この鉄の塊みたいな戦闘用より、こっちの方が、ずっと私らしいと思わない?』
(……そうだな。お前には、それが似合っている。いつか、な)
カインがその指先に触れようとした時、背後から店員が揉み手で近づいてきた。
「お客様、お目が高い。お嬢様へのプレゼントでいらっしゃいますか? こちらのモデルは、神経接続の安定性の観点から、法令上23歳以上の方への換装に限られておりますが……」
店員の説明を遮るように、カインは静かに首を振った。
「いや……いいんだ。うちの娘には、まだ少し早いようだ……」
逃げるように店を出るカイン。
その胸の奥で、アリアがくすくすと笑いながら、けれど少しだけ切なそうに囁く。
『「うちの娘」にはまだ早い、ねぇ……。いつか私のために換装してくれるのかしら?』
(……アリア、次はあそこだ。並ぶぞ)
視界の隅に、アリアのアバターが鮮明に投影された。
今日の彼女のアバターは、戦闘も意識したいつもの服ではない。
落ち着いた薄いピンクのカーディガンに、ふわりと広がる花柄のスカート。
サイボーグという運命に翻弄される前、「音楽」を人生のすべてにしていた頃の、少女アリアのファッション。
いかついサングラスの男が一人、不釣り合いな「ソフトクリームワゴン」の列に並ぶ姿は、周囲の視線を否応なしに集める。
だが、若い女子達が向けるその視線は不審者へのそれではない。
「もしフリーなら、今すぐデートに誘いたい」という、女性たちの羨望と期待が混じった熱い眼差しだ。
しかし、鈍感なエクスキュショナーがそれに気づくはずもない。
(とんだ不審者になったものだ)
カインは自嘲するが、心はこの日のハワイの天気のように晴れやかだった。
(何フレーバーにするんだ、アリア?)
『ストライベリー! 絶対にストロベリーよ!』
ピンク色のソフトクリームに、瑞々しい果肉ソースがたっぷりとかかったそれを手に、カインは広場の円型ベンチに腰を下ろした。
一口、冷たい甘さが広がる。
(……悪くない。思ったより、良いものだ。俺はストロベリーと言うものが苦手だったんだ……なんか……俺らしく無いしな)
『でしょう? やっぱりデートはストロベリーなのよ! ……それにしても、まさか「感覚全共有」で味わうことになるなんてね。本当はさ、初めての彼氏ができたら「あ〜ん」って食べさせてあげたかったのになぁ……』
アバターのアリアはケタケタと笑い、ベンチの上で足をぶらつかせている。
その間、何度か女性に声をかけられたが、カインは「忙しい」と事務的な一言で、文字通り秒速で撃退していた。
『嘘でも良いから理由とか言ってあげれば良いのに……』
(無用だ)
『本当に……鉄壁ね、あなた……クスクス……そんな王子様を独占するのは、良い気分だわ』
ランチタイムを過ぎる頃には、カインの両手には高級な紙袋がいくつも下げられていた。
すべてアリアが選んだ、カインのための服だ。
仕立ての良いチョッキ、艶のある革のベルト、そして頑丈なブーツ。
自分を飾る術を持たない男を、彼女は楽しそうに、そして徹底的にプロデュースしていく。
(わかった。じゃあ、少し歩くぞ。ポーターボックスにこれを預けてからだ)
カインがポーターボックスに大量の紙袋を入れる。
アリアが選んだ渾身の服は、指定した時間までにカインのSUVのトランクに綺麗に積まれているはずだった。
人混みを抜け、案内板に記された「日本エリア」へと向かう。
そこは、ハワイの真っ青な海が一望できる高台でありながら、朱塗りの鳥居や重厚な瓦屋根の木造建築が乱立する、どこか現実離れした不思議な空間だった。
『このエリア、去年できたばかりなのよ! 街並みは古き良き「江戸」を再現してるんですって。ステキよね、カイン!』
アリアの弾んだ声に導かれるように歩みを進めると、一軒の店の前で足が止まった。
鶏・統一国家。
風に揺れる古びた看板の先からは、焦げた醤油の香ばしさと、長年継ぎ足されてきたであろう秘伝のタレが熱に焼ける、暴力的なまでに食欲をそそる匂いが漂っていた。
(日本エリアの『ヤキトリ』だ。ここなら、キンキンに冷えた大ジョッキでビールが出てくる)
『ヤキトリ? 私、そんなの初めてよ……。でも、チョップ・シシに似てるわね……口に合うか分からないけど、まぁいいわ。試してあげる!』
アリアは少しだけ背伸びをした口調でそう言った。
三十分後。
(……おいおい、アリア。まだ食べるのか?)
カインは、目の前の光景に呆れを通り越して戦慄していた。
もちろん食べるのはカインの体だ。
『もちろんよ! あともう少し。すいませーん、店員さん! ビールおかわり、次は黒ビールで! あと「串お任せ5本セット」、タレと塩を混ぜてお願いしまーす!』
(オーケー、分かった。お前の声は聞こえないだろう……)
カインはアリアの心の声を復唱して注文する。
「にいちゃん!良い食べっぷりだな!嬉しくなるぜ。ねぎまもサービスしとくからよ、食べてくれ、」
「ああ、もう……食べ終わりたいんだがな……。俺の脳内はヤキトリの味の虜になったらしい。俺の脳内が勝手に注文を続けるんだ」
「ガッハッハッハ!嬉しいこと言ってくれるな」
店主は上機嫌でヤキトリをカインの前に差し出した。
カインが手に取った「ねぎま」の串からは、鶏肉の表面に浮き出た黄金色の脂が、今にも滴り落ちそうに震えている。
歯を立てれば、備長炭の強火力で一気に閉じ込められた肉汁が口内へと解き放たれ、濃厚な旨味を内包した液体と共に、焦げた醤油の香ばしさが鼻腔を突き抜ける。
追いかけるように、シャキシャキとしたネギの甘みが、濃厚なタレの旨味を完璧に引き立てていた。
(……この「つくね」は侮れん。棒状のハンバーグと侮ったが別物だ。軟骨のコリコリとした食感が、粗挽きの身と絶妙に絡んでいる)
『でしょう!? さっき食べた塩レバー……口の中でとろけるほど濃厚で、まるでフォアグラのムースみたいじゃない。余韻が深くて良いわぁ……。そこに、この苦味の効いた黒ビールを流し込む……ふぅ、最高! 生きてるって感じがするわ!』
アリアは、いつの間にか着替えた浴衣のアバター姿でジョッキを高く掲げ、満面の笑みで「仮想の喉」を鳴らしている。
彼女の「美味しい!」という純粋な興奮は、感覚共有システムを通じてカインの血流を加速させ、満たされていたはずの胃袋を強引にリセットしていった。
(……やれやれ。感覚共有ってやつは、腹の減り具合まで同期させるのか)
『ふふふ……当然じゃない! そんじょそこらの夫婦や恋人じゃ、私たちの愛(感覚共有)には絶対に勝てないわね。だって、心も体も、味覚さえ一つなんだもの!』
(……勘弁してくれ。気恥ずかしいことを大声で(脳内で)叫ぶな)
『あら、そう言う割には、さっきから顔が笑ってるわよ、カイン?』
アリアの指摘に、カインはジョッキを口に運ぶ手を止めた。
(……くっ。バカな……無意識だった。これでは端から見れば、いかつい男が一人でニヤニヤしながらヤキトリを貪っていると言うことか……)
『いいじゃない、幸せな不審者で! ほら、次は「カワ」が来るわよ。集中して!』
カインは居心地が悪そうに視線を逸らしたが、アリアから流れ込んでくる幸福感は、彼の冷徹な自制心を溶かしていった。
次の一皿。
香ばしく焼き上げられた鶏皮のパリパリとした食感には、炭火の香りが上品に纏わりつく。
ピリリと効いた薬味の七味唐辛子。
そして、喉を焼くような冷たさで流し込まれる黒い麦芽の芳醇な香り。
(……やれやれ。これでは「俺の胃袋」の方が、先に悲鳴を上げそうだ)
カインは心の中で苦笑しながら、山のように積み上がった串の山に、新たな一本を付け加えた。
黒ビールの深いコクが、焼きたての鶏肉の脂を鮮やかに洗い流し、また次の一口を強烈に求めてくる。
日が傾き、ファン・シティ全体が夕焼けのオレンジから夜の紫へと溶け始める頃、二人は「ネイチャーワイルドエリア」へと足を踏み入れた。
『もうダメ、完全にスイッチ入っちゃった。お腹はいっぱいだけど飲み足りないわよね?カイン。今日はとことん飲むわよ。デートなんだから!』
「ははは、好きにしろアリア。今日はデートだ、お前の望む通りにな」
不意に声を出して肉声を発したカイン。
カインが声を立てて笑った瞬間、アバターのアリアが目を見開いて固まった。
『……驚いた。アンタ、そんな素敵な笑顔で、そんな優しい声で笑えるのね。もっとやってよ、それ!』
「……ダメだ。一日に何度もやるもんじゃない」
人気のまばらな、見晴らしの良い丸太に腰を下ろす。
カインはあえてホログラムディスプレイを手動で操作した。
パチパチとはぜる音と共に、焚き火が投影される。
『ちょっと、注文は私にやらせて!』
アリアが指の制御を奪う。
カインはそれを微笑ましく眺めていたが、注文リストを見て絶句した。
(……黒ビールの追加に、白ワインのフルボトル? 焚き火焼きの魚まで……。さっきのヤキトリはどこに消えたんだ?)
『何言ってるの、もう夕食の時間よ? 18時4分。完璧なタイミングじゃない』
数分後、四足ドローンが冷えた酒と生魚を運んできた。
カインは静かに杯を掲げる。
魚串は、焚き火の横に突き刺した。
「乾杯だ、アリア」
『……何に乾杯するの?』
(……俺たちの結婚には、どうだ?)
アリアの声が、一瞬途切れた。アバターが霧散して消える。
再構成。
『……嬉しい。嬉しいよ、カイン。でもね、私はもう……』
(Noだアリア。『でも』は無しだ。もう聞き飽きた)
音もなく近づいてきたのは、別の四足歩行ドローンだった。
その背には、周囲の喧騒を拒絶するかのような、深い漆黒のベルベットに包まれた小さな箱が載っている。
カインは大きな手でドローンの個人認証をパスすると、その箱を拾い上げ、中から鈍い光を放つ「高純度ブラックダイヤモンド」の指輪を取り出した。
『何にも染まらない、あなただけのもの』
そんな言葉を冠されたその石は、あまりの希少さと高価ゆえに、通常の宝飾店に並ぶことはまずない。
六十年前に金星の深部から発掘された未知の元素「プロテタイト」を含むそのダイヤモンドは、有害な放射線こそ持たないものの、極めて特殊な物理性質を秘めていた。
それは太陽の陽光を冷酷に跳ね返し、ただ静謐な「月光」にのみ反応して、その奥底から淡く神秘的な黒い発光――「ブラック・ルミネッセンス現象」を発現させる。
さらに、この石が真価を発揮するのは、特定のエネルギー干渉を受けた時だ。
陽電子レーザーを照射すると、内部のプロテタイト結晶が瞬時に励起し、光子を極限まで強力に収束させる特性を持つ。
高出力兵器の収束レンズとして軍が目をつけたその希少鉱石は、限定された少量のみが『最高級の宝飾品』として販売を許されている。
それはカインが、アリアと一生を歩むと決意した故の、『もはや不要になった将来への蓄えの全て』であった。
(……アリア、死ぬまで……死んでも一緒にいて欲しい。お前が消えたら俺は死ぬ)
カインは迷うことなく、自分の左手の薬指にその指輪を滑り込ませた。
指に伝わる硬質な冷たさは、かつて金属を身につけると言う無機質な感触を嫌っていたはずの彼にとって、今や唯一無二の「絆」の重みとして刻まれた。
『何で……何でこんなことするの……? 共有してるのに。わざわざ指輪なんて……』
(……俺は、こんな恥ずかしい言葉を人生で二度も言う自信はないんだ。返事はくれないのか?)
『……嬉しいよ……ありがとう、カイン。……イエスよ。でも、これでもう決定ね。あんたの人生は、一生『頭の中の変なAIと会話する、頑固なジジイ』に決定なんだから……可哀想なジジイね』
(ああ……俺には、その人生が最高だ。可哀想なジジイになるのが楽しみだ……)
夜空には人工ではない、本物の月と星が輝いていた。
その光は、歪で、報われないはずの、けれど世界で一番美しい二人の愛を、静かに祝福していた。
その頃。
ラズロ・スタインは、場末のバーで一人、琥珀色のグラスを傾けていた。
「カインの野郎……」
数日前、カインから届いた電脳通信を思い出し、ラズロは自嘲気味に笑った。
『指輪を用意しろ。サプライズコースで、人間スタッフ抜きでスタンバイ。場所はここだ』
「……あいつ、あの場所で、アリアの魂の前で自分に指輪をはめたのか。……いつまで死者を追うつもりだ、カイン……。いや、俺も同じか」
ラズロは自分の左手を見つめる。そこにあるはずのジェシカの温もりはもうない。
「中尉……。あんたが集めてる牙は、みんな亡霊だ。亡霊を追ってる、亡霊そのものだ。俺も……カインだってそうだ……次の恋でもできりゃいいんだがな。なぁ、そうだろう、ジェシカ?」
ラズロは空のグラスを見つめ、静かに呟いた。
「死者は、残された者の不幸なんて望んじゃいない。理屈では……分かってるんだがな。俺には無理かもしれん…………。マスター、同じブランデーを頼む」




