第120話 地下施設
2490年ロールアウトモデル、超音速強襲輸送機『フレスベルグ』。
その双発の「陽電子補完型ラムジェットエンジン」は、大気中の粒子を陽電子崩壊のエネルギーで強制燃焼させ、圧倒的な加速と減速機動を見せつける。
機体表面には、レーダー波を完全に減衰させる特殊電磁吸収タイルが隙間なく敷き詰められており、所属を示す紋章や識別番号の類は一切刻まれていない。
ただ、月明かりすら飲み込む闇よりも深い「虚無の黒」を纏ったその機体は、そこに存在するだけで周囲の空間を圧迫し、これから訪れる凄惨な死を予感させる巨大な死神の鎌のようだった。
アイルランド上空。
高度12,000メートル。
成層圏に近いこの空域は、生身の人間であれば数秒で意識を失い、血液が沸騰し肺が凍りつく絶対的な死の世界である。
後部ハッチが音もなく開くと、鼓膜を破るような轟音と共に、マイナス50度の極寒の暴風が機内へと雪崩れ込んだ。
しかし、ハッチの縁に立つ二つの影に、恐怖や躊躇いの色は一切ない。
「いつ飛んでも、このくらいの高度は最高だぜ!」
ラズロは、酸素マスクもパラシュートなどの降下具も一切身につけず、黒い特殊部隊装備で機体から暗黒の空へと身を投げ出した。
「いきますだぜ。相棒!」
それに続くのは、幾重にも重なる真っ白なレースと黒を基調とした、華美なゴシックロリータドレスを纏ったミリアである。
彼女もまた、一切の降下装備を持たず、ふわりと優雅に夜空へと躍り出た。
重力に引かれ、二人のサイボーグは音速に近い速度で漆黒の夜空を落下していく。
生身の人間ならば恐怖で発狂しかねないフリーフォール。
だが、ラズロとミリアにとっては、スカイダイビングのアクティビティのように、全身を叩きつける風の暴力をただ楽しんでいた。
ミリアの衣服に仕込まれた特殊繊維と恐ろしく重いスカートが空気抵抗を最適化し、強風の中でもフリルが千切れることはない。
通信は、傍受を避けるためにフレスベルグとのリンクを切り、二人の間だけの近距離秘匿通信へとシームレスに切り替わる。
そこに、ノエルからの司令部秘匿回線が割り込んできた。
『――テュポン(ノエル)から各員。降下軌道クリア。……高度残り3000よ』
『了解したぜ、テュポン。もうすぐだな。施設から1km離れた山中に突き刺さるぞ』
ラズロが、ゴーグル越しに眼下に迫る黒い山影を睨み据える。
隣を降下するミリアの姿を横目で見ると、彼女のホログラムパニエとドレスが、夜の闇に溶け込むように不可視の迷彩波長を放っていた。
(……しかし、こんなフリフリの服を着た銀髪の少女が降ってくるなんて、蠍の最新レーダーだって『敵の強襲部隊』だと認識できるわけがねえよな……なんだと思われる?姫?)
ミリアの徹底した(しかし本人にとっては純粋な)戦闘用ロリータ服の異様さを思い、ラズロは落下する風圧の中で思わずクスリと笑みをこぼした。
高度1000。
ラズロとミリアは空中で姿勢を制御し、降下目標である、特に立ち枯れた木々の密度が高い地域――森林限界ギリギリの山のパラモ帯へと照準を合わせた。
ズガァァァァァァンッ!!
けたたましい破壊音が深夜の山中に木霊した。
地面にそのまま埋まり込み、クレーターを作りかねないほどの終端速度。
しかし、二人は着地のコンマ数秒前、脚部から腰、脊椎に至る全身の強化骨格と人工筋肉のダンパーを限界まで駆動させた。
衝撃吸収のためにクッション代わりに使われた数本の大木が、無残にも縦に真っ二つに引き裂かれ、木っ端微塵になって吹き飛ぶ。
もうもうと土煙と木屑が舞い散る中、ラズロは膝を深く曲げた姿勢からゆっくりと立ち上がり、ミリアはパラシュートの代わりに使った電磁シールドの余波を散らしながら、ふわりとつま先で大地に降り立った。
『さあ、二人とも着地を確認したわ。……作戦開始よ。エントランスと思われる鋼鉄の扉までは、現在地から約一キロ。気をつけてね』
ノエルの冷静な声が電脳に響く。
『相棒……こっちに良いのがあります。だぜ』
ミリアが、引き裂かれた大木の根元、岩肌に巧妙にカモフラージュされた巨大な人工物を指差した。
それは、周囲の地熱と偽装して熱を逃がしている、頑強なフィルターに守られた巨大な排気ダクトだった。
これだけ大掛かりな地下施設である。
いくつもの通気口が必要であることは間違いない。
『テュポン、ダクトを発見した。正面エントランスなんて御免だ。俺たちはここから行くぜ』
『了解したわ。……ただし、施設内の構造透過は、外からのスキャンでは不可能よ。通信も、深く潜ればどこまで持つか分からないわ……十分、警戒してちょうだい』
『了解だ』
ラズロが短く返事をする横で、ミリアが排気ダクトの頑丈なセラミック化ステンレス合金製フィルターの前に立った。
彼女が左手の甲をスッと突き出すと、生体皮膚が音もなく割け、4mm径の形成口が露わになる。
――キンッ!
甲高い、空間そのものを切り裂くような高音が響き、約1メートルの陽電子レーザーサーベル――『オメメン(オメガ・メナス)』が一瞬だけ展開された。
触れた物質の分子を対消滅させるその青白い光の刃は、分厚いダクトのフィルターを、まるで熱したナイフでバターを切るように、いとも容易く四角く切り裂いた。
「お邪魔します」
ミリアはバサバサとスカートを慌ただしく揺らしながら、切り抜いた穴からするりとダクトの暗闇の中へ潜り込んでいく。
ラズロもそれに続いた。
ラズロは、ミリアが切り落とした分厚いフィルターの金属板を、器用に拾い上げて元の位置へと適当に嵌め込み、外からの偽装を戻しておく。
暗く、カビとオイルの匂いがする長いダクトの中を這って進む。
普通に考えれば、スカートを履いたミリアの後ろをラズロが這い進むという状況は、倫理的にも物理的にも非常に気まずく、おかしな構図である。
だが、ミリアが先陣を切ってオメメンで障害物を排除していく以上、この隊列になるのは仕方がないことだった。
そして何より、ミリアのスカートの中は、カールとドクターFが組み込んだ『戦闘用ホログラムパニエ』によって、鉄壁の光学迷彩ガードが展開されている。
どんな角度から見上げようとも、真っ暗な空間と可愛らしいフリルの残像が広がるだけで、神の眼を持ってしてもその絶対領域を暴くことはできないであろう。
長いダクトを数百メートルほど下り続けた先。
再びミリアの左手から『キン!』とオメメンが展開され、床面のダクトの鉄板が綺麗に円形に切り取られた。
切り取られた鉄板と一緒に、二人は真下の空間へと音もなく、優雅に着地する。
『ここは……薬品庫か?』
ラズロが暗視センサーで周囲を見渡す。
無機質な白い壁に囲まれた空間には、見たこともない化学式が印字されたタンクや、大量の薬品箱が整然と積まれていた。
『そうだぜ相棒。薬品の管理用タグがあるけど、ネットワークには繋がってないみたい』
『テュポン……聞こえるか? 内部に侵入した』
『(ザザ)……聞こえるわ……偵察ドローンを中継させながら、バックアップを続けるわ。でも、ここは敵の心臓部よ……これが見つかれば、一気にアラートが鳴り響くわ。……どうする? ラズロ』
通信越しのノエルの声には、いつになく強い緊張が混じっていた。
『そうだな……偵察ドローンの中継は却下だ』
ラズロは即座に決断した。
『なら……ナノマシン・通信中継システムを空調に散布して使う?』
『いや、あれもやめとこうぜ。こんなヤバい施設だ……微小なナノマシンセンサーの異常すら検知する防諜網くらい、平気で敷いてあるだろうからな。アナログで行く』
『……分かったわ。通信が途絶えるかもしれないけど、無理はしないでね。気をつけて、ラズロ、ミリア』
『ああ……行ってくるぜ』
通信を切り、扉の隙間から外の通路を伺う。
白く清潔な、いかにも研究所といった感じの通路を、自律型の警備ドローンが低い駆動音を立てて巡回しているのが見えた。
『あれを派手に破壊したら、マズイだろうな』
『そうですね。すぐに警備レベルが上がり、アラートが鳴って、少し手間がかかることになります。だぜ』
ミリアが冷静に分析する。
ラズロの口角がニヤリと上がった。
『相棒? どうする?』
『まあ、見ていろ……あのタイプのドローンは、知ってんだよ。裏社会のヤクの工場でよく見る、量産型の安上がりなタイプだ……供給源は蠍だったか』
言うが早いか、ラズロは音もなく薬品庫から滑り出た。
警備ドローンのセンサーの死角――わずか0.5秒の隙を縫って背後へと肉薄し、ハデス・クロウの鉤爪でドローンの『ゴムキャタピラ』のゴムクローラー本体だけを瞬時に、かつ精密に切断する。
そしてドローンが振り向くよりも早く、風のように薬品庫へと戻ってきた。
ウィィィン……ガリガリガリ……。
キャタピラを切断された警備ドローンは、その場で空回りするだけで前進できなくなり、エラー音を吐き出し始めた。
数分後。
通路の奥から一回り大きめの回収用ドローンが現れ、動けなくなった警備ドローンをアームで掴んで、そのまま奥へと回収していった。アラートは鳴らない。
『行くぞミリア。……あのルートの補充はいずれ来る。だが、あの「故障個体」が修理センターに運ばれ、システム上でストックに加算されてから、次の機体が配置される仕様なんだ。完全な破壊じゃないから、システムは「ただの部品の劣化」としか認識しねぇ。……まだしばらくは、この通路に警備は来ないぜ』
『なるほど……完全にシステムの裏を突いたわけですね。さすがです、だぜ。相棒』
ミリアが感嘆の声を上げる。
黒装束のタクティカル・ウェアを着たラズロと、フリフリのロリータファッションのミリア。
見た目は恐ろしく不釣り合いな二人だが、その無駄のない足運びと互いの死角をカバーし合う動きは、まさに世界最高峰の特殊部隊そのものであった。
白い通路を警戒しながら進む。
不意に、先行していたラズロがピタリと動きを止めた。
完全に電脳で情報を共有しているミリアも、ラズロと0.001秒のタイムラグすらなく、彫像のように動きを止める。
即座に背中合わせになり、後方と前方を警戒する。
彼らが差し掛かったのは、巨大な縦穴を渡る空中通路だった。
その奈落のような空間の空中に、複数の戦闘用ドローンがフワフワと浮遊しているのが見える。
ラズロの網膜に、スキャンデータが滝のように流れた。
(スキャン……機体不明。だが、外装からの戦力予測は容易だ……7.92mm弾を40から60発内蔵したMG73機関銃を二挺装備。下部に8mmロケット弾を一発マウントしてるな)
(対サイボーグ兵器はこのロケット弾だけだな……ミリア。……近くに敵兵、あるいは増援を呼ぶ親機はいるか?)
(ドローンが数機浮遊しているだけです。推定データですが、音響系センサーは搭載されていません。通信も独立しています。だぜ、相棒)
(いいぜ。説明する必要が無くて助かる。まどろっこしい隠密はここで終わりだ。敵が湧いて出るなら、鳴られる前に総攻撃で沈めれば良いだけだ)
ラズロは左腰のホルスターから、愛用の拳銃を引き抜いた。
コルト・ニューヨーカー M247 "ピースメイカー・リバイバル" オートマチックピストル。
強烈な反動を生むACHR(対サイボーグ重量弾)を八発も飲み込む、ナマモノ(生身の人間)には両手でも扱えない鋼鉄の化け物である。
ラズロが通路から身を乗り出し、空中のドローンへと狙いを定める。
一射一殺。
ガン! ガン! ガン! ガン!
耳を劈く凄まじい轟音が連続して鳴り響いた。
重力と運動エネルギーの塊である重量弾が、ドローンの装甲を紙屑のようにぶち抜き、内蔵ジェネレーターを粉砕していく。
同時に、ミリアの腰から展開されたHSA-2487-Ac『シャイニング・ファルコン』も火を噴いた。
彼女の華奢な腕が、電磁加速された反動をパワーフレームで完璧に殺し、的確に空中のドローンのローターとカメラを撃ち抜いていく。
ガン!ガン!ガン!ガン!
二人が放つ規格外(バケモノ拳銃)による二重奏。
破壊されたドローンたちは、アラートの信号を発する暇すら与えられず、黒煙を吹きながら空中通路の眼下に広がる底の見えない縦穴へと、次々と落下していった。
(破壊センサーによる増援は?)
(多分ありません。だぜ)
ミリアが銃身の熱を逃がしながら電脳で答える。
ラズロは空中通路から下を覗き込んだ。
(深さ……14,000メートルか。底には液体が満たされているようだな。……揮発性は無し、引火の危険はねえ)
(相棒。あそこを見てください)
ミリアが指差した先。
巨大な縦穴の中央に、島のようにそびえ立つ太い柱があった。そこにエレベーターが設置されており、通路は『Y』の字に別れて柱へと接続されている。
(真ん中の島みたいな柱にエレベーターがあります。そしてYの字に道が分かれているわよ。……どうしますか? だぜ)
(エレベーターを調べてみよう。『ゾディアック換装』なんてヤバい仕事は、セキュリティが最も厳重な最深部でしかやらねぇはずだ)
二人は素早く空中通路を駆け抜け、中央の柱状のエリアへと到達した。
ラズロが後方と通路の警戒にあたり、ミリアがエレベーターホールを調べる。
その大黒柱のような構造物は、そのまま地下の最深部へと続く巨大なエレベーターシャフトになっていた。
しかし、エレベーターの操作盤は完全に沈黙している。
(ミリア、ここのエレベーターはくせぇぞ。……物理的なロックどころか、そもそも通電すらしていねぇ。動力を完全に外部から遮断してやがる。セキュリティも高度な生体認証だ。ちょっと偉そうな奴を、この近くのエリアから拉致して引き摺ってくるか?)
ラズロが物騒な提案をするが、ミリアは小さく首を横に振った。
(相棒、時間はかけられません。私に任せてよ。だぜ)
ミリアはそう言うと、エレベーターホールの分厚い鋼鉄の扉の前に、ちょこんと可愛らしく立つ。
――キンッ! キンッ!
鼓膜を刺すような極めて高い音が二度響いた。
ミリアの左手から展開された『オメメン』が、物理法則を無視した切断力で、防爆仕様のエレベーターの扉と、その奥の床面を『×』の字に容易く切り裂いたのだ。
分厚い装甲板が重力を失って落下し、そこには地下シャフトへと続く真っ黒な空洞がぽっかりと口を開けていた。
「おいおい、最高だぜミリア! どんなセキュリティも物理破壊には勝てねえな!」
ラズロが、あまりの鮮やかな手口に笑い声を上げる。
「オレが先に行こう。上からのカバーを頼むぜ」
「がってんだぜ、相棒!」
ミリアがフリルをふわりと揺らして、力強く頷いた。
いよいよ、神々が再生を待つ奈落の底へ。
UPLの死神たち……姫と戦士の容赦のない降下が始まる。




