38.母ちゃんの小説 第19話
「あ…うぐっ」
突然、翔が声にならない音を喉から発した。
「翔、どうした」
遙の問いに答えず、少年は椅子から転げ落ちると床の上で体を二つ折りにしてもがいている。
「しっかりしろ」
遙は翔に駆け寄った。
地面に伏した少年を抱きかかえる青年。それはまるでギリシャの古代レスリングを模した一体の彫像のようでもあった。
今夜、もし「ブラディ・ファッカーズ」が真紅のカマロを襲撃しなかったら彼らは永遠に会うことなく、またこうして一緒に部屋にいることはなかったはずである。数時間前まで敵同士だった二人は腹部に湧き上がる奇妙な満腹感を共有していた。
(息をしていない。食い物を喉に詰めたな)
遙の目が光を増した。
彼は少年の腰を抱えると大きく上下に揺すり始めた。
「どぅりゃぁ〜、この、クソがぁあああ〜っ!」
「う、…ううん…うごっ」
翔は全身を小きざみに痙攣させている。
「ちくしょう、出せ、出しやがれっ!」
もはや膝を立てる力もなく遙に抱えられて少年は激しく振り回されていた。
やがて。背後の気配が一瞬静かになったとき、翔の口から何かが飛び出し、放物線を描いて部屋の隅へ転がっていった。
「馬鹿だな。スタッフィング(詰め物)を喉に詰めるなんて。それで窒息したら洒落にならない」
遙が息を整えるころには翔はがっくりとうなだれ気を失っていた。
遙は動かなくなった少年の体をベッドに仰向けに寝かせるとその端に腰を下ろした。苦笑ともつかぬ低い笑いがその喉から漏れた。
「——ふ。一族のツラ汚し、呪われた血か。…違いない」
手探りでタバコを取り出すと火を点けた。一条の煙が闇の中に白く漂う。
「だがな。こうでもしなきゃ俺たちの家は絶えてたはずなんだ」
天井に向けて大きく息を吐いた。
手を握るだけで相手を言いなりにでき、男女年齢を問わずベッドに誘い込むーーそれが島邑の傍系に当たる影島家の者だけが持つ特殊な能力だった。
幼いころ事故で両親を失った遙が今までこうして何不自由のない生活をしているのも、彼がこの能力をフルに活用してきたためであった。
彼によって破滅に追い込まれた人間は数知れない。
金茶の髪先が僅かな光を受けてきらきらと輝いていた。
百年余に渡って繰り返された限られた家族間の婚姻による変異である。
しかしこの特異な血を持つこの家も今は彼一人を残すのみとなっていた。
「う…あ」
翔が小さく声を上げ、目を開けた。
「あ、遙。ボク、どうしてたの。何だか気が遠くなっちゃって」
弱々しくつぶやくと体をもぞもぞと動かした。さっき揺すられた腰が痛むのか、微かに眉をしかめ大きく息をつく。
遙はその肩に腕をまわし、静かに抱きしめた。
「痛むのか」
「ううん、大丈夫。食べ物、喉に詰めたの初めてだったから、ちょっと怖かっただけ」
翔ははにかんだ笑顔を見せた。不良少年の荒々しさは完全に影をひそめている。こうして見ると、優しげな顔だちといい、たおやかな体つきといい、少女と錯覚させそうなくらいである。
この急激な変貌は遙にも予想外だった。ほんの遊びのつもりで群れからさらってきたが、翌日には駐車場でノビている暴走族のもとへ戻してやるつもりでいた。もちろん手を付けるのは忘れないが。
だが。今、目の前でしおらしくしている美少年は乱暴者の群れに戻すにはあまりに絶品すぎた。
遙は翔の唇を吸った。
白い肌がほんのり桜色に染まる。
今や翔の体は遙の動き全てに合わせて反応するよう遺伝子レベルから組み換えられてしまっているようだった。
「ねぇ…遙」
少年は男の耳に唇を寄せてささやいた。
「ボクのことどう思うーー好き、なの」
遙は翔の肩の線を撫でた。
「ああ。気に入ってるよ。何から何まで」
「じゃあ、ボクをあんたの子分にしてよ。何でも言うことを聞くから」
「子分になってどうするつもりだ」
翔はにっこりした。
「あんたの世話をするよ。ごはん作ったり部屋の掃除したり。こう見えても料理はいつもやってるから、本格的なものだって作れるんだ。さっきの七面鳥のローストだって美味しかったでしょ」
「世話って。住み込みでか」
「あんたがいいって言うなら」
「でも、お前、高校生だろ」
「うん、一応」
「じゃあ学校はどうするんだ。それに家だってあるんだろ」
「あんたが行けって言うんなら毎日行くよ。家はーー別にオレが帰らなくても心配しないからいいんだ」
少年はすねたような顔をした。
「おやじもおふくろも仕事仕事でちっとも家のことは気にしない。食事もみんなバラバラだし。オレが「ブラディ・ファッカーズ」に入っても何も言わなかった」
遙はタバコの煙を少年から顔をそむけて吐き出した。
「だけど、それでもお前の肉親には違いないだろ。あまり悪く言うもんじゃない」
「でも」
遙はタバコを床に落とし、裸足でもみ消した。
「俺は子分なんて要らない。俺は子分を連れ歩くほどたいそうなことはしてないからな。お前は家に帰ってちゃんと学校へ行くんだ」
「じゃあオレとはもう会ってくれないの」
翔は遙の胸に頬を押しあてた。
「いやだそんなの」
遙は少年の頬を手で覆い、ひんやりした耳たぶを撫でた。
「週末があるだろ。月曜から金曜は真面目な高校生をしてるんだ。そして週末になったら、おもいっきりおめかしして俺に会いに来い。そしたらどこでも連れてってやるし、何でも買ってやる。それに腰が抜けるほど可愛がってやるよ」
「週末…。週末なら本当に会ってくれるの」
「ああ。俺のマンションか事務所に電話を入れてくれればいつでも迎えに来てやるよ。——あの、ド派手なひでぇ車で」
翔は恥ずかしさに全身赤くなった。
「ごめんなさい。オレ、あんたの車、メチャメチャにしちゃった」
「気にするな」
遙は少年の肩に口づけた。
「あれをやったのは「ブラディ・ファッカーズ」の頭。ここにいるのは俺の愛人。お前がやったんじゃない」
含み笑いを漏らす。
「だけど。もしどうしてもあの車が気に入らなきゃ買い替えるよ。——今度は黄緑のポルシェに」
少年は白い歯を見せて笑い、かぶりを振った。
一度地雷原を越えてしまうと、この程度の文章では全く動じなくなりますね。
「喪男(確定)が喪女(推定)の書いたR18のいろいろとナニな小説をR15のいろいろアレだがどうにか安全に読める小説に改変するなんて、これは一種の文学的挑戦ではないか!?」とすら思えるようになってきました。
まあ、それよりまず自分の現実をなんとかしないと、なんですが。
by「俺」




