181.斬りたい背中
「じゃあ、今度は奥さんの番ね。まずは腰まわりに合わせて巻く。きつくなり過ぎないように」
「はい」
俺たちの前では、売り物の等身大の鏡を見ながら打田さんが母ちゃんにケースの装着を伝授している。
かたや副会長は店舗兼住宅の住宅部分の冷蔵庫から持ってきた缶ビールを飲んでいる。年末商戦真っ盛りの、商家にとっては一番の稼ぎどきのはずなのだが、もう今日の客はもうないと見切りをつけてしまったらしい。
俺たちが店に来るまでずっと仕事場で熱にさらされ乾燥しきっていたようで、副会長は一口飲んでは「うぇ〜ぃ」と喉の奥で声を上げる。
「志摩さんは私の師匠の仕事場に訪ねてきたんだ。そのころはまだ女学生で、髪をおさげにしていて、それはそれは……うぇ〜ぃ」
それがただのゲップだったのか、それとも「イェーイ♪」か、あるいは「オェ〜」なのか。
息子の俺としてはちょっと気になるところだ。
副会長こと打田さん(夫)が初めてウチの母ちゃんこと〇〇〇志摩に会ったのは、今から30年前だという。
一応、言っとくが「〇〇〇」は母ちゃんの旧姓(仮)ね。
当時の打田さんは、刀鍛冶に憧れてせっかく入った大学を中退して出雲の刀匠に弟子入りし、毎日刀匠の身の回りの世話をしていたそうだ。
『ま、今でも、母さんが寝込んだりして私がご飯作ったりすると「お父さんのお味噌汁のほうがおいしい」なんて娘に褒められたりするんだよ』
そしてその年の春のある日、志摩が突然打田さんの師匠の仕事場に現れた。
『あのころは、まぁ、平和だったんだろうねぇ。空前のオカルトブームっていうのかな? 神秘系の雜誌の文通コーナーに、やれ「私の前世は◯☓◯☓国の戦士。仲間を探しています」だの「私は前世で神に仕える巫女でした。△◯△◯という言葉に心当たりのある方は連絡ください」なんて文面が並ぶ時代だった。そんなだから、出雲の師匠のところにもそういう神秘を求める「お客さん」が週に一人は来て。「出雲と言えば神の国、そこの刀鍛冶だからきっと特別な力を持ってるに違いない」おおかたそう思ったんだろう。そもそも昔から質のいい砂鉄が取れたってのが、あそこで鍛冶が発達した理由だってのに』
なので。
志摩を見た打田さんは「ああ、またオカルト好きのお客さんが来た」と思ったという。
『私が応対したんだが、志摩さんはいきなり「刀を作っていただきに参りました。お金ならここにあります」と言って、バッグから茶封筒を出したんだよ』
そんな志摩を、打田さんの師匠は家出娘だと思ったらしい。
そして彼女はかけつけた警察に保護され、家に強制送還された。
「どう? 付け心地は」
「思ったより軽いです」
「でしょ? なるべく余計な金具を使わないようにしたから。コードバン使ったのも正解よね、あまり革がゴツいと擦れて痛くなるのよ、後で」
しかしその年の夏、志摩は再び仕事場に現れた。
『また私が応対して。で、志摩さんは春と同じように「刀を作っていただきに参りました」と言って、茶封筒を見せた。あれからまたお金を貯めたんだか、封筒は前よりちょっとだけ厚くなってた』
だが。
やはり志摩は春同様、家に強制送還されていった。
そして。
次の年の冬、再び志摩は仕事場に舞い戻ってきたのだった。
また送り返されることになるにも関わらず。
『今だったら法律でそういうの禁止するんだろうけどね、昔はおおらかというか「おお、また来たか〜。だけど、帰りな〜」って笑顔で迎えては追い返してたなぁ。それで、追い返されるほうも「じゃあ、また来ます〜」なんて、にこにこ手を振ってて。そのうち「梅雨が明けたから、ボチボチ志摩ちゃんの来るころだなぁ」とか「今年は来るのが遅いが、どうしたんだろう」とか、もう来るのが当たり前になった』
慣れとは恐ろしい。
訪問 → 強制送還 → 訪問 → 強制送還 → 訪問 → 強制送還
これが続く間に、打田さんたちも志摩についていろいろ知った。住んでいるところ(まあ、強制送還するワケだし)や親の身分(地元の名士)志摩本人のこと。そして、志摩が真面目な少女とわかると、最初こそ「刀を欲しがる物騒な子」と警戒していた仕事場の人々も、年3回学校の休みごとにやって来る彼女を心待ちにするようになり、ついには師匠も強制送還を止め、親の承認さえあれば数日家に滞在させるようになった。
『えーっと、打田さんのお師匠は当時独身だった、とか、そういうことないスよね?』
『当たり前だ! 奥さんもお子さんもいたし、きみが想像するようなことは何ひとつなかった!』
『いや、なにも変なこと、想像してませんし! ただ、一応、確認のため聞いただけで……』
そして3年が経過し、季節は春を迎えようとしていた。
そのころの打田さんは晴れて本弟子となり、師匠の補佐として刀を打つ仕事を任されていた。
『実際に刀を作るようになると、分かってくるんだよね、道具の準備具合とか玉鋼の分量とかで、いつ何を作るのか。それで気づいたんだ』
師匠は、今度こそ志摩の願いを聞いて刀を作るつもりだ。
「利き手が右だから、両方右手で抜くことを想定してあるけど、一度に両方抜く方法もあるわよ。その場合は、後ろに収める肉切り包丁の握りの向きをあらかじめ反対にしとくの。そうすると、出刃を右手、肉切りを左手で持てる。でも、抜くときに手が滑って肉切りをかかとに落としたり、うっかり刃を握りそうになるから、本当に気をつけて」
「分かりました。やってみます」
刀はただの金属の塊ではない。
自分が怪我をするばかりか、人を傷つけ、殺める凶器にすらなる。
刀を持つものはそれを理解し、常に自制していなければならない。
師匠は、何度も断ることで志摩の覚悟の強さを確かめていたのだろう。
打田さんはそう思ったそうだ。
『私もさ、志摩さんの刀、作ってやりたかったから、すごくうれしかったよ。打つのはきっと師匠だけど、そのときは絶対に補佐をさせてもらおうと思ってた』
ところが。
「こんな感じで、どうでしょうか?」
「そう! いいわよ! 構えもちゃんとしてる。これが、意識せずにできるようになれば、きっと実戦でもバッチリよ。じゃ、もう一回、包丁抜くとこからやってみて」
「はいっ」
『来なかったんだよ、志摩さんが。その年の春休みに。そして夏も』
『えーっと、それって、高3の終わりから大学1年の始まりだから……普通に受験・卒業・入学で忙しかったからじゃないスか?』
『そんなことであきらめるような子じゃなかったんだよ、志摩さんは。現に受験勉強で一番忙しいはずの夏と冬には来たからね。だから心配した。私も、師匠も』
待っていても埒があかない。
師匠は住所録を開けると、3年前、初めて強制送還した日に書き留めた志摩の自宅の番号に電話した。
『それで、どうなったんですか? どうして母は仕事場に行かなかったんですか』
『うぇ〜ぃ』
『あの、ちょっと。こんないいところでゲップしないでくれません?』
いくら身近で働く弟子とはいえ、電話で話す師匠の側で立ち聞きは許されない。打田さんは閉めきった座敷の外でやきもきしながら話が終わるのを待った。
『ところが、だ。しばらく話して電話を切ったようなんだが、師匠がなかなか出てこない。だから、私は思い切って座敷のふすまを開けた。そしたら……すっかり冷たくなっていた』
『お、お師匠がっ!? それ、なんて、デスでんわッ!?』
『いや、冷たくなってたのは師匠じゃなくて、お茶。私は師匠のお茶くみもしてたから』
『まぎらわしいわっ!!』
師匠は冷えきった茶の入った椀を前にうなだれていた。
そして打田さんを見ると力なく首を振り、こう言った。
あの子はもう此処へは来ない。
親御さんによると、東京の大学へ行ったそうだ。
今となってはもう遅いが、儂はあの子にもっと早く刀を作ってやればよかった。
初めてあの子に会ったとき、儂は何故、刀を欲しがるのかと聞いた。
するとあの子は言った。
どうしても斬らなければならないものがあるからだ、と。
儂はその答えを聞いて、すぐさまあの子を家に送り返した。
斬る、と言う人間に当然刀など渡せない。
昔はともかく、今の日本刀は斬るため、殺すための武器ではないからな。
だが。
儂が何度突っぱねても、あの子はその度にまた戻ってきた。
それだけ斬る決心が堅かったということだ。
あの子が斬ろうとしていたのは一体何だったのか。
今の電話で親御さんに聞いたが、はっきりとは教えてくれなかった。
ただ。
あの子は自分に課せられた運命に逆らおうとしている、とだけしか。
儂の仕事は鋼を打って刀を拵えることだ。
見える形にならない人の心は図りようもなく、言われたことをそのまま信じるしかない。
運命に逆らう、とは何を表すのか。
それは分からない。
しかし。
ひょっとすると、あの子が斬ろうとした相手は、刀でなければ討つことができないものではなかったか。
人ではない、妖怪や死霊の類いといった。
それなのに儂は。
あれだけ長い間、刀を求めてきたあの子の願いを聞き入れず、丸腰のまま旅出させてしまった。
……………。
『あの、すみません。シリアスで感動的なモノローグの腰を折らせていただきますが』
『うぇ〜ぃ?』
『その「あの子」というのは、ウチの母のことでしょうか?』
『そうだよ』
『ほんっとうに、その打田さんが話していた「志摩さん」はウチの母「◇◇◇志摩」と同一人物なんでしょうか。僕にはとても信じられないんですけど』
『うぇ〜、ぃ?』
『だって、ウチの母って……ああいう人ですよ……』
「奥さん、小悪魔っぽく包丁を舐めるマネして」
「こうですか?」
「今度は逆手に持ってカメラに突きつけるように」
「こんな感じ?」
「次は、二人でハート作ってラブラブ〜」
「はい、チーズ」
俺が指差す先には、打田さん(妻)と一緒に包丁を持ち、ポーズを決めては写メを取り合う母ちゃんの姿があった。
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(*携帯だと「あとがき」が読めないことを発見したので、本文に書いとくは)
「なんというか、打田さんの奥様も、なかなかいいノリしてますね。包丁の構えもサマになってますし。ウチの母と仲よくなれそうな感じです」
「やっぱり分かるかな」
副会長は苦笑いした。
「うちの母さんは、趣味がサバゲー、サバイバルゲームなんだよね。だからナイフのあつかいやホルスターの改造はお手の物でさぁ」
「なるほど。じゃあ、知り合ったのもサバゲーで?」
「いやいや」
大げさに手を振って副会長は否定した。
「さっき言ったでしょ?「神秘系の雜誌の文通コーナー」って。それで知り合ったんだ、私たちは」
「えっ。というと、打田さんもソッチ寄りなご趣味のお方だったので?」
「違うちがう。まだ大学に在籍してたころに行った飲み会の罰ゲームで「怪しげな雜誌で文通相手を募集している人に返事を出す」ことになったんだよ。で、そのときに返事を出した相手が今の嫁さんというワケ。確か「私は前世でパンゲア大陸を治める女王でした。私と一緒に現代に転生したはずの忠実なる近衛騎士プルームを探しています」とか書いてあったから「私はプルームです。女王様、お久しゅうございます」と返事した覚えがある。まあ、結婚式の披露宴では「共通の趣味の場で知り合いました」とか、それらしい馴れ初めをでっち上げたが。ま、オカルトだろうと女王だろうと、結婚して何年かするとみんなどうでもよくなって、ただのオバハンになっちまうよ」
そう言うと、副会長はビールを飲み干し、盛大にゲップをした。
すると、母ちゃんも。
昔はそこまで刀に執着していたのに、父ちゃんと結婚したり俺が生まれたりしたから、もうどうでもよくなっちゃった、ということだろうか?




