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令嬢は潮路を渡る——この海で生き続けるために  作者: 夜凪 蒼


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第13話 世子の書状

書状は、たかに結ばれて届いた。

 朝餉の膳を下げようとした千歳が、縁側に降り立った鷹を見て動きを止めた。鷹の脚に、嚴島の紋章が彫られた筒がぶら下がっている。

 「……國主家からの鷹便たかびんでございます」

 千歳の声に緊張が滲んでいる。鷹便は急ぎの用件にしか使われないのだろう。

 筒から巻紙を取り出した。

 達筆な文字。読みにくいが、何とか追える。


 「鷲羽家令嬢・瀬名殿。秋の初めに嚴島にて宴を催す。許嫁たるお立場にて、ぜひご臨席を賜りたい。——鳴海 颯」


 はやて

 ゲームの攻略対象。國主家の世子。わたしの——瀬名の許嫁。

 この世界に来てひと月以上が経つのに、まだ一度も会っていなかった。海守衆に会い、凪に潮術を教わり、暁に交易改革を提案し——その間、許嫁の存在をほとんど意識していなかった。

 でも向こうは、意識していたのだ。


 「千歳。この宴は断れますか」

 千歳が難しい顔をした。

 「お断りすること自体は可能でございます。ですが——國主家からの招きを断れば、鷲羽家の立場に響きます。高松家が」

 ——高松家が、それを利用する。鷲羽家は國主家との縁を軽んじている、と。

 「父に相談します」


 父は書院にいた。書状を見せると、じっと読んで、巻紙を膳の上に置いた。

 「行かずともよい」

 「……でも、高松家が」

 「高松家のことは、わしが考える。お前は——」

 父が言いかけて、止まった。わたしの顔を見ている。

 「お前は、行きたいのか」

 行きたいかと聞かれた。

 颯に会いたいか。ゲームで瀬名を断罪する側の人間に、会いたいか。

 ——会うべきだと思う。

 避け続けても、裁きの日に会うことになる。それなら、こちらから会いに行く方がいい。相手を知らずに対峙するのは、建築の設計で地盤調査をせずに基礎を打つようなものだ。

 「行きます」

 父が、また小さく頷いた。

 「そうか。——千歳をつけろ。護衛も」


         *


 出発は10日後。その間に、やるべきことがある。

 颯についてわかっていることを整理した。


 ゲームの情報:

 - 國主家の世子。攻略対象の最人気キャラ

 - 端正で穏やか。最初は冷たいが徐々に——いや、それは攻略ルートの話だ。瀬名のルートでは最後まで冷たいまま、裁きの場で瀬名を切り捨てる

 - 1周しかしてないから、颯の内面はほとんどわからない


 この世界の情報:

 - 千歳が「國主家との縁が深い高松家」と言っていた。つまり颯にとっても高松家は無視できない存在

 - 颯が瀬名に書状を送ってきた。「許嫁たるお立場にて」——形式的だが、無視はできない程度の関係性を維持しようとしている

 - 父が「行かずともよい」と言った。父は颯をどう見ているのだろう


 鷹便で急ぎの書状を送ってくる割に、宴は10日後。急いでいるのか、余裕があるのか。

 ——急いでいるのは、返事だ。瀬名が来るかどうかを、早く知りたい。

 なぜ?

 海守衆と親しくしている鷲羽の姫が、國主家の宴に来るかどうか。それを高松家より先に確認したい。

 政治だ。

 颯個人の意志ではなく、國主家の世子としての動き。


 來嶋ノ瀬戸への潮術通いは、嚴島行きまで休むことにした。凪に文を出すと、翌日に返事が来た。

 「好きにしろ。潮は逃げない」

 凪の文は、やはり一行だった。


         *


 出発までの10日間、鷲羽で過ごした。

 書の稽古。刺繍のお稽古(相変わらず下手だ。瀬名の指は器用なはずなのに、千尋の不器用さが勝っている)。書斎での読書。庭で海を見る時間。

 この10日間で気づいたことがある。

 鷲羽の館には、瀬名の痕跡がそこかしこに残っている。

 書斎の本の並び順。棚の手前に歴史書、奥に歌集。よく読む本は手前に出す癖。刺繍の箱の中に、途中で止まった作品が入っている。波の模様を刺繍しかけて、途中でやめている。糸の色は——藍。

 庭の松の下に、小さな石が並べてある。千歳に聞くと、「お嬢様が幼い頃に並べたもの」だという。島に見立てたのだろう。石の配置が、瀬都内海の島々の並びに似ている。

 ——この子は、海が好きだったんだ。

 手習い帳に海の絵を描き、庭に島を並べ、波の刺繍をしていた。でも千歳は「以前のお嬢様は海を見ていなかった」と言った。

 海が好きなのに、海を見なかった。

 なぜだろう。


 10日目の朝。千歳が旅装を整えてくれた。

 「嚴島までは船で1日でございます。過所旗は——」

 「もう知っています」

 千歳が少し笑った。

 「ええ。お嬢様はもう、ご存じですね」

 鷲羽の港を出る。過所旗が掲げられ、案内衆が乗り込む。

 嚴島へ。颯のもとへ。


 船の上で、ゲームの記憶を掘り返した。颯の台詞。ほとんど覚えていないが、一つだけ——美桜が「このシーン泣ける」と言っていた場面がある。

 颯が瀬名に向かって言う台詞。「——君を守れなくて、すまない」

 裁きの場で、瀬名を切り捨てた後に、一人で言う台詞。

 守れなくて。

 守りたかったのに、守れなかった——そういう意味だったのか。

 ゲームではそれが「攻略対象の切なさ」として演出されていた。でもこの世界では——颯は本当に苦しんでいるのかもしれない。守りたいのに、國主家の世子としての立場が許さない。

 あるいは——ゲームとは違う颯が、ここにいるのかもしれない。

 会ってみなければ、わからない。

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