第5話 仁の旗
講堂では、いつものようにマインマインが練習していた。
炎真は壁際で見守っている。
以前の炎真なら、フェスの“成果”が気になって仕方ないはずだ。
動員数。
話題性。
費用対効果。
――でも、今は違う。
炎真は、熱中症対策の冷却材を手配し、
応援グッズを揃え、境内の動線を確認していた。
高齢者でも安全に歩けるか。
段差は危なくないか。
――参加する一人一人が楽しめるフェスにしたい。
その一心だった。
***
天気予報が、時期外れの大型台風の接近を告げる。
炎真は気象庁サイトを何度も確認する。
進路。
降水量。
風速。
合理的判断なら延期。
お盆が近づけば、檀家の人たちの日程を再び合わせるのは難しい。
(どうする……)
内心で兵法が浮かぶ。
「『兵は水のごとし』
――柔軟であれ……か」
だが、答えは出なかった。
***
フェスの前日。
暴風雨。
境内に飛来物が転がり、木々が揺れる。
前日からの豪雨で町に浸水警報が出る。
寺は地域の避難所となった。
講堂には高齢者と子どもたち。
フェスどころではない。
炎真は即座に切り替えた。
「シーツを確保します」
「発電機、動かせます」
「檀家さんに連絡を」
そこへ、麻里亜たちが駆け込んできた。
「何か手伝わせてください」
***
三人はすぐに動き始めた。
物資の仕分け。
子どもの世話。
汗だくで動き、それでも笑顔を絶やさない。
避難してきた人が心配する。
「大丈夫かい、あんたら、こんな暑い中」
「平気です。私たち、体力には自信がありますから」
以前フェスに反対していた住民もいた。
その一人が言う。
「こんなときに、来てくれたのかい」
麻里亜は頭を下げた。
「ここには、お世話になっていますから」
***
「それ、こちらにお願いします。
後で俺が運びます」
炎真は手際よく指示を出す。
「なんか炎真さん、頼もしいかも」
美香が驚いて目を丸くする。
「慣れてるんで。
俺、大学でボランティアサークルに入ってから」
「ちょっと見直しちゃった。ねえ、麻里亜」
「そ、そうかな」
麻里亜が、少し慌ててシーツをたたむ。
「あっ、それ、さっき広げたやつ」
「え、やだ、早く言ってよ」
麗奈と美香は、それを見てクスリと笑った。
***
夜。
台風直撃で停電した。
風と雨の音が激しく、子どもが泣き出す。
ろうそくの光が揺れる。
そのとき、麻里亜が小さな声で歌い始めた。
アカペラで。
温かく優しい歌声。
誰かのすすり泣く声が止まった。
講堂に静かな拍手が広がる。
避難者が言った。
「寺フェス、できなかったな」
「楽しみにしとったのに残念」
麻里亜は一瞬、唇をかんだ。
だが、すぐに笑顔に戻る。
「フェスは、できなかったけど……私たちはいつでも歌ってます。
よかったら、今度ライブに来てください」
「こんな、爺さんでもいいかのう」
「もちろん、大歓迎です」
みんなに笑い声が広がる。
炎真は、それをやさしい気持ちで聞いた。
***
明け方に台風が去る。
水が引き、電気が回復した。
避難者が帰宅の準備を始める中、声が上がった。
「帰る前にフェスをやって欲しい」
「そうだ、フェスをやろう」
「こんな時に……?」
炎真は困惑した。
「せっかくみんな無事だったんだしな」
「……なあ」
「やるか?」
みんなに続いて、あの御蔭工務店の主が、小さく言った。
「こんな時だからやるんだ。
なんか、あんたらの歌が耳に染み込んだみたいでな。
聞かんと、かえって落ち着かんわい」
炎真は信じられない思いで御蔭を見た。
「あんたら、ずっとみんなのために動いとっただろ。
ああいうの見せられるとな……」
照れくさそうに白髪の混じった頭をかいた。
麻里亜が言う。
「やろうよ、炎真さん」
「やるって……準備が……」
誰かが言った。
「みんなでやればいい」
――安全は確保できる。なら――やるべきだ。
「よし、やりましょう」
***
避難していた人々は、一度、自宅の片付けのために戻っていった。
だが。
誰に頼まれたわけでもなく、彼らは再びお寺に集まってきた。
掃除。
テント設営。
電源確保。
みんなが自発的に動き始める。
「『将は仁をもって衆を撫す』
――リーダーは策ではなく、仁徳によって人を動かす。
人のために動いた結果、人が動く――それが“仁”の力じゃ」
照炎が、諭すように言った。
***
夕方。
照炎と境内を見渡す。
噂を聞いた町の人たちも集まり始めていた。
炎真はつぶやく。
「孫子の意味が……少し分かった気がします」
照炎は何も言わず、静かに頷いた。
理屈を超えた実感。
講堂では、麻里亜たちがダンスの確認をしている。
目が合う。
頷き合う。
言葉はいらない。
フェスはもう、寺のためだけでも、マインマインのためだけでもない。
観客を含めた、参加する人すべての“同じ願い”の形になっていた。




