アイテム
◇◇◇◇
異世界で迎える、最初の夜。
私たちは、場違いなほどに豪奢な一室へと通されていた。
扉が閉まる瞬間、外界のざわめきが遠のき、空気そのものが変わる。厚手の絨毯は足音を吸い込み、壁には淡い光を反射する装飾が施され、天井から下がる照明は、柔らかな灯りで部屋全体を包み込んでいた。
広い。
その一言に尽きる。
視線を巡らせるたび、空間がまだ奥へと続いているような錯覚さえ覚えた。
「……すごい」
思わず、声が漏れる。
隣ではリゼリアちゃんが落ち着かない様子で、きょろきょろと辺りを見回している。肩が小さくすぼまり、身体ごとこの空間に押し潰されそうになっていた。
無理もない。
ここは、明らかに私たちのような人間が泊まる場所ではない。
でも、どうせ金はある。
そう思って、少し背伸びをして選んだ宿だった。
結果がこれだ。
大成功なのか、やらかしたのかは、まだ判断がつかない。
この部屋だけで、隠れんぼをしたら何人隠れられるだろうか。
そんなくだらない想像が、頭の中をよぎる。
「御用があれば、なんなりとお申し付けくださいませ」
部屋へ案内してくれた老紳士が、音もなく一歩下がり、深く、無駄のない礼をした。
その所作はあまりに洗練されていて、まるで舞台の一幕のようだった。
「ありがとうございます」
私もつられるように頭を下げる。
そして顔を上げたときには……もう、そこに彼の姿はなく、扉を開けた気配すら、残っていない。
「……忍者?」
思わず呟いてしまうほどの消え方だった。
私は巾着袋を取り出し、中から一枚の金貨を指で弾き上げる。
鈍い輝きが、室内の灯りを受けて光った。
「前金で金貨を一枚払ったけど……この世界のお金の価値って、まだ全然わかんないんだよね」
手の中で金貨を転がしながら、ぽつりと呟く。
聖女さんは言っていた。この袋ひとつで、五年は裕福に暮らせる、と。
けれど。
「……殺そうとした相手に持たせる金額じゃない気もするんだよなぁ」
どうにも腑に落ちない。
「そんな価値がないのかも」
私は金貨をリゼリアちゃんの前に差し出した。
「ねぇ、リゼリアちゃん。これ、わかる?」
彼女はおずおずと覗き込み、しばらくじっと見つめたあと、小さく首を横に振った。
「……こんな色のコイン、見たことない」
「だよね」
やっぱりか、と苦笑する。
「リゼリアちゃんも知らないってことは、結構レアなやつ?」
それとも、単純に流通が違うのか。
考えれば考えるほど、分からないことが増えていく。
金貨を袋に戻し、ベルトに括る。
ふと、私は自分の服に視線を落とした。
白を基調にした布地。そこに施された金糸の刺繍は、光を受けるたびに輝く。
裾には、まだ土が残っている。さっきまでゴブリンと鬼ごっこしていた証拠だ。
「……この宿、貴族御用達っぽいんだよね。入ったとき、『どちらのお嬢様ですか?』って聞かれた時は正直焦った」
軽くスカートの裾をつまんで持ち上げる。
「まぁ、この制服が全部押し切ってくれた感じ。どこかしらの貴族学園と間違われたのは私のせいじゃないよね」
目に見える土っぽい所を手で払った。
「……私が通ってた白鷺女学院。私以外は、全員がお嬢様だったし、制服も見る人が見れば、見立てだけで高級と分かるんだろうな。当たり前のように着ていたけれど、助かった」
制服に助けられるとは思ってなかった。
視線を上げると、大きな円形のテーブルが目に入る。
その上には、透明なガラスの水差しと、丁寧に整えられたティーポットセット。
さっそく私はコップを二つ取り、水を注ぐ。
「信用で回ってる宿なら、ボッタクられることは……ないと思いたいけど」
ひとつをリゼリアちゃんへ差し出し、自分も口をつける。
冷たい水が、喉を一気に通り抜けた。
「くぅぅぅ!」
気づけば、一瞬で空になっている。
隣を見ると、リゼリアちゃんも両手でコップを持ち、必死に飲んでいた。
「……もう一杯」
私たちはガラス製の容器から水が無くなるまで、それを繰り返した。
「はぁ……めちゃくちゃ喉乾いてたんだ、私」
今になって、ようやく身体の感覚が戻ってくる。
さっきまでは、それどころじゃなかった。
「人間ってすごい」
安全な場所に行くことだけに、集中していた。
「早く、この世界のお金の価値知りたい。ゲームならこんな心配いらないのに。水を飲むのだって、足元を見られたら、お金なんて、あっという間に無くなる」
足りないのは知識。
「奪われる不安もあるし、騙される恐怖もある。一つでもなくしておきたい」
そのとき、ふと、あることを思い出した。
この世界の神は、どうもリゼリアちゃんに甘い。
なら。
試してみる価値はある。
「あ〜あ」
わざとらしく、肩を落とす。
「アイテムボックスとかあればな〜。お金、奪われたりしたら路頭に迷っちゃうな〜」
チラッと、リゼリアちゃんを見る。
彼女はきょとんとしていた。
一瞬の静寂。
「そんなに都合よくはいか……」
「パンパカパーン」
場違いなほど可愛らしい声が空間に弾けた。
【『アイテムボックス』を獲得しました】
「……は?」
間の抜けた声が出る。
目の前の空間が、わずかに歪む。
空気が吸い込まれるように収束し、ぽっかりと、黒い穴が開いた。手をかざすと、少し冷たい。
それは闇というより、底の見えない何か。
光すら呑み込む、渦のようだった。
その上に、システムメッセージが浮かび上がる。
【アイテムボックス】
「……え?」
理解が追いつかない。
いや、理解はしている。
しているけど、納得がいかない。
「……神、チョロすぎない?」
私はゆっくりと、天井を見上げた。
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