3- 28 森に引きずり込まれた可南
「涼子、どうして死んじゃったのよ······」
可南は、涼子の名前を呼びながら泣き崩れてしまった。そこへ、小型車から降りた中年男が呼吸を荒らげながら近づいてきた。
「へっへっへっ」
虚ろな目をした中年男がにやけながら可南に近づくと、その前でしゃがみ込んだ。
「どうして泣いてるんだ? よし、おじさんが慰めてやろう」
中年男はそう言いながら泣き崩れている可南の上半身を抱き起こした。筋肉隆々の中年男にとって細身の可南を抱き上げるくらいたやすいことだった。
「可南に手を出すな! この変態ジジイ!」
黒い影の涼子が、可南を森の中へ引きずりこもうとする中年男に背後から殴りかかったが、中年男には全く通用しない。それどころか、霊である黒い影の涼子の存在にさえ気づいていない。
黒い影の涼子がなおもしつこく中年男を殴り続けるが、中年男は可南を抱き上げると県道脇の森へ入っていった。
そこへ良子が現れた。
良子は、中年男を殴り続ける黒い影の涼子の肩に手を置いてその動きを制した。
「涼子。無駄よ」
「そんなことない! さっき私の念力で車のドアを開けられたのよ! だったら、人を叩くことくらい······」
「違うの、涼子。あの男の人は別の霊に憑依されてるの。だから、私たちにはどうしようもないの」
黒い影の涼子は、中年男によって森の奥深くに引きずり込まれていく可南を為す術もなく見つめた。
「ごめん、可南! 私のせいで可南まで犠牲に······」
黒い影の涼子は、両膝を地面につけると頭を垂れながら全身を震わせた。
「いやあ! 誰か助けて!」
薄暗い森から可南の悲鳴が聞こえた。
黒い影の涼子と良子は、うつむきながら可南の身を案じた。
中年男に抱き抱えられながら森に引きずり込まれた可南は、悲鳴を上げながら手足をバタつかせて抵抗した。しかし、中年男の腕力にはかなわない。
中年男は、森の中にある少し開けた場所まで移動すると、柔らかな草の上に可南をゆっくりと降ろした。
そのとき、可南は中年男の顔をチラリと見た。その顔は中年男のそれだったが、さらに別の顔が重なるようにして浮かんでいることに気がついた。その見覚えのある顔は、つい先ほど、小型車の運転席シートから浮かび上がっ長髪男の霊だった。
(このおじさんは、取り憑かれてる!)
可南はそう思ったものの、万事休すだった。
中年男は完全に理性を失い、まるで何かに操られているかのように呆けたような、しかし、冷酷な笑みを浮かべて可南に迫っている。
悪霊に憑依されているとはいえ、中年男の両腕は鍛えられて筋肉隆々としている。細身のうえ護身術の心得さえ全くない可南では抵抗できないのは目に見えている。
(私も、ここで涼子のように······)
可南が観念して目を閉じたときだった。突然、どこからともなくお経が大音量で聞こえてきた。同時にガサガサと音をたてて森の中を何かが近づいてくる。
「ひゃあああ!」
大音量のお経が流れるなか、中年男が両手で両耳を押さえながら甲高い悲鳴をあげた。
「悪霊退散! 悪霊退散!」
中年男が甲高い悲鳴をあげるなか、若い女性の声がお経の流れに混じるように森の中に響いた。
可南は目を開けると、若い女性の声の主に目をやった。すると、そこには険しい表情を中年男に向けた結羽が立っていた。結羽は右手にスマホを持ち、それを中年男に向けている。スマホからは、大音量でお経が流れている。
「結羽さん!」
可南は嬉しさと驚きのあまり結羽の名前を叫んだが、結羽に近づくことはしなかった。なぜなら、結羽はお経を流しながら中年男に迫りつつあったからだ。
「悪霊退散! 悪霊退散!」
結羽は、お経が流れるスマホを中年男に向けながら近づいていく。中年男から発せられる悲鳴は、結羽が近づくほど大きくなった。
結羽のスマホが中年男の耳元まで到達すると、中年男が発する悲鳴は電源が落ちたかのように、突然静かになった。
ドサッ。
中年男は意識を失うと、草むらの中へ、うつ伏せに倒れた。
結羽は、中年男が気を失って倒れ込んだ直後、スマホ画面をタップし、お経を止めた。そして、可南に向かって微かな笑みを浮かべると、そのまま草むらに崩れ落ちた。
「結羽さん! しっかりして!」
可南は慌てて上体を起こすと、這うようにしながら結羽に近づいた。
可南は、結羽の名前を何度も呼びながら彼女の上体を抱き起こした。すると、結羽はうっすらと目を開けた。
「助けに来るのが遅くなってごめんなさい······」
結羽は可南の腕の中で、自分の無力さを詫びた。可南は、両目に涙を浮かべながら何度も首を横に振りながら結羽に微笑んでみせた。
「可南さん、ケガはないですか?」
「うん、私は大丈夫」
結羽は、可南が無事だと分かると微笑みながらまぶたを閉じ、気を失った。
「結羽さん!」
可南が結羽の上体を揺さぶりながら名前を叫んだとき、2人の霊が可南に近づいてきた。
「結羽さんは、可南のことが心配で廃集落からトンネルまで全力で走ってたの。だけど、途中で転んでしまって······それでも走り続けたんだね」
可南は、その声の主に顔を向けた。そこには、黒い影ではなく、可南がよく知っている涼子の姿があった。
「涼子!」
「可南、無事で良かった。結羽さんのおかげだね」
「でも、結羽さんは······」
可南は涙声で結羽の顔を見つめた。
「大丈夫。緊張が解けて気を失ってるだけよ」
「そっか。涼子は看護師だったから医学に詳しいもんね」
可南は、そう言いながら涼子に顔を向けた。
「涼子が着ている服。昔、合コンで着てたのと同じだね」
「え! 可南、本当の私の姿が見えるの?」
「うん。黒い影じゃなくて、今まで私が見てきた涼子の姿が、ちゃんと見えて······」
可南は、そこまで口にすると両目からポロポロと涙をこぼしたのだった。
(つづく)




