3- 26 不気味な笑い声は誰の声?
中年男が運転する白い小型車は、可南を助手席に乗せて女井戸トンネルに向かっていた。
可南は、揺れる車内から廃集落がある方角をじっと見つめていたが、結羽や黒い影の涼子の姿を見かけることはなかった。
運転席の中年男は、傷んだアスファルトの県道を時速20キロくらいのゆっくりとしたスピードで走っていく。
中年男はハンドルを握りながら、可南を一瞥した。
「ところで、どこから来たんだ?」
中年男が尋ねると、可南は中年男に顔を向けた。
「東京です」
「東京かー。俺も昔は東京に住んでたんだ。墨田区にいたんだよ······」
「そうなんですか······」
可南は顔を正面に戻すと、中年男の一方的な身の上話を空返事しながら聞き流した。
中年男の小型車が県道と林道が交わるT字路を通過したとき、可南はぼんやりと正面を見つめながら中年男の話を聞き流していた。ちょうどそのとき、黒い影の涼子は県道の脇から目の前を通り過ぎる小型車を見つめていた。助手席に可南が座っていることに気がついた黒い影の涼子は、廃集落へ続く林道を駆けていった。
結羽は、廃集落で可南が戻るのを待っていた。白樺の森を吹き抜ける風は涼しく心地よかったが、可南のことが心配でならない。
「涼子に任せておけば大丈夫よ」
落ち着かなさそうにしている結羽を、良子がなだめた。
「うん······」
結羽は良子に顔を向けると、静かに頷いた。
良子は、結羽に近づくと、県道へ続く林道の先を見つめた。
「涼子が言ってたの。友人からの忠告に従っていたら私は殺されなかった、てね」
「そうなんですか······」
「その友人というのが、可南さんなんだね」
結羽は、良子の横顔を見つめた。良子は、微笑んでいる。
「私が知ってる涼子は決して悪霊じゃない。むしろ、とても正義感が強い女の子なの。ただ、酷い殺され方をしてしまったから、男性への憎しみが強くなってしまってるだけなの······」
良子は遠くを見つめながら独り言のように呟いた。結羽は、良子の言葉には涼子への理解や優しさがこもっているのを感じた。
結羽も良子と同じように林道の先を見つめた。そして、良子という霊も決して悪霊ではない、と確信しながら微笑んだ。
中年男と可南が乗る小型車は女井戸トンネルに入った。
トンネルは、普通車が通行できる幅や高さは十分あるが、車同士がすれ違えるほどの余裕はない。小型車はヘッドライトを灯すと、自転車がゆっくり進むようなスピードで慎重に進んでいく。
先ほどまで一方的に身の上話をしていた中年男は、トンネルに入った途端に無口になった。
中年男は緊張していた。なぜなら、女井戸トンネルは日本有数の心霊スポットであり、幽霊の目撃情報も少なくないからだ。
「このトンネルだけは何度通っても慣れないんだ······」
中年男は、ポツリと呟いた。
可南は、ヘッドライトに照らされたトンネル内の壁や路面を黙ったまま見つめている。トンネル内はヘッドライトに照らされていても、広大な闇に圧迫されて今にも消えそうなほど暗い。
「へっへっへ······」
突然、可南の耳元に男がヘラヘラと笑うような声が聞こえた。驚いて両肩をビクつかせた可南は、反射的に運転席の中年男に顔を向けた。しかし、薄暗い運転席に浮かぶ中年男の横顔からは、笑った形跡が認められなかった。
狭いトンネル内を慎重に運転している中年男は、助手席からの視線を感じて振り向いた。
可南は、中年男と目が合うと慌てて目を逸らした。中年男は何事もなかったかのようにヘッドライトに照らされたトンネルに視線を戻した。
可南はヘッドライトが照らす、ぼんやりと浮かぶ路面を見つめた。
(なんだろ? あのいやらしい笑い声は······。明らかに運転してるおじさんの声じゃなかった。ということは······)
そう考えた可南は、全身に鳥肌が立った感覚を覚えた。
(この車に、変な幽霊が乗り込んだのかも······)
そう思った可南は、首にぶら下がっているネックレスの先端に付いている黒曜石を掴んだ。
(結羽さん、怖いよ······)
可南は黒曜石を握りしめながら目を閉じると、結羽から離れてしまったことを深く後悔した。
その頃、廃集落にいる結羽は、林道の先から黒い影の涼子が、こちらに向かって駆けてくることに気がついた。
人間離れしたスピードで結羽の元まで急接近してきた黒い影の涼子は、呼吸が乱れる素振りを全く見せることなく結羽の正面で立ち止まった。
黒い影の涼子の様子を目にした結羽は、可南に何かが起きた、と直感した。
「涼子さん、どうしたんですか? まさか、可南さんに何か起きたんですか?」
結羽は、不安に駆られながら尋ねた。
「可南が男の車に乗ってトンネルに向かって行くのを見たの」
黒い影の涼子からの思わぬ報告に、結羽は驚きのあまり言葉を失った。
(警戒心が強い可南さんが、どうして? 男って、誰なの?)
そう思った次の瞬間、結羽の脳裏に、恐怖のあまり目を閉じている助手席の可南の姿が映像として横切った。
「可南さん!」
突然、結羽は空気を切り裂くような声で可南の名前を呼ぶと、県道へと続く林道を駆け出した。
(つづく)




