第八話
大阪までの車中。
葵は果てしない偏頭痛のようなものを抱えて参っていた。何てこった。俺の愛車に、辛うじてベンツの助手席に。これ以上ないほど煩い生き物を乗せてしまった。
「おっ、コンビニ発見」
アルのおかげで、スルースキルが年々高くなる葵は、電話の性能について考えていた。
「お前は電話を何だと思ってるんだ。在宅なのに半永久的に不在って。有り得ないだろう、人として」
「電話も休みが欲しいんやって」
「なら、電話なんか引くんじゃねぇよ」
「残念やなあ、葵君。備え付けやったし、携帯電話は持ってないから矛盾してないやろ?」
ハンドルを握りながら、ちらりとアルに視線を移す。にやにやした悪戯っ子のような顔が無邪気さを装って笑っている。葵は苦々しく思いながら、銜えていたマルボロを強く噛んだ。
「あっ、コンビニ発見!腹減った!」
「目的地まで直通ですから」
「ケチ!降ります降ります」
腹を空かせてご機嫌が八十度くらい傾いているアルは路線バスでするように、そして何故かシートベルトを人差し指で押した。
「落としていっていいなら請け合うぜ」
「断る。大体君はバスやなくてタクシーやろ」
「タクシーじゃねぇ」
「運転手?なら余計言うこと聞くべきやな」
「右折します」
「あ!今、今の素通りしやがった」
「時間がないんだよ!」
葵はハンドルをきりながらアルを見ると空腹と言うのはここまで権力があるのかってくらい、何か色々と凄かった。直線に入ると葵は改めて時計を見る。このスピードだと着くのは多分、ギリギリ位だろう。と、アルが葵の胸元に寄って来る。何かを探しているのだろう。頭のすぐ下で、少しだけ香るシャンプーとアルの匂い。
「・・・何してんだよ」
それに胸が震えた気がしたことを、知りたくなくて、知られたくなくて、声を掛ける。
「んー、・・・お、あったあった」
目当てのものが見つかったのか。するりと助手席に戻っていく。何なんだ、一体。
「あ、安部さんですか?天月です。すみません、渋滞に掴まってしまって。到着が少し遅れると思いますが、大丈夫ですか?本当にすみません。神崎さんにもよろしく伝えてください」
「・・・・アル」
「ほい、ありがとさん。という訳でそこのコンビニ寄ってや。あー、腹減って死にそう」
「・・・どこが渋滞?」
葵は目の前の通りを指す。信号もない直線道路は高速並みのスピードで車が突っ走り。
そして無事故で通り過ぎている。
「さあ。日本のどっかは渋滞しとるやろ」
にっこりと笑む顔が、いっそ清清しい。そう言えば、自分も空腹であったことに葵は今更ながらに気付き、コンビニエンスストアの駐車場に車を滑り込ませた。
アルはかごを掴むと鼻歌を唄いながら店内を大回りし、腹にたまるものを探しに行く。猫背でうろうろしていると、本当に白熊みたいで笑えてしまう。
「なあ葵」
「なに」
「君は何にするん?」
「何でもいいけど」
「米?」
「だな」
「なら俺もそうしよ」
「待て。お前の意思は何かないのか」
「どれでもええねん、腹にたまれば」
その答えに、葵はこめかみに青筋が立ちそうなほど苛立ちを感じた。そこに、お前の意思はないのか。意思は。
「水でも飲んでろ。腹一杯」
「それはあかん」
そうして、鼻歌を唄いながら無機質なほど個性なく陳列されているおにぎりを数個かごに放っていく。
「鼻歌はやめろ」
「君ってよう俺の不機嫌の元になるなあ」
「そりゃこっちの台詞だ、莫迦」
言い返してこないので何かと思う。視線を向けると、アルの意識はサンドイッチに注意が逸れたらしい。ああそうか、アルがこういう奴だから喧嘩別れにならないって訳か。
てことは俺はいつも負け越しかよ。陳列棚の前で真剣なアルを眺めながら、葵は煙草が吸いたくなってきたと思った。
「乗ったか、乗ったな、出るぞ」
「待って」
「何だよ」
「食って、棄ててく」
ここまで主語のない奴もひとりだとまだ相手に出来る。むしろこんなのがふたり揃ったらもう駄目だお仕舞いだ。俺の精神が崩壊する。間違いなく微塵も残さず破砕する。
「急いでるんだぜ」
暗に、お前のために、お前のせいで、と匂わせたところで、無意味だ。分かってて、その行為をしてしまう自分に嫌気が差す。
「うん、急いでる。だから、メシ食お?戦の前の何とやらや」
そう笑うアルに葵はいつだって負けてしまう。いっそ捨ててしまおうか。そう考える。この訳の分からない想いごと。
「不法投棄はあかんよ」
内心を読まれたことに驚いて、葵は助手席に体ごと向けた。すると目の前に、包装が解かれたおにぎりがあった。その向こうには笑顔のアル。
「・・・お前を捨ててはならんという法自体ないね」
アルの視線を真っ向から受けたまま、そう告げる。
「治外法権や」
可笑しそうに笑うアル。小首を傾げながら、おにぎりを葵の唇に押し当ててくる。食べろと言うことらしい。仕方なく、それを口にする。
「共犯やね」
喉で笑うアルにむっとする。些細な抵抗とばかりに、葵は細く白い腕を掴んで二口目を味わう。
「餌付けしてる気分や。行儀悪いで、センセイ」
確かに、走らせながら食べたほうが効率がいいか。思い立った葵は、最後に反撃とばかりにアルの指を舐めた。びくりと反応した助手席の反応には、知らないフリをする。
そして、行儀の悪いセンセイは車を走らせながら、租借する。舐めた指先。アルの世界のその先。そのことが、葵の何かを刺激した。それが何なのか、気付きたくはなくて、アクセルを踏んだ。
もう少しで話が進むと思います…
それにしても、読み返すと無自覚にいちゃついてますね