第九話
神崎や安部が勤めるビルに車を止める。駐車する際、葵は視界に入った人にほんの少し恐怖を覚えた。横目でアルを見る。葵以上に恐怖を覚えているらしいことが分かる。自業自得だ。心の中でそう呟く。車を出て、ビルへ脚を向ける。アルは葵の背後から出てこない。ビルの正面玄関で、美しく佇む修羅もとい神崎に葵は声をかけた。
「お久しぶりです、神崎さん。お元気そうで何よりです」
「葵君も元気そうね。相変わらずいい男っぷりで目の保養だわ」
形式上の挨拶を交わす。神崎は薔薇のような女性だと、誰かが比喩していたことがあった。確かに、笑う様は大輪の薔薇のような華やかさがある。だが。
「ねえ、葵君」
薔薇には棘がある。しかも神崎の棘は猛毒仕込みに間違いない。先ほどまでは露ほども感じられなかった毒が声音にねっとりと含まれたことを瞬時に悟る。背後にいるアルも同じだろう。
「可愛さ余って憎さ百万倍って、先人はよく言ったものよね」
先人はそんな悪意のある言葉を残してはいない。そう葵は思ったが、薄く細められた神崎の瞳が有無を言わせない。神崎の後ろでは安部がおろおろとしている。ああ、そろそろ爆発するな。カウントダウンを始めてみようか。
三、
「百万倍どころか、千万倍という感じかしら」
二、
「ねぇ、月神」
一、
「さっさと出てきなさい!」
合掌。
首根っこを掴まれるようにして引きずられていくアルに心の中で手を合わせる。安部なんかは、隣で本当に手を合わせていた。
「いやあ、毎回お手数をお掛けしてしまって申し訳ありません」
安部が手を合わせたまま、葵に話しかける。
「いえ、悪いのはアルですから」
全面的に非はアルにしかない。アル意外に非はない。そう言外に伝わったのか、安部はいつもより眉尻を下げて情けなさそうに笑った。小さく聞こえた感謝の言葉を、葵は銜えた煙草に火を点ける音に紛らせた。




