第1話
番外編は年齢制限がありませんが、『アオゾラ』本編は18歳未満閲覧禁止です。
このお話は橋下ひかり個人HP『HOPELESS WORLD』に掲載されています。
携帯閲覧用にこちらを利用させていただきました。http://kibounonaisekai.jorougumo.com/
そのとき、俺は初めて他人に見惚れる、ということを体験したのかも知れない。
いつものようにほとんどの園児が降園したひまわり幼稚園に元気に挨拶をしながら入っていくと、子供達にふざけて顔と言わず服まで泥をつけられた彼が水飲み場で顔を洗っていた。彼のことは知っていたが、まともに話をしたことがない。それでも仕事先の人だから「こんにちは」と声をかけた。
いつもはかけている眼鏡を外し、髪を濡らして後ろにあげた彼はいつもとは全然印象が違った。したたる水と、おぼつかない視力で頼りなげな表情がとても綺麗だと思った。
思わず、一瞬見惚れてしまったのだ。
タオルで顔を拭き、まだ少し泥の付いたメガネをかけた彼が俺を見て照れくさそうに笑う。
「こんにちは」
ダメだ。やられた。
この瞬間俺は恋に落ちた。
小さな頃からサッカーをしていた俺は、サッカー推薦で地元では有名な強豪校に入学した。
Jリーグが設立されて数年、熱狂的なサッカーブームも少し過ぎ、次第に実力のある選手が頭角を現して徐々に世界に進出し始めた頃、自分もその一人になれると信じ、憧れて日々をサッカーばかりに費やしていた。
高校は自宅からは遠いため、下宿をしていた。
サッカー部は上下関係や規則など、さすが、全国大会常連校だけあって厳しかったが、それなりに俺たちは先生や上級生の目を盗んでいろんな事をした。
酒や煙草を覚えたのもこのころ。女の体を覚えたのもこのころ。それと、自分が同性でもこだわりなく体を重ねることができると知ったのもこのころだった。
クラスは違ったが、同じ学年で同じサッカー部だった白井祐次とは特に仲が良く、昼飯も放課後も休みの日でさえよく一緒につるんでいた。
特にヤツに恋していた、と言うわけではなかったが、何となく成り行きと興味本位で体を繋げたこともあった。男女交際禁止だったサッカー部ではさすがに特定の彼女を作ることもできず、さりとてサッカーだけでは発散できない若いエネルギーをお互い遊び感覚で解消していた。
高校3年の春。ヤツはグラウンドを去った。
たまたまその時俺はいなかったが、他のサッカー部のメンバー数人と学校の片隅で煙草を吸っているところを運悪く先生に見つかり、強制退部となったのだ。学校の方は数日間の停学で済んだが、ヤツのプロ入りという夢は絶たれてしまった。
停学が明けてしばらくは荒れていたヤツと、最後の高総体へ向けて一段と練習の忙しくなった俺とは疎遠になり、ヤツとはその後一度もゆっくり話をすることもなく卒業してしまった。共通の友達からはヤツは実家の酒屋を継ぐらしいと聞いた。一方俺は、高総体で華々しい結果を残せず、高卒でプロ入りとは行かなかったが、大学からスカウトが来て勉強もろくすっぽできないくせに進学した。
大学に入ると、一人暮らしを始めた開放感から、かなり乱れた生活を送っていた。
もちろんサッカーは続けていて練習にはちゃんと顔を出していたが、大学の講義はさぼる、朝まで酒は飲みまくる。男女問わずお持ち帰りをする。素行は悪かったが、なぜだか憎まれないので調子に乗って遊び回った。
俺の知らない間に、「俺の彼女」の座に居座る女もできたりしたが、身の回りのことをしてくれたり、俺の都合の良いときに夜の相手にもなってくれたりしたから、そのままにしておいた。まあ、俺の気持ちがわからないと言って必ず女の方から出て行かれたもんだが。
そんな俺にもヤキが回ってきた。
大学3年の冬、そろそろ本格的にプロ試験を受けようと思っていた矢先、俺は試合中のラフプレイでケガをする。
膝を壊した。思った以上に怪我の状態は酷く、プロで通用するほど世の中は甘くなかった。
完治にまで時間をかなり要したので、その間にも友達は次々に就職を決め、卒論に追われ、一人取り残された気分に陥る。毎日が色あせた日々だった。
それでも体はボールを蹴りたがる。
小さい頃から染みついた習慣がなかなか抜けない。
本当に自分からサッカーを取ったら何も残らないのだと言うことを思い知らされた。
こうやって、落ち込んでいるときにこそそばにいて欲しい人というモノはいなくて、図に乗っていた自分を振り返り更に落ち込んだ。
夏休み、今までなら当たり前のように練習に打ち込んでいたのに、今年は何もない。結局大学のサッカー部も除籍になってしまっていた。
することもなく、仕方がないのでしばらく実家に帰ることにした。
暑さと蝉の鳴く声にうんざりしながらも、懐かしい地元を散歩することを思い立つ。
そう言えば、同級生達はどうしているだろうか。
将来を嘱望されながら、結局夢やぶれて帰ってきている惨めな自分をみんなに知られることはできなくて、誰にも連絡を取っていなかった。
ふらふらと近くの公園に入り、日陰を見つけてベンチに座る。
あまりの暑さで、人はほとんどいなかった。
ぼんやりと視線を漂わせていると、公園の入り口にバイクを止めて入ってくる人物に目がとまった。
「宏之?おー!宏之じゃん!久しぶり!!」
「祐次・・・?」
頭に白いタオルを巻いて、白いノースリーブの肌着、ジーンズの上にはデニムの大きな前掛け。運動靴を履いた出で立ちは、まるっきり酒屋の大将だった。
相変わらずの男前な顔にはあのころの幼い印象はまるでない。
「何?おまえ今帰ってんの?」
「ああ・・・」
懐かしいような、それでいて、一緒に追っていた夢をつかめなかった申し訳なさと情けなさで顔が歪む。
中途半端で別れてしまっていた後悔も心の何処かでくすぶっていた。
「配達の帰りに通ったらさぁ、何か、見たことあるヤツがいると思って。わざわざ戻って来ちゃったよ」
にっこり笑う日に焼けたその顔に白い歯が浮かぶ。
変わらないようでいて変わってしまっている。
自分も祐次も。
なんだか、急に切ないような悔しいような言葉では言いがたい想いがあふれてきて涙が頬を伝った。
次から次へと流れる涙を抑えきれない。
声を殺して、肩をふるわせて泣く俺に、最初、祐次は驚いたようだったが、何も言わず、ベンチに座る俺の頭を抱き寄せ、道路から見えないように前に立って壁になってくれた。
いつの間にか、蝉の声は蜩の声に変わっていた。
「そっか、残念だったな」
ひとしきり泣いて、恥ずかしかったが、今の自分の状況を吐露し、不安と不甲斐なさを祐次に聞いてもらって少し落ち着いた頃、隣に座って黙って話を聞いていた祐次がぽつりと言った。
「しばらくはこっちにいるんだろ?」
「まあ、盆明けぐらいまでは・・・」
「今度の日曜、ちょっとつきあえよ」
夕方の風が吹く。
「いいけど、何?」
「草サッカー。最近チームつくってさ。夕方から練習試合があるんだよ。おまえちょっと助っ人で入ってくんねぇ?」
にやりと白い歯を見せて笑う。こういう表情は変わってない。
「え~?」
「サッカー自体は嫌いじゃないんだろ?絶対勝てとか言わないからさ、頼むよ。メンバーもいいやつばっかだし」
「うーん・・・」
あまり気乗りはしなかったが、祐次は早く帰らないと親父にどやされると言って、返事を保留にしたまま帰って行った。




