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第四話 支える風

合宿二日目の朝。


 朝食を終えたあと、ミレイアは全員を見回した。


「昨日、異常が出なかったからといって、安全が証明されたわけではないわ」


 昨夜、初めて試した器官干渉型共鳴。大きな問題は起きなかったが、仲間の内側にある魔力へ触れる以上、軽く扱っていいものではない。


「検証は私が立ち会える夜だけにする。昼は合宿を楽しみなさい」


「分かってるけどさ……せっかく掴めそうなのに、待つのって落ち着かないじゃん」


 カレンが唇を尖らせる。


「焦らないで、カレン。未知の技術は、成功より先に止め方を決めておくものよ」


「……はい」


 場の空気が重くなりすぎる前に、フィアがそっと口を開いた。


「では、昼間は湖の方へ行きませんか? 昨日はあまり遊べませんでしたし」


「湖か。いいね」


 カレンの表情が明るくなる。


 ユノは少し遠慮がちに、窓の外へ視線を向けた。


「私も……行っていいのかな」


「もちろんです。ユノさんも一緒に行きましょう」


 フィアが柔らかく誘うと、ユノの表情が少し緩んだ。


「うん。行きたい」


「シエルちゃんも、よければ」


「足だけなら」


 シエルが短く答える。


 気付けば、全員が自然に動き出していた。



 昼前、一行は湖畔へ向かった。


 夏の光が湖面に反射し、水辺を渡る風が草を揺らしている。


「冷たっ。でも気持ちいい!」


 カレンが浅瀬で楽しそうに笑う。


 ユノは水辺の手前で、少し落ち着かなさそうにしていた。


「ユノさん、無理しなくて大丈夫です。でも、足だけでも気持ちいいと思いますよ」


「……うん。じゃあ、少しだけ」


 フィアに促され、ユノも浅瀬へ入る。


「……本当だ。冷たい」


「でしょう?」


 フィアが微笑む。


 シエルは宣言通り、木陰に近い場所で足だけ水につけていた。


「シエルちゃん、タオルは木陰に置いておきますね」


「ん。ありがと」


「カレンさん、そこ滑りやすいです」


「大丈夫だって。ちゃんと見えて――わっ」


 カレンの足元が軽く滑る。ルークが反射的に手を伸ばす前に、カレンはどうにか体勢を立て直した。


「見えていませんでしたね」


「今のは石が悪い」


「不注意」


 シエルが短く言う。


「シエルまで!」


 ユノが小さく笑った。


 検証の緊張も、不安も、その時間だけは少し遠くなる。


 フィアの髪が風に揺れた。支えるための風ではなく、ただ仲間と一緒に笑うための風のように。



 その夜。


 コテージの裏手にある開けた場所で、二度目の検証が始まった。


「昨日と同じ流れで行うわ。少しでも乱れたら、すぐに止めること。いいわね?」


 ミレイアの確認に、ルークは頷いた。


 カレンは、前回よりもルークの灰銀色魔力を受け止められていた。緋紅色に灰銀色が混ざる時間は短い。それでも、外へ出た魔力は散りにくくなっている。


「まだ暴れるけど、前より言うこと聞く感じ」


「悪くないわ。でも、今日はそこまで」


 ミレイアが止めると、カレンは素直に下がった。


 シエルの蒼氷色にも、灰銀色が薄く混ざった。まだルークの魔力を意識しすぎるが、昨日より乱れは小さい。


「昨日より、流れやすい。でも、意識すると乱れる」


「今日は感覚を掴めただけで十分よ」


 シエルは静かに頷いた。


 ユノは三人の中で一番なめらかだった。白煌色に灰銀色が混ざり、その部分からは周囲を揺らす気配がすっと薄れていく。


「昨日より、穏やかです。あまり乱れていません」


「それなら前進よ」


「はい」


 ユノの表情が少し緩む。


 三人の検証を終え、ミレイアは小さく息を吐いた。


「三人とも、昨日よりは進んでいるわ。明日以降も、慎重に続けましょう」


 そのまま今日の検証は終わりかけた。けれど、フィアが一歩前へ出る。


「あの……ミレイアさん」


 控えめな声だった。けれど、迷っているだけの声ではない。


「私も、試してもいいでしょうか」


 ルークは少し驚いて、フィアを見た。


「無理にしなくてもいいんだぞ」


 ルークがそう言うと、フィアは柔らかく首を横に振った。


「はい。無理をしたいわけではありません。ただ、皆さんが少しずつ進んでいるのを見て……私も、自分の感覚を確認しておきたいと思ったんです」


 ミレイアは少し考える。


「……違和感があれば、すぐに止める。それでいい?」


「はい」


「ルークもよ。少しでも乱れたら、すぐ手を引きなさい」


「分かりました」


 ルークはフィアの背後へ回り、背中へ手を当てた。


「大丈夫か?」


「……はい。お願いします」


 フィアは小さく息を整える。


「始めましょう」


 ミレイアの声に、フィアが頷いた。


 翠風色の魔力が、フィアの内側から外へ流れ出す。ルークはそこへ、灰銀色の魔力を慎重に重ねた。


 その瞬間、フィアの肩がぴくりと揺れる。


「……っ」


「フィア?」


「だ、大丈夫、です。ただ……」


 フィアは少しだけ言葉を迷った。


「内側を撫でられたみたいで、驚いただけです」


 言ってから、フィアは自分の言葉に気付いたように、わずかに頬を染めた。


「……すみません。少し変な言い方になりました」


「……いや、分かった。嫌な感じか?」


「嫌ではありません。ただ、自分の魔力ではないものが近くにあるのが、はっきり分かります」


 フィアは胸元に手を添え、呼吸を整えた。


「続けてください」


 ルークは頷き、さらに慎重に灰銀色を近づける。


 けれど、混ざらない。


 灰銀色が触れようとした瞬間、翠風色の魔力は風へ逃げるように外へ広がってしまう。


「……っ」


 ルークはすぐに干渉を弱めた。


「今のは?」


「触れる前に、外へ流れてしまう感じがします」


 フィアは自分の手元を見る。そこには、いつもの翠風色の魔力だけがかすかに揺れていた。灰銀色は残っていない。


 カレンやシエルは、短い時間でも灰銀色を受け止められていた。けれど、フィアの魔力は違う。触れそうになった瞬間、風の中へほどけてしまう。


「もう一度だけ、いけそう?」


 ミレイアが確認する。


 フィアは間を置き、頷いた。


「はい」


 二度目も、結果は変わらなかった。


 ルークが手を引く。ミレイアはしばらく黙って、残った魔力の揺れを見ていた。


「今日はここまでにしましょう」


「……はい」


 フィアは静かに頷く。


 表情は崩れない。けれど、手元に残った翠風色を見つめる時間が、ほんの少しだけ長かった。


「フィア、まだ一回目じゃん。そんなに落ち込むところじゃないって」


 カレンが声をかける。


「はい。分かっています」


「拒絶反応があったわけじゃない」


 シエルも続ける。


「少しずつでいいと思う」


 ユノも小さく頷いた。


 フィアは三人を見る。


「……ありがとうございます」


 いつもの柔らかな笑みだった。


 けれど、少しだけ薄い。



 三日目から五日目にかけて、昼は合宿らしく過ごし、夜はミレイアの立ち会いのもとで検証を続けた。


 湖畔を散歩し、軽く訓練し、時には露店で昼食を済ませる。そんなふうに過ごしているうちに、最初に買い込んだ食材も五日目の昼にはだいぶ少なくなっていた。


「そろそろ買い足さないと、夕食が寂しくなりそうですね」


 食材の棚を見ながら、フィアが言う。


 カレンが横から覗き込んだ。


「肉、ほとんどないじゃん」


「カレンがよく食べるから」


 シエルが短く言う。


「みんなも食べてるでしょ」


「カレンが一番多い」


「そこは成長期ってことで」


「都合がいい」


 シエルの淡々とした返しに、ユノが小さく笑った。


「では、今日は買い物に行きましょうか。夕食と、明日の朝の分くらいは必要ですね」


「いいね。せっかくだし、少し町の方も見たい」


「ユノさんも、よかったら一緒に行きませんか?」


「うん。行きたい」


「シエルちゃんは?」


「行く。荷物持ちもいるし」


 シエルの視線がルークへ向いた。


「俺か」


「うん」


「即答かよ」


 ルークが苦笑すると、カレンが楽しそうに笑った。



 湖畔近くの店通りは、初日に訪れた時よりも少し賑わっていた。干し肉や魚、焼き菓子や果物を並べた露店が並んでいる。


 カレンは肉の並ぶ店先で足を止めた。


「これ、絶対おいしいやつ」


「高い」


 シエルが値札を見て即答する。


「少しだけなら」


「カレンの少しは多い」


「信用なさすぎない?」


 フィアはくすりと笑いながら、隣の小瓶を手に取った。


「香辛料は、カレンさん用に分けておきましょうか」


「流石フィア、分かってる!」


「皆さんで食べる分は、控えめにしましょうね」


「はーい」


「返事が軽い」


 シエルが短く言う。


 その横で、ユノは黄色い果物の籠を見つめていた。手に取るか迷って、すぐに引っ込める。


 フィアはそれに気付くと、そっと隣へ並んだ。


「ユノさん、その果物、気になりますか?」


「あ……うん。少しだけ」


「では、夕食の後にみんなで食べませんか?」


「いいの?」


「もちろんです。ユノさんが見つけてくれたものですし」


 ユノは少し照れたように頷き、果物を籠へ入れた。


「ルーク君、こちらもお願いしていいですか?」


「ああ」


 差し出された袋を受け取ると、見た目よりもずっしり重い。


「結構あるな」


「カレンさんのお肉です」


「私だけじゃないって」


「半分以上はカレン」


「シエル、正確に言わなくていいから」


 そのやり取りに、ユノがまた小さく笑った。



 夜の検証も、少しずつ進んだ。


 カレンは、最初ほど灰銀色魔力を弾かなくなった。シエルも、意識がルークへ向きすぎる癖は残っていたが、初日ほど乱れない。ユノは三人の中で一番順調だった。


 けれど、フィアの検証だけは足踏みが続いた。


 灰銀色は近づく。それでも翠風色は、混ざる前に風へほどけてしまう。


「……また、ですね」


 フィアは静かに言った。


「今日はここまでにしましょう」


「はい」


 フィアは無理を言わなかった。けれど、検証の後に自分の手元を見る時間は、少しずつ長くなっていた。



 五日目の夜。


 この日の検証を終えたあと、ミレイアは記録を閉じた。


「カレン、シエル、ユノは少しずつ慣れてきているわ。もちろん、まだ安定とは言えない。でも前進はしている」


 三人が頷く。


 ミレイアの視線が、フィアへ向いた。


「フィア、これは能力不足じゃないわ」


 その言葉に、フィアがわずかに顔を上げた。


「フィアは周りを見ることに慣れすぎている。風を広げて、誰かの変化を拾う。それが自然すぎるの」


 ミレイアは、残った翠風色の揺れを見る。


「だから、ルークの魔力を受け止める前に、意識ごと外へ向いてしまうのよ」


「……周りを、見ることが」


「ええ。あなたの長所よ。けれど今回だけは、その長所が壁になっている」


 フィアは黙って頷いた。


 ルークの灰銀色は、確かに近づいている。けれど、混ざる前にフィアの魔力が外へ向いてしまう。


 検証を終えてコテージへ戻る時、フィアはいつもより少し後ろを歩いていた。


「フィア、寒くない?」


 カレンが振り返る。


「大丈夫です。カレンさんこそ、上着をちゃんと羽織ってくださいね」


「今聞いたの私なんだけど」


「カレンはすぐ忘れる」


 シエルが短く言う。


「忘れないって」


「さっき忘れてた」


「それは……ちょっとだけ」


 ユノがくすりと笑う。


 フィアもつられるように笑った。


 ルークはその背中を見ながら、ミレイアの言葉を思い返していた。



 合宿六日目の夕方。


 軽い訓練を終えたルークたちは、湖畔近くの道を歩いていた。


 空はゆっくりと茜色に染まり始めている。湖面には夕焼けが映り、風が吹くたびに光が細かく揺れた。


 その途中、カレンが桟橋のそばに並ぶ小舟を見つけた。


「あれ、乗れるやつじゃない?」


 木製の小舟が何艘か並び、近くには貸し出し用の札も立っている。


「ねえ、乗ってみない?」


 カレンの声が弾む。


 ユノも少し目を向けた。シエルも表情には出さないが、視線は舟の方へ向いている。買い足した食材もあり、戻れば夕食の準備が待っている。


 その横で、フィアも一瞬だけ舟を見た。


 夕焼けを映した水面を、小舟が風に押されてゆっくり揺れている。それを見た瞬間、フィアの表情がわずかに明るくなった。


 ほんの短い時間だった。


 けれど、ルークにはそれが分かった。


 フィアはすぐに視線を戻す。


「でも、そろそろ戻らないと夕食の準備がありますし……荷物もありますから」


「夕食の準備なら、全員でやれば間に合う。荷物も俺が持つから、少しくらい寄っていこう」


「でも、ルーク君」


「フィアも、乗りたそうにしてただろ」


 フィアが言葉を止めた。


 カレンがすぐに笑う。


「そうそう。今日はちゃんと遊ぶ日ね」


「カレンさんまで……」


「いつも準備とか片付けとか気にしてくれてるし。今日はフィアも遊ぶ側」


 シエルも頷く。


「全員でやれば早い」


 ユノも、少しだけ前に出た。


「私も……フィアと一緒に乗ってみたい」


 その声に、フィアの表情が揺れる。


 フィアは困ったように笑った。


「……皆さん、ずるいです」


「ずるくないよ。多数決」


 カレンが笑う。


「まだ取ってない」


 シエルが淡々と言う。


「じゃあ取る? 乗りたい人」


 カレンが手を上げる。ユノも小さく手を上げ、シエルは少し間を置いてから控えめに手を上げた。ルークも続く。


 最後に、全員の視線がフィアへ集まった。


 フィアは少しだけ頬を染める。


「……私も、乗ってみたいです」


 その言葉を聞いた瞬間、カレンが満足そうに笑った。


「はい、決まり」



 小舟は、思ったよりもゆっくり進んだ。


 ルークが櫂を動かすたびに、水面が小さく揺れる。


 カレンは舟の縁から湖を覗き込み、楽しそうに目を輝かせていた。


「近くで見ると、夕焼けすごいね」


「落ちないで」


 シエルがすぐに言う。


「落ちないって」


「さっき少し揺れた」


「それは舟が揺れたんだよ」


「カレンも揺らした」


「……ちょっとだけ」


 カレンが小さく笑う。


 ユノはそのやり取りを見て、柔らかく微笑んでいた。


 ルークは櫂を動かしながら、フィアが景色を見やすい位置になるように舟を少し回した。


 フィアは最初、みんなの様子を見ていた。カレンが身を乗り出しすぎていないか。ユノが怖がっていないか。シエルが無理な姿勢になっていないか。


 けれど、しばらくすると、肩の力が抜けた。


「……綺麗ですね」


 それは、誰かに合わせた言葉ではなかった。


 フィア自身の中から、自然にこぼれた感想だった。


 ルークは櫂を止めずに、静かに言う。


「フィアって、いつも俺たちのこと見てくれてるだろ」


 フィアがこちらを見る。


「え?」


「だから、たまにはフィアが見たいものを、俺たちにも教えてほしい」


 カレンが水面から顔を上げる。シエルも静かにルークの方を見た。ユノは何も言わず、フィアを見つめている。


「準備とか、片付けとか、周りのこととか。フィアが気付いてくれるから、俺たちは助かってる」


「そんな……私は、できることをしているだけです」


「うん。分かってる」


 ルークは頷く。


「でも、それを全部フィアだけがやらなくてもいいと思うんだ」


 フィアはすぐには答えなかった。湖面を渡る風が、彼女の髪を揺らす。


「フィアのことを見る役も、俺たちにやらせてほしい」


 フィアは少しだけ視線を落とした。


「……私、そんなに分かりやすかったですか?」


「一瞬だけ。舟、見てただろ」


「よく見ていますね、ルーク君は」


 フィアは困ったように、けれど嬉しそうに笑った。


 カレンが横から明るく言う。


「フィアはいつも見てる側だからね。たまにはこっちが見る番でしょ」


「見る番、ですか」


「変な意味じゃなくて」


「分かっています」


 フィアがくすりと笑う。


 シエルも短く続けた。


「役割は、分ければいい」


 ユノも頷く。


「私も、フィアに気遣ってもらってばかりだったから。今度は、私も気付きたい」


「ユノさん……」


 フィアの声が少しだけ揺れた。


 いつもなら、自分が先に気付いて動く。誰かが困る前に、流れを整える。けれど今日は、自分が言う前にルークが気付いてくれた。カレンが背中を押し、シエルが現実的に支え、ユノが自分から誘ってくれた。


 胸の奥にあった強張りが、湖畔の風にほどけていく。


(私も、少しだけ委ねてみてもいいのかもしれない)


 そう思った瞬間、湖畔の風がふわりと頬を撫でた。


「……ありがとうございます」


 小さな声だった。


 けれど、その言葉はまっすぐ届いた。


 カレンがにっと笑う。


「よし。じゃあ戻ったら、夕食は全員で準備ね」


「カレンもちゃんとやる」


 シエルがすぐに言う。


「やるって」


「香辛料、入れすぎないで」


「それは相談」


「却下」


 いつものやり取りに、ユノが笑う。


 フィアもつられて笑った。


 小舟は、夕焼けの湖をゆっくり進んでいく。



 その夜。


 コテージの裏手には、静かな夜風が流れていた。


 湖畔から戻ったあと、夕食は全員で準備した。


「フィア、それ俺がやる」


「でも、ルーク君も荷物を」


「もう片付けた」


「早いですね」


「フィアが動く前にやらないと、全部持っていかれるからな」


 フィアは少し戸惑ったあと、小さく笑った。


「ありがとうございます」


 カレンが鍋の前で胸を張る。


「火加減は任せて」


「香辛料は?」


 シエルが横から見る。


「まだ入れてないって」


「まだ」


「信用ないなぁ」


 ユノは皿を並べながら、少し楽しそうに笑っていた。


 そして今、六日目の夜の検証が始まろうとしている。


 ミレイアは全員の位置を確認し、フィアへ視線を向けた。


「フィア、無理はしないこと。違和感があれば、すぐに止めるわ」


「はい」


「ルークもよ。少しでも乱れたら、すぐ手を引きなさい」


「分かりました」


 ルークは頷き、フィアの背後へ回る。


 これまでと同じ。けれど、フィアの様子は少し違っていた。


「大丈夫か?」


 ルークが小さく声をかける。


 フィアは息を吐いてから、頷いた。


「はい。お願いします」


 ルークがフィアの背中へ手を当てる。


 内側へ触れられる感覚には、まだ慣れない。けれど、フィアは目を閉じなかった。


 一度、カレンたちを見る。


「大丈夫。何かあったらすぐ言うから」


 カレンがまっすぐに言う。


「周りの乱れは見てる」


 シエルも短く続けた。


 ユノも胸の前で手を握り、小さく頷く。


「私も、フィアの風を乱さないように気を付ける」


「……ありがとうございます」


 フィアは三人にそう言って、目を閉じた。


 いつもなら、自分が周りを見る。風を広げて、誰かの小さな変化に気付き、困る前に先に動く。けれど今は、その役を少しだけ仲間に預ける。


 周りを見続けるためではなく、自分の内側を感じるために。


「始めるぞ」


「はい」


 ルークの灰銀色魔力が、ゆっくりとフィアの翠風色へ触れる。


 これまでなら、逃げるように翠風色は外へ流れていた。


 けれど今夜は、違った。


 翠風色が、ほんの一瞬だけ外へ流れずに留まる。そこへ、灰銀色が初めて混ざった。


 淡い翠銀色。


 昨日までは見ることのできなかった色が、夜の空気の中で静かに揺れた。


「……」


 フィアの指先が小さく震える。


 ルークは出力を上げない。支えるだけに留める。


 一秒。


 二秒。


 三秒。


 その後、色はふっと崩れた。


 翠銀色はほどけ、いつもの翠風色へ戻っていく。けれど、完全に失敗したわけではなかった。


 確かに、混ざっていた。


 数秒だけ。


 フィアがゆっくりと目を開ける。


「……今の、少しだけ」


「混ざっていたな」


 ルークが答える。


 フィアは自分の手元を見つめたまま、信じられないように瞬きをした。


 ミレイアもすぐに断定はしなかった。残った魔力の揺れを確かめるように見てから、静かに頷く。


「成功とは言い切れないわ。維持も短いし、まだ安定には遠い」


 フィアの肩が、少し落ちかける。


 けれど、ミレイアは続けた。


「でも、昨日とは明らかに違う。前進よ」


 フィアが顔を上げる。


 カレンが、ぱっと笑った。


「ほら、できたじゃん!」


「まだ数秒です」


「でも、数秒できたんだから前進でしょ」


 カレンの声には、迷いがなかった。


 シエルも小さく頷く。


「うん。前進」


 ユノも柔らかく微笑んだ。


「フィア、よかった」


「……はい」


 フィアは少しだけ照れたように笑う。


 その笑顔には、さっきまでの薄さはなかった。


 ルークは手を離し、フィアの背中から一歩下がる。


「無理はしてないか?」


「はい。大丈夫です」


 フィアはそう答えてから、少しだけ視線を落とした。


「……でも、不思議でした」


「不思議?」


「いつもなら、周りを見ようとしてしまうんです。風を広げて、誰かの動きや魔力の揺れを拾おうとしてしまって」


 フィアは自分の胸元に手を添える。


「でも今日は、少しだけ……皆さんに任せても大丈夫だと思えました」


 その言葉に、カレンが嬉しそうに目を細める。


「任せていいよ。ちゃんと見るから」


「カレンは見る前に動く」


 シエルが短く言う。


「そこは信用してよ」


「半分くらい」


「少ない!」


 ユノが小さく笑う。


 フィアもつられて笑った。


 ミレイアはその様子を見て、少しだけ口元を緩める。


「今日はここまでにしましょう。今の感覚を無理に追わないこと。掴みかけた時ほど、焦ると崩れるわ」


「はい」


 フィアは素直に頷いた。


「明日以降も、少しずつ確認していきましょう」


「分かりました」


 検証は終わった。


 完成にはまだ遠い。翠銀色は数秒しか続かなかった。


 けれど今夜、フィアの風は初めて、灰銀色を受け止めた。


 湖畔から夜風が吹く。


 フィアの翠風色の魔力が、風に溶ける。


 支えるために外へ広がる風。


 その風を今夜、フィアはほんの少しだけ、仲間に預けた。

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