第四話 支える風
合宿二日目の朝。
朝食を終えたあと、ミレイアは全員を見回した。
「昨日、異常が出なかったからといって、安全が証明されたわけではないわ」
昨夜、初めて試した器官干渉型共鳴。大きな問題は起きなかったが、仲間の内側にある魔力へ触れる以上、軽く扱っていいものではない。
「検証は私が立ち会える夜だけにする。昼は合宿を楽しみなさい」
「分かってるけどさ……せっかく掴めそうなのに、待つのって落ち着かないじゃん」
カレンが唇を尖らせる。
「焦らないで、カレン。未知の技術は、成功より先に止め方を決めておくものよ」
「……はい」
場の空気が重くなりすぎる前に、フィアがそっと口を開いた。
「では、昼間は湖の方へ行きませんか? 昨日はあまり遊べませんでしたし」
「湖か。いいね」
カレンの表情が明るくなる。
ユノは少し遠慮がちに、窓の外へ視線を向けた。
「私も……行っていいのかな」
「もちろんです。ユノさんも一緒に行きましょう」
フィアが柔らかく誘うと、ユノの表情が少し緩んだ。
「うん。行きたい」
「シエルちゃんも、よければ」
「足だけなら」
シエルが短く答える。
気付けば、全員が自然に動き出していた。
◇
昼前、一行は湖畔へ向かった。
夏の光が湖面に反射し、水辺を渡る風が草を揺らしている。
「冷たっ。でも気持ちいい!」
カレンが浅瀬で楽しそうに笑う。
ユノは水辺の手前で、少し落ち着かなさそうにしていた。
「ユノさん、無理しなくて大丈夫です。でも、足だけでも気持ちいいと思いますよ」
「……うん。じゃあ、少しだけ」
フィアに促され、ユノも浅瀬へ入る。
「……本当だ。冷たい」
「でしょう?」
フィアが微笑む。
シエルは宣言通り、木陰に近い場所で足だけ水につけていた。
「シエルちゃん、タオルは木陰に置いておきますね」
「ん。ありがと」
「カレンさん、そこ滑りやすいです」
「大丈夫だって。ちゃんと見えて――わっ」
カレンの足元が軽く滑る。ルークが反射的に手を伸ばす前に、カレンはどうにか体勢を立て直した。
「見えていませんでしたね」
「今のは石が悪い」
「不注意」
シエルが短く言う。
「シエルまで!」
ユノが小さく笑った。
検証の緊張も、不安も、その時間だけは少し遠くなる。
フィアの髪が風に揺れた。支えるための風ではなく、ただ仲間と一緒に笑うための風のように。
◇
その夜。
コテージの裏手にある開けた場所で、二度目の検証が始まった。
「昨日と同じ流れで行うわ。少しでも乱れたら、すぐに止めること。いいわね?」
ミレイアの確認に、ルークは頷いた。
カレンは、前回よりもルークの灰銀色魔力を受け止められていた。緋紅色に灰銀色が混ざる時間は短い。それでも、外へ出た魔力は散りにくくなっている。
「まだ暴れるけど、前より言うこと聞く感じ」
「悪くないわ。でも、今日はそこまで」
ミレイアが止めると、カレンは素直に下がった。
シエルの蒼氷色にも、灰銀色が薄く混ざった。まだルークの魔力を意識しすぎるが、昨日より乱れは小さい。
「昨日より、流れやすい。でも、意識すると乱れる」
「今日は感覚を掴めただけで十分よ」
シエルは静かに頷いた。
ユノは三人の中で一番なめらかだった。白煌色に灰銀色が混ざり、その部分からは周囲を揺らす気配がすっと薄れていく。
「昨日より、穏やかです。あまり乱れていません」
「それなら前進よ」
「はい」
ユノの表情が少し緩む。
三人の検証を終え、ミレイアは小さく息を吐いた。
「三人とも、昨日よりは進んでいるわ。明日以降も、慎重に続けましょう」
そのまま今日の検証は終わりかけた。けれど、フィアが一歩前へ出る。
「あの……ミレイアさん」
控えめな声だった。けれど、迷っているだけの声ではない。
「私も、試してもいいでしょうか」
ルークは少し驚いて、フィアを見た。
「無理にしなくてもいいんだぞ」
ルークがそう言うと、フィアは柔らかく首を横に振った。
「はい。無理をしたいわけではありません。ただ、皆さんが少しずつ進んでいるのを見て……私も、自分の感覚を確認しておきたいと思ったんです」
ミレイアは少し考える。
「……違和感があれば、すぐに止める。それでいい?」
「はい」
「ルークもよ。少しでも乱れたら、すぐ手を引きなさい」
「分かりました」
ルークはフィアの背後へ回り、背中へ手を当てた。
「大丈夫か?」
「……はい。お願いします」
フィアは小さく息を整える。
「始めましょう」
ミレイアの声に、フィアが頷いた。
翠風色の魔力が、フィアの内側から外へ流れ出す。ルークはそこへ、灰銀色の魔力を慎重に重ねた。
その瞬間、フィアの肩がぴくりと揺れる。
「……っ」
「フィア?」
「だ、大丈夫、です。ただ……」
フィアは少しだけ言葉を迷った。
「内側を撫でられたみたいで、驚いただけです」
言ってから、フィアは自分の言葉に気付いたように、わずかに頬を染めた。
「……すみません。少し変な言い方になりました」
「……いや、分かった。嫌な感じか?」
「嫌ではありません。ただ、自分の魔力ではないものが近くにあるのが、はっきり分かります」
フィアは胸元に手を添え、呼吸を整えた。
「続けてください」
ルークは頷き、さらに慎重に灰銀色を近づける。
けれど、混ざらない。
灰銀色が触れようとした瞬間、翠風色の魔力は風へ逃げるように外へ広がってしまう。
「……っ」
ルークはすぐに干渉を弱めた。
「今のは?」
「触れる前に、外へ流れてしまう感じがします」
フィアは自分の手元を見る。そこには、いつもの翠風色の魔力だけがかすかに揺れていた。灰銀色は残っていない。
カレンやシエルは、短い時間でも灰銀色を受け止められていた。けれど、フィアの魔力は違う。触れそうになった瞬間、風の中へほどけてしまう。
「もう一度だけ、いけそう?」
ミレイアが確認する。
フィアは間を置き、頷いた。
「はい」
二度目も、結果は変わらなかった。
ルークが手を引く。ミレイアはしばらく黙って、残った魔力の揺れを見ていた。
「今日はここまでにしましょう」
「……はい」
フィアは静かに頷く。
表情は崩れない。けれど、手元に残った翠風色を見つめる時間が、ほんの少しだけ長かった。
「フィア、まだ一回目じゃん。そんなに落ち込むところじゃないって」
カレンが声をかける。
「はい。分かっています」
「拒絶反応があったわけじゃない」
シエルも続ける。
「少しずつでいいと思う」
ユノも小さく頷いた。
フィアは三人を見る。
「……ありがとうございます」
いつもの柔らかな笑みだった。
けれど、少しだけ薄い。
◇
三日目から五日目にかけて、昼は合宿らしく過ごし、夜はミレイアの立ち会いのもとで検証を続けた。
湖畔を散歩し、軽く訓練し、時には露店で昼食を済ませる。そんなふうに過ごしているうちに、最初に買い込んだ食材も五日目の昼にはだいぶ少なくなっていた。
「そろそろ買い足さないと、夕食が寂しくなりそうですね」
食材の棚を見ながら、フィアが言う。
カレンが横から覗き込んだ。
「肉、ほとんどないじゃん」
「カレンがよく食べるから」
シエルが短く言う。
「みんなも食べてるでしょ」
「カレンが一番多い」
「そこは成長期ってことで」
「都合がいい」
シエルの淡々とした返しに、ユノが小さく笑った。
「では、今日は買い物に行きましょうか。夕食と、明日の朝の分くらいは必要ですね」
「いいね。せっかくだし、少し町の方も見たい」
「ユノさんも、よかったら一緒に行きませんか?」
「うん。行きたい」
「シエルちゃんは?」
「行く。荷物持ちもいるし」
シエルの視線がルークへ向いた。
「俺か」
「うん」
「即答かよ」
ルークが苦笑すると、カレンが楽しそうに笑った。
◇
湖畔近くの店通りは、初日に訪れた時よりも少し賑わっていた。干し肉や魚、焼き菓子や果物を並べた露店が並んでいる。
カレンは肉の並ぶ店先で足を止めた。
「これ、絶対おいしいやつ」
「高い」
シエルが値札を見て即答する。
「少しだけなら」
「カレンの少しは多い」
「信用なさすぎない?」
フィアはくすりと笑いながら、隣の小瓶を手に取った。
「香辛料は、カレンさん用に分けておきましょうか」
「流石フィア、分かってる!」
「皆さんで食べる分は、控えめにしましょうね」
「はーい」
「返事が軽い」
シエルが短く言う。
その横で、ユノは黄色い果物の籠を見つめていた。手に取るか迷って、すぐに引っ込める。
フィアはそれに気付くと、そっと隣へ並んだ。
「ユノさん、その果物、気になりますか?」
「あ……うん。少しだけ」
「では、夕食の後にみんなで食べませんか?」
「いいの?」
「もちろんです。ユノさんが見つけてくれたものですし」
ユノは少し照れたように頷き、果物を籠へ入れた。
「ルーク君、こちらもお願いしていいですか?」
「ああ」
差し出された袋を受け取ると、見た目よりもずっしり重い。
「結構あるな」
「カレンさんのお肉です」
「私だけじゃないって」
「半分以上はカレン」
「シエル、正確に言わなくていいから」
そのやり取りに、ユノがまた小さく笑った。
◇
夜の検証も、少しずつ進んだ。
カレンは、最初ほど灰銀色魔力を弾かなくなった。シエルも、意識がルークへ向きすぎる癖は残っていたが、初日ほど乱れない。ユノは三人の中で一番順調だった。
けれど、フィアの検証だけは足踏みが続いた。
灰銀色は近づく。それでも翠風色は、混ざる前に風へほどけてしまう。
「……また、ですね」
フィアは静かに言った。
「今日はここまでにしましょう」
「はい」
フィアは無理を言わなかった。けれど、検証の後に自分の手元を見る時間は、少しずつ長くなっていた。
◇
五日目の夜。
この日の検証を終えたあと、ミレイアは記録を閉じた。
「カレン、シエル、ユノは少しずつ慣れてきているわ。もちろん、まだ安定とは言えない。でも前進はしている」
三人が頷く。
ミレイアの視線が、フィアへ向いた。
「フィア、これは能力不足じゃないわ」
その言葉に、フィアがわずかに顔を上げた。
「フィアは周りを見ることに慣れすぎている。風を広げて、誰かの変化を拾う。それが自然すぎるの」
ミレイアは、残った翠風色の揺れを見る。
「だから、ルークの魔力を受け止める前に、意識ごと外へ向いてしまうのよ」
「……周りを、見ることが」
「ええ。あなたの長所よ。けれど今回だけは、その長所が壁になっている」
フィアは黙って頷いた。
ルークの灰銀色は、確かに近づいている。けれど、混ざる前にフィアの魔力が外へ向いてしまう。
検証を終えてコテージへ戻る時、フィアはいつもより少し後ろを歩いていた。
「フィア、寒くない?」
カレンが振り返る。
「大丈夫です。カレンさんこそ、上着をちゃんと羽織ってくださいね」
「今聞いたの私なんだけど」
「カレンはすぐ忘れる」
シエルが短く言う。
「忘れないって」
「さっき忘れてた」
「それは……ちょっとだけ」
ユノがくすりと笑う。
フィアもつられるように笑った。
ルークはその背中を見ながら、ミレイアの言葉を思い返していた。
◇
合宿六日目の夕方。
軽い訓練を終えたルークたちは、湖畔近くの道を歩いていた。
空はゆっくりと茜色に染まり始めている。湖面には夕焼けが映り、風が吹くたびに光が細かく揺れた。
その途中、カレンが桟橋のそばに並ぶ小舟を見つけた。
「あれ、乗れるやつじゃない?」
木製の小舟が何艘か並び、近くには貸し出し用の札も立っている。
「ねえ、乗ってみない?」
カレンの声が弾む。
ユノも少し目を向けた。シエルも表情には出さないが、視線は舟の方へ向いている。買い足した食材もあり、戻れば夕食の準備が待っている。
その横で、フィアも一瞬だけ舟を見た。
夕焼けを映した水面を、小舟が風に押されてゆっくり揺れている。それを見た瞬間、フィアの表情がわずかに明るくなった。
ほんの短い時間だった。
けれど、ルークにはそれが分かった。
フィアはすぐに視線を戻す。
「でも、そろそろ戻らないと夕食の準備がありますし……荷物もありますから」
「夕食の準備なら、全員でやれば間に合う。荷物も俺が持つから、少しくらい寄っていこう」
「でも、ルーク君」
「フィアも、乗りたそうにしてただろ」
フィアが言葉を止めた。
カレンがすぐに笑う。
「そうそう。今日はちゃんと遊ぶ日ね」
「カレンさんまで……」
「いつも準備とか片付けとか気にしてくれてるし。今日はフィアも遊ぶ側」
シエルも頷く。
「全員でやれば早い」
ユノも、少しだけ前に出た。
「私も……フィアと一緒に乗ってみたい」
その声に、フィアの表情が揺れる。
フィアは困ったように笑った。
「……皆さん、ずるいです」
「ずるくないよ。多数決」
カレンが笑う。
「まだ取ってない」
シエルが淡々と言う。
「じゃあ取る? 乗りたい人」
カレンが手を上げる。ユノも小さく手を上げ、シエルは少し間を置いてから控えめに手を上げた。ルークも続く。
最後に、全員の視線がフィアへ集まった。
フィアは少しだけ頬を染める。
「……私も、乗ってみたいです」
その言葉を聞いた瞬間、カレンが満足そうに笑った。
「はい、決まり」
◇
小舟は、思ったよりもゆっくり進んだ。
ルークが櫂を動かすたびに、水面が小さく揺れる。
カレンは舟の縁から湖を覗き込み、楽しそうに目を輝かせていた。
「近くで見ると、夕焼けすごいね」
「落ちないで」
シエルがすぐに言う。
「落ちないって」
「さっき少し揺れた」
「それは舟が揺れたんだよ」
「カレンも揺らした」
「……ちょっとだけ」
カレンが小さく笑う。
ユノはそのやり取りを見て、柔らかく微笑んでいた。
ルークは櫂を動かしながら、フィアが景色を見やすい位置になるように舟を少し回した。
フィアは最初、みんなの様子を見ていた。カレンが身を乗り出しすぎていないか。ユノが怖がっていないか。シエルが無理な姿勢になっていないか。
けれど、しばらくすると、肩の力が抜けた。
「……綺麗ですね」
それは、誰かに合わせた言葉ではなかった。
フィア自身の中から、自然にこぼれた感想だった。
ルークは櫂を止めずに、静かに言う。
「フィアって、いつも俺たちのこと見てくれてるだろ」
フィアがこちらを見る。
「え?」
「だから、たまにはフィアが見たいものを、俺たちにも教えてほしい」
カレンが水面から顔を上げる。シエルも静かにルークの方を見た。ユノは何も言わず、フィアを見つめている。
「準備とか、片付けとか、周りのこととか。フィアが気付いてくれるから、俺たちは助かってる」
「そんな……私は、できることをしているだけです」
「うん。分かってる」
ルークは頷く。
「でも、それを全部フィアだけがやらなくてもいいと思うんだ」
フィアはすぐには答えなかった。湖面を渡る風が、彼女の髪を揺らす。
「フィアのことを見る役も、俺たちにやらせてほしい」
フィアは少しだけ視線を落とした。
「……私、そんなに分かりやすかったですか?」
「一瞬だけ。舟、見てただろ」
「よく見ていますね、ルーク君は」
フィアは困ったように、けれど嬉しそうに笑った。
カレンが横から明るく言う。
「フィアはいつも見てる側だからね。たまにはこっちが見る番でしょ」
「見る番、ですか」
「変な意味じゃなくて」
「分かっています」
フィアがくすりと笑う。
シエルも短く続けた。
「役割は、分ければいい」
ユノも頷く。
「私も、フィアに気遣ってもらってばかりだったから。今度は、私も気付きたい」
「ユノさん……」
フィアの声が少しだけ揺れた。
いつもなら、自分が先に気付いて動く。誰かが困る前に、流れを整える。けれど今日は、自分が言う前にルークが気付いてくれた。カレンが背中を押し、シエルが現実的に支え、ユノが自分から誘ってくれた。
胸の奥にあった強張りが、湖畔の風にほどけていく。
(私も、少しだけ委ねてみてもいいのかもしれない)
そう思った瞬間、湖畔の風がふわりと頬を撫でた。
「……ありがとうございます」
小さな声だった。
けれど、その言葉はまっすぐ届いた。
カレンがにっと笑う。
「よし。じゃあ戻ったら、夕食は全員で準備ね」
「カレンもちゃんとやる」
シエルがすぐに言う。
「やるって」
「香辛料、入れすぎないで」
「それは相談」
「却下」
いつものやり取りに、ユノが笑う。
フィアもつられて笑った。
小舟は、夕焼けの湖をゆっくり進んでいく。
◇
その夜。
コテージの裏手には、静かな夜風が流れていた。
湖畔から戻ったあと、夕食は全員で準備した。
「フィア、それ俺がやる」
「でも、ルーク君も荷物を」
「もう片付けた」
「早いですね」
「フィアが動く前にやらないと、全部持っていかれるからな」
フィアは少し戸惑ったあと、小さく笑った。
「ありがとうございます」
カレンが鍋の前で胸を張る。
「火加減は任せて」
「香辛料は?」
シエルが横から見る。
「まだ入れてないって」
「まだ」
「信用ないなぁ」
ユノは皿を並べながら、少し楽しそうに笑っていた。
そして今、六日目の夜の検証が始まろうとしている。
ミレイアは全員の位置を確認し、フィアへ視線を向けた。
「フィア、無理はしないこと。違和感があれば、すぐに止めるわ」
「はい」
「ルークもよ。少しでも乱れたら、すぐ手を引きなさい」
「分かりました」
ルークは頷き、フィアの背後へ回る。
これまでと同じ。けれど、フィアの様子は少し違っていた。
「大丈夫か?」
ルークが小さく声をかける。
フィアは息を吐いてから、頷いた。
「はい。お願いします」
ルークがフィアの背中へ手を当てる。
内側へ触れられる感覚には、まだ慣れない。けれど、フィアは目を閉じなかった。
一度、カレンたちを見る。
「大丈夫。何かあったらすぐ言うから」
カレンがまっすぐに言う。
「周りの乱れは見てる」
シエルも短く続けた。
ユノも胸の前で手を握り、小さく頷く。
「私も、フィアの風を乱さないように気を付ける」
「……ありがとうございます」
フィアは三人にそう言って、目を閉じた。
いつもなら、自分が周りを見る。風を広げて、誰かの小さな変化に気付き、困る前に先に動く。けれど今は、その役を少しだけ仲間に預ける。
周りを見続けるためではなく、自分の内側を感じるために。
「始めるぞ」
「はい」
ルークの灰銀色魔力が、ゆっくりとフィアの翠風色へ触れる。
これまでなら、逃げるように翠風色は外へ流れていた。
けれど今夜は、違った。
翠風色が、ほんの一瞬だけ外へ流れずに留まる。そこへ、灰銀色が初めて混ざった。
淡い翠銀色。
昨日までは見ることのできなかった色が、夜の空気の中で静かに揺れた。
「……」
フィアの指先が小さく震える。
ルークは出力を上げない。支えるだけに留める。
一秒。
二秒。
三秒。
その後、色はふっと崩れた。
翠銀色はほどけ、いつもの翠風色へ戻っていく。けれど、完全に失敗したわけではなかった。
確かに、混ざっていた。
数秒だけ。
フィアがゆっくりと目を開ける。
「……今の、少しだけ」
「混ざっていたな」
ルークが答える。
フィアは自分の手元を見つめたまま、信じられないように瞬きをした。
ミレイアもすぐに断定はしなかった。残った魔力の揺れを確かめるように見てから、静かに頷く。
「成功とは言い切れないわ。維持も短いし、まだ安定には遠い」
フィアの肩が、少し落ちかける。
けれど、ミレイアは続けた。
「でも、昨日とは明らかに違う。前進よ」
フィアが顔を上げる。
カレンが、ぱっと笑った。
「ほら、できたじゃん!」
「まだ数秒です」
「でも、数秒できたんだから前進でしょ」
カレンの声には、迷いがなかった。
シエルも小さく頷く。
「うん。前進」
ユノも柔らかく微笑んだ。
「フィア、よかった」
「……はい」
フィアは少しだけ照れたように笑う。
その笑顔には、さっきまでの薄さはなかった。
ルークは手を離し、フィアの背中から一歩下がる。
「無理はしてないか?」
「はい。大丈夫です」
フィアはそう答えてから、少しだけ視線を落とした。
「……でも、不思議でした」
「不思議?」
「いつもなら、周りを見ようとしてしまうんです。風を広げて、誰かの動きや魔力の揺れを拾おうとしてしまって」
フィアは自分の胸元に手を添える。
「でも今日は、少しだけ……皆さんに任せても大丈夫だと思えました」
その言葉に、カレンが嬉しそうに目を細める。
「任せていいよ。ちゃんと見るから」
「カレンは見る前に動く」
シエルが短く言う。
「そこは信用してよ」
「半分くらい」
「少ない!」
ユノが小さく笑う。
フィアもつられて笑った。
ミレイアはその様子を見て、少しだけ口元を緩める。
「今日はここまでにしましょう。今の感覚を無理に追わないこと。掴みかけた時ほど、焦ると崩れるわ」
「はい」
フィアは素直に頷いた。
「明日以降も、少しずつ確認していきましょう」
「分かりました」
検証は終わった。
完成にはまだ遠い。翠銀色は数秒しか続かなかった。
けれど今夜、フィアの風は初めて、灰銀色を受け止めた。
湖畔から夜風が吹く。
フィアの翠風色の魔力が、風に溶ける。
支えるために外へ広がる風。
その風を今夜、フィアはほんの少しだけ、仲間に預けた。




