⁑残された時間
あれからどれくらいの日々が過ぎたのだろう…
辛うじて意識は戻ったものの…僕の身体の状態が芳しくない事は、自分でもわかっていた。
目を開ける事は出来た。
周りの景色を、ぼんやりと認識する事も出来た。
少しだけ口を動かして、声を出す事も出来たが…それには大変な労力が要った。
手足に至っては…全く動かす事が出来なかった。
呼吸をするのも辛かった。
内臓の感覚も完全に鈍っていて…自分の身体が、粘土で出来ているような気がした。
喉が渇いたとか、お腹が空いたとか…トイレに行きたいっていう感覚も無かった。
耳の聴こえ方も、どんどんおかしくなっていった。
何だかリバーブがかかっているように、色々な音が…うわんうわんと混ざって響いて聞こえてくるのだ。
家族や医師が、目の前で喧しく色々と喋っているのが、鬱陶しくてたまらなかった。
とても…辛くて苦しい時間が続いた。
いっそ、意識なんか戻らないまま…ずっと眠っていた方が、どんなにか楽だっただろう…
僕は本気でそう思った。
悪あがきと分かっていながらも…僕は、あの光輝くコアを、必死に何度も頭に思い浮かべてみた。
残念ながら、それは完全な徒労に終わった。
戻りたい…
あっちの世界に戻りたい…
カイトに…会いたい…
そう、請い願う気力すら、段々と薄れていくほどに…僕は、自分の身体の状態が、間違いなく悪化の一途をたどっている事を、自覚していた。
ここに戻って何日が過ぎたのか…
いや、もしかしたら…実際には、ほんの数時間だったのかもしれないが…
あまりにも苦しいその時間が、僕には果てしなく長く感じられていた。
そのうちに、僕の顔を覗き込む医師や家族の表情が、明らかに曇っていくのが分かった。
きっともうすぐ、氷威の身体は死ぬんだろうな…
全然、それでよかった。
むしろ早く死にたかった。
死んだら…
きっとまた、あっちの世界に戻れる…
やがて、家族に見守られる中…
医師の手によって、僕の口元に装着されていた呼吸器が外された。
僕は、必死にくちびるを動かした。
「氷威…何?…」
半泣きで、母親が僕に言った。
「…ヒ…ロ…」
「ヒロくんに会いたいの?」
「…ん…」
ほどなく…ヒロが呼ばれた。
気を遣ってか、母親と医師は、部屋から出ていった。
2人きりになった病室で…彼もまた泣きそうな表情で、僕の手を握った。
僕は、残された力を振り絞って、彼を見つめた。
「ごめんね…」
ヒロは続けた。
「俺のせいで…辛い思いをさせちゃったね」
そんな事ない…
ヒロのおかげで…こっちでも、あっちの世界でも…どんなにか充実した時間を過ごせた事か。
「氷威…俺は、お前が好きだ…」
「…っ」
うん、うん…
僕も、ヒロの事が大好きだったよ
「最後に…現実のお前を…抱きしめてもいいか?」
「…」
僕は…ヒロを見つめながら…
絞り出すように、小さな声で言った。
「…あり…が…と……」
「…!!」
次の瞬間…ヒロは、勢いよく僕の上に覆い被さると、僕の頭を力強く抱きしめた。
ああ…ヒロ…
もし、僕があのときに事故に遭わなかったら…
いやもし、ヒロがあの小説を書かなかったら…
この世界で、君と一緒に穏やかに生きていくっていう人生を、選ぶ事も出来たのかもしれないな…
そんな事を思いながら…
僕は彼のぬくもりに、心地良く浸った。
「ちゃんと、お別れさせてくれて、ありがとう…」
「…」
「カイトと…仲良くな」
「…ん」
そしてヒロは…そっと僕に口付けた。
既に機能を停止しかけている僕の身体に…くちびるを伝って、ほんのりヒロが浸み込んでくるのが感じられた。
そして、同じように…
ヒロの身体に、僕が流れ出ていくのが…わかった。
カイトと口付け、コアを交流させるように…僕らはくちびるを通して、お互いを行き来させた。
ああ…
これで僕は…いつでもヒロの中に居られる
僕の両目から…涙が伝った。
ゆっくり口を離れたヒロは、僕の涙を拭いながら言った。
「もうすぐ…戻れるな、きっと…」
「…」
僕はまた、小さく頷いた。
「リューイの活躍を、期待してるね」
「…」
そして彼は…
しっかりと握った手を、名残惜しそうに離した。
ありがとう…
僕の目から、また涙が溢れた。
ヒロが部屋を出ていった後…
僕の状態は、更に悪化していった。
バタバタと処置にあたる、医師や看護士の喧しい声すら、段々と遠ざかっていくのがわかった。
本当に…地球とお別れなんだな…
少しだけ、淋しい気持ちになりながらも…僕にはもう、何も未練は無かった。
息苦しさに朦朧としながら…
僕は必死に、その辛さに耐えた。
「……」
そのとき…
朦朧とする僕の耳に…何処からともなく、聞き覚えのあるメロディーが、微かに聞こえてきた。
これは…あの音…?
と、同時に…
何とも言えない良い匂いが…完全に無くなった筈の僕の嗅覚を刺激してきた。
あー
何か、良い匂いがする…
そして、ほどなく…
僕は、それまでの苦しみから、解放されたのだ。




