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プレジデント・オブ・スチューデント

 光陰矢のごとし。

 僕が安西さんと出会ってから、はや一週間が経った。その間、ジョギングと選挙活動の習慣は欠かさないように努めていた。中には冷やかす奴もいた。野次を飛ばされ、嫌がらせもされた。

 安西さんに言われた通り、そいつの名前とクラスを彼女に伝える。すると、翌日、僕の顔がプリントされたプラカードを持って校内を練り歩く彼らの姿が、ちらほらと目撃した。彼女が裏で手をまわしたに違いない。

『不死鳥の宮地京介を児童会長に!』

 僕の名に不死鳥とあだ名をつけたのは、安西さんだ。いじめと引きこもりから脱したという触れ込みで、僕は徹底的に美化された。

 僕が挨拶をしている間、池沢くん達は人形劇をして、低学年の関心を誘っていた。珍しい話だが、僕の学校では、全学年に投票権がある。全校平等を謳う校長先生の方針だった。

 安西さんは、彼らが一番影響を与えやすく、刷り込みやすいので絶対に印象を悪くしないようにと釘を刺されている。

「さあ、不死鳥の京介は、引きこもりの地獄から復活だ! 次に待ち構えるいじめっ子との壮絶な喧嘩!」

「このやろー、いじめてやるぞお」

 山ノ辺くん演じる竜田人形が迫力に欠ける迫害により、僕に似せた人形は抵抗する。演者は仲上くんである。

「絶対に負けるものかッ! 俺は負けねえぞ! どんなに虐げられようと、絶対に明日は来るんだ!」

 迫真の演技をする仲上くん。どうやら、自らに重ねているようだ。

 こんな事ばかりしていて、本当に大丈夫だろうか? このまま選挙に勝てずに終わったらどうしよう。そんな不安も抱いてい僕は、ある時、それが杞憂に終わるかもしれないエールを聞かされた。

「頑張ってね、児童会長の宮地くん!」

 下級生からエールが飛んだのを、僕は聞き逃さなかった。

「宮地、選挙頑張れよ。応援してるから」

 教室内でも数人からそう言われたのを思い出す。ここ数年、人に褒められた事がなかっただけに、僕は胸が熱くなった。このエールのために、自分は頑張るべきなんだ。

 後で聞いた話だが、件の下級生は安西さんの仕込みだったらしい。僕を奮起させるためだったらしいが、少しがっかりした。

 彼女はこう付け加えた。

「私達の刷り込みは成功しつつある。このまま続ければ、当選は難しくない。お互いに頑張りましょう」

 僕は気持ちを入れ替えて演説を続けた。落選するかもしれない不安から、当選できるかもしれないという希望になりつつあった。早起きのためには早寝しないといけない。痩せるためには間食はしない。以前の正しい生活リズムは、徐々に戻りつつあるのを感じていた。

 その希望的観測はしかし、選挙運動を始めてから二週間後に打ち砕かれる事となった。強力なライバルが登場したのである。


 選挙活動を開始してから十日後、校内の掲示板に号外が張り出された。

『転校生はスーパーアイドル!? アメリカ育ちの帰国子女!』

 僕は何気なしにその新聞を読んだ。

『本日、当校にやって来る転校生がスーパースターらしい。アメリカでは有名な映画や劇に出演し、神童と絶賛されているハーフの天才美少女である。はたして、彼女は何者なのか。何年の何組に転校してくるのかはいまだ不明である』

 へえ、というのが僕の感想だった。

 一人の転校生で学校中が大騒ぎするなんて大袈裟だな。はっきり言って関心はなかった。昔から周りに流されるのが嫌いなたちだった。というか、今は児童会選挙で頭が一杯だった。

 ところが、事態は無関係では済まなかった。

 朝礼の時間にて――。

「さあ、今日から皆さんの新しい仲間になる転校生を紹介します。我がクラスにスーパースターがやって来ましたよ!」

 興奮気味に担任の小林先生が言った。正直、教室の中で一番元気がいい。

 開け放たれた扉から、その女の子が颯爽と入場した。小学生にしてはしなやかな長身。洗練されたファッションに身を包み、輝く金髪が風もないのにたなびく。

 正面に立った彼女の緑と黒の瞳が睥睨する。そこに緊張の色は微塵もない。白い肌、日本人に近い顔立ちだが、瞳は宝石のサファイアのような、きれいなグリーンアイズ。そして、白い歯をのぞいた満面の笑み。一挙手一投足が慣れたように軽やかだった。

 先生が黒板に名前を書いた。

『瑠美音ヨハンソン』

「今日から一組の一員になる、瑠美音ヨハンソンさんです。ヨハンソンさんはアメリカのマイアミから、三年間のホームステイのために来日しました。皆さん、仲良くしましょうね。じゃあ、ヨハンソンさん、一言どうぞ」

 転校生は一度咳払いすると、またあの笑みを覗かせた。

「ヘローエブリバディ。マイネームイズ、ルミネ・ヨハンソン。皆のお友達になるためにやってきました。よろしくね」

 流暢な日本語。そして、愛嬌のあるウィンクを飛ばした。そつのないたち振る舞いに、一人が拍手を送った。それは伝染するように教室中に広がった。

 僕もまた、彼女に見とれた。高学年にもなれば、異性が気になりだすものだ。うちのクラスにも、一応綺麗な子や可愛い子はいる。だけど、瑠美音はケタ違いだった。上には上がいるのである。

「ワタシ、皆さんと早くフレンドなりたい。ワタシの紹介書いたグリーフィングカード渡します」

 瑠美音はそう言うと、一人ひとりに名刺を配っていく。そこには、彼女の写真や名前、ホームページのURLが記されていた。

「ワタシは自分のホームページ持ってるの。よかったら遊びに来てね」

 一時間目が終わると、クラス中の男子が彼女の周りに群がった。メルアドの交換、前にいた学校はどんな所、趣味は? 住所は? 今度遊ばない? ハエの鳴き声よりうるさい騒音は僕の後ろから聞こえる。

 そう、瑠美音の席は僕の後ろなのだ。彼女の姿を眺める事も出来ない。しばらく、騒音に悩まされる事だろう。しかし、それでも僕には関係のない事だった。今は児童会選挙を乗り越えるのに集中すべきなのだ。

 ところがだ――彼女が転校して殻の数日後の終礼で、またまた新たな問題が浮上したのである。

 僕や、もしかすると、安西さん達にとって死活問題であった。

「さっそく、ヨハンソンさんから皆さんに伝えたい事があります」

 先生の言葉にクラスが静まり返った。これが他の人なら私語が止まなかっただろう。

瑠美音はハスキーでかわいい声で宣言する。

「ワタシは今日転校してきたばかりのルーキーです。まだまだ、ライトもレフトも分かりません。すごくおこがましく思うかもしれません。それでもあえて言いたい事があります」

 そして、彼女は一度深呼吸すると、信じられない言葉を続けた。

「ワタシ、このジュニアスクールのプレジデント・オブ・スチューデントにスタンドアップします」

 横文字ばかりの言葉に皆が困惑する中、僕はその単語の意味を考えながらつなぎ合わせてみた。プレジデントは大統領。スチューデントは生徒。スタンドアップは立つ。生徒の大統領。生徒の中で一番偉い奴。それに立つ、立候補するということはつまり……。

 目の前が真っ暗になるのを感じていた。

「あの、ヨハンソンさん……つまり、先生から質問いいかしら? 児童会長に立候補するって言いたかったのね?」

「イエス!」

 束の間の沈黙が続いた。世界から音が消えたような気がした直後、教室の窓ガラスが全部割れるかもしれないような喝采が巻き起こる。先生ですら賛同の手を叩いた。

「嬉しいですね! 我がクラスから児童会長の立候補が一人出て来てくれたなんて。しかも、当選確実だわ」

 先生にとって、僕は立候補者として眼中になかったようだ。それとも、瑠美音の宣言のせいで忘れているのかもしれない。

「先生、宮地くんも立候補してるよ」

 あーあ、余計な事を誰かが言っちゃった。案の定、クラスメイト達が一様に僕を注目した。誰もが複雑な表情を浮かべている。

「あれ、いたの?」

「え、なんで君が立候補してんの?」

「おいおい、空気読めよ」

「てか、あいつ誰だっけ?」

 突き刺さる視線とささやきが痛い。これが針のむしろというやつだろう。こちらの方が後ろめたい気持ちになるのはなぜだろうか。

「そうそう、宮地くんも立候補していたよね。ちゃんと覚えてますよ」

 先生は引きつった笑顔で、すぐに分かる嘘を吐いた。やはり、忘れられていたようだ。安西さんの作戦は効果が早い反面、冷めやすいのが弱点だと、この時になって僕は気づいた。だが、ヨハンソンさんの立候補は不可抗力だ。

 居心地の悪い僕に向かって、瑠美音がつかつかと近づいたと思うと、手を差し出してきた。それが握手の仕草だと分かるのに、少し時間がかかった。

「ユア・ネーム?」

 名前を聞かれたのだと何となく分かった。

「あ、えーと、宮地京介です」

「キョウスケ、あたしとあなたはライバルよ。お互いガンバリましょう!」

 そして、彼女はいきなり僕にハグした。最初、何が起きたのか分からなかった。野次の嵐が巻き起こる中、彼女の英語がかすかに耳元にささやいた。

「アイムウィナー、ユーアールーザー。ビコーズ、アイムギフテッド、ユーアージャンク。ドゥーユー、アンダスタンド、キョウスケ?」


「宣戦布告ね」

 安西さんの第一声がそれだった。

「彼女はなんて言ったか分かる?」

「私は勝者であなたは敗者。なぜなら、私は天才であなたはクズだから。分かった?」

「……うん、分かった」

 ヨハンソンさんがそんな事を言っていたなんて信じられなかった。皆の前で振舞う印象とあまりに違うからだ。それとも、あれが彼女の本性なのか。

「案ずるな、宮地くん。僕らも十日以上も前から選挙を頑張っている。昨日今日やって来た転校生に負けない訳がないよ」

 池沢くんが気休めを言うが、僕はもっと深刻に取るべきだと思った。

「彼女が来るまではね、今まででよかった。ヨハンソンの登場で、選挙の構図は大きく変わってしまう。作戦を練り直す必要があるわね」

「それじゃあ、このままでは僕らは負けてしまうの?」

「このまま同じ事をやり続ければ」

「じゃあ、今よりもっと派手に宣伝しまくろうぜ! 挨拶の回数も増やして、今度は一日中ぶっ通しで頑張ろうぜ!」

「ダメよ。今やっても効果は見込めない。むしろ逆効果になる」

「なぜだ、安西?」と池沢くん。「僕達はかれこれ二週間も挨拶し続けていたんだぜ。生徒の印象にはかなり残っているはずだ」

「その刷り込みも、ヨハンソンがきっと瞬く間に上書きしてしまうでしょうね」

 安西さんは静かな声で制した。

「皆、私がいいと言うまで何もしないで。きっと、これからしばらくは何をやっても無駄だから」

「どうしてそうと分かるの?」

「予感がするの。こういう時って、悪い勘の方がよく当たるの」

 安西さんの予感は的中した。

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