華麗過ぎるキャリア
放課後、校庭の隅には人だかりがあった。その中心には瑠美音がいて、彼女の快活な声が響いていた。
「あたしのライバルだった人は、学校から姿を消しちゃったみたいなの。まるで煙のように。一つ確かなのは、彼の今いる場所は、彼の人生と同じ、真っ暗闇のどん底だという事ね」
ファンがゲラゲラと笑い声を上げた。同じクラスの米崎くんが率先して笑うタイミングの指揮をする。おしゃべり屋で人の噂を広げるのが好きな彼は、教室では嫌われていたが、今では瑠美音の宣伝を受け持っている。当然、彼女の熱心な信仰者でもあった。
米崎の二枚ならぬ千枚舌により、僕のスキャンダルは校内に広まってしまった。
「万が一、彼がリーダーになったら、どこでディスカッションをするのかしらね? たぶん、保健室か、彼の暗い部屋かもね」
さらに笑いは高まり、熱狂の渦が巻き起こる。
「あたしがリーダーになった暁には、彼のために、この辺に穴倉でも作ってあげようかしら。彼のために、外からじゃないと開けられないドア付きにして、鍵をかけてあげようかな」
笑い声を聞いて、他の生徒も集まる。その中に混じるように僕と安西さんはいた。こっそりとビラを配っていく。
「あたしはリーダーになったら、皆が毎日外で出て遊ぶように薦めるつもりよ。え、反対者が一人いる? いいわ、その人だけ家にいて。死ぬまで一生」
何度目の笑いをかき消すように、さらに大きな拍手が巻き起こった。そして、僕らはギャラリーの最前列に躍り出たルミネが困惑の表情を浮かべる。
「あら、キョウスケじゃない。疑惑の人がサングラスなしで人前に出るものじゃないわ。あたしを冷やかしに来たの? それか恥をかきに来たとか?」
安西さんに背中を押されて、僕はたどたどしく言った。
「どちらでもない。ヨハンソンさんを褒め称えるために来たんだ」
「ユーがミーを褒め称える?」
「イエス。君は僕よりもすごい。勝負は決まったようなものだ」
「まあ! まだ、選挙の結果が決まっていないというのに」
しかし、瑠美音は満更でもなさそうだった。
「僕達は、君がどんなにすごいスターなのか、皆にもっと知ってほしいと思ってる。だから……」
「だから?」
「君の映画を作ったんだ」
僕は彼女に映画のビラを渡した。上映会は体育館にて。作品名は『瑠美音・ヨハンソン――その華麗過ぎるキャリア』。
「あたしの名前をタイトルにしてくれたのね。うれしいわ。でも、タイトルのセンスはいまいちね。ところで、どんな映画を撮ったの?」
「今から上映するから見せてあげる」
ルミネの指示の元、米崎を筆頭に数十人のファンが体育館まで誘導された。館内に入ると、すでにスクリーンが降りていて、池沢くん達が操作する映写機が回り始めていた。彼女のファン達は楽しみに待っている。当の本人だけは真剣な顔で、僕と安西さんに近づいた。
「一体何のつもり? ユーは何を企んでいるの?」
「僕は何も……」
「あんたじゃない。そっちの子に聞いてるの」
瑠美音が安西さんを睨みつける。
「私は宮地候補のいち秘書です」
「シャラップ! キョウスケはただの操り人形。そのマリオネットを操っているのは、あなたよ」
安西さんは長い前髪をかき上げて、執拗な詰問をほほ笑みで返した。
「役者志望は人間観察がうまいって本当ね。地元のミスコンに優勝しただけで舞い上がる、ただの能天気なお嬢様じゃない」
「この猫かぶり。あなた、まさか、キョウスケがやられたみたいに、ネガティブ・キャンペーンでもするつもりね」
「認めるの?」
「あんなの、向こうの選挙では当たり前にやってるの。野の知り合いの中傷合戦に勝ち残れないと、ナンバーワンにはなれないってこと」
「そうよね。でも、わたし達はあなたを貶すつもりはない。褒め称えるだけよ。ほら、映画が始まった」
スクリーンにテロップが映し出される。
『華麗なるスター、瑠美音・ヨハンソン。彼女の弛まぬ努力を、とくとご覧ください』
タイトルが表示された。『初々しいデビュー作』
『彼女の活躍は六歳の頃、題目はオズの魔法使い、射止めた役は主人公の少女ドロシー……の妨害をする有翼の猿でした。そのデビューがこちらです』
映像が流れた。ドロシー、かかし、ブリキのきこり、ライオン達を取り囲む、羽根の生えた猿達。その中に見覚えのある顔があった。
「ウキキ、ウキキ、邪魔してやるぞ!」
見覚えのある顔の少女が演じていたのは、主人公のドロシーではなく、猿の役をしていた。
わざわざ《彼女の出番は以上です》と、大きなテップが入った。
『さすが、天才少女、瑠美音・ヨハンソン。損な役でも自然体な演技を見せます。この頃から、すでに才能の片鱗があったのです。続いてはこちら――』
アクション映画の『クラッシュ刑事』。聞いた事のないタイトルだった。荒い映像、貧相な顔をした刑事が犯罪者達とドンパチしているが、ハリウッド映画にしては迫力が伝わってこない。スクリーンから漂うB級感。こんな作品にルミネが参加しているのか。
あ、いた。銃撃戦から避難する一般人の中に混じって、恐怖に顔をひきつらせながら逃げ惑っている。スローモーション出ないと見落としてしまうほど、出番は一瞬しかなかった。
『さすが天才子役。エキストラと区別のつかない名演技です』
称賛のテロップが表示されたが、果たして褒めているのか貶めているのか分からない。
次に映し出されたのは、『ジュニアスクール青春白書』。向こうの小学校の生徒達の友情や恋愛、家族の問題を描いた学園ドラマだ。僕も、衛星放送で見た事があった。
瑠美音の姿はあった。主人公たちが、ハンバーガーに挟むもので一番要らないのは、ピクルスかハンバーグかを言い争っている横で、ポテトをかじっている地味な生徒。本作でもまた、その他大勢の役であった。
『周りに溶け込んで、目立たない名演技。まるでカメレオンか幽霊!』
単に目立っていないだけである。
その後も彼女の出演作が流れ続けた。どの作品も彼女の出番は十秒もなく、役柄もその他大勢がほとんどだった。少しましな役でも、いじめっ子の子分、悪い魔法使いが飼っている、人面カエルぐらいがせいぜいだった。うつ伏せになっているだけで、顔の映らない死体役まである。
テロップはその度に彼女を称賛した。自然体な演技、本人の存在を忘れさせる名演、悪者やじっとする役には定評があるなど。決して悪口を言っている訳ではない。褒めながらにして、瑠美音の評判を落としている。いわゆる、褒め殺しというやつだ。
「やめて。お願い、もう止めて!」
瑠美音はスクリーンの前に立って訴えた。今にも泣きそうな顔をしている。
「もうそろそろ止めてあげたら?」
「ヨハンソンが選挙では力を発揮できなくなるまで止めない」
「でも……」
「宮地くんは悔しくないの? 菊川を唆して、放送室の機械に細工して、あの中傷を流したのは彼女なんだよ。仕返しして当然だわ」
観客がクスクス笑い始めた。彼女のファンであるはずの皆が、スクリーンの向こうで脇役ばかり演じる彼女をあざ笑う。
「もう止めて……あたしが悪かったから、お願いだから、もう……」
彼女は空しく叫びながら、その場で丸くなった。
「あたしだってやりたくなかったもの! こんな恥ずかしい役ばかり。誰も認めてくれない。こんなに頑張って来たのに!」
僕の中で、忘れようとしていた昔の光景がよみがえった。教室の中で、一人の女子が何の理由もなくいじめられている。家が母子家庭で、その子はいつも同じ服ばかりを来ていた。靴もボロボロだった。筆箱も短い鉛筆、小さな消しゴム、折れた定規しか入っていない。誰一人、彼女を助けようとしない。皆がその子を笑った。
僕が愚かにも注意をかけるまで、彼女は泣き続けていた。
そうだ、あの時と同じだ。誰も皆、間違っている。
僕は三人組の制止を振り切り、映写機を止めた。
「もう少しで彼女の口から敗北宣言を聞けたかもしれなかったのに。もしかしたら、選挙を辞退してくれたのかもしれなかったのよ」
「僕らが彼女を苦しめた。選挙とは無関係だ」
「喧嘩を売って来たのは向こうなのよ。宮地くんを笑い者にした。これでお相子でしょ」
「安西さんには、傷つけられる人の心が分からないの? 誰だって他人に触れられたくない事だってあるんだ。あんな事をして、もしも、彼女に何かあったら、安西さんは責任を取れるの?」
「責任……? あの女が心に気を病んだって知らない。そんなどうでもいい事を気にしていたら、何もできなくなる」
「どうでもいいって、どういう事だよ!」
僕は思わず声を荒げてしまった。後悔しても後の祭りだ。池沢くんが「よせ、宮地くん」と止めたおかげで、心を落ち着かせる余裕ができた。
「たかだか、児童選挙なんだよ。どうして、暴力や誹謗中傷まで絡むんだ。普通にすればいいだけなのに」
「宮地くんは甘すぎる。自分の取り組む事に、たかだかって考えている時点で、気持ちで負けている。初めから逃げるなら、喧嘩を売らなければいい。人を傷つけないでじっとしていればいい。人と人が顔を合わせて、目の前にぶら下がる餌が一つしかなければ、争奪戦になるに決まってる。外の世界はね、勝つか負けるかの争奪戦で溢れているの」
安西さんはそう言った。
「屁理屈なんか聞きたくない」
「私の考えじゃない。事実なの。私はただ、宮地くんが勝つように全力を尽くしているだけなの」
「そのために人を傷つけていいと思っているの?」
「必要だったらそうする。悪いのは相手だもの」
――そうか。僕の全身から力が抜けるのを感じた。今まで頑張ったからこそ、崩れ落ちるのは呆気なかった。
「僕は降りる」
「何ですって?」
「もう選挙には出ない。もう、うんざりだ。君の嘘で誰かが傷つくなら、僕の方から消えてやる」
「待つのだ、宮地くん」
池沢くんが止めた。
「君が逃げる事はないじゃないか」
「いいんだ。もう疲れたんだ」
「戦わずして、いい人のまま逃げるなんて、卑怯だと思わない?」
安西さんの言葉が飛んだ。
「そうだ。僕はひきょう者の不登校児だ。今更いくら頑張ったところで、皆の中には戻れない。最初から分かっていたよ。さようなら」
僕は一度に振り向く事もせずに、ただひたすらに走った。




