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人を三回書いたけど……

「放送一分前。準備お願いします」

 放送係の声に、僕は掌に『人』を三回書いて飲み込む事で、込み上げる緊張を抑え込もうとした。当然、簡単に落ち着けるはずもなかった。指先が震え、喉はカラカラのままであった。

 とうとう、政見放送の出番が回ってきた。前日には、仲上くんが荒唐無稽な演説(宿題をゼロにするとか、休み時間を倍増させるとか)をしてくれたおかげで、少し気が楽になったと思っていたが、やぱり、テレビカメラと面と向かえば話は別である。レンズの向こうでは全校生徒が給食を頬張りながら、僕の言動を観察している。想像するだけでみぞおちが縮こまる気分だった。

今日の服は安西さんがスタイリストになって決めたものだった。明るい色。落ち着きのある色を巧みに混ぜている。あとは、内面の問題よ。本番直前、彼女はそう締めくくった。

持ち時間は一分間。生まれて初めて一番長い六十秒になるだろう。僕は深呼吸すると背筋を伸ばした。こうなったら、もう後には引けない。

「本番、十秒前……五、四、三、二、一、キュウッ!」

 僕なら大丈夫。きっと、うまくいく。そう、自分に言い聞かす。

「児童会長候補者、五年一組、宮地京介くんの紹介演説を始めます」

 ガラスの向こうで合図があった。僕はカメラ、引いては顔の見えない全校生徒に向かって、満面の笑顔で一礼した。

「こんにちは。児童会長立候補、五年一組の宮地京介です。僕が児童会長を目指そうと思ったきっかけは――」

(内申のためなんだよ)

 僕の声が響いた。もちろんそんな事を言った覚えはなかった。

(学校なんて大変だよ。このまま引きこもりをしていてもよかったんだけど、親がうるさくてさ)

 ガラスの向こうでは放送係が右往左往している。それでも僕の声は容赦なく続いた。

(また、休みの日にゲーセンか遊園地に行こうよ。一段落ついたら、仮病を使って二日ぐらい休もうと思ってるから)

僕の頭はただただ混乱していた。閉じた口から流れる心にもない言葉の数々。時間が空しく過ぎていく。そして、終わり際になると、(宮地京介くんの紹介演説でした)と偽の声が締めくくった。

僕は無言で放送室から逃げ出した。穴があったら入りたい。教室に戻れば笑い者にされる。目指すべき場所は決まっていた。


「暗いところが好きなのね」

 布団がめくり上がり、差し込む光りに照らされた安西さんの顔がのぞく。あまりにも青白い顔で、さながらホラー映画の一幕を思わせる。

「ここには何もない。楽しいものもないけど、苦しめるものもない。欲しいものがないより、嫌なものがない方がましだ」

「まっとうな考え方ね」

「ゴメン……僕、何が何だか、ごめんなさい」

 僕は泣いた。どう弁解すればいいか分からないでいた。すると、布団がめくれが上がって、闇が残らず消えた。保健室の中、カーテンの前に立つエイミーが大股で近寄り、僕の頬を叩いた。頭がぐらつくほど痛い。

「泣くな、馬鹿。泣いても意味ない。泣いて嫌な事消えたら、みんな泣く」

 片言の日本語が伝わり、僕は手で涙を取った。

「あれは宮地くんの声を加工したものね。私と同じ手を使ったみたい。私たち以外に事情を話した人がいるはずよ」

「思い当たる節はある」

「話して」

 僕は事のあらましを話した。菊川くんとの再会、緊張が緩んだためにした会話、その内容が放送されてしまった事を。

「見事に嵌められちゃったね」

 安西さんの答えはそれだった。

「やっぱり、菊川くんが仕組んだの?」

「それを確かめるの」

そう言って、彼女はスマホで目にも止まらぬ速さでパネルを操作して、メールをどこかへ送信した。

「足軽に頼むわ」

「足軽?」

「うちの学校にいる情報屋。足早に、正確な情報を教えてくれる。だけど、お金がかかるの。今回はあまり使いたくなかったんだけど」

 お前の脇が甘いからだ。そう咎められた気がした。

 彼女が言うには、情報屋《足軽》は、性別はおろか学年、生徒か教師かどうかさえ不明である人物で、安西さんでも知らないらしい。

 数十分後、曇りガラスを叩く音がした。

「来たみたい」

 窓を少し開けると、誰かの手が差し込まれた。黒いフォルダーを持っていた。彼女は千円札数枚と交換した。《足軽》の手は窓の向こうへと消えた。

 安西さんはフォルダーに添えられた紙をチェックしていく。やがて、小さな声で言った。

「やはり、彼女の仕業だったわ」

「彼女? まさか……」

「すべては、出戻りヨハンソンの仕業よ。菊川を懐柔し、君に本音を語らせて、都合のいいように加工して垂れ流す。ヨハンソンは横のつながりが強い。おそらく、君と同じ塾に通う崇拝者を通じて、菊川の存在を知った。彼に接触して、お得意のアメリカンスマイルで懐柔した」

「そこまでするものなの?」

「そこまでするから、今の状況に陥っているの。勝つか負けるかの勝負、ルール無用、いかに相手を貶めて、自分を有利にするか。すべては勝利にため。そのためなら、どんなパフォーマンスもやってのける。髪だって切ってみせる。だって、また伸びるもの。ライバルに恥をかかせてもいい、ファンを唆して怪我させても構わない。勝利すれば、すべてが報われる。負けたらすべての努力が水の泡。勝てばいい、勝ちさえすれば……それがヨハンソンの考え方だと思う。私と少し似てるかな」

 彼女はクスリと笑った。

「違いがあるなら、私の方が格上という点ね」

 安西さんは別の報告書を僕に見せてくれた。それは瑠美音の履歴だった。そこに書かれた内容は驚くべきものだった。何度も読み直したのは、内容が間違いかと思ったせいだった。

「これってホントなの? ヨハンソンさんはそんな……」

「足軽の情報に誤報はないわ。人を馬鹿にするには脇が甘かったようね。三人共、ちょっと手伝ってもらうわよ」

 今まで空気のように部屋の隅にいた池沢くん達が現れた。気配は全く読めなかった。

「安西、何をしでかすつもりだ?」

 安西さんは目を輝かせながら、不敵な笑みを浮かべて言った。

「仕掛けてやるの」


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