ヴィランはろくな死に方をしない
一番手の瑠美音は、演説時間を犠牲にして、衝撃の謝罪会見をした。安西さんが言うには、あの髪切り会見は、確かにインパクトはあった。有権者の印象に一番残ったはずである。同時に、彼女の覚悟(演技?)に対して、真に受けて心を動かされた人、過剰なパフォーマンスと眉をひそめた人にきれいに分かれたはずだという。
確かにそうだと、僕は思った。思い当たる節がある転校当初、彼女の周りには男子も女子も集まっていた。あの謝罪会見以降、男子の方が多くなった気がする。女子が減ったというのが正しいだろう。普段は中のいいように見えるが、どこかよそよそしい感じになった。彼女のいない時、陰口を言うグループもいた。
やはり、僕の票田は女子か。それはそれでハードルが高い気がする。
何をしていくべきなのだろうか?
「宮地くん、安西さんからの指令を言うね」
昼休み、机に座ってぼおっとしていると、いつの間にか後ろに山ノ辺くんがいてささやいてきた。
「六年一組の吉沢さんにこれを届けて。音楽室で拾ったって言ってね」
彼が渡してきたのは化粧グッズだった。僕は言われた通り、六年一組に向かった。憂鬱そうに溜め息を漏らす吉沢さんがいた。眼鏡をかけている、まじめそうな人だった。とても、学校で化粧をしているようには見えなかった。
例の落としを渡してあげると、彼女の顔が一気に晴れやかになった。
「どこに落ちてたの?」
「音楽室で拾ったんです」
「ありがとう。一週間前から失くして、ずっと探してたの。あれ? 君って、児童会長目指してる宮地京介くん?」
「あ、はい」
「私ね、前に児童会長してたの。大変な仕事だけど、やりがいもあるのよ。応援してるから」
「でも、僕はなんだが不安で……」
「大丈夫だよ。ここだけの話だけど、私はヨハンソンさんってあまり好きじゃないの。あの会見だってやり過ぎな気がする。でも、他の候補となると、仲上くんって人はアレだし、宮地くんしかいないと思う。やっぱり、飾り気のないまじめな人がいいんだよ」
「ありがとうございます」
「宮地くんに投票するように、友達にも伝えとくから」
落とし主がまさかの元児童会長だったとは。
驚きが冷めないうちに、教室の机には新たな指令の手紙が置かれていた。
《同じクラスの曽根崎恵里香に宿題のノートを貸してやるんだ。時々貸してあげるとも言え。 池沢 》
定規で引いて書いたような、几帳面な字は彼その物だった。
曽根崎さんは優等生である。進学塾にも通い、学級委員も務めている。気まじめな彼女なら、宿題ぐらいやって来ているはずだ。ノートを見せてあげるなんて言ったら怒られるに決まっている。安西さんは何を考えているのだろうか。
「あの、曽根崎さん。宿題のノートを見せてあげようか?」
神経質そうな目が揺れた気がした。すぐに怒気が籠るのを感じた。
「私を馬鹿にしてるの。私が宿題をしてこなかったと思ってるの? 馬鹿にしないでよ!」
あーあ、怒られちゃったよ。
「ごめん。じゃあ」
立ち去りかけた僕の袖を、彼女が掴んでいた。小さな声で囁いてくる。
「……皆に分からないように貸して。お願い」
切実に訴える彼女の言う通り、僕は周りを見計らいながら、こっそり、彼女の机にノートを置いた。
「ありがとう」
小声で答えた曽根崎さんは、どこか疲れたような感じがした。目の下にはクマがあったせいだろう。
授業が終わり、彼女から事情を聞いた。
「もう、私は疲れたの。学校も一番、塾も一番、家でも一番じゃないといけない」
彼女の家族は、高校受験を控えた姉、大学受験を控えた兄がそれぞれいて、お互いがライバルの関係だった。
「学校の宿題なんてやる暇もないの。塾からも出てるし、家庭教師も、習い事のピアノだって止めたくないから時間は減らせない。学校の宿題が出来なかったら、私は一番じゃなくなっちゃう。それが怖かったの」
「もし、良かったら、これから大変だったら、ノートを見せてあげるから」
「ホントに」
「うん。時々、休んだ方がいいよ」
「ありがとう、宮地くん。私は誤解してた。引きこもりだから怠けものだと馬鹿にしてたの。謝るわ。選挙頑張ってね、他の子にも薦めておくから」
机に戻っていく彼女を見て、優等生も大変だなと思った。
しばらくすると、安西さんからメールが届いた。何年何組の女子に会いに行けとか。今日は一日、僕は女子の評価を上げるのに奔走する羽目となった。
「女子達の宮地くんに対する評価は上々よ」
「ホント?」
「ええ。校内中に仕掛けているレコーダーを回収して聞いてみたけど、女子の井戸端会議で取り沙汰される君に関する評判は、面倒見がいい、気が効く、優しいとプラス面ばかりなのが事実よ。アンチ・ヨハンソンの票がこちらに流れつつあるわ」
「待って。レコーダーを仕掛けたって?」
「うん。人の噂を拾えるようにね」
世間では、その行為を盗聴という。盗むという字が入っている通り、犯罪になるので、もちろん真似をしてはいけない。
「オレの噂はどうだよ、安西?」
「馬鹿、間抜け、身の程知らず、くさい、不潔、下品。仲上くんが生まれ変われるように、今度、会話を聞かせてあげる」
僕らが、廊下を選挙活動の成果について話しながら歩いていると、正面から一団がやって来るのが見えた。その先頭を締める長身の瑠美音に、僕は緊張で凝り固まった。
安西さんが耳元でささやいた。
「おどおどしない。冷静に」
ライバル陣営の方も僕らに気づいた。彼女の後ろには学年を問わず、十数人の男子達が従っている。彼らの殺気にさらされる。心臓が飛び出すほど、脈拍が激しい。こんな事で本番の演説は大丈夫なのか、我ながら心もとない。
「女子の間で変な噂があるの」
ショートヘアの金髪を揺らし、瑠美音が唐突に言った。
「女の子ばかりをピンポイントに、せっせと媚を売りまくってる、女々しい候補者がいるんだって」
安西さんに背中を押され、僕は彼らのわきを通ろうとした。
「あなたは所詮、ヴィランなのよ。主役の引き立て役に過ぎない。なのに、主役のワタシに、ボロボロの牙と爪で無駄に抵抗している」
後で安西さんから聞いたけど、ヴィランというのは悪役の意味らしい。ルミネにとっては、この選挙は自分の主演作であるのだとも言った。
「ねえ、知ってる? ハリウッドムービー、カートゥーン、コミックでも、往生際の悪いヴィランは悲惨な最期を遂げるのよ。高いとこから落ちて鉄柵で串刺しになったり、圧搾機に巻き込まれてグチャグチャのミンチになったり。どうしてか分かる? 観客がそれを望んでいるからよ。選挙も同じよ。悪役の対立候補は無様に散って物笑いの種になる。有権者のニーズなの」
すると、安西さんが、発音からして英語ではない外国語をしゃべった。
瑠美音は躊躇したが、咄嗟に同じ言語で返した。安西さんは笑みを浮かべた。
「さ、行きましょ」
僕らは瑠美音陣営の間を縫うように過ぎた。
「さっきの何をしゃべってたの?」
「フランス語」
フランス語をしゃべる同年代。やはり、安西さんはタダものじゃないし、瑠美音も上手かった。
「なんて言ったの?」
「秘密」
僕の政見放送を前日に控えていた。安西さんが作成した原稿を何度も読み直しながら家に帰っていると、ふいに肩を叩かれた。
「やっぱり、宮地くんじゃないか」
「あれ、菊川くんか。久しぶりだね」
懐かしい友人の菊川君である。以前通っていた塾で同じクラスだった。僕より成績が少し下だが、十分優等生の部類に入るせいか、大変意気投合した。僕が引きこもりになった後でも、ゲームセンターとかに誘われて一緒に遊んだものだ。塾では遅刻の常習犯でもあり、授業の半分の時間をゲーセンで潰す遊び人である。
「おばさんから学校に通ってるって聞いたんだ。塾は行かないのか?」
「うん。最近はちょっと忙しくてさ」
彼に誘われて、近くのファーストフード店に入った。時間は午後五時過ぎだから、塾の授業は始まっているはずだ。遅刻癖は相変わらずのようだ。
「最近どう? 中学受験とかやってる?」
「ああ。でも、まだまだ余裕さ。ゲーセンと漫画の立ち読みが大半、勉強が少々。試験は平均点より上さえクリアすればいい」
「もったいないな。成績の順位は僕の次だったじゃないか。本気でやれば、菊川くんなら僕よりずっと上を目指せるのに」
「俺はガリ勉なんか性に合わない。余裕に遊んでいて、成績はきっちりトップになるのが、本当の秀才だと思う」
「僕はガリ勉か」
「詰め込み過ぎはよくない。風船みたいなもんだろ。空気を入れ過ぎると破裂してしまう。ガス抜きが必要なんだよ」
「おかげで二年間も充電してた」
「まだ間に合うよ。塾に戻る気はないのか?」
「今のところは。学校で忙しいんだ」
「何で行こうと思ったの?」
「親に無理やり行けって言われたんだ。抵抗したんだけど」
「自分で行こうと思ったわけじゃないんだ」
「当たり前だよ。ホントは中学校になったら行こうと思ったんだ」
「うそつけよ」
「でも、ホント懐かしいな。時々、家から抜け出して、こうやって一緒に遊んだよね」
「そうそう、よくゲーセンで五千円ぐらい溶かしたかな」
外の世界との関わりを絶った僕にとって、菊川くんという悪友は掛け替えのない存在である。自由奔放な彼といると、現実逃避をする自分を許せるようになっていたからだった。
「だいたいさ、将来はどうなるか分かんないんだよ。まじめに勉強したっていい学校に入れるか分からない。今のうちにやりたい事をして、親や先生にはまじめで通せばいいんだよ」
「そうそう」
「学校だってホントは行かなくてもいいんだって。行かなくても別に死ぬわけじゃないんだし」
「僕も休みたいけど、今は児童会長を目指してるんだ」
「宮地くんが児童会長?」
菊川くんは呆れた目で僕を見た。
「うん。おかしいだろ」
「分かったぞ。内申書だな?」
「当たり。でも、大変なんだよ」
「まあ、児童会長してましたって面接で言えば、印象もよくなるな。俺も目指そうかな」
「大変だよ。毎朝挨拶しないといけないし、演説もしないといけないし。面倒くさいけど、まあ、親が脅してきてるから仕方ないんだけどさ」
楽しい時間は早く過ぎるもので、気がつくと六時を回っていた。さすがにまずと思ったのか、菊川くんは話を切り上げた。自由気ままな彼の姿に、僕はうらやましさを感じた。正直、引きこもりの時も悪くはなかった。自宅学習で補ったので、勉強の遅れも心配なかったし、時間割に縛られない毎日は気楽で仕方なかった。それが今では選挙運動漬けで、すっかりルーチンワークの奴隷になり下がった。
「一段落したら、仮病でも使って二日ぐらいずる休みしようかな」
「そうしろよ。一緒に遊園地とか映画にでも行こうぜ」
僕は悪友の菊川君と約束を交わすと、軽い足取りで家路に着いた。
明日の政見放送は難なくクリアできる、いつの間にかそう思い込んでいた。




