秘密裏でーと
ライブまで数日となった。
それまでは特筆するほどのなにかはなかった。
いつも通り、苗切から目玉を返せ目玉を返せと言われ、それを拒否する毎日だった。
そんなある日。
暇を潰すようにパソコンを弄くっていると、スマホが鳴った。
電話だ。
スマホの中で一番いらない機能は。という問いに、通話機能と答える現代っ子な釘貫は、はじめそれが通話のそれだとは気づかなかった。
しかしそれが通話音だと気づくと急いでスマホをとった。
「やっほー。釘貫くん元気してるー?」
電話番号を伝えた覚えのない人からだった。
釘貫は電話を切った。
しばらくしてから、もう一度電話がなった。
釘貫はため息をついてから、電話にでた。
「ちょっと、無言で電話をきらなくてもいいんじゃあない?」
電話から聞こえてきた声は、少しばかり怒りを含んでいるようだった。
しかし釘貫は疲れを全く隠そうとさえせずに言う。
「電話番号を教えた覚えのない奴から電話がきたらそりゃあ切るだろ」
「猫ちゃんから聞いた」
「笹竹め……」
「なんでだろうね、すごく不承不承って感じだったよ」
「まあ、そりゃあそうだろうな……ん、あれ。僕確か笹竹にも電話番号教えていないはずだぞ」
「猫ちゃんは皿更くんに聞いたって言ってたけど」
「もうちょい個人情報を大事に扱おうぜお前ら……」
知らないところで自分の電話番号が配られていた。
個人情報漏洩はこういう感じに行われるのかと、釘貫はなんだか社会を知った気分になった。
もちろん、そんな気軽な感じではないと思うけれど。
釘貫は首元に手を当てながら、ため息をつく。
手持ち無沙汰に本を読んでいた苗切は、釘貫の顔を眺めてそのまま本に視線を落とす。一体どうやって読んでいるのだろうか。
「読んではおらん。読んでいるふりじゃ」
「……楽しいのかそれは」
「いまいちじゃの」
「そうか……」
「あのーちょっともしもーし、釘貫くーん?」
「え、あ、ごめんごめん」
化物の謎の行動に眉をひそめていると、スマホの向こうから文句がとんできた。しまった、すっかり忘れていた。
しかし、アイドル十乃天からの連絡である。
本来なら、というか普通に人生を過ごしていればまず起きるはずのないイベントに、釘貫は少しばかり緊張をみせる。
十乃はそんな釘貫と違って気楽な口調のままだ。
スマホの向こうはなにやら騒がしい。もしかしたら仕事場からの連絡なのかもしれない。
そんな状態からの連絡だ。
きっとそんな気楽な口調からは想像のつかない相談がされるに違いない。そう考えると、釘貫の表情は自然とかたくなる。
しかし、次に十乃が切りだしてきたことは気楽な口調からは想像できそうなものであった。
気楽な相談。
けれど、気楽過ぎて想像はできないというか考えの斜め上のことであることは確かで。
「それで、何のようだ?」
自信がだせる中で一番慎重で緊張感に満ちている声だったと思う。
十乃はそれに反比例するように気楽な口調で言う。
「えっとね、明日ひまかな?」
「……暇だけど」
「じゃあさ、明日この街の案内してよ」
膝から崩れ落ちた。
釘貫は少しの間プルプルと震える。
「い」
上半身を持ち上げる。膝はまだ床についたままだ。
「いや、お前この街出身だろう?」
釘貫はそんな風に切りだした。それは彼女自身も言っていて、案内する必要性なんてなさそうなものだが。
しかし十乃はむ、と口を尖らせて(もちろんその表情は釘貫には見えない)こう反論した。
「私は家出してからずいぶんこの街に帰ってきてないの。だから、知らないことだって多いと思うの」
「なるほど」
なるほど、と納得してしまった。得心してしまった。
十乃はふふん、と鼻をならす(それは聞こえた)。
「今の街なら私は迷子になる自信だってある」
「そんな自信捨てちまえ」
「それに今私は危険な状態にあるんでしょ?」
「まあな……」
釘貫は苦々しく肯定する。
実際、彼女は今危険な状態にあるのは事実だ。
だからできれば、好き勝手に行動することすらしてほしくはないのだがしかし、そこまで人権を無視した行動はとれないか。
だとしてもどうして今街を散策したいというのだろうか。
「その、ね、なんて言えばいいのかな」
十乃は少し気恥ずかしそうに言う。
「久々にこの街を歩き回りたいなーって、いけない?」
「うん、まあ……」
悪い。とは言えない。
彼女は家出同然で街をでてからもうずっとこの街に帰っていないと言う。
どんな風に変わっても、ここは彼女の生まれ故郷である。
だからここを散策したいと言ってもまあ悪くはないだろう。
ここでしっかり身の安全を確保するためにボディーガードを用意する辺り、彼女も自分が置かれている状況を楽観視しているわけではなさそうだし。
釘貫は苗切をちらりと見てから。
「分かったよ」
と渋々ながらうなづいた。
***
そういう訳で次の日である。
異性との二人っきりの散策。
それは決してデートというものではない事は理解しているつもりでも、やっぱりどこか意識してしまう。
胸がドキドキして、頬が赤くなる。
服装だってそれなりに意識してしまう。
その割にはパーカーにチノパンという格好なのだけど。常日頃のファッションへの興味のなさがここに響いた。
街にある大きな駅の前。
その前には大きな広場があって、中心には噴水がある。
水が噴きだす部分が二つの山になっていることから、大人の中ではふたこぶ噴水、子供の中ではケツ噴水と呼ばれていて、待ち合わせなどでよく使われている。
そんな噴水の段差に腰を下ろして、釘貫は十乃の到着を待っていた。
どうやらこの散策は、十乃独断のものらしく、マネージャーにバレないように移動しないといけないらしい。
そこまでしてまで街を散策したいのか。
釘貫にはよく分からない感覚である。
手持ち無沙汰にスマホをいじったり、空を仰いだりしていると、隣で車イスを動かしていた苗切が切りだしてきた。
「暇じゃのう」
「暇だなあ」
「ぬしよ、なにか面白い話をしてくれ」
「面白い話をしてくれ。と言われて面白い話をできるほど僕は口達者じゃあねえよ」
「まあ一人称になってない時点で分かっておったがな」
「一人称?」
「こっちの話じゃ」
「ふむ?」
釘貫は首を傾げるも、言及はせずに顔を前に戻した。
「しかしそろそろ来てもいいんじゃないかな」
適当に広場内を見渡す。
喧騒の人の顔はどれを見ても分からない。
十乃は未だに来ない。約束の時間は既に十分ほど過ぎているのだが。
釘貫はふう、と息をはく。
と。
そこで。
眼球がズキズキと痛みはじめた。
「っ……」
目をつむって眉間をおさえる。
いつもなら危機感を煽る痛みではあるけれど、今は待ち人の到着を伝える信号のようなものになっている。
痛みにまさかこんな使い道があるとは想像だにしていなかった。
「ごめんごめん、待った?」
まぶたを開けると、ちょうど十乃天がそこに立っていた。
目深に被った帽子に、大きなサングラスにあごまで覆うマスク。
体のラインを隠すようなぶかぶかのコートと、前回あったときと全く変わらない不審者の格好をしていた。
笹竹の笑い顔を想像しながら釘貫は肩をがっくしと落として、ため息をついた。
十乃はそんな釘貫の反応の理由がよく分からないのか、首を傾げている。
釘貫は座ったまま十乃の顔を見上げて睨む。
「とりあえずそのコートを脱げ」
「え、どうして?」
「理由の解説が必要か?」
「必要かな」
「どうみても不審者にしか見えないからだ」
「えー」
十乃は全身を見せるようにぐるりと回る。
スカートの代わりにコートが円状に広がった。
「変装だよ。これなら私が十乃天だって絶対分からないでしょ」
「ああそうだろうな、全然分からねえよ。そのまま交番に連れ込まれそうなぐらい分からねえよ」
自信満々にいう十乃に、釘貫は頭痛を訴えるように額に手を添えた。
「なあぬしよ」
「なんだ?」
キイキイ、と車椅子の車輪を軋ませて苗切は釘貫の隣に並んだ。
その顔は分からないけれど、アホを見ている表情をしていることだけはよく分かった。
「こやつもしかして頭が悪いのではないか?」
「まあ、言いたいことは分かるが少し黙ってろ。あのな、十乃」
「ん、なに?」
「その変装は目立つ」
釘貫は率直な意見を十乃にぶつけた。
十乃は意味が分からないという風に目をパチクリしている。釘貫はうんざりとした表情のまま、指を上に向けぐるんぐるんと動かして、周りを見ろと言った。
周りの視線は十乃に集まっていた。
今は冬ではなく、上着を着ている人はかなり少ない。
その時点でかなり目立つのに、顔はでかいサングラスにマスクと完全防備だ。これが目立たないはずがない。
それにようやく気付いた十乃は、少し恥ずかしそうに上着を脱いで、腕にかけた。
厚い上着の下は、さすがに暑かったのか薄い服を着ていた。体のラインがよく分かる服だ。
腰はほどよくくびれていて、己を多大に主張するその胸は、さっきまでの不審者姿とはまた違った意味で目立っていた。
目の向けどころに困った釘貫は、少し視線を逸らした。
「ねえ、これはこれで目立っているようにも思えるんだけど」
「気のせいだ。あとマスクも外せ」
「ええー、でもそうしたら変装セットサングラスしか残らないよ?」
「サングラスで充分だよ。変装なんだから目立つな。ああ、いやアイドルのノドは大事だからな。マスクの方を残しておいた方がいいかもしれん」
「んー、どうなんだろう。化け物のノドがそう簡単に潰れるとは思えないんだけど」
「どうなんだ?」
「わしの体をなめてもらっては困るのう」
「だそうだ」
「だから聞こえないんだけど」
「ああ、そうか。潰れる心配はないそうだ」
「分かった」
十乃はマスクを外して、一旦上着を預けてくると駅のほうに走っていった。
身軽になった彼女の足は速く、すぐ戻ってきた。
「鍛えてるから」
「ふうん」
目の前でむん、と胸を張る十乃に頷きながら、釘貫はなんとなく彼女の全身を見回した。
少しウェーブのかかった茶色の髪を耳より少し下ぐらいで短く切りそろえていて、くりっとした目は愛らしさを感じる。
すらりと伸びた手足は白くて細い。
いわゆるモデル体型というものだろう。
彼女が所持している化物の断片はノドだ。
つまりそれ以外の部分は彼女自身の努力の賜物ということになる。
努力。頑張り。それ全ては夢を叶えるために。
それはあまりにもまぶしくて、釘貫は目に太陽の光が入ったわけでもないのに目を細めた。
「あの、釘貫くんじろじろ見すぎ」
「ん?」
気がつくと。
十乃は顔を赤らめながら、胸の前で腕を十字に組んでそれを隠していた。
距離もなんだかさっきまでと比べて離れているようにも思えた。
釘貫は慌てて弁明をする。
「い、いや見てない見てない! いや見てるけどじろじろとは見ていないっていうか」
「変態」
「さすがにそこまで言われる筋合いはないぞ!?」
「いやいや見てたよ。こう舐めるような視線で」
「見てねえよ!」
「どうだか」
どうやら本気で嫌悪はしていないようで、十乃はそこでいたずらっぽく笑った。距離は離れたままだけど。
釘貫はつんとたった髪を乱雑に掻く。
「それで、今日は一体どこに行きたいんだ?」
「うーん、そうだなあ」
十乃は下唇に指を添えて、少し悩むような素振りを見せてから。
「じゃあ駄菓子屋に行きたい。名前は確か『しまに』」
「しまに? あそこなら潰れたぞ」
「ええー!?」
十乃は驚きの声をあげたが、それは事実である。
駄菓子屋『しまに』は子供たちには好評を得ていたが、近くにショッピングセンターができるとお菓子の調達は駄菓子屋からお菓子コーナーに移っていた。やはりそっちの方が美味しいお菓子も多かったのだろう。
子供たちがやってこなくなった駄菓子屋はゆっくりと寂れていって、つい数ヶ月前悲しく潰れてしまった。
十乃はそれを聞くと悔しそうに地団太を踏んだ。
「あーあ、あそこのお婆ちゃん大好きだったんだけどなー。今も元気してるかな」
「駄菓子屋やめてから体を壊したとか、そういうのは聞いてないけど」
「そっか、なら安心」
十乃は胸を撫でてから(そのとき胸が確かに揺れた)うーん、と腕を組む。
「ならどこに行こう」
「僕は別にどこでも構わないけど」
「そう? じゃあ……」
***
「いただきまーす」
ガブリと十乃はコロッケに噛みついた。
衣からはザクリ、といい音がなる。
新聞紙に包まれたソースのついたコロッケに、一口サイズの食った跡が残る。
十乃が選択したのは、街にある商店街だった。
そこは十乃がまだこの街にいて、高校に通っていた頃、よく通っていた場所らしかった。
そしてそのコロッケは、学校の帰り道によく買い食いしていたものらしい。
十乃はコロッケを包んだ新聞紙を両手で掴み、んー! と嬉しそうに声を上げる。
「これよこれ! あー、久しぶりだなあ美味しいなあ」
「そりゃあよかったな」
ついでに料金は釘貫持ちである。
明らかに金持ちなのは十乃なのだから、十乃が払えばいいのに。と思わないでもない。
「人に奢ってもらったコロッケは百倍美味しい」
「性格わりー」
「デートの時は男の人が奢るものでしょ?」
「付き合うときには絶対そういうことを言わない奴と付き合おう」
「甲斐性なーい」
「なんね、あんたら付き合ってるわけじゃないのかい?」
と、三角巾を巻いたコロッケ店のおばちゃんは釘貫と十乃を順繰りに見てから言った。
どうやら十乃があのアイドル十乃天だと気づいてはいないらしい。
まあ、こんなデカいサングラスをつけていれば人の判別なんてつきようがないか。
十乃はコロッケを片手に持ち替えて、桜色の唇についた食べカスを親指の腹で拭うと、ぺろりと指を舐めた。
「違いますよー、ただの友達です」
「そうかい。お似合いに見えたもんでねえ」
「だって、私とお似合いなんだって」
「笹竹あたりが聞いたら怒りそうだな」
「ん? どうして猫ちゃんが怒るの?」
「知らないこと方がいいこともあるんだよ」
「ふうん……それにしても」
十乃は辺りを見渡した。
商店街は閑散としていた。
人の流れはまちまちで、どの店にも客が集まっていない。
商店街の入り口のほうには人の流れがある。しかしその流れから商店街の入り口の方に流れてくる人は殆ど皆無に近い。
幾つかの店はシャッターが閉まっていて、閑古鳥が鳴いている。というのはこういうことを言うのか。という感じだった。
またはシャッター街というものなのだろう。
「ここ、こんなに寂れてたっけ?」
「昔はこんなんじゃあなかったんだけどねえ」
コロッケ屋のおばちゃんは悩ましげに頬に手を添えた。
「今は殆ど人が来なくてねえ。二人は久しぶりのお客さんなのよ」
「しまにが潰れたのと同じ理由だな」
釘貫は少し斜め上を指さした。十乃はその指の先をなぞるように首を動かした。するとすぐにとある看板が目に入った。
それは近くに新しくできたショッピングモールの看板だった。
「あっちに客が流れてるんだろう。そういうもんだ」
「そういうもんよねえ」
「ええー」
釘貫とおばちゃん、二人揃って諦めを口にすると、十乃はコロッケを全部食べてから、文句を口にした。
「でも私、おばちゃんのコロッケ好きだよ。潰れてなんかほしくないよ!」
「そうかいそうかい、ありがとうねえ。けど、そういうものなのさ。人が来ない店は潰れる」
「ううー……」
カラカラと笑いながら悲しいことを言うおばちゃんに、十乃は口を尖らせる。
そして。
「分かった!」
と、叫んだ。
叫び声もよく通っていて、少し離れている商店街の入り口の前を素通りしている人たちの視線が一瞬、商店街のほうを向いた。
けれどすぐに流されていった。
それを十乃は気にしたりせず、びっくりして目を見開いているおばちゃんに向けて、どん、と胸を叩いた。
「だったら私にいい考えがある!」




