#2
——出発まで残り六日。
クロードは立ち入り禁止の貼り紙と睨めっこしていた。耳を澄ませたが、中から物音はしない。そっと扉を開くと、室内は巨大な書庫のようになっていた。幼い頃、一度部屋を覗いてこっぴどく怒られたことをよく覚えている。それ以来、この部屋に近づくことさえ億劫だったが、この部屋にはどうやらクロードが欲しいものが眠っているようだった。
「(授業が始まるまで時間がない。急がなければ。)」
1時間余りで数千を超える書籍と論文を読み漁り、ようやく目当ての文献を掘り出したクロードは額に溢れた汗を拭いながら、部屋を元の状態に戻した。早歩きで自室へと帰り、襟とネクタイを締め直し、手早く準備を済ませたクロードは靴箱から綺麗に磨かれた革靴を取り出した。父と母の靴は既に玄関から無くなっており、今朝早くから出払っていることは明確だった。クロードはため息混じりの愚痴を漏らす。
「今日もあいつらは仕事か。仕事バカめ。」
減らず口を叩きながらクロードは学校へと向かった。
—— ランデルム国立魔法高等学校・大講義室
クロードは講義室の後方に腰掛け、読みかけのくたびれた小説を取り出した。魔法学の授業開始五分前となり、講義室になだれ込んできた学生達が次々と座席を後方から埋め尽くしていく。
「クロード、隣いいか?」
倒れんばかりに息を切らしながら迫る顔馴染の学生が質問の回答を聞く前に、クロードの横の席に腰を下ろした。
「お前さ、勇者になったんだろ?」
「…ああ」
「勇者には優秀な人間しかなれないんだってな。俺はお前が誇らしいよ。」
学生は不自然なほどに明るい仕草でクロードを褒めちぎった。内心、クロードはその言葉を突き返すように冷たい感情を渦巻かせていた。
「(勇者に選ばれた俺に憐れみを持って接しているんだろうが、それはいい迷惑だ。)」
「俺は優秀でも何でもない。勇者なんてものは無相応だし、できることならばお前に譲りたい。」
「謙遜するなよ。俺もなれるのならばお前のような人間に——。」
学生の言葉を待たぬまま、クロードは席を立ち上がるとその場を後にした。
「おいクロード、どこに行くつもりだ。」
「出征まで残りわずかだ。君の言う通り俺は優秀だから、この授業で人生を使い潰すのは無駄だと思ってね。」
クロードは口から脳を通さず垂れ流れた言葉をその場に吐き捨てた。しかし、クロードのその言い分に、学生は呆気にとられたままの表情で固まっていた。
——中庭。
クロードは目的もなく講義室を飛び出してきたので、足取りの赴くがままに中庭に辿り着いた。無性に全員の疲れを感じてベンチに腰を下ろそうとしたところ、真隣にはカグヤがいた。
「クロードさん、どうしてここに。」
「お前こそ。授業を抜け出してきたのか?」
カグヤは苦笑を浮かべて遠方の花畑を見つめた。その目には深い迷いが生じているようだった。
「いえ、それどころか今日は学校を欠席してしまいました。」
「あと六日でこの学校ともおさらばだ。そうなると、まともに授業を受けるのも馬鹿らしくなる。同意だ。」
クロードは仲間を見つけて嬉しそうにカグヤの自信無さげに丸まった背中を叩いた。感情の乗った勢いが強く、カグヤは驚きを露わにしたが、すぐにその笑顔を取り繕った。
「俺はな、勇者になれてよかったとすら思えている。既存のしがらみに囚われない、自由な休暇を数日獲得できたと思えば大満足だろ。」
「…強いですね、クロードさんは。」
「俺は強くなどない。お前の方がよっぽど…いや、なんでもない。」
首を傾げるカグヤに構わず、クロードは話を続ける。
「それで、母親とは話がついたのか?」
「今朝、話をしようとしたんだけれど。…僕には無理でした。」
「そうか、まあ明日明後日に出発というわけじゃないんだ。時間をかければいい。親子の関係ほど、親密で愛に溢れたものはないはずだからな。」
「クロードさんは、御両親と随分仲が良いんですか?」
カグヤの不意の問いにクロードは数刻目を閉じた後、空を見上げて呟いた。
「ああ。もちろん。」
——ランデルム王国第三議会。
著名な学者達が集結する王国議会の場に、クロードは学校優秀者として議会で執り行われる討論会に特別に招かれていた。普段は肝の据わっているクロードも何十何百の学者に囲まれ落ち着かない様子であり、礼儀正しい所作も忘れて腕を組んで貧乏ゆすりを無意識に始めていた。わけもなく視線を泳がせていると目に留まったのは一人の女性だった。学者帽子とコートを身につけず、代わりに絢爛なドレスに身を包んでいるその女性は、緋色の髪を後頭部で束ねており、顔まわりの化粧も十分に整えられている。一目見れば、名家の女性であることは明らかだった。
「(俺と同い年くらいだな。学生か?それとも、貴族の令嬢か?)」
疑問が湧き立つと同時に、平静を取り戻したクロードは深呼吸を挟んだのちに討論会の始まりを待ち望んでいた。
一分も経たないうちに、一際目立つ金色の帯が巻きつけられたコートを身につける学者が壇上に登った。咳払いと共に、荘厳な発声で場を静めた。
「これより、本議会の議題陳述を始めるものとする。本議会では主に近年の勇者一行の著しい早期失踪率についてである。」
「(早期失踪…嫌な言葉を聞いてしまったが。)」
議題陳述が終了したのち、学者達による白熱した議論が繰り広げられ始めた。
「最近では邪閻霧が極端に濃くなっているという研究結果も出ております。それに伴った魔物の強化や身体的負担の増大など様々な要因が考えられます。」
「だが邪閻霧の濃度との相関性は未だ認められていないだろう。むしろ魔物の変性体質の報告に至っては年々少なくなっているようだ。」
「冷静に考えてください。邪閻霧も原因は魔王なのですから、魔王の魔法力が増大化していると考えるのが常識的です。」
知識人達が次々に持論を展開し、己の信念をぶつけ合う中、クロードは議論を傾聴したい興味関心と学者方に挑みたい好奇心の狭間で必死に決めあぐねていた。
「(俺はこのまま黙りこくっているだけでいいのか?自分の望みを叶えるために、この場所までたどり着いたんじゃないか?)」
クロードは大理石の机の下、今朝家から持ち出した文献に再度目を通していた。遂行できる。そう確信したクロードは平静を装いながら、右手を天井に伸ばしながら声を張り上げた。
「ひとつよろしいでしょうか。」
学者達の鋭い眼光が一斉クロードの無表情に当てられた。黒い無精髭を鼻下に垂らした壮年の学者が、肘を机に付きながら「なんだね。」と無愛想に言葉を投げた。
「私は国立魔法学校の特別参加生としてこの場に参加させていただいている素人ですが、その分際ながら持論を述べさせていただきたいのです。」
「好きにしたまえ。」
「結論から申し上げますと、勇者の早期失踪要因として他に考えられるのは女神様の加護の弱体化であると考えられます。」
クロードの一言に、学者達は騒然とした。その文字列が何を意味しているのか。それは非常に明瞭で、非常に危険なものだった。クロードは構わず真剣な顔つきで続ける。
「被験者である勇者の邪閻霧による影響の推移では、その侵食速度が微量ですが右肩上がりとなっています。一方で、邪閻霧環境における16種の植物・2種の魔物の侵食速度を計測した所、そのいずれにも増加傾向は確認できませんでした。すなわち、邪閻霧自体の濃度の上昇というのは考えにくいのです。つまり、”加護が弱まり影響を受けやすくなった”というのが私の推論です。」
「その結論は…。」
先ほどの髭の学者が口を開いた。ついさっきとは打って変わって棘のある口ぶりだった。
「その結論はあまりに短絡的だ。比較対象が少なすぎるし、まずはデータの責任者である科学者の名前を出さなくてはな。あまりにも地位も名誉もない学者では、データの信頼性すら怪しいものだ。」
その言葉に議会上で学者達による笑いが巻き起こった。クロードは目を閉じて一息つき、心を決めてしっかりと目を見開いた。
「その科学者の名は、ディナイ・ブラックバートンです。」
会場がしんと静まり返ったかと思うと、学者達は怒号混じりの声で次々とこう叫んだ。
「その学生をつまみ出せ!」
会場から放り出されたクロードは、議会場に繋がる階段に腰を下ろして空を見上げた。
「(あーあ、やってしまったな。まあ、これで良いだろう。学会に混乱を巻き起こすことができて俺は満足だ。)」
充足感に浸っていたクロードに、視界外から予想外の声が飛んできた。
「隣、よろしいかしら。」
聞き慣れない美しい声の方に目をやると、そこには学会にいた緋色の髪の女性であった。女性は感情の読み取れない表情でクロードの顔をじっくり覗き込んでいた。
「いやです。」
彼の素っ気ない返事を気にもせず、女性は彼の隣に座り込んだ。クロードが不審な目つきを女性に当てると、女性も不満気な面持ちをクロードに向けた。
「そんなに露骨に嫌な顔をしないでくれない?手短に話は済ませるから。」
「…あなたは学生か?それともお嬢様か?あの場にいた学者達とは別物だと分かりましたから。」
あんた。と口に出しかけたが、相手が貴族令嬢だと失礼に思いクロードは刹那口をつぐんで言い直した。
「まあ、私は品格が違うからね。」
「そうじゃない、見た目の話です。」
「まあ、私の美貌も格が違うからね。」
「もういいです。」
クロードの素っ気ない返事に女性は笑い声をあげた。
「ごめんなさい、揶揄っている場合じゃなかった。学生かお嬢様か…どちらも正解よ。私はカテレシア・ルーデンス。聖ハルディン国立学院の生徒。」
「つまり、あなたも特別生ということか。」
「そう。だけどあんなに面白いものが観れるとは思ってなかった。」
「馬鹿にするなら帰ってください。」
「そうじゃなくて。クロード・ブラックバートン、あなたに頼みがあるの。」
クロードは目を見張った。カテレシアは自分の名前を認識していたからだ。その表情。読み取ったカテレシアは急かすように自身の膝をぽんぽんと叩いた。
「そんな事に驚いていないで。悪い提案じゃないわ。あなた、私達ルーデンス家独自の研究機関で働く気はないかしら?」
「…は?」
クロードは驚いたように口をぽかんと開いたままだった。
「どうして科学者の端くれでもない俺が研究機関で働くことになるんですか。」
「あなたには間違いなく才がある。あの二人を両親に持つ上に、あなた自身も特別生に選ばれているじゃない。」
その言葉に、クロードは酷く俯いて言葉を紡いだ。
「父も母も数年前に学術界を追われ、今は狭い町工場でひっそりと研究を続けているだけです。その息子である俺も、表舞台にはもう立てないですよ。」
本心、クロードもルーデンス家に働いてみたいと考えていた。しかし、それは不可能だ。自分は六日後に勇者として外の世界へ旅に出ることが分かりきっていたから。だからこそ、やんわり否定して断ろうとしていた。
「そこは私がなんとかする。私はご両親の信念が間違っているとは思えないから。だからお願い、来てちょうだい。」
「両親だけでも…父と母だけでも雇ってくれませんか?俺にはとても荷が重いですから。」
カテレシアは大きなため息をついた後、ゆっくりと立ち上がった。
「それでは駄目。あなたも来てちょうだい。私はもう長くはない、この国の科学の未来を託せる若者は私の知る限りあなたが一番相応しいのだから。」
“私はもう長くはない”。その言葉が異様に引っかかったクロードは食ってかかるようにカテレシアに尋ねた。
「待ってください、それは——。」
「私、そろそろ行かなくちゃ。気が変わったら連絡して。それと、敬語を使うのはやめて。私の方が年下だから。」
カテレシアは一片の紙をクロードの拳に握らせると、階段を駆け降りていった。クロードは様々な思いを混じり合わせながら、その背中を黙って見ていることしかできなかった。
——ラヴディ街五番通り。
議会からの帰り道、腹を空かせたクロードはいつもより匂いに敏感な鼻を利かせて飲食街を歩いていた。その中で一際目についたのは大行列を成す弁当屋「ルル」だった。彼の行きつけの店舗でもある。この店は老夫婦によって切り盛りされており、
「(美味そうだな。並ぶか。)」
クロードが小柄の女性の後ろに立った時、音楽コンサートばりの大盛況が彼の耳元に飛び込んできた。驚いたクロードが辺りを見回すと、遠方の広場で若い女性達が座って巨大な円を成している。その中央にいるのは、いかにも色男という風貌の青年がいた。紫髪の上から風切り羽のついたキザな帽子を深く被り、耳たぶには光を放つピアスを身につけていた。その左手には弦楽器の「クランボー」を担いでおり、クロードは大道芸人か何かだろうと大方予想をつけた。
「みんな、今日はどうも集まってくれてありがとう!僕の最後のライブツアーを楽しんでいってくれ!」
女性達の盛り上がりの上昇は留まることを知らず、熱狂が周囲を覆い包んでいた。
「なんだあれは…。」
クロードが異様な集団の空気に気圧されていると、色男がクロードの視線に気がついたようだった。
「そこのキミ!メガネで目つきの悪いキミ!」
クロードは自身のことを指差す。
「そう、キミだよ。僕たちのライブに興味があるんだろう?」
色男は声を張り上げて言った。クロードは眉を顰めて手のひらを振った。
「自分の心に嘘をつかないで、こっちへおいでよ!」
込み上げる怒りに痺れを切らしたクロードは腹の底から息を吸い込み、色男に向かって無慈悲な言葉を声を張り上げて投げかけた。
「俺はお前に興味が一切ない!」
「そうかい、それは悲しいな。今からこの坂道を下った先のバーで演奏会の続きをするんだ。ぜひ来てくれ!」
「気が向いたらな!」
その言葉を耳にした色男は、不思議と満足そうに頷いて再びクランボーを演奏し始めた。クロードはその音色に耳を傾けて心地良さそうに目を閉じた。色男が奏でる音色には不思議と人に安らぎと魅了を与える力があるのだ。
「(…実力は確かだな。女性ファンがあれだけつくわけだ。)」
「…あの、ご注文は?」
気づかない間にクロードは列の先頭に位置しており、弁当屋の店員が彼に声をかけた。クロードは店員の声色がいつもと違うことに気づき、怪訝な面差しで店員の顔に目をやった。カウンターの向こうにいたのは、肩にかからないくらいの長さの濃緑色の髪を流し、青色の瞳を持つ少年だった。
「ああ、すみません。じゃあこの定番魚漬け弁当で。」
「1200ペルです。」
「じゃあ、これで。」
クロードが財布から札を数枚取り出すと、少年はそれを受け取って会計と弁当の詰め込み作業を始めた傍ら彼に話を振った。
「あの大道芸人、ルーヴェンっていうんですよ。この周辺の広場やバーを転々として音楽会を開催しているんです。」
「はあ、そうなんですね。迷惑じゃあないんですか?」
「本当は迷惑なんですが、もう音楽会はこれっきりやらないそうです。腕前は間違いありませんから、悲しむ地域住民の方もいるらしいですよ。」
「なるほど。…それと、いつもの老夫婦は今日どちらに?」
クロードは恐る恐る少年に行方を尋ねた。少年は何か考える素振りを見せてから口を開いた。
「二人とも腰を悪くしたので家で休んでいます。今日は私が代理で店番を。」
「そうですか。せめてお別れの言葉だけでも伝えておきたかった。ここの弁当屋には、長年お世話になりましたから。」
「なら、私が伝えておきますよ。」
「本当ですか、ありがとうございます。では、”バゼル夫妻、クロードです。この度私勇者に選ばれましたのでお別れを伝えたく存じます。これからも末長く健康にお過ごしくださいませ”」
弁当の用意が済んだ少年は丁寧な梱包でクロードにそれを手渡した。その表情には、深い含みが散見されるようにもクロードの目には映った。
「伝言、確かに頂戴しました。」
「どうも。」
——自宅。
クロードは帰宅するなり、薄汚れたソファに腰を下ろした。意味もなく天井を見上げてほっと息をつく。家は心の拠り所でもあり、現実を直視させる残酷な空間でもある。冷静になればなるほど、迫り来る死の感覚がクロードの心を侵食していった。
「俺は…俺は何者になりたかったんだろうな。」
その答えがまだ見つからないまま。クロードはただ、唇を噛み締めていた。




