48.再起へ向けて
日が傾きかけ、山間が朱に染まる頃。
倒しても倒しても湧き出る墨鬼達が動きをぴたりと止めた。反抗軍の兵達が不思議に思いながらも勢いを強める中、突如それらは細切れになって燃え上がり、跡も残さず吸い込まれるようにして消えた。
「……終わった、のか?」
「どうやら、眼帯の御仁が役目を果たしてくれた様子ですな、いやはや……激戦であった」
目を閉じたシンフェは汗にまみれた顔で天を仰ぎ、フェイジンは汚れることもいとわずあぐらをかいて座り込む。
「……ハァ、ハァ」
「リンリィ、少し休もう……」
一番気を吐いていたのはこの少女であった。結局七体いた巨大な墨鬼の内三体程は、彼女一人が片付けたようなものだ。棍に寄りかかり、よろめく彼女をエイスケは支えながら、北の方角を見た。
燃えるような夕陽に照らされ、長い影を作る一人の男は、憮然とした面持ちでこちらへと歩いてくる。足取りはしっかりしていたが、彼もまた所々から血を流している。
「ギュンチさん……倒せたのか?」
「いや、済まん……逃がした。というか、不甲斐ねえことだが、遊ばれてたな……何とか傀儡の元は壊したが、それだけだ」
「何か……あったの? ギュンチさんが後れを取るなんて、一体……」
ギュンチの煮え切らない様子を不思議に思ったリンリィは、意外な事実を耳にする事になった。
「昔の……古い知り合いだったのさ」
消沈した様子のギュンチはそれ以上何も言わず、長い息を吐いた。沈んだ空気を変えようと思ったのか定かでは無いが、シンフェはそれを鼻で笑う。
「ふんっ……散々偉そうな口を叩いておった割に、貴様も大したことはないではないか。そこな娘に代わりに行かせた方が良かったのではないか?」
「そうかもしれねぇな……ははっ、面目ねぇ」
「な、何だ貴様……取り逃がしたとあっては、再度追手がかかるやも知れんのだぞ! それを……」
「……まあ、それについては追い払っただけでも良しとせねば。元々彼らが来なければ我々も生きておれたか分からんのです……。さあ、立ち話も何ですから、しばし建物の中で休みましょう。今後についても話し合わなければなりませんし……なにより」
……立ち上がったフェイジンが手近な兵に指示を出した。恐らく、先に脱出した者達を呼び戻させるのだろう。そして、彼は眼前の亡者たちの姿を痛ましげに見つめた。
「この者達も弔ってやらなければなりませぬしな……。せめて魂だけは安からんことを……」
彼は両手を体の前で握りしめ、膝を着いて首を垂れる。千にも及ぼうかという勇士たちの命を無為に散らしてしまった事へのやるせなさが彼の胸にも満ちていた。
誰一人として、傷を負わぬ者のいないような酷い戦いの後、しばしの休息を挟み、主だった面々が集まり今後の作戦を練っていた。
「我々は、まず方々に散っている同胞を集めねばなりませぬ。加えて、有力な豪族に兵を借り、カンギ率いる州軍と同等の戦力を集めなければなりませんが……」
「それだけの求心力がこの女にあるのか?」
「その言い方は無礼であろうが……女だからと言って舐めるな!」
シンフェがその豊かな胸を張る一方、フェイジンは少し困った様子で頭を掻く。
「シンフェ殿は兵達には人気があるのですが……腹芸は苦手ですからな。まあ、その辺りは何とでも致しましょう。口八丁は私めの得意な所でございまするに」
「この生臭坊主め……まあいい、となると、ラウ爺が送って来る援軍はそのまま陽動に回して敵軍を州境に引き付けた方が良いかも知れんな」
ギュンチは地図の上に置かれた駒を通って来た州境に移動させる。そも目立つ大軍では国境を超えることすら困難なのだ。
「ラウロマ老師でござるか……ご高名は北にまで響いておりますぞ。かの智者の手を借り受けることが出来るとは望外であります」
「いやまあ、そう期待はすんな……爺さんももう年だ。前線に出て指揮までは望めまい。できるだけ上手く長引かせて目を引くよう頼んではおくが」
「それと呼応して少し仕掛けもして置きましょう……油断はできませんが、手は多い方が良い」
含み笑いを漏らすフェイジンに気味の悪さを感じながら、ギュンチは強く州都を見つめた。
あくまで彼にとって重要なのは、セン州を悪漢カンギの手から奪い返すことではない。捕らわれたリンリィ達の両親を救い出すことにある。レイファは彼らが幽閉されているのは州城内の牢であると言った。そして、ギュンチとキエイをシャオリンの目の前で亡き者とし、シャオリンの心を自身へ向けさせようとしている。
彼が去り際に残した文には、城内の牢までの道行きが詳細に描かれていた。罠に違いあるまい……ギュンチ達が飛び込まざるを得ないと知って彼はこれを残したのだから。
「……どうかしたのか? 暗い顔をして。縁起でもない」
「何でもねえよ。まあ、後は各々がどうにかして役割を果たすのみってこったな」
「……そうですな。死力を尽くすとしましょうぞ。術士の相手はお任せしてよろしいのですな?」
「ああ、俺にとっちゃ因縁のある相手だからな。今度はしっかり片をつけるさ」
「頼みましたぞ……では、とりかかると参りましょう!」
ギュンチが平手に拳を打ち付け、景気よしと見たフェイジン達は、それぞれの仕事を為すべく散っていった。
エイスケは、砦となっている寺院の一室に寝かされたリンリィの傍に腰を下ろす。彼女は戦いの後、力を使い果たしたのか、倒れるように眠ってしまった。
貰って来た食事を渡そうとして、傍に座ると彼女が身じろいで目を開ける。
「食事を持って来た……粥だが、食べられるか?」
兵たちが炊きだしてくれたものを貰って来たのだ。味はどうあれ、食べないよりは良いだろう。だが彼女はあまり気が進まないようだった。
「……食べたくない」
「駄目だ。少しでも口に入れておかないと……親御さんを助けなきゃいけないんだろう」
「いらないって……いってるじゃんかッ!」
彼女はエイスケに怒りの顔を見せたが、その後すぐに目尻に涙を浮かばせて泣きじゃくり始めた。
「ひぐっ……ごめんなさいぃ。もう、どうしたらいいのかわかんない……私はお母さん達を助けたいだけなのに、目の前で一杯人が死んで。私、こんなとこ居たくないよ……里に帰りたい」
随分情緒不安定になっている……無理も無いだろう。いかに強かれど、中身はただの少女なのだ。戦いの中で麻痺していた感情が落ち着いた今、溢れ出したのだろう。
「私、家族を助ける為にでも、あんな風に誰かを……殺したり、したくないよ」
「しっかりしろ……大丈夫だ。そんな事は、ギュンチさんも俺もお前にさせないから……」
抱きしめて背中を撫でてやる。本来ならばこれは親か兄弟かの役目では有るだろうが、今ここにはエイスケ以外はいない……リントにも頼まれたのだし、彼が支えてやるしか無かった。そうして無理やり彼女の口の中に食事を詰め込み、飲み込ませて休ませた後、静かに扉を開けたギュンチに外に呼び出される。
彼に火を付けた紙煙草を「やるか?」と差し出されたが、エイスケは断った。興味はあったものの、そんな気分では無かったのだ。問答無用で注がれた酒に、付き合い程度に口をつける。
噴き出した煙が夜の闇に雲のように浮かんでは消える。それを何度も繰り返すのを見て、何か腹の内に抱えることがあるのだと察する。
「迷ってるのか?」
「ん、ああ……情けないねぇ。大人の喧嘩にガキを巻き込んで泣かせちまうたぁ……なぁエイスケ、人生いくつになってもどうしようもない壁見てえのが立ちはだかって来る時があんだ。俺にとっちゃそれがどうやら今見てえだ……おめぇさんには迷惑をかけるが、嬢ちゃんをなんとか守ってくれ。絶対に死なせるな」
「そこまで、危険な相手なのか?」
「俺の兄弟子に当たる奴でな……どうやってカンギに取り入ったのかは知らねえが、符術や気の力にも長け、おまけに奴の右目に見つめられると気の力が遮られ、動けなくなった」
「何かで防ぐことは出来ないのか?」
「分からん、が……過去に潰し、再生した奴の目には今でも眼帯がされていた。何らかの制限があるのかも知れん。突くとしたらそこかね……」
「手探りでの戦いか……厳しいものがあるな」
ぼそりと、聞こえるかどうかというくらいの大きさでギュンチが呟く。
「……今なら、逃げても追わねえ。恨みはするけどな」
「恩はちゃんと返すさ。ここを去る時に心残りは無いようにしたい」
「ありがとうよ……勝手ばっかり言って済まねえな。無事終わったら東大陸に何としてでも送り返してやる。まぁ、こっちに残るってんなら歓迎するしな。リンリィを嫁にしてやったらどうだ?」
ちょうど口に含んだ酒が吹き出され、目の前の地面を濡らした。
「げほっ……どうしてそうなるんだ?」
「ハッハッ、あんだけ懐いてるんだから、あいつも満更でもないんじゃねえか? 器量は悪くねえし、嫌か?」
「そういう問題じゃないだろう……」
「まあ、考えとけよ……さぁ、戻るか」
「考えないっての……」
むせかえる背中をギュンチに叩かれながらエイスケは反駁しようとしたが、その時にはもう彼は邪気の無い笑みを返し通り過ぎた後だった。
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