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最終章 イーハトーヴの想い人

 ……白い光が晴れた時、クロだけが一人で銀河鉄道の車室に立っていた。


 今まで強く抱きしめていたハルを失い、クロの両手が力なく垂れ下がる。

 脱力しきって天井を見上げ、そして、全てをやり遂げた彼は笑った。


 そのまま歩き、再び己の席に座る。

 窓から見える光景は、再び雪景色に戻っていた。

 現世へと繋がる穴が遠ざかっていく、もう二度と戻れない。

 もうどこにも帰れない。


 ――役目を終えた銀河鉄道は、永遠にこの宇宙を走り続ける。

 流れ星となって、空で瞬き続ける。


 だから、クロは永遠にこの場所に座っているだろう。

 何百年、何千年、いや、決して数では数えられないほどの時間を。


 例え時が経ち、ハルが死の世界に戻ってきたとしても、彼は一人のままだ。

 もう二度と出会えない、ただ空駆ける星として、クロは永遠の旅路を往くだけ。


 窓枠に肘を掛け、外の眺めを一望しようとした時――クロは隣の席にポーチが落ちていることに気づく。

 それはハルが持ってきた小物入れだ。

 煉獄で得た物を現世へ持って行くことはできなかったのだろう。


 そのポーチからは僅かにコードがはみ出している。

 クロはポーチを拾い上げ、半端に開いたジッパーを開けた。


 ポーチの中に眠っていたのは、イーハトーヴで過ごした日々の軌跡。

 クロが買ってあげた音楽機器、クロのプロット通りに書いた習作、クロと二人で撮った写真――。


 それはクロとの思い出が詰まった、秘密の宝箱。


 世界で一番大切にしていた、愛する人との形ある思い出。


 中に入っている懐かしき品々を見て、クロは優しく微笑む。

 そしてハルの愛用していた音楽機器を取り出して、イヤホンを耳に突っ込み、音楽を流し出す。


 しゃん、しゃん、しゃん。


 あの日、ハルと喧嘩した時の帰り。

 ハルとイヤホンを分け合った時に、この曲が流れていた。


 ああ、まるで、あの時みたいに。

 ハルが自分の隣にいて、この肩に頭を預けてくれているかのよう。

 横を見れば、ハルが寝たふりをしている、そんな幻想が思い浮かぶ。


 でももうきっと、会えない運命だ。


 終着駅を失った銀河鉄道は走り続けるだろう。

 だから窓の外には雪が舞う、永遠の雪が宇宙を満たす。


 雪が終わらねば春には至れない。

 雪が終わらないこの世界に、春が訪れることは二度とない。


 雪に塗れた冬の銀河鉄道――だから、きっと、再会は望めない。


 でもそれでもいいのだ。

 元から二人は寄り添えない運命。


 だって君は春、俺は冬。

 生まれた時から交わり合えないと決まっていた。


 ただ――イーハトーヴだから、束の間出会えただけ。

 だってあの場所は、決して寄り添えない二人でも手を取り合うことができる、そんな優しい世界なのだから。


「……さよなら」


 もう一度、彼はその言葉を口にした。


 そしてただ、窓の外に舞う雪を眺める。


 雪はまるでダイヤモンドダストのように輝いて、黒い宇宙を白く染めていく。


 落花繽紛、宇宙の光を反射して。


 瞬く水晶の宇宙道を、鉄道は潜り抜ける。

 白く染まった線路の上を、あてもなくただ真っ直ぐに。

 そして、幾澗色もの光に包まれて――。


 ――銀河鉄道は雪道を往く。

 どこまでも、何処までも――。







 ――暗い部屋の中、ハルが静かに意識を取り戻す。


 断続的な時計の響き、水道から漏れた水が落ちる音。

 意識を失う前にも聞いていたはずなのに、すごく懐かしいもののように思える。


 椅子に座ったまま、机に突っ伏して寝ていたのだろう。

 背中は酷く痛み、肩も腰も凝って動かしづらい。


 ハルは口を真一文字に結ったまま、天井を見上げた。


 黒く澱んだ天井が、紫色に瞬き、緋色の光を灯された銀河に見える。

 自分は先ほどまで、そんな光景を見ていたはずなのだ。


 瞳を閉じれば思い出せる。

 クロと過ごした時間、ブルカ博士との出会い、香との日々。

 まるで長い夢を見ていたかのような感覚――しかしあれは夢ではないのだろう。


 煉獄があり、天国があり、地獄があり、自分はイーハトーヴにいた。

 そして愛する人と再会し、ようやく想いを伝えることができた。

 最後に託された指輪だって憶えている、今この薬指には何も嵌っていないけれども、持ち主の場所に還ったと信じている。


 きっと今頃父親が記憶を取り戻し、この家へ向かっているはずだ。

 あと数時間もしないうちに自分たちは再会を果たし、クロの描いたシナリオの終着点に至るだろう。

 そしてまた新しい日々に向かって進んでいくはずだ。


 それを望んでいるのでしょう、ねえ、クロ。


 呼びかけても返事がないことは分かっている。

 ここからは一人で生きて行かなくてはならないのだ、もう愛する人はここにはいない。


 でも、きっと忘れないだろう。

 イーハトーヴで過ごしたあの時間を、愛する人と心を通わせた瞬間を、何にも代えがたい珠玉の記憶を。

 そして仲間たちに教わった大切なことを。


 ブルカ博士からは、良き親を大切にすることを。

 再び父親と巡り会えた時、きっと自分はこの奇跡に深く感謝し、精一杯の親孝行をしながら生きていくはずだ。


 香からは、例え大切な人を失っても、前へ進むことはできることを。

 愛するクロを失い、心に圧し掛かる悲しみは想像以上に苛烈なものだろう。

 しかしそうであっても、強く生きていけるはずだ。


 大切なものをたくさん教えられた、だから立ち止まるわけにはいかない。

 この閉め切った部屋の中で苦しみ続けてはいけない。

 彼らとの物語を永遠に想い続けながら、自分は幸せになっていくはずだから。


 絶対に、イーハトーヴでの日々を、忘れたりはしない。


「…………ッ」


 だが、そう誓った時。


 自分の記憶に白く靄がかかり、そして少しずつ霧散していくのが感じられた。


 これはそう、朝起きてしばらくした時に、夢を全て忘れてしまうのと同じ。

 目覚めたばかりは克明に思い出せるのに、時間と共に全ては記憶の全域から欠落してしまう。


 そう、死後の世界は海面に揺らぐ泡沫の如し。

 一度目を逸らせば、死後の世界に行った事実も、霞となりて薄らいで、最終的には自分の記憶から消え去ってしまう。

 どれだけ忘れたくないと誓おうが、記憶の抹消は必然、逃れようのない処理なのだ。


 嫌だ、そう呟いた。


 クロのことを忘れたくない、ブルカ博士のことを忘れたくない、香のことを忘れたくない。


 イーハトーヴでの日々を、忘れたくない。


 形あるものを持ち帰ることができないならば、せめて、形のないものだけはこの心に秘めておきたい。

 永遠に刻み付けて、死ぬ瞬間まで背負い続けていたいのだ。


 だとしたら、どうすればいい……?


 この消えゆく記憶全てを忘れることなく、いつまでも保ち続けるには、どんな手を使えばいい……?


「……そんなの、簡単な話よ」


 ハルは椅子を蹴りながら立ち上がり、自分の部屋へと向かった。

 扉を荒々しく開き、机の中から原稿用紙とシャープペンシルを取り出して、そしていざ、あの懐かしき日々を書き出していく。


 形ある思い出は持って帰れなかったけれども、クロから貰った大切なものがここにある。


 彼から教わった執筆の経験が、その知識が、自分の中に存在している。


 さあ、物語を紡ごう。


 この物語を永遠にするために。


「…………」


 書き始めてから少しして、ハルは窓のほうに目をやった。


 窓の外には、銀河鉄道で見たような綿雪が舞い落ちている。

 まるであの雪が現実世界にも顕現したかのよう。


 切なき雪が桜のように舞い、闇の帳が降りた街に降り落ち、そして――。



 ねえクロ、貴方もこんな光景を見ているのかしら。


 遠く遠く、途方も無いくらい離れているけれど、きっと私たちが見ているのは同じ光景。


 この淡雪をきっと忘れないから。


 貴方も、永遠にずっと、憶えていてね。





 ――その物語のタイトルは、一つしかない。


 私たちが長き時間を共にした、全てのものが入り混じるあの世界。


 そして、そんな世界で巡り合えた最愛のあなた。




 私が紡ぐ、この物語は。




『イーハトーヴの想い人』

最後までお読みいただきありがとうございます。よろしければ星1つでも評価を頂けますと励みになります。

明日、新作を投稿予定です。よろしくお願いします。

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