海底の記憶
孤島の踏破率が70%を超えた頃、羅針盤が強く反応した。
針が──海の底を指している。孤島の南東の海底。
六つ目の欠片は、海の中にある。
「ハル。ここで待っていろ。海底の探索は俺が行く」
「えっ、わたしも行きたいです!」
「お前の装備では水中で行動できない。水中探索には、専用のアイテムがいる」
「そんなアイテム、トワさんは持ってるんですか?」
「……実は持っていない」
「持ってないんですか!?」
セレスが口を挟んだ。
「ナミ」
「なに?」
「ナミにのれば、うみのなか、いける。ナミ、くじら。くじらは、もぐれる」
──ナミ。ヌシ鯨。あの巨大な鯨の背中に乗れば、海中に潜れるかもしれない。友好度は──
【ナミの友好度:8/50】
毎日撫でたり、魚を渡したりして上げてきた。だが8ではまだ騎乗はできないだろう。
セレスが首を振った。
「だいじょうぶ。セレスが、たのむ」
「セレスが頼む?」
「セレスは、しゅごせいれい。うみのヌシとも、はなせる」
セレスが小さな姿のまま海岸に飛んでいき、水面に手をつけた。──水は苦手のはずだが、手だけなら大丈夫らしい。
角が光った。銀色の光が水中に広がっていく。
数分後──沖合の水面が盛り上がった。ナミが浮上してきた。
セレスがナミに向かって話しかけた。
「ナミ。トワをのせて、うみのそこに、つれてって。おねがい」
ナミが鯨特有の高い声で鳴いた。承諾されたらしい。
【特別条件達成:守護精霊の仲介により、ヌシ鯨ナミへの騎乗が可能になりました】
「セレス、すごい!」
「セレスは、とくべつ。ナミも、セレスのおねがいは、きく」
「ありがとうな、セレス」
「えへへ、どーいたしまして!」
トワはナミの背中に乗った。鯨の皮膚はしっとりと温かい。
「何があるか分からない。危険だから、ハルはここで待っていろ。セレスは──」
「セレスもいく!」
「お前、水が苦手じゃなかったのか?」
「ナミのせなかにいれば、ぬれない。たぶん」
「たぶん?」
「たぶん!」
セレスがナミの背中の窪みに座り込んだ。ちょうど座れる大きさの窪みがある。鯨が旅人を乗せるために最初から持っている構造なのかもしれない。
ナミが潜った。
◇
海底は、別世界だった。
珊瑚の森。光る海草。透明な水中に、太陽の光が差し込んでキラキラしている。魚の群れが虹色に輝きながら泳いでいる。
「トワ! きれい! すごいきれい!」
セレスが窪みから顔を出して、海底の景色に目を奪われている。この窪みは特別仕様で、水の中でも呼吸ができた。周囲にバリアのようなものが生成されている。
ナミが深く潜っていく。光が届かなくなって、少しずつ暗くなった。しかし、海底の珊瑚が光を放っていて、青白い光で暗くない。むしろ、海底全体がほんのりを明るい。
【新エリア「深海の珊瑚宮」に到達しました】
【このエリアはあなたが最初の踏破者です】
珊瑚で出来た宮殿。自然の造形なのか、人工物なのか、区別がつかない。珊瑚の柱が回廊を形成して、光る海草が天井を覆って、透明な水が空間を満たしている。
ナミが宮殿の入口で止まった。ここから先は、人間の大きさでなければ入れない。
トワはナミの背中から降りた。水中──だが、不思議なことに息ができる。
【珊瑚宮の環境効果:水中呼吸が自動的に付与されます】
宮殿の回廊を歩いた。足元の珊瑚が光っている。歩いた跡が、光の道になって残っている。
──綺麗だ。
七千時間以上歩いてきたが、この景色は格別だった。暗い海底に、自分の足跡だけが光っている。旅人が歩いた道が光になる。
「トワ。あしあと、ひかってる」
「ここも、旅人のための場所だろうな」
回廊の奥に、広間があった。珊瑚の王座、座る者はいない。しかし王座の前に──石碑。
ソルシア王国の紋章が刻まれている。
【壁画の翻訳:「第六の旅人は海を渡り、深淵に至った。深淵の底で、旅人は世界の涙を見つけた。──涙は記憶。忘れられた者たちの声」】
世界の涙。記憶。忘れられた者たちの声。
王座の上に、光る水滴が浮かんでいた。
【世界地図の欠片(6/7)を入手しました】
六つ目。
残り──一つ。
羅針盤を確認した。最後の針が──真下を指している。地下。深い、深い地下。
そして同時に、システムメッセージが表示された。
【全エリア踏破率が更新されました:96.8%】
96.8%。あと3.2%で100%。
──近い。旅人の最終試練の入場条件──全エリア踏破率100%に、あと少しで届く。
「トワ。もうすこし」
「ああ。もう少しだな」
「こわい?」
「どうしてそう思う?」
「だって、ぜんぶあるいたら、あるくとこ、なくなっちゃう」
冬夜は、少し考え込んだ。
全エリア踏破率100%。全ての場所を歩き終える。
──その先には、何があるのか?
「こわくない」
「ほんと?」
「ほんとうだ。全部歩き終えても、新しい場所は、きっとまた見つかる。運営がアップデートするかもしれないし、見落としていた場所があるかもしれない。──それに」
「それに?」
「お前がいる限り、退屈はしない」
セレスの顔と角が、ぱあっと光った。
「セレス、うれしい! うれしい! トワ、だいすき!」
「いいから、その角の光度を下げろ。海の魚が逃げるだろ」
「むり! とまんないもん!」
ナミのところに戻った。ナミの背中に乗って、海面へ浮上する。
水面を割った瞬間、夕日が目に飛び込んできた。オレンジ色の空、金色の海。
孤島の砂浜で、ハルが手を振っていた。
「おかえりなさい、トワさん! セレスちゃん!」
トワはナミの背中から砂浜に降りた。セレスが飛んでいってハルの顔にぺたっと張り付いた。
「ハル! うみのそこ、すっごくきれいだった!」
「えっ、ちょ、セレスちゃん顔に! 前が見えない!」
「あのね、さんごがね、ひかって、あしあとがね、ひかるの!」
「すごい! いいなぁ、わたしも行きたかったなぁ」
「いずれ行ける。俺はセレスのおかげでいけたが、お前もナミの友好度を上げれば、潜水できるようになる」
「本当ですか!? じゃあ……これから、コツコツと頑張ります!」
「ああ、頑張り過ぎない程度に頑張れ」
三人と一頭の鯨が、夕焼けの海岸にいた。




