《残り三つ》
橙の区画に入った。
この部屋は暖かかった。セレスには、みかんの色、とたとえで言っていたが、確かにみかんの皮を剥いた時の匂いに似た甘い空気がある。地面に橙色の石が転がっている。
中央に、橙の番人がいた。石でできているが、赤の番人の結晶とは違って、丸い。ごろごろ丸い。岩が二本足で立っている感じ。目が橙色に光っている、おおらかそうな顔をしている。
「おう、来たか! 待ってたぞ!」
声がでかい。ダリオ並みにでかい。
「ここは橙の領域! 仲間の色だ! 最も多くの仲間と共に歩んだ者が前に出ろ!」
【橙の番人が「試し」を提示しました】
【条件:最も多くの仲間を導いた者が、橙の番人と力比べをすること】
【勝敗は問わない。絆の強さが試されます】
「仲間を導いた者……ダリオだな」
「俺か!?」
「お前はマリドゥスと二人で海を渡って、海域の全プレイヤーに航路を開いたんだろう。深淵レイドでは海獣騎乗隊を率いてた。導いた人数なら、お前が一番多いはずだ」
「確かに……俺が開いた航路を使ってるプレイヤーは、五十万人を超えてるな!」
「おい、声がでかいぞ」
「橙の番人の方がでかいだろ!?」
ダリオが前に出た。橙の番人がにやりと笑った。
「おう、いい体格してるな! 力比べだ! 組み合おう!」
「望むところだ! うおおおおおおおおおおおおおおぉ!」
ダリオと橙の番人が組み合った。相撲みたいに。がっぷり四つ。岩の番人と人間の巨漢が、地面をめりめり言わせながら押し合っている。
「がはは! いい力だ! だが、お前一人の力じゃないな!」
「当たり前だ! 俺の力はマリドゥスと一緒に海を渡った力だ! 五十万人の航路を支えた力だ! 一人の力じゃないんだよ!」
「それが聞きたかった! ――よし、橙の領域を通ることを許そう!」
【橙の番人が味方になりました!】
【橙の区画の素材「絆石」を採取可能になりました】
「番人との相撲で認められるの、ダリオさんだけですよね」
ハルが微笑ましげに笑った。
「相撲じゃない! 力比べだ!」
「それは、同じなのでは……」
「同じじゃないぞ、力比べには魂があるからな!」
「相撲にも魂はあると思いますけど……」
ルーナが影の中から声を出した。
「……うるさい。でかい声同士がぶつかると、こっちの影の中まで聞こえる」
「すまん、ルーナ!」
「謝るなら、声の音量を下げてほしい」
「すまん!!」
ルーナが影の中で溜息をついた。うるさいと言うと、大音量で「ごめん!!!」が返ってくるだろうから、ルーナはもう何も言わなかった。
◇
藍の区画。
ここは橙と対極的に静かで、暗い。藍色の光が水底のように沈んでいる。部屋中にきのこが生えている。藍色のきのこ……発光している。幻想的だが、どこか寂しい場所。
「ここ、暗いですね」アストレアが腕を擦った。「それに……やけに寒いです」
「藍は夜に近い色だ。ルーナの領域に近いかもしれない」
ルーナが影から顔を出した。他の区画では影の中に引っ込んでいたが、ここでは影がゆったり広がっている。居心地がいいのだろう。
「ここ……わたしの影に似てる。暗いけど、冷たくない。静かなだけ」
中央に藍の番人がいた。
身体は……影でできている。人の形をしてた影、目だけが藍色に光っている。
「ここは藍の領域。守りの色だ」
囁きかけるような、静かな声。
「さあ、最も強い守りの力を持つ者が前に出ろ」
【藍の番人が「試し」を提示しました】
【条件:最も強い防護の力を持つ者が、藍の番人の攻撃を五分間耐えること】
【攻撃を返す必要はない。守り抜くことが試されます】
「守りの力。……アストレア」
「えっ……わたし、ですか?」
「聖騎士の祝福。聖なる祈り。お前の祈りは、かつて味方を守っていただろう」
「あれは、その……みんながいたからです」
「みんながいたから守れた。――今もみんながいる、そうだろ」
「はい……忘れかけていました。ここは、私が行きます」
アストレアが前に出て、聖剣を地面に突き立てた。
「第三位階——守る祈り」
アストレアの身体から金色の光が溢れた。――祈りの結界だ。
藍の番人が動いた。影が槍のように伸びて、結界を突く。
衝撃――結界に直撃したが、ひびすら入らない。
二撃目、三撃目……番人の攻撃が激しくなる。影が四方八方から結界を叩く。結界がきしむ。
アストレアが歯を食いしばっている。聖剣を握る手が白くなっている。
三十秒。祈りの結界にひびが入った。
「アストレアさん!」
タマキが加勢しようと、薬瓶を取り出した。
「ダメです、待ってください。まだ……持ちます!」
四十秒……ひびが広がっている。でも、アストレアは膝をつかない騎士だ。
「トワさん、このままでは……」
「いや、ダメだ。アストレアに加勢するな」
「でも!」
「心配なのは分かる、俺も不安が全くないわけじゃない。……だが、アストレアも仲間だ。同じ道を歩んだ仲間のことは、最後まで信じたい」
「……すみません、そうでした。わたしも、信じます!」
五十秒。五十五秒。六十秒。
アストレアの祈りの結界にはひびが入っているが、割れない。
割れそうで、割れない。耐えている。亀裂を広げながらも、決して崩れない。
――そして五分が経った頃。
藍の番人が、攻撃を止めた。
「……五分、耐えたな」
番人のささやきかける声には、どこか満足したようなあたたかさがあった。
「藍の領域を通ることを許す。二人で守り抜いたことを、私は忘れない」
【藍の番人が味方になりました!】
【藍の区画の素材「影藍石」を採取可能になりました】
「アストレアさんナイスでした! とっても、かっこよかったですよ!」
ハルがアストレアの元に駆けつけた。
「ハルさん……ありがとうございます。でも、すみません。もう腕が上がらなくて……」
「五分間ずっと聖剣握りしめてましたもんね。指、大丈夫ですか」
「たぶん、三十分くらいグーはできないと思います」
タマキが駆け寄って、アストレアの手に回復薬を塗った。
「筋弛緩の効果がある薬です。五分で動くようになりますよ」
「タマキさんも、ありがとうございます。相変わらず、お優しいですね」
「タマキはね、やさしいの」
セレスがタマキの肩にちょこんと移動した。
「でも、トワのときはきびしい」
「厳しくないですよ。適切なだけです」
「じゃあ、セレスには?」
「セレスちゃんには、とっても優しいですよ!」
「おい待て、俺にも優しくしてほしいんだが……」
「それほど厳しくあたった経験はありませんよ? ただ、トワさんはちょっと、天然なので……」
「天然とは、何がだ?」
「そういうところです」
「そーゆーところ」
「……お前ら、俺に何か恨みでもあるのか?」
タマキとセレスの二人が相手では、トワもたじたじ。
反論すら諦めて、そそくさと次の区画に向かった。
◇
最後は――紫の区画だ。
この一室は、星空のような紫の光に満ちていて、地面には紫の蔦が絡まっている。空気が甘くて重い。夢の中みたいな場所だ。
中に、紫の番人がいた。
蔦でできて、ゆっくり動いている。呼吸するように、蔓が伸びたり縮んだりしている。
「ここは紫の領域――『命名の色』だ」
命名……原初の世界のテーマそのもの。
「最も多く名前をつけた者が前に出てこい。その名前の力を見せてみろ」
【紫の番人が「試し」を提示しました】
【条件:最も多くの命名を行った者が、紫の番人に名前をつけること】
【番人はまだ名前を持っていません。ふさわしい名前をつけることが試されます】
「番人に、名前をつける……」
トワが前に出た。命名数最多だが——番人に名前をつけるのは初めてだ。
トワは、紫の番人を見た。
蔦でできた身体と、紫の光、ゆっくり呼吸している……蔓が伸びたり縮んだり。
「もう少し……ちゃんと見てみるか」
トワは見聞録を【片鱗モード】に切り替えた。
番人の内部――蔦の奥には、小さな核がある。紫の結晶が、脈打っている。心臓と同じリズムで。この番人は七本の柱の心臓と同期しているのだろう。世界の脈動を身体で感じている存在だ。
視界が砂嵐になる前に、見聞録を通常モードに戻した。
「……番人の本質がわかった。お前は、世界の脈動を感じる存在だ。蔦のように世界に絡みつき、全てに触れて、全ての脈動を感じ取っている。だから、お前の名前は——」
入力した。
【脈紫】
【命名が完了しました!】
【紫の番人「脈紫」が命名されました】
【命名者:トワ】
その瞬間、番人から鮮やかな紫色の光が放たれた
名前を得て、存在が確定したからだ。
「……脈紫。いい名前だ。世界の脈を紫に染める者。……この私にふさわしい」
「紫の領域を通ることを許してくれるか」
「許す。名前をくれた者を拒む理由がない」
【紫の番人「脈紫」が味方になりました!】
【紫の区画の素材「命名花」を採取可能になりました】
「これで、全七色の素材が揃いましたね」
タマキが鞄の中を確認した。
「炎晶石、静水晶、命苔、陽歩石、絆石、影藍石、命名花……七つ全部」
「ようやく、虹の調合ができるのか」
「できます。……でも、これは大事な場面で使いたいです。今すぐじゃなくて」
「ああ、七本目の心臓を動かす時用だな」
トワたちは七色の庭を抜けて、花の台地に戻った。プレイヤーたちが花畑で探索している。レクトが壁で釣っている。根守のヒトミが四つの目でプレイヤーたちを眺めている。
メブキがセレスの肩に乗っていた。セレスがトワの肩に乗っている。二段乗りだ。
「おい、セレス。メブキを降ろせ」
「いや。おやこだから、いっしょにのる」
「後輩じゃなかったのか?」
「じゃあ、やっぱりこーはい。でも、セレスはおかあさんでもいい」
「どっちなんだ? 俺はまあ、どちらでもいいが……俺の肩の容量はそこまで大きくないぞ。一人までにしてくれ」
「でも、セレスとメブキでちょうどいい。おやこだから」
「親子でも、二人は二人だ」
「おやこわりびき」
「どこの交通機関なんだ」
タマキが横で笑っていた。ダリオが「いいじゃないか親子!」と叫んで、ルーナが影の中から「うるさい」と言った。ダリオが「すまん!!!」と言ったら、ルーナが「だからうるさい」と言った。
ようやくこれで、七色の素材が揃った。番人が全員味方になった。
あとは——七本目の柱の心臓を動かすだけだ。




