《繋がる世界》
根の天蓋。
ここは花の台地、空からは虹色の光が降り注ぎ、金色の花が一面に咲いている。
目を開けた瞬間に「きれい」と思える場所に来たのは久しぶりだった。【世界の根】の暗い迷路に何日もいたから、余計にそう感じる。
セレスがトワの胸の上で丸くなっている。その隣にメブキがいた。セレスの角にくっついて、双葉をぴこぴこさせながら寝ている。まるで親子の寝姿だった。セレスが母親でメブキが赤ん坊。大きさはほぼ同じだが、メブキの方がころころしているので赤ん坊感がある。
「二人とも起きろ。朝だ」
「……あとごふん」と、セレス。
先にメブキが目を開けた。まんまるな目がきょとんとしている。双葉がぴょこんと立った。
「メブキは起きたぞ。先輩より、後輩の方が早起きだ」
「めぶきはこーはいだから、はやおきするのがれいぎ」セレスが目を閉じたまま言った。
「じゃあ、先輩も起きろ」
「せんぱいには、せんぱいのじかんがある」
「ない。起きろ」
「……むぅ」
◇
タマキが根の樹液で、朝食代わりの回復薬を作ってくれた。飲むと身体が温まる。メブキにも一口飲ませたら、双葉がぶわっと開いて、嬉しそうにくるくる回った。
「メブキは、薬が好きなのか」
「すきみたい。セレスのこだから、セレスもおくすり、すき」
「お前は薬より飯が好きだろう」
「おくすりもごはんもすき。あと、おやつもパンも。セレスは、なんでもすき」
「何でも好きなのは長所だな」
「えへへ」
メブキがころころ転がって、タマキの膝の上に乗った。硝子蛙がけろっと鳴いた。メブキがけろっと真似した。蛙と精霊が見つめ合っている。
「ふふっ……仲良くなったみたいですね」
「仲良くなってくれるのはありがたい。メブキ、早速一つ頼みたいことがあるんだが」
メブキがトワを見た。双葉がぴこん。
「地上と繋がる通路を開けてくれないか。原初の世界と、根の天蓋を行き来できるようにしたい」
メブキが双葉をぶるぶる震わせた。考えている顔だ。それから、こくんと頷いた。
メブキの双葉から光の蔦が伸びた。根の迷路を通り抜けて、さらに上の原初の世界に向かっていく。
数秒後——システムメッセージが表示された。
【原初の世界に「根の通路」が出現しました!】
【始まりの道・『大きい木』の根元に、世界の根への直通通路が開放されました】
【世界の根へのアクセス条件を満たしたプレイヤーは利用可能です】
「開いたな。『大きい木』の根元に、通路ができたらしい」
「メブキちゃん、すごい。ここと地上を繋いだんですね」
メブキがくるくる。褒められて嬉しいらしい。
◇
三十分もしないうちに、花の台地にプレイヤーが来始めた。
根の通路を通って、地上から直接来たプレイヤーたち。最初の一人が花の台地に足を踏み入れて、上を見た。虹色の天蓋、光の雨、金色の花畑。
「……何ここ」
二人目が来た。三人目、五人目、十人目。
全員が同じ反応だった。上を見て、止まって、黙って、それから「すごい」とか「きれい」とか言う。暗い根の回廊を通ってきた人はなおさらだ。あの暗闇を抜けた先に、こんな場所があるとは思わない。
一時間で五十人を超えた。二時間で百人を超えた。
花の台地が賑やかになった。プレイヤーたちが花畑を歩き回っている。スクリーンショットを撮っている。根の樹液を採取している。薬師が調合を始めている。釣人が壁面に向かって竿を構えている。レクトの弟子みたいなのが増えている。
ヒトミが脈動の広場から、根の天蓋に来た。
初めて天蓋を見るヒトミは、四つの目を大きく見開いた。
「こんな場所が……あったのか」
「知らなかったのか?」
「知らなかった。根守はここに来たことがなかった。天井の根が閉じていたから」
「実は、メブキが開けたんだ」
ヒトミがメブキを見た。メブキがヒトミを見た。
四つの目と、まんまるな二つの目。
「お前が……根の精霊か」
メブキがこくん。
「小さいな」
メブキがむっとした顔をした。双葉がぺたんと倒れた。不機嫌を示しているらしい。
「案ずるな根の精霊、今のは褒め言葉だ。小さいのに、天井を開ける力がある。大したものだ」
メブキの双葉がぴょこんと戻った。
単純だが可愛い。流石はセレスの後輩なだけはある。
トワはそれを心の中に留めておいた。口に出したら、絶対に調子に乗るから。
◇
花の台地の先を探索した。
根の天蓋は花の台地だけではない。奥に進むと、透明な池が見えてきた。
ここは中央の池、『鏡根の泉』だ。
水面は完全に静止している。鏡のように。覗き込むと——
「あ」タマキが声を上げた。
水面に映っているのは自分の顔ではなかった。
映像だ。タマキがBCOで調合してきた数千回分の薬が、一秒ずつ早回しで映っている。最初の頃の下手な回復薬から、マーサに教わった浄化薬、深淵の龍体戦で百四十八本配った霊薬、ナギと共同開発した姿固定薬、星見の雫の命名。
「わたしの……調合の全記録が、映っています」
「『鏡根の泉』――恐らく、自分がBCOでやってきたことが映されるんだろう」
トワも泉を覗き込んだ。
七千時間――いや、もう一万時間。
始まりの町の最初の一歩から始まった。まだ誰もいない草原を一人で歩いている映像。銀月の鹿と出会った夜。セレスが肩に乗った瞬間。終夜の回廊の戦い。裏世界。聖王国。第二の大陸。ソルシアの記憶の雨。深淵の戦い。原初の世界の銀色の草原。渡空魚にぱたぱたされている映像。万獣に舐められてびしょ濡れの映像。
全部が映っている。これまでの旅の三年間が、水面に流れている。
周りにプレイヤーが集まってきた。泉を覗き込んでいるトワの水面を、横から見ている。
「あれ……トワさんの映像だ」
「見えてるのか、俺たちにも」
「水面に映ってる。トワさんの旅の……全部」
「すごい……三年間の記録が、全部映ってる」
「最初の頃、一人で歩いてるじゃん。ずっと一人だ……」
「セレスちゃんが来たあたりで、映像が明るくなってますね」
「タマキさんが合流したところ。薬渡してる」
「深淵のレイド……龍の中に飛び込んでるところだ……」
「原初の世界。万獣に舐められてる」
「舐められてるの笑うんだけど」
「でもなんか……泣きそうになるな。一人で始まって、だんだん仲間が増えていくって……」
トワは黙って見ていた。
自分の旅が水面に映っている。恥ずかしいような、でも——悪くないような。
「トワさん」レクトが隣に来た。
「何だ」
「俺のも覗いていいですか」
「好きにしろ」
レクトが泉を覗き込んだ。水面にレクトの映像が映った。
釣り。ひたすら釣り。朝から晩まで釣り。雨の日も風の日も釣り。四万二千回の釣りが早回しで流れていく。
「……俺、こんなに釣ってたのか」
「三年間、毎日三十回以上だったろう」
「いや、数字では知ってましたけど、映像で見ると……俺の人生、釣りしかしてないんですけど」
「いい人生だな」
「いい人生なんですかね、これ」
「ここまで来られたのは、四万二千回釣ったからだ」
「……ですね。釣っててよかった」
プレイヤーたちが次々と泉を覗き込んでいた。
自分の歩みが映るのを見て、笑ったり泣いたりしている。
「俺、こんなに戦ってたんだ」
「わたし、初めてパーティ組んだ日が映ってる。懐かしい……」
「ギルドメンバーと出会った日だ。あの時は五人だったのに、今は五十人いるんだよな」
鏡根の泉が、プレイヤーたちの交流の場になっていた。
自分の映像を見せ合って、思い出を語り合っていた。
◇
泉を離れて、花の台地に戻った。
グランが七本目の柱の心臓の方を見ていた。
花に覆われた通路の先……灰色の結晶、止まった心臓。
「グラン。仲間を呼ぼうと思う」
「仲間?」
「ゼクスとアストレアとハルとダリオ。深淵レイドを一緒に戦ったメンバーだ。七本目の心臓を動かす時に力がいる。二人だけじゃなく、みんなの力を借りたい」
「お前の仲間か」
「ああ、信頼できる連中だ。……グランの忠告だろう、一人で行くなと」
「一人で行くな、とは言った。だが——こんなに大勢で来るとは思わなかった」
「大勢の方がいいだろう」
「ああ。……大勢の方がいい。一人で行った者を迎えに行くには、大勢で行く方がいい」
トワはVRヘッドセットを外して、ふとスマホを取り出した。
ゲーム内チャットではなく、現実の連絡先。ゼクスに、アストレアに、ハルに、ダリオに。
『来てくれ、世界の根に。これから——大きなことをやる』
ゼクスから三秒で返信が来た。
『当たり前だ。呼んだら行くと言っただろう』
アストレアから一分後。
『行きます。聖騎士の祝福が必要なら、全力で応えます』
ハルから二分後。
『師匠! いえ……トワさん! わたしも現地に駆けつけて、記録しにいきます!!』
ダリオから五分後。
『海の男は呼ばれたら行く。マリドゥスも連れていくぞ。うおおおお!』
無事、全員揃った。
「明日、来てくれるそうだ」
「心強いですね」
「ああ……心強い」
メブキがトワの頭の上でくるくるしていた。セレスがメブキを見上げて、自分もくるくるし始めた。
精霊同士でくるくる。渡空魚もぱたぱた。全員が何かしら回転かダンスをしている。
「賑やかになるな、ここも」
「賑やかなのがいいんですよ。BCOは、一人で遊ぶゲームじゃないですから」
「俺は二年間一人で遊んでいたんだが……」
「だから、仲間ができたんじゃないですか。二年分の一人を取り返すくらい」
「確かに……取り返せてるか」
「取り返せていますよ、十分」
虹色の光が降り注いでいる。花が咲いている。泉が映している。仲間が来る。
世界の中心が、賑やかになっていく。




