帰ってきた場所
十六日目。
メインクエストが発生してから最初のログイン。星渡りで原初の世界に転送した。
銀色の草原に立った。
渡空魚が十二匹、ぱたぱた寄ってきた。
「おはよう」セレスが手を振った。
ぱたぱたぱたぱた。
今日やるべきことは二つ。
精霊の記憶覚醒を3/7から進めること、穴の封印解除も残り三つだ。
でも封じられた穴を見つけるためには、エリア踏破率を上げるところからだ。
「タマキ、今日はどこから行く」
「星降りの高台の裏手が、まだ踏破できてないですよね。あそこに行きませんか」
「ああ、ちょうど俺もそこがいいと思っていた。裏手に回って、何があるか見てみよう——」
トワが歩き出そうとしたその時……草原の向こうに、人がいた。
プレイヤーではない。NPCでもない。
フードを被った老人が、杖をついて立っている。
「お前は……グラン、か?」
グランだった。
始まりの町にいるはずの老人が、原初の世界の銀色の草原に立っていた。
「グランさん。どうして……ここに」
「来たかったから、来たんだ。——久しぶりだな、ここは」
タマキがトワの横で息を呑んでいた。
石碑の映像と照らし合わせると――やはり素足の旅人とは、彼のことで間違いない。
「おや。薬師のお嬢さんも一緒かい」
「はい。グランさんは、かつてここに来たことが——」
「ある。昔には……とても昔の話だ」
グランが歩き出した。杖を突いて。ゆっくり。始まりの町でもこんな風に歩いていた。
でも今は、足元が少し違った。
靴を履いていなかった。
素足だった。
「グラン。靴が——」
「ああ、ここでは靴はいらない。昔から、裸足で歩いていた」
素足の旅人。
グランが歩いた場所の草が、微かに光っていた。トワの星巡りの靴とは違う。大地が反応しているかのように……いや、世界がグランを覚えているのかもしれない。
「世界が、覚えてるんですね……グランさんのこと」
「覚えているさ。ここは——わたしが最初に歩いた草原だからな」
最初に歩いた。
グランが立ち止まった。鏡の湖が見える場所で。
「なあ、トワ」
「何だ?」
「石碑を、見たのだろう」
「そうだな……全て見た」
「全部、か」
「ああ……二人の旅人が出会って、一緒に歩いて、分かれた。一人が深淵に行って、もう一人が始まりの町で待った」
「そうか。——全部見たのか」
グランが杖を地面に突いた。こつん、と小さい音が草原に響いた。
「聞きたいことがあるだろう」
「もちろん、山ほどあるさ」
「なんでも聞け」
「グラン、念のため聞くが……あんたが、二人目の旅人か」
グランが少し疲れたような笑みを浮かべた。
「ああ。——わたしが二人目の旅人。素足の旅人だ」
セレスがじっと老人を見つめる。
「グラン……」
「セレス。——大きくなったな。いや……小さくなったのか」
「セレスをうんだのは、グラン?」
「産んだ、とは少し違う。——お前が生まれる泉のそばで座っていた。お前が光の中から出てきた時、最初に見たのがわたしだった」
「それ、おぼえてる。わらってたひと——グランだった」
「ああ、笑っていたとも。——お前が生まれた時は、本当に嬉しかった。一人じゃなくなったからな」
一人じゃなくなった。
一人目の旅人が深淵に行ってしまった後、グランは一人だった。精霊が生まれるまで、セレスが生まれるまで、ルーナが水を飲みに来るまで、ずっと一人だった。
ルーナが影の中から声を出した。
「グランさん。わたしも……覚えてます。泉の水を飲んだ時、あなたがそばにいた」
「ルーナ——お前も大きくなった。闇に堕ちた時は心配したぞ」
「心配……してくれてたんですか」
「していた。始まりの町の影の中に、お前の気配をずっと感じていた。トワが助けてくれて——本当に助かった」
「グランが心配してくれてたなんて……知らなかった」
「言わなかったからな。——言葉にするのは、得意じゃない」
グランが湖の方を向いた。
「トワ。あの依頼を受けたんだな」
あの依頼とは、メインクエストのことだろう。
「受けた。一人目の旅人を見つけて、帰還させると」
「そうだ……あの人は、【深淵】の底にいる。世界の根に、まだ……見続けている」
「見続けている?」
「世界の全てを見たいと言って、見えない場所を見に行って——今もまだ見ている。見ることをやめられない。自分が何者かも忘れて、ただ見続けている」
「忘却体、みたいなものか」
「近いが、忘却体よりもっと深い。あの人は……見ることに特化しすぎて、自分自身の形を失った。目だけが残った」
「目——」
「お前が、世界の柱の上から見ただろう。柱の下にうごめいていたもの。あれが——あの人だ」
トワは覚えていた。柱の上から見下ろした時、深淵の底に巨大な何かがうごめいていた。ルーナが「見るな」と叫んだ。浸蝕度が急上昇した。
あれは龍ではなかった……一人目の旅人だ。
「行けるのか。あそこに」
「行ける。——だがお前一人では足りない。わたしも行く」
「グランが……か?」
「二人目の旅人が行かなければ、一人目は帰ってこない。あの人が帰ってくる理由は、わたしだからな」
グランの声が少し震えた。ほんの少しだけ。
「待ち続けて、何千年も経った。もう待つのは終わりにしたい。——お前が道を作ってくれた。あの穴の先を通って、世界の根まで、わたしが歩けばいい。あの人のところまで」
「一人で行くのか」
「いや。——お前と一緒に行く。三人目の旅人と、二人目の旅人が、一人目を迎えに」
グランがトワを見た。
「頼めるか、トワ」
「頼まなくていい。——当然、やるに決まっている」
「……ありがとう」
「礼はいらない、俺たちは歩くだけだろ」
グランが笑った。今度は、飄々とした笑みが少しだけ混じっていた。いつものグランに近い顔。
「お前は本当に——旅人だな」
「そうだ、俺は旅人だ」
「あの人に似ている……歩くことしか考えていないところが」
「歩くことしか考えていないわけじゃない。……おやつのことも考えている」
「おやつ!」セレスが反応した。
「おい、今のは冗談だぞ」
「じょーだんじゃない。おやつは、だいじ」
「ははっ……相変わらず、セレスはおやつが好きか」
「すき。おやつ、セレス、おやつ」
「セレスは自分の名前を、食べ物で挟む習性でもあるのか……?」
「しゅーせーじゃない。たべたいだけ」
「おやつは……いま、持ち合わせていないな」
「じゃあ、パン、セレス、パン」
「言いたいだけだろ、お前」
「ちがう。たべたいだけ」
トワとセレスの会話に、グランが声を出して笑った。この場所で笑うのは、何千年ぶりかも分からなかったが、それでもグランは心底楽しそうに笑っていた。




