前夜
深淵の章、実装前夜。
エルシオンの調和の里。全員が集まっていた。
トワ。セレス。ルーナ。ゼクス。アストレア。タマキ。ハル。ダリオ。ヴェノム。
里の広場。焚き火の周りで座っている。――アップデートが来たる明日、世界が変わるのだ。
「明日……遂に【深淵】が開く」
そう切り出したトワに、仲間たちは耳を澄ました。
「何が待っているかわからない。グランは『四つ目の光は自分で灯せ』と言った。最後の鍵はまだ見つかっていない。【深淵】の中で見つけるしかない」
「見つかりますよ」ハルが言った。「師匠が七千時間歩いてきた道の中に、答えがある。グランさんが、そう言ったんですから」
「道の中にあるなら、歩いていれば辿り着く。旅人の基本……だろ?」ゼクスが言った。
「聖騎士の矜持にかけて、最後まで一緒に歩きます」アストレアが聖剣を掲げた。
「薬は万全です。深淵用の耐性薬を六十本。回復薬を百二十本。タマキ塾の生徒が、量産を手伝ってくれました!」
「航海士は、水があろうがなかろうが潜るぜ」ダリオが笑った。
「旅人の集いは全員、虚空訓練を完了している。いつでも行ける」ヴェノムが腕を組んだ。
「ルーナの夜が必要になる場所がある。──わたしは、そのために来た」
ルーナが影の中から手を出した。セレスがその手を握った。
「ルーナ。いっしょにいく」
「うん。──一緒に」
セレスがトワの肩に座り直した。角がぽわっと光った。
「トワ。セレスは、いつもいっしょだよ」
「ああ……知っている」
「しんえんのそこまで、いっしょ」
「ああ……」
「こわくない?」
「……少し、怖い」
「セレスも。──でも、トワがいるから、だいじょうぶ」
焚き火がぱちぱち鳴っている。煙が夜空に昇っていく。エルシオンのオーロラが頭の上で揺れている。六十秒の鼓動。安らかな眠り。
テンがブーツの上で光っていた。穏やかな光。五回の明滅ではなく、ゆっくりとした一回の長い光。
「テン。お前も行くか」
一回、了解の合図だ。
みんなが言葉もなく焚き火を見守る中、ふとタマキが立ち上がった。
「あの──前夜なのに、なんだか暗い空気になってますね。わたし……パンケーキ焼きます! エリーさんの秘伝のレシピで!」
「なにっ……パンケーキ?」
「エリーに教わったんです。夢見のパンのアレンジで、焼くとふわふわになるパンケーキ。名前は──『夢見のパンケーキ』です」
「そのままだな」
「そのままがいいんです。──食べましょう、明日のために!」
タマキがフライパンを取り出して、焚き火でパンケーキを焼き始めた。エルシオンの夢の蜂蜜を生地に練り込んだ特製。焼ける匂いが広場に広がった。
全員が──匂いにつられて、表情が緩んだ。
「いいにおい」セレスが鼻をくんくんさせた。
「タマキの料理スキル、いつの間に上がったんだ」ゼクスが聞いた。
「「薬の調合と料理は同じです。素材を測って、手順通りに処理して、温度を管理する。現実でもゲームでも、同じことを言い続けてます」
「クリスマスに、現実で料理を作った時も、同じ理屈で押し通したらしいからな」トワが言った。
「押し通したんじゃないです、事実です」
「それ、誰のセリフ……いや、受け売りだ?」
「秘密ですよ。強いて言えば……目の前にいる方の受け売りです」
「そうだろうな」
「ええ、もちろんそうです」
パンケーキが焼けた。全員に配った。エルシオンの蜂蜜が黄金色に光っている。
セレスが一口齧った。
「おいしい。──あまくて、ふわふわで、あったかい」
「どう、セレスちゃん? 元気出た?」
「でた。──セレス、げんきいっぱい」
「よかった」タマキがほっと笑顔を浮かべた。「では明日、全力で行きましょう」
パンケーキを食べ終えた後、一人ずつ寝場所に向かった。
トワは最後まで焚き火の前に座っていた。セレスが膝の上で丸くなっている。ルーナが影の中で静かにしている。テンがブーツの上で光を消している。
焚き火の残り火。エルシオンの空。オーロラ。六十秒の鼓動。
足元に微かな振動。
──あしたも、あるいてくれる?
「ああ。歩く。──明日も、明後日も。世界の底まで」
──くすぐったいのが、なくなったら、さびしい。
「なくならない。──俺が歩く限り」
エルシオンの心臓が、六十秒感覚で脈打っている。穏やかに、安らかに。
深淵の章が、明日始まる。




