「練習」
火曜日。
昼、大学の食堂。
冬夜がかけうどんを食べていると、向かいの席に女子学生が座った。木曜日の──ノートの子だ。
「久坂くん、こんにちは! 今日レポートの相談、いい?」
「ああ」
名前をまだ聞いていなかったことを思い出した。
「名前、聞いていなかった」
女子学生が一瞬きょとんとして、それから笑った。
「あはは、そういえばそうだった。宮瀬環です。比較文化論、同じクラスの」
「久坂冬夜」
「知ってるよ。ノート貸してくれた人だし」
宮瀬がレポートのテーマ候補を三つ挙げた。冬夜はそれぞれの方向性と、資料の集めやすさを簡潔に説明した。
「やっぱり二番目がいいかな。比較的資料が多いって言ってたし」
「その方向でいい。先行研究は図書館の三階にまとまっている」
「詳しいね。もう書き始めてるの?」
「昨日終わった」
「えっ、もう終わったの!?」
冬夜はうなずいた。レポートは早く終わらせたい。BCOの時間が減る。
「久坂くんって、放課後とか何してるの? サークルとか」
「何もしていない。帰ってゲームをしている」
「ゲーム? 何の?」
「VRのMMORPG」
「あ、VRやるんだ! すごい! 私も興味あるんだよね。どんなゲーム?」
「──長くなる」
冬夜はうどんの残りを食べ終えた。
「説明は面倒だが、面白いゲームだとは思う」
「ふーん。久坂くんが面白いって言うなら、相当面白いんだろうね」
宮瀬が頬杖をついた。冬夜の顔をじっと見ている。
「なに」
「いや、久坂くんって普段すごく静かだけど、ゲームの話する時だけちょっと声のトーン変わるなって」
冬夜は無意識に口を閉じた。変わっていただろうか。自分ではわからない。
「いいね、好きなことがある人って」
宮瀬が笑って立ち上がった。
「レポート、頑張るね! また何かわからないことがあったら聞いてもいい?」
「食堂にいる」
「ありがとう。じゃあまた!」
宮瀬が去った後、冬夜はしばらく食堂の窓を見ていた。
──声のトーンが変わる、か。
そういうものなのだろうか。自分ではよくわからない。
◇
夜、ログイン。
今日はPvPの練習をする日だ。レナたちとカインが古戦場跡・コロセウムで待っていると連絡があった。
転送水晶でコロセウムへ飛ぶ。
コロセウムは、巨大な円形闘技場だった。石造りの観客席が何段にも重なり、中央に砂のフィールドが広がっている。ここでランキング戦やトーナメントが開催される。練習用の個室対戦も可能だ。
入口でレナたちと合流した。そしてもう一人──。
「こんばんは、トワさん」
ミコトがいた。
Lv83の弓使い。配信者のアバターは、銀髪のハーフエルフだった。弓を背負い、軽装の革鎧を纏っている。
「……なぜいる」
「あ、私が呼んだの!」とレナが手を挙げた。「弓使いの練習相手もいた方がいいかなって。ミコトさん、弓使いだし」
「勝手に来ちゃってすみません。迷惑だったら帰ります」
冬夜は少し間を置いた。
「……いい。遠距離の対策も必要だ」
「ありがとうございます!」
ミコトが笑った。配信の時の明るいテンションとは少し違う、控えめな笑み。
個室対戦を予約した。五人が入れるフィールド。中央に砂の闘技場が広がる。
「じゃあまず俺からやるか」
カインが前に出た。Lv88の盗賊。PvPの経験はパーティ内で最も豊富だという。
「ルールは簡単だ。HP半分になった方が負け。殺し切らなくていい。実際のPvPも降参ルールが多いからな」
トワは【旅立ちの剣】を構えた。
「一つだけ忠告しておく」
カインが姿勢を低くした。盗賊の隠密態勢。
「PvPはPvEと全く違う。モンスターはパターンで動く。だが、人間は──」
カインの姿が消えた。
ステルス。盗賊スキルの基本。
【見聞録】が反応する──が、表示が安定しない。モンスターと違い、プレイヤーの行動予測は「???」だらけだ。
【対象:プレイヤー ── 行動パターン:予測不能】
背後。
気配を感じた瞬間、首筋に短剣の感触。
「──人間は、パターンを裏切る」
HP表示。一撃で四割削られた。Lv1のHPは120。48ポイントが一瞬で消えた。
「……なるほど」
トワは振り向きざまに三連斬を放ったが、カインはすでに距離を取っていた。
「いい反応だ。だが遅い。ゼクスはもっと速い」
二戦目。トワは【見聞録】の使い方を変えた。
行動パターンが予測不能なら、パターンではなく「物理的な情報」を読む。足音、視線の方向、筋肉の動き──フルダイブVRの五感情報を全て使い、【見聞録】に「環境音の異常検知」を組み合わせた。
カインがステルスに入る。姿が消える。
静寂。
──右後方。三メートル。足音が砂を踏む微かな音。
トワは振り向かず、右後方に向かって槍の突進モーションを発動した。
槍の穂先が、姿を現したカインの胸を捉えた。
「──速い」
カインが驚いた顔をした。
「音で読んだのか?」
「見聞録は環境音も拾う。視覚が使えないなら、聴覚で読めばいい」
「対応力がおかしい。たった二回で修正してくるのか」
レナが観客席から叫んだ。
「すごい! トワさんカイン倒した!」
「まだ一本取っただけだ。冷静になれ」とカインが苦笑した。
三戦目、四戦目と続けた。カインとの戦績は2勝2敗。五分に持ち込めたが、カインも本気ではないだろう。
「次は俺以外とも試した方がいい。武器や職業ごとに間合いが違う」
レナが前に出た。
「私、行くね! ──手加減しないよ!」
Lv87の剣士。近距離戦。
レナの剣は真っ直ぐだった。技巧に走らず、正面からぶつかってくる。
【見聞録】の対プレイヤー予測が、少しずつ精度を上げていた。二回、三回と打ち合ううちに、レナの攻撃前の予備動作──肩の傾き、足の踏み込み角度──が読めるようになる。
五合目で三連斬を叩き込み、レナのHPを半分以下に削った。
「あ、負けた! 速い! さっきより全然速くなってる!」
「学習速度が異常だな」とカインが言った。
「次、ミコトさん」
「え、私!? あ、はい!」
ミコトが弓を構えてフィールドに出た。
弓使い。遠距離職。近接戦闘が主体のトワにとって、距離を取られるのが最も厄介なはずだ。
「い、行きます!」
ミコトが矢を放った。距離二十メートル。弓使いの間合いだ。
トワは矢を横に避け、一気に距離を詰めた。
だがミコトは退きながら矢を連射する。弓使いの基本戦術──引き撃ち。動きながら撃ち、距離を維持する。
三本の矢が飛んでくる。一本目を横に避け、二本目を屈んで回避──三本目が、フェイントの後に軌道を変えた。
【曲射】 ──弓使いのスキル。矢を曲げて死角から当てる技術。
腕をかすめた。HPが微量削れる。
「……曲射か」
「当たった! ──あ、でも全然減ってない……」
【冒険のお守り】の被ダメージ軽減と、【道具通】の二倍効果。被ダメージ60%カット。さらに【旅路の極意】のDEF補正。ミコトの矢では、削りきれない。
トワが距離を詰めた。残り五メートル。
ミコトが最後の矢を放つ。至近距離の一射。
トワは矢を──掴んだ。
左手で矢の軸を掴み、止めた。フルダイブVRでは反応速度さえあれば可能な動作だが、実際にやる人間はいない。
「──え」
ミコトの動きが止まった。
トワは掴んだ矢を離し、【旅立ちの剣】の切っ先をミコトの喉元に突きつけた。
「俺の勝ちだ」
ミコトのHPはまだ半分以上残っている。だが、この距離で剣を突きつけられれば、実戦では詰みだ。
「……は、はい。負けました」
ミコトの声が小さかった。
剣を引いた。
「……あの」
「なんだ」
「矢を、手で掴むって……できるんですね」
「やったことはなかった。試してみたら、できた」
「…………」
ミコトがしばらく無言で、それから小さく笑った。
「ずるいなぁ」
何がずるいのかは、聞かなかった。
◇
練習を終えて解散した後、ミコトからメッセージが来た。
ミコト:「今日はありがとうございました。練習相手になれてたかな……」
トワ:「役に立った。弓使いの間合いの取り方は、対ゼクス戦でも参考になる」
ミコト:「よかった!」
ミコト:「あの……一つ聞いていいですか」
トワ:「なんだ」
ミコト:「矢を掴んだ時、私の顔見てましたよね。なんで手元じゃなくて顔を?」
冬夜は少し考えた。
理由は単純だった。弓使いの射線は、弓の先端ではなく「視線の方向」で決まる。だから顔を見ていた。狙いを読むために。
だが、それをそのまま説明するのは長い。
トワ:「狙いを読むためだ」
ミコト:「……そっか」
ミコト:「そっかぁ」
トワ:「?」
ミコト:「なんでもないです! おやすみなさい!」
冬夜は首をかしげた。何か変なことを言っただろうか。
スマホを置いて、天井を見た。
明日はゼクスとの対戦日時が発表される。フォーラムの運営告知によると、公式が場を用意するらしい。BCO初の「公式PvPエキシビションマッチ」として。
──まだ知らないことだらけだ。対人戦の距離感、タイミング、読み合い。
だが、知らないからこそ歩く価値がある。
目を閉じた。明日に備えて、今日は早く寝る。




