第9話 アルパカの進化に気づき、ウサギは狩りの時間だと直感する
ここは2年A組の教室。
ちょうど昼休み終了のチャイムが鳴り、クラスメートたちが席に戻ってきている。
俺も自分の席に座り、次の授業の準備をしようとしていたところ、近藤が後ろからやってきた。
「ほい、春木。お届けもの」
「ん? なにこれ?」
机に置かれたのは、きれいにラッピングされた袋。
俺が首をかしげると、近藤は前の席に座って振り向いてくる。
「手作りのクッキーだってさ。春木宛だぜ?」
「俺にクッキー……? なんで? 誰から?」
「名前言っても春木は知らんと思うぜ? 3年生の風紀委員の先輩。メガネ掛けた美人だ。覚えないか?」
「あー」
たぶん昨日、手芸部のエアコンのチェックに来た人だ。
俺とゆにちゃんはノック・ダウンしてたけど、たぶんメガネを掛けてたと思う。
「手芸部に見回りに来た人?」
「あー、それそれ」
近藤は頬杖をついてうなづく。
どうやら当たってたらしい。
「んで帰り際、先輩、風で書類飛ばされちゃったらしいじゃん? 春木、それ拾うの手伝ったんだろ?」
「ああ、そういえば、そんなこともしたような……」
教室の天井を見上げて思い出す。
そうだそうだ、昨日はバイトがあったから、俺は部活の途中で帰ることにしたんだった。
それで昇降口を出ると、ちょうど女子が目の前を通り掛かって、運悪く強風で書類が飛ばされてしまうところを目撃した。
結構な枚数だったから拾うのを一緒に手伝ったんだけど、たぶんあれが近藤のいう風紀委員の先輩だったんだろう。
部室ではノック・ダウン状態だったから昇降口では同じ人だと気づけなかったんだと思う。なんか申し訳ない気分だ。
「でもそれでなんで俺にクッキー?」
「出たよ。春木の無意識な僧正発言」
なぜか近藤に呆れ顔をされてしまった。
「先輩に聞いたけどその書類、校庭の柵の向こうまで飛んでったんだろ? んで春木、草まみれになりながら柵を登って取ってきたらしいじゃん? 先輩、えらい感謝してたぜ。そりゃクッキーぐらい焼いてきても不思議じゃないっての」
「え、そういうもの……?」
「そういうものさ」
確かに書類を拾う時、柵は登った。
でもあれは先輩がスカートだったから、男子の俺が行った方がいいと思ってやっただけだ。
わざわざクッキーなんてもらってしまったら、逆に申し訳なくなってしまう。
「先輩、春木が手芸部だってことは分かってたみたいだけど、クラスが分からずに困ってたんだ。出来るだけ早くそれ渡したかったみたいでさ。んで、顔の広い俺に話がまわってきたってわけだ」
近藤はノリがいいし、校内に知り合いも多い。
確かに人捜しで頼られることは多そうだ。
「なるほど、でも近藤、よく俺だって分かったね?」
「そりゃ分かるっての。手芸部の男子って確か春木ひとりだけだろ?」
苦笑で肩をすくめる、我が友人。
「それに春木、しょっちゅう人助けしてんじゃんよ。だからすぐピンときた」
「いや別にしょっちゅうなんてしてないよ?」
困ってる人を見かけたら、手を貸すことはある。
でもそんなの誰だってすることだ。
頻度だってしょっちゅうなんてことはない。
「でも絆創膏に消毒液まで持ち歩いてんだろ? 誰かが転んだ時用に」
「それはまあ、何かの役に立つかもと思って……」
実際、ゆにちゃんが転んだ時にも使ったので無駄ではなかったし。
「とりま先輩に『やっぱ俺の友達でした』って連絡しとくわ。たぶん放課後に改めて先輩がお礼言いに行くだろうからよろしくな」
「あー、うん……了解」
別にお礼なんていいのに、と思ったけど、こっちもクッキーのお礼は言った方がいいか、とすぐに思い直した。
……ゆにちゃんもクッキー食べるかな?
机の上のラッピングされた袋を見ながら、俺はそんなことを思った。
………………。
…………。
……。
そして放課後。
手芸部の部室にいき、俺は長テーブルの自分の定位置にやってきた。
正面にはすでにゆにちゃんが座っている。
「ゆにちゃん、クッキー好き?」
「? クッキーですか? はい、普通に好きですけど」
「人からもらったんだ。じゃあ、一緒に食べようか」
俺は通学鞄を開き、ラッピングされた袋を取り出す。
その瞬間、ゆにちゃんががばっと立ち上がった。
「女の匂い!!」
「うわぁ!?」
あまりの勢いに思わず転びそうになってしまった。
どうにか踏み止まり、俺は目を瞬く。
「あっぶな……絆創膏と消毒液、俺が使うことになるところだった。どうしたの、ゆにちゃん?」
「どうしたもこうしたも木下藤吉郎もありません! これは……なんですか!?」
まるで爆発物でも見るような目で袋を見下ろす、ゆにちゃん。
その剣幕に俺はさらに目を瞬いてしまう。
「なんでいきなり秀吉? まあ、それはともかくクッキーだけど……」
「誰からの!?」
「え、3年生の……先輩?」
「性別は!?」
「女子……だと思うけど」
そう答えた途端、ゆにちゃんはマリアナ海溝よりも深そうなため息をついた。
「はぁぁぁぁぁぁ……っ」
え、えーと?
え、なにこの反応?
戸惑う俺の視線の先で、ゆにちゃんが顔を上げる。
思いっきりジト目だった。
「春木先輩、また人助けをしましたね?」
「えっ。あ、いや……」
「いいです、言わなくても分かります。いつものことですから」
ムスーッとした顔で、ゆにちゃんはパイプ椅子に座り直す。
だが俺は戸惑うばかりだ。
「ゆにちゃん、なんで怒ってるの? それにいつものことってなに?」
「まあ、自覚はないんでしょうけど……」
はあ、とまたため息をつき、ゆにちゃんは表情を緩めてくれた。
長テーブルに頬杖をつき、困ったような視線を俺へ。
「春木先輩って普段、人がやらないような常識外れの人助けをちょこちょこしてるんですよ。……で、助けたのが女の子だと、たまにその子が春木先輩に落ちちゃうことがあるんです」
「お、落ちちゃうって……」
「好きになっちゃうってことです」
いやいやいや、そんな馬鹿な。
俺はただのモブ生徒だ。
そんな面白おかしい状況になったことなんて、これまで一度たりともない。
「……これまで一度たりともない、って顔ですね」
言い当てられて、とっさに言葉が出なかった。
「たまに思うんだけど……ゆにちゃんってエスパー?」
「ただの観察眼です」
やれやれ、と言いたげにゆにちゃんは肩をすくめる。
「言っておきますけど、これは事実ですよ? わたしが確認してるだけでも、春木先輩に助けられて落ちちゃった人が校内に複数います」
「ふ、複数?」
「ええ」
深くうなづき、ゆにちゃんは続けて小声でつぶやく。
「まあ、わたしも人のことは言えないんですけど……」
声が小さすぎてよく聞こえなかった。
俺は身を乗り出して尋ねる。
「ごめん、聞こえなかった。なんて?」
「いえ、こっちの話です」
「いやでもなんか重要そうな顔だったよ?」
「些末事です。ぜんぜん重要じゃありません」
「んー、でもなんか気になる」
「気にしないで下さい」
「じゃあ、ヒント」
「ありません」
「じゃあ、答え」
「もっとありませんよ!?」
「そこをなんとか!」
「ありませんったら!」
「からのー?」
「……っ」
ちょっと調子に乗り過ぎたかもしれない。
ゆにちゃんのおでこにピキッと青筋が浮かんだ。
「じゃあ、言わせてもらいますが!」
ガタンッと椅子を鳴らして立ち上がると、ゆにちゃんは胸に手を当てて声高らかに叫んだ。
「複数の恋のライバルたちがいるなか、圧倒的にリードしているのは、春木先輩に火の玉ストレートをぶつけて気づかせた――このわたしですっ!」
ドドンッと効果音が鳴りそうなほどの宣言だった。
ま、まさかそういう話だったとは……っ。
完全に墓穴を掘ってしまった俺は二の句が継げない。
一方、ゆにちゃんも宣言したはいいが、やっぱり恥ずかしくなってしまったらしい。
胸に手を当てたポーズのまま、赤くなってぷるぷるし始める。
「~~~~っ」
あ、可愛い。
大見得きったはいいけど、恥ずかしくなっちゃってるゆにちゃん、可愛いなぁ。
でもこのまま放置はさすがにいけない思う。
大部分は俺のせいだし。
「……ゆにちゃん、お座りなさい。一緒にクッキーを食べよう」
「……はい。座ります。そして食べます」
赤い顔のまま、ストンッと座る、ゆにちゃん。
大変素直だった。
「でもいいんですか? 女の子がくれたクッキーを他の女の子と食べるなんて、デリカシーゼロのスーパー・ギルティですよ?」
「んー……うん、いいよ」
少し考え、俺はうなづいた。
ラッピングされた袋を開け、ゆにちゃんと一緒にクッキーを食べ始める。
それから程なくして、部室の扉がコンコンとノックされた。
「こんにちは」
やってきたのは、風紀委員の先輩。
しかし昨日会った時よりもあか抜けて見えた。
たぶん、今日はメイクをしているせいだろう。
風紀委員なのにお化粧をしてきてくれたらしい。
「ごめんね、突然。君に昨日のお礼が言いたくて。近藤君に渡すようにお願いしたんだけど、クッキーは……あっ」
先輩は小さく声をこぼした。
そのクッキーを俺とゆにちゃんで食べていることに気づいたからだ。
俺は小さく頭を下げる。
「はい、近藤からもらいました。後輩の子と一緒に美味しく頂いてます。ありがとうございます、先輩」
「……そっか」
先輩は残念そうに苦笑した。
何か察した様子だった。
「君のことちょっといいな、と思ったんだけど……どうやら私はお邪魔虫だったみたいね。ごめんなさい」
それから二言、三言、言葉を交わして、風紀委員の先輩は去っていった。
部室の扉がガラガラと閉じるのを見届け、俺は「ふう……」と息を吐いて緊張を解く。
「びっくりしたぁ……」
思わず、パイプ椅子に深く背中を預ける。
正直、半信半疑だったけど……さすがの俺でも今のは分かった。
手作りのクッキー。
校則破りスレスレのメイク。
それに『ちょっといいなと思った』という言葉。
ゆにちゃんの言っていた通り、あの先輩は……。
「ねえ、春木先輩」
「ん?」
それまで黙っていたゆにちゃんに制服の袖を引っ張られた。
視線を向けると、窺うような目で見つめられる。
「今の、どういうことですか?」
「どうって?」
「誤魔化さないで下さい。春木先輩、わざとデリカシーゼロのスーパー・ギルティになったんですよね?」
「……」
ゆにちゃんの言う通りだ。
俺はあらかじめ近藤から先輩が部室に来ることを聞いていた。
だから、あえてゆにちゃんと一緒にクッキーを食べた。
俺の意志を正確に伝えるために。
「いいんですか?」
ゆにちゃんはまだ窺うような眼差しを向けている。
「風紀委員の先輩、結構な美人さんでしたよ?」
「そうだね」
「たぶん高確率で脈アリでしたよ?」
「そうかな。そうだったのかも」
「ひょっとしたら美人の年上彼女さんをゲットできたかもしれないのに」
「……」
言い募るゆにちゃんに苦笑を返す。
「いいんだ」
はっきりと宣言しようと思った。
さっきのゆにちゃんのように。
「俺……」
でも途中で気恥ずかしくなってしまい、頬をかきながら視線を逸らす。
だけど言葉だけは止めない。
窺うような視線の彼女へ、俺は告げる。
「……今、他に気になる女の子がいるから」
その途端、ゆにちゃんの指からポロッとクッキーが落ちた。
「えっ」
たぶん相当驚いたのだろう。
ゆにちゃんはただただ呆然とする。
「それって……」
「…………」
照れくさくって俺は言葉を返せない。
でも否定もしない。
それが答えだ。
たぶん今、俺は赤い顔をしている。
そんな俺を凝視しているゆにちゃんの瞳が大きく、とても大きく見開かれていく。
「それって……っ」
弾かれるような声。
透明感溢れる瞳に涙が浮かんだように見えた。
でも彼女は泣いたりしなかった。
きゅ……っと唇を引き結ぶと、うつむいて細い肩を震わせる。
そして、ぽつり、と一言。
「……全人類に褒めてほしい。このアルパカをここまで育てたのは、わたしです……っ」
「へ?」
なんか予想外の言葉だった。
俺の目は点になり、一方、ゆにちゃんは勢いよく顔を上げる。
「今なら届く――っ! ここが攻め時! 黒田ゆに兵衛は勝利の兆しを見逃しません!」
そんな言葉と共にいきなり手を引っ張られた。
彼女の髪が華麗に舞い、俺は勢いに乗せられて立ち上がる。
「ゆ、ゆにちゃん?」
「春木先輩っ、一緒に来てほしいところがあるんです!」
彼女は窓の向こうを指差した。
そこにあるのは学校の中庭。
でもゆにちゃんが言いたいのは、たぶん中庭じゃない。
そのさらに向こう、おそらくは……この高校の裏にある、小さな橋。
それは――半年前、俺と彼女が初めて出逢った場所だ。
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