第8話 髪フェチ論争「エッチなのはよくないよ!」VS「こっちのセリフです!」
6月某日。
手芸部の部室はかつてない緊張感に満ちていた。
ゴゴゴゴゴ……ッ!
そんな重低音が聞こえてきそうな有様だ。
俺は今、長テーブルに肘を置き、指を組んで議長のポーズ。
対するゆにちゃんも正面で同じポーズになっていた。
この重苦しい空気は俺たち2人が作りだしたものである。
「ゆにちゃん、今日は先輩としてちゃんと話をしなきゃと思ってるんだ」
「奇遇ですね。わたしも一人の女の子として、ちゃんと尋問をしなきゃと思ってました」
ふう、と俺はわざとらしくため息。
どうやら考えていることは同じなようだ。
「俺からいいかい?」
「どうぞ。わたしもその方が都合がいいです」
「ありがとう。議題はもちろん――昨日のことだよ」
「でしょうね」
鋭い眼差しでゆにちゃんはうなづいた。
そう、昨日のことだ。
昨日、この部室で俺は気絶した。
原因は――ゆにちゃんに『好きなだけ髪を愛でて下さい』と誘惑されたこと。
俺はカッと両目を見開く。
先輩として、ここはきちんと後輩を正さなければいけない!
「ゆにちゃん、エッチなのはよくないよ!」
「こっちのセリフです!」
スパンッと言い切った直後、スパンッと切り返された。
ゆにちゃんは長テーブルをペシペシ叩いて抗議してくる。
「そもそも変な感じになったのは、春木先輩が『女の子の髪に触ってオッケーな時は、ヤラしいこともオッケーなサイン』とか言い出したことでしょう!?」
「それはごめんだけど、でもあんなふうに男子を誘惑するのはよくないよ! 俺は先輩としてゆにちゃんのことが心配だ!」
「だからこっちのセリフですー! なんで髪を撫でるのが誘惑になるんですか!? しかも気絶するくらいの! わたしは一人の女の子として、春木先輩の生態が心配です!」
怒涛の如き、言葉の応酬。
お互いの主張はぶつかり合い、長テーブルの上で花火のように弾けて消える。
全力で声を張り上げたことで、俺とゆにちゃんはぜえぜえと肩で息をしていた。
「……埒が明きません。ここは一つ一つ、すり合わせをしていきましょう」
「そうだね……それに関しては異存ないよ」
「じゃあ、まずは」
「うん」
ごほん、とゆにちゃんは咳払い。
「春木先輩、本気で髪が好きなんですか?」
「う……っ」
しまった。
迂闊だった。
すり合わせと言いながら、その実、これはゆにちゃんからの攻勢だ。
「も、黙秘権を……」
「ありません」
「く……っ」
「ここから紐解いていかないと議論が前に進みませんから。さあ、どうなんです?」
ジト目で凝視された。
ああ、ちくしょう。
残念ながら彼女の言うことはもっともだ。
ここを明らかにしないと、議論が進まない。
それは俺もわかってる。
「はぁ……」
大きく息を吐いた。
そして俺は天を振り仰ぐ。
「たぶん、そうなんだと思う……」
「やっぱり」
「昨日、ゆにちゃんに『髪を愛でて下さい』って言われた瞬間、頭がオーバーヒートしそうになった。っていうか、した。あんな経験は初めてだったよ。今だって信じられないけど……」
洋画のようなオーバーアクションで首を振り、俺はため息と共に懺悔する。
「俺は……サラサラの髪が好きな感じの人になってしまったのかもしれない」
「春木先輩、お労しや……」
「や、これに関してはゆにちゃんの責任だからね?」
「うっ。ま、まあ、多少自覚はありますけど……」
目を逸らす、ゆにちゃん。
そう、すべての始まりは彼女である。
俺は正面を見据えて口を開く。
「だって、ゆにちゃんの髪がきれい過ぎるから」
「ふえっ!?」
突然、ゆにちゃんが赤くなってビクッとした。
俺は首をかしげる。
「どうしたの?」
「え、や、だって……き、き……っ」
「うん、きれいだよ」
「また言った!?」
え、なんなんだろう?
ゆにちゃんは真っ赤になって動揺してる。
でも俺からしたら不思議でしょうがない。
なので首をかしげながら尋ねる。
「『可愛い』って言うと怒られるけど、『きれい』はいいの?」
「そ、それはだって……」
ごにょごにょとゆにちゃんは口ごもる。
「今の春木先輩はなんか……本気で言ってるって、伝わってくるから……」
「? ごめん、よく聞こえなかった」
長テーブルに身を乗り出す。
するとゆにちゃんは慌てたように仰け反った。
「と、とにかく! 春木先輩がそういう趣味になっちゃったのはわかりました! だから『髪を愛でて下さい』って言葉も誘惑になるってことですね!」
「ん、そうです。だからあんなふうに男子を誘惑するのはよくない、と先輩の俺は思うのです」
「なんで敬語なんですか……。そもそも普通の人にはあんなの誘惑にはなりませんから」
「そんな俺が普通じゃないみたいな……」
「そこは自覚を持ちましょう。春木先輩、もうだいぶ普通じゃないですよ……」
「ぐはっ!?」
言葉が刃になって突き刺さった。
胸を抑えてうずくまる、俺。
ゆにちゃんは「あらー」と俺を見下ろす。
「大ダメージ負ってますねー」
「そりゃ負うよ……。まさか可愛い後輩にこんなワケの分からない性癖を植え付けられちゃうなんて……」
「せ、性癖って! やめて下さい、そういう直接的な言い方。えっちなのはよくないと思います!」
風紀委員のようにビシッと言う、ゆにちゃん。
でも勢いがあったのはそこまでだった。
「あとは、まあ、その……」
彼女は突然、トーンを下げると、ちょっと目を逸らしてつぶやく。
「安心して下さい。わたし……」
白い頬が少しだけ朱に染まった。
「……春木先輩以外の男の人を誘惑したりしませんから」
「――っ」
直球ストレートな言葉に心臓が跳ね上がった。
顔が熱くなるのを感じ、俺は手のひらで隠しながらつぶやき返す。
「それは、えっと、あ……ありがとう?」
「い、いえ……」
「…………」
「…………」
なんかすごく気恥ずかしい空気になった!
ヤバい、どうしよう。
この空気をなんとかしないと。
と思っていたら、ふいにゆにちゃんに名前を呼ばれた。
「春木先輩」
反射的に視線が彼女の方へ向く。
その瞬間だった。
「……ん」
ゆにちゃんは長い髪をわざとらしく、ゆっくりと耳に掛けた。
余った髪が一房、さらっと耳からこぼれ、ついドキッとしてしまった。
さらにはそんな俺の顔を見られてしまった。
「あはっ」
ゆにちゃんの唇が弧を描く。
すごいイタズラっ子の笑みだった。
マズい……!
ゆにちゃんのからかい攻勢が始まってしまう。
俺はこの恥ずかしい空気を消そうと思っていたけれど、彼女は逆に利用しようと考えたようだ。
しかし危機に気づいた時には、すでに彼女は行動していた。
「わたし、すごい武器を見つけちゃったかもしれません。本当にこういうのが好きなんですねー?」
長テーブルに身を乗り出し、可愛らしく小首をかしげる。
すると髪が左右にサラッと揺れた。
途端、俺の心臓も跳ねてしまう。
「ちょ!? やめて、ゆにちゃん! そ、そういうの困るから……!」
「どうして困るんですかぁ……?」
砂糖いっぱいのミルクみたいな甘い声。
彼女はアイドルのグラビアのような姿勢で頬杖をつき、これ見よがしに……長い髪をまた耳に掛ける。
く……っ!
それだけでまたドキッとしてしまった。
「ふふっ。たったこれだけでトキめいちゃうんですか? 春木先輩、おもしろーい♪」
なんてことだ……!
俺は今、思いっきりゆにちゃんに翻弄されている。
これじゃあ、先輩の威厳が地に落ちてしまう。
何か手はないか。
ここから逆転する手は……はっ、そうだ!
「ゆにちゃん」
こっちも身を乗り出し、至近距離で彼女を見つめる。
「きれいだよ」
「――っ!?」
甘く囁いた途端、ゆにちゃんのイタズラ顔が崩れた。
よし、ダメージが通った!
しかしゆにちゃんはギリギリで持ちこたえて、まだ攻めてこようとしてくる。
「そ、そんな取って付けたような一言、わたしには――効きません!」
宣言と同時にフサァ……ッと髪を華麗に手でひるがえす。
「くぅ……っ」
「ふふん、どうですかぁ?」
まだだ……!
「つ、つい見惚れちゃったよ。本当にきれいだ。っていうか――美しい」
「……っ!?」
お互いに一歩も引かない応酬。
まるで達人の斬り合いのようだ。
それから10分弱。
俺たちは凄まじい攻撃をぶつけ合い――結果、両者ダブル・ノックアウトになって、同時に長テーブルに突っ伏した。
「「~~~~っ」」
俺もゆにちゃんも頭から湯気が出そうになっている。
死屍累々の戦場のようだ。
そんな部室にコンコンとノックの音が響いた。
「すみませーん、風紀委員の巡回です。エアコンをつけてないかの点検を――あら?」
メガネを掛けた風紀委員さんはテーブルに突っ伏してプルプルしている俺たちを見て、思いっきり眉を寄せる。
「ええと……何やってるんですか、あなたたち?」
うん、本当に何やってるんだろう。
正直、俺も心の底からそう思いました……。
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