第62話 逐電
帝都を混乱に陥れた日の夜中。
ようやく俺は、宿屋に戻って来た。
日が暮れるまで、俺は兵士たちと鬼ごっこをしていた。
俺たちが船を着けた場所は、おそらく南区の西の端の方だろう。
そこから西区を通り、北へ北へと俺は移動した。
回復薬をがぶ飲みして体力を回復しつつ、かなり本気で移動して、北区まで兵士たちを誘導していった。
その辺りで日が暮れたため、鬼ごっこは継続不可能になった。
そのため、路地を移動しつつ適当な所で建物の屋根に上がり、【加速】をフル活用して帰ってきた。
【隠蔽】が使えればいいのだが、残念ながら思い通りに発動できたことが一度もない。
むしろ、なぜ前に発動したのか、そっちの方が不思議である。
そうして引き返してきたのだが、この帰途は絶対に兵士たちに見つかるわけにはいかない。
全力で気配を探り、身を潜めながら、夜闇の中を移動してきたのだ。
ついでに言うと、宿屋の主人や泊り客にも見つからないようにして、部屋に戻った。
今日は一日、部屋で休んでました、と言い張る所存である。
これは単なる偶然ではあるが、宿屋を出る時もたまたま主人がカウンターにいなかった。
これはきっと、神様が誤魔化せと言っているに違いない。
ピューリに会いに行った時、モルマバの店の人には見られているが、きっと他人の空似だ。見間違えだ。
そうに違いない。
「…………つ、疲れた……。」
テーブルに突っ伏したまま、糧食をもそもそと食べる。
すでに宿屋の食堂は終わってしまっているので、これしか食べるものがない。
一応、ベリローゼが豆やじゃがいもを持っているが、調理ができないのだ。
部屋の中で焚き火をするわけにはいかないので、糧食で我慢するしかない。
「それで、ピューリさんのことはどうなったの?」
「そっちは一旦棚上げだ。明日確認するが…………まあ、ストレス発散にはなったんじゃないか。」
レインの質問に、適当に答える。
中々味わえないスリルを味わい、きっとそれどころじゃなかったろうしな。
あの後、ピューリがどうなったかは分からない。
無事に店まで戻っててくれればいいが、今は確かめる方法がなかった。
こんな時間に、レインやベリローゼを偵察に出すのも、いかにも怪しいし。
帝都の兵士たちは北区を重点的に捜索しているが、南区だってまったく警戒していないわけじゃない。
なので、ピューリのことは後に回し、別件を片付けることにした。
俺はテーブルから身体を起こすと、部屋の窓まで歩いて行き、閉めていた窓を開ける。
「……ピイ、出て来い。いるんだろ。」
「ピイちゃん?」
然程大きい声ではないが、俺が外に向かって声をかけると、バサバサバサ……ッと羽根をバタつかせる音が上から聞こえた。
音の方を見上げると、屋根の上からひょこっと白い鳥が顔を出す。
その姿を見て、俺はそっと溜息をついた。
「まったく…………、しょうがない奴だな。」
そう言って俺は、左腕を窓の外に突き出した。
その腕に、白い鳥が下りてくる。
「ピイ様……。」
ベリローゼが、驚いたように声を漏らす。
俺はピイを腕に乗せたまま、窓を閉めた。
そう言えば、俺が『ピイ』とこいつの名前を呼んでやったのは、初めてかもしれないな。
というか、どうせ名前をつけるなら、もっと強そうで格好いい名前をつけたいぞ。
シュワ〇ツェネッガーとか、スタ〇ーンとか。
ステ〇サムとかドウ〇インなんかもいいなあ。
そんなことを考えていると、ピイは首を竦め、じっと俺を見ている。
まるで、怒られるのを怖がっているようだ。
「怒ってないよ。怪我はしなかったか?」
「ピイ……。」
実は、北区に向かって逃走している間も、何度か空を飛んでいるピイを見かけていたのだ。
さすがに構ってやるような余裕が無かったので、そのまま放っておいたが。
「どうゆうこと……? その子、ピイちゃんなのよね?」
「ああ。たぶん、ずっと跡をつけてたんだろうな。二週間も、ずっと……。」
空を飛ぶピイからすれば、跡をつけること自体は簡単だろう。
しかし、まさか二週間も見つからないように、隠れていたとは。
「……一緒に、行きたいのか?」
「ピイ。」
「そっか。」
俺は力なく苦笑すると、ピイの頭を撫でる。
「分かった。いいよ、一緒に行こう。」
「ピイ!」
「え、いいの?」
俺がピイを一緒に連れて行くと言うと、レインが驚いたような声を上げる。
俺は、驚いた顔をしている二人を見て、二ッと笑う。
「あんなに勇敢なところを見せられちゃ、無下にはできないしな。」
臆することなく騎士に向かって行き、俺が逃げるための隙を作り出してくれた。
あんな真似、誰にでもできるようなことではない。
俺が何を言っているのか分からず、二人は訝し気な表情になった。
「何があったの?」
「ピイ様が、どうかされたのですか?」
しかし俺は、それについては答えなかった。
「ピイと俺の秘密だ。」
「ピイッ!」
そうして、よく頑張ったと褒めるように、何度もピイを撫でてやる。
「ちょっと、何で教えてくれないの!?」
「やっぱり、ズルくありませんか、リコ様。二人だけの秘密など。」
だが、そんな抗議の声を聞き流し、俺はピイの首を指先で掻いてやる。
ピイは気持ち良さそうに首を伸ばし、上を向くと、満足そうな顔をするのだった。
ていうか、本当に賢いな、こいつ。
言葉を理解しているのか?
何となくの雰囲気で、それっぽい返事を返してるだけ?
■■■■■■
朝となり、俺たちは宿屋を出た。
街は、物々しい雰囲気に包まれていた。
大通りには、騎士や兵士が至る所に立ち、剣呑な空気を纏っている。
巡回する兵士の数も明らかにいつもより多く、頻繁にすれ違う。
街の人たちもその空気を感じ取り、どこか萎縮しているようだった。
懸念していた指名手配だが、どうやらされていないらしい。
いや、指名手配自体はされているのだ。
しかし、有効な特徴や手掛かりもなく、ただ闇雲に探すだけの状態に近かった。
俺の特徴は「金髪、若しくは赤毛」、ピューリの特徴は「青髪、若しくは紺色の髪」とされている。
小柄な体格ともされているが、こんな特徴の子供が、帝都にどれだけいるか。
そして、有難いことに騎士や兵士が探しているのは、子供ではない。
皇帝の居城への侵入を試みた、賊。
船を奪った際、また逃亡する際の身のこなしにより、何らかの訓練を受けた工作員の可能性が高いとされた。
そのため、ロズテアーダ修王国の間者、若しくはホルスカイト共和国の工作員である可能性が濃厚、と見られているのだ。
やはり、【加速】を騎士たちに見せなかったことが功を奏した。
俺が船に乗り込む時は【加速】を使っていたが、一般の方々は「素早かった」程度にしか考えなかったのだろう。
その後の鬼ごっこでも、すばしっこく逃げ回ったおかげで、特殊な訓練を受けた間者か工作員と見当をつけてくれた。
実際は、バレない程度にちょっとだけ使ってたんだけどな。
修王国の武僧には、身体能力が非常に優れた者がいる。
中には、人間離れした身軽な動きをする者もいるのだ。
【加護】など無しで、だ。
そうした訓練を受けた者が、賊の正体とされた。
なぜ俺がこんなことを詳しく知っているかというと、宿屋からモルマバの店に行くまで、数回職務質問を受けているからだ。
俺のことを怪しんで、という感じではなく、たまたま近くを歩いていたから「ちょっといいかい?」と声をかけてきた程度のものだが。
ちらりと俺の髪色を気にはするが、それ以上は気にも留めない。
レインやベリローゼの髪色のことも気にするが、二人は「小柄」という特徴には一致しない。
そのため、少し話を聞いて終わり、というのが何度かあったのだ。
職質から解放され、俺はレインと手を繋いで歩く。
現在、俺とレインは姉弟という設定である。
俺は装備をすべて魔法具の袋に仕舞い、ごく普通の子供の振りをしていた。
ベリローゼは、親に雇われた使用人役だ。
「…………ひでえ話だな。」
「本当に湖に船を出すだけで、大逆罪扱いされるのね。」
俺の呟きに、レインが相槌を打つ。
「それもそうなんだが、そっちじゃねえよ。」
だが、今俺が言ったのは別件についてだ。
「軍船を二隻沈めたり、帆を破ったのも賊による破壊工作って、どうなのよ?」
実際、俺が【災厄】を使って転覆させたり、帆を破いたので、間違いではない。
しかし、それは俺の【災厄】という【加護】を知る者でなければ、知り得ない事実だ。
そうでなければ、見た目上は「風が強すぎて、帆が裂けた」としかならないはずなのだ。
それを、帝国の奴らは「工作員により帆を破られ、二隻が沈められた」としていた。
「どうせ死刑ですから。おまけで何個罪状が乗ろうと、結果は変わりません。何度も執行できるなら別ですが。」
「理屈はそうかもしれないけどな!? やってもいない…………こともない、けど……。証拠も無しに、罪状を上乗せしないでくれる!?」
ベリローゼの冷静な分析に、思わず突っ込む。
とはいえ、修王国や共和国を疑ってくれるのは、俺からすれば有り難い。
まあ、疑われた修王国や共和国からすれば「ふざけんな、言いがかりつけんじゃねえよ!」って感じだろうけど。
まさか国際問題にまで発展するとは、思いもしなかったなあ。
そうして歩いていると、モルマバの店に到着した。
まだ朝早いため、開店はしていないようだ。
ただ、開店準備のために、従業員たちは忙しそうに動いていた。
「モルマバは事務所か?」
そんな従業員のうちの、一人に声をかける。
その従業員は俺たちの顔を憶えていたようで、呼びに行ってくれた。
「よお。どうした朝っぱらから。」
「急に悪いな。ちょっと……。」
俺が言いにくそうにすると、モルマバが少し怪訝そうな顔になる。
だが、問い質すことはせずに、店舗の裏に案内してくれた。
店舗の裏口を出ると、大きな倉庫のような建物があった。
そこでも従業員たちが忙しそうに動いていたが、近くには誰もいない。
「忙しいところ悪いな。ピューリはいるか?」
「まあ、まだ早いしな。いるとは思うけど……ピューリがどうかしたのか?」
どうやらピューリは無事に逃げきり、店に戻れたようだ。
そして、昨日の騒ぎも伝えていない。
「セステバランは? ちょっと話がしたいんだが。」
「セステバランなら、そこらにいると思うぜ。呼ぶか?」
そう言って、モルマバは倉庫の中に視線を向ける。
そちらを見ると、奥で忙しそうにしている従業員の一人が、セステバランだった。
「悪いが、セステバランを少し借りられるか? 話がしたいんだが。」
「いいけど、急ぎか? もう少しすれば、手も空くと思うが。」
「ああ、それからでいい。先に、ピューリと話をしても?」
「構わないぜ。どうせ部屋にいるだろうしな。」
どうやらピューリは、この時間はサボって部屋にいるようだ。
本当にやる気ねえな、あいつ。
まあ、いい加減な仕事をするらしいからな。
下手すると「いない方がマシ」とか思われていそうだ。
店舗の建物に戻り、モルマバの案内で三階に上がる。
いくつも並んだドアの一つに、モルマバが立ち止まる。
ドンドン。
モルマバがドアをノックし、中に声をかける。
ノックというには、少々力が籠っているが。
「ピューリ! いるんだろ!」
「…………何よ、とっつぁん。ウチ、朝は体調が悪いって何度も――――。」
「見え透いた嘘ついてんじゃねえ。いいから出て来い、客だ。」
中でがさごそと音がし、しばらく待つとドアが開いた。
気怠そうな顔をしたピューリが顔を覗かせると、目を見開く。
俺は、そんなピューリににっこりと笑いかけ、手をひらひらと振る。
「よお、生意気に低血圧気取ってんじゃねえよ。むしろ、血の気が多いくらいだろ。献血した方がいいんじゃねえのか。」
「…………お前は……。」
ピューリは俺の挨拶を無視し、うんざりした顔になる。
まだ医学がロクに発展していないこの世界では、血液型や血圧の概念も、献血もない。
つまり、何を言ってるのか、さっぱり意味が通じていないわけだ。
「話をしに来た。……入っても?」
そう言うと、ピューリは嫌そうな顔をする。
が、ドアを閉めずにそのまま下がった。
「ありがとう、モルマバ。手間をかけた。」
「いや、いいけどな。セステバランも、手が空いたら声をかけとく。」
「頼む。」
そうして階段を下りて行くモルマバを見送り、俺は部屋に入った。
レインは部屋には入らず、ドアの前で警備につく。
何も指示をしなくても、どうするのが正しい動きか、ちゃんと考えていた。
ベリローゼは部屋の中に入るが、ドアの前に立って待機する。
ベリローゼも警備につくが、俺の護衛でもある。
ピューリが変な動きを見せれば、即座に制圧に動くだろう。
もっとも、今日は護衛としては動かなくてもいいと伝えてある。
ピューリは【加速】持ちだし、俺だって持っている。
いくら素早く動けるベリローゼでも、さすがにピューリの動きを止めるのは辛いものがある。
狭い室内なので制圧自体は可能だろうが、初撃を止めるのは無理だ。
なので、万が一の時は「俺がてこずった時だけ加勢しろ」と指示を出していた。
そうして部屋の中に入ると、ピューリがベッドに腰掛ける。
狭い室内には粗末なベッドが一つと、小さなテーブル一卓、椅子は二脚。
この部屋に、二人で住んでいるという話だった。
モルマバは二人に一部屋ずつ用意すると言ったが、二人が断ったのだ。
一つの部屋でいい、と。
(……さすがに、べったり過ぎだろ。)
十代後半の兄、十代半ばの妹が暮らすには、狭すぎる。
そう思うが、とりあえず住環境については置いておく。
今日は、そんな話をしに来たのではない。
俺は椅子に座ると、ピューリに声をかけた。
「昨日のこと、話してないんだな。」
「………………。」
だが、ピューリは不貞腐れたような顔で横を向く。
さて、どうしたものか。
「……今に、取り返しのつかないことになるぞ。」
そんな風に、俺は切り出した。
ピューリは奔放すぎる。
昨日のことを抜きにしても、苛立ちをスリという形で発散していたような奴だ。
いずれは誰かにバレ、帝都を追われることになるだろう。
「セステバランは、生活を支えようと頑張っているじゃないか。なぜ、その頑張りを台無しにするような真似をする。」
「………………。」
ピューリは、相変わらず答えない。
ただ、そっぽを向いた目が、どこかを睨むように鋭くなる。
「少し、考えた方がいい。セステバランを巻き込むようなことになる前に。」
「…………っ……!」
ピューリが、歯を食いしばる。
絞り出すように、呟く。
「…………出て行って……!」
ピューリは横を向いていた顔を戻すと、視線だけで射殺さんとばかりに俺を睨んだ。
「何にも知らない奴が、ごちゃごちゃ煩いんだよ……っ!」
「今の生活に、何の不満がある。せっかくセステバランが頑張っているのに、どうして一緒に頑張らない?」
「余計なお世話なんだよ!」
ピューリは立ち上がると、俺を見下ろす。
今にも掴みかからんとばかりに、殺気を放つ。
その殺気に釣られ、ベリローゼが動きそうになる。
俺はベリローゼの方を向いて、首を振った。
ピューリが、俺の目の前で指さす。
「お前が余計なことをしなければ、リベルバースの街で普通に暮らして行けたんだ!」
「スリは、普通に暮らしてるとは言わないだろう?」
「煩いっ!」
ピューリは、すっかり頭に血が上っていた。
どうやら、話の持って行き方を失敗したらしい。
まあ、どう話したところで、説得は難しいだろうとは思っていた。
すぐに癇癪を起こすピューリを、言葉で何とかするのは至難だ。
というか、ほぼ不可能に近い。
しかし、ピューリをこのままにすることもできない。
大して親しくもない俺の頼みを聞き、セステバランとピューリを受け入れてくれたモルマバに迷惑がかかってしまうからだ。
それも、破滅的な迷惑だ。
大逆罪未遂は誤魔化せたかもしれないが、スリを続けていればいずれはバレる。
商売をやっているモルマバにとって、これまで積み上げてきた信頼を失いかねない、非常に厄介なリスクだ。
俺としては、二人を紹介した手前、この問題を放置することはできなかった。
ピューリの殺気を受け止めながら、どうしたものかと考えていると、階段を上がってくる足音が聞こえてきた。
その足音は、ドタドタドタッと大きな音を立て、かなり慌てていることが窺えた。
「レイン、通してくれ。」
その足音の主に見当がついた俺は、ドアの向こうのレインに声をかける。
レインがドアを開けると、すぐにセステバランが部屋に駆け込んできた。
「ピューリ!」
「お兄ちゃん!」
セステバランはピューリの前に立つと、俺と向き合う。
「リコ! これは何のつもり!? 場合によっては、リコでも許さないよ!」
セステバランは背中でピューリを庇い、俺と対峙する。
そんなセステバランを見て、俺は溜息をつく。
「とりあえず、二人とも座ってくれ。……首が疲れる。」
俺はそう言って、首を捻った。
コキ……と音が鳴ると、セステバランが微妙な表情になる。
セステバランはピューリの方を見ると、一つ頷く。
ピューリをベッドに座らせると、その横に自分も座った。
二人が座るのを見て、俺は口を開く。
「それ、やめろって言ったよな?」
そう言って、俺はセステバランの左腕を指さす。
セステバランの左腕には、以前と変わらず包帯が巻かれていた。
俺の指摘に、一瞬だけ眉を寄せるセステバラン。
だが、何かを言ってきたりはしなかった。
「それと、家族が大切なら、よく言ってきかせろ、とも言ったはずだ。……忘れてるわけじゃないよな?」
俺がそう言うと、セステバランはゴクリと喉を鳴らし、視線を逸らす。
そんなセステバランを見て、俺はハッとなる。
「お前…………まさか、気づいてたのか。ピューリがスリをやってること。」
セステバランは、ピューリがやってることに気づいてる。
気づいていて、放置していたのだ。
その証拠に、俺が「スリ」という言葉を出しても、セステバランは驚かない。
ただ黙って、俯いていた。
セステバランのその態度に、俺の方が項垂れてしまう。
「どうして……。普通の生活を求めていたんじゃないのか、セステバラン?」
セステバランは黙って俯いていたが、ゆっくりとその顔を上げる。
その表情は、唇を引き結び、苦しそうだ。
俺は、セステバランにピューリのスリのことを伝え、止めさせようと考えていた。
まさかセステバランが気づいているとは、予想もしていなかったのだ。
「モルマバさんに、言うかい?」
「言わないわけにはいかないだろう。このままにはできない。」
ピューリがスリを続けるなら、二人を住まわせているモルマバには、ひどいリスクだ。
すべてを知り、それでも雇い続けるというなら話は別だが、知らないままにはできない。
セステバランは真っ直ぐに俺を見ると、覚悟を決めた、はっきりとした口調で言う。
「モルマバさんには、黙っててくれないか。リコ。」
「お前…………そんなことできるわけないだろう。」
「僕たちは出て行く。だから、モルマバさんには……。」
「お兄ちゃん……。」
セステバランの決断に、俺は大きく溜息をついてしまう。
ピューリも、隣に座るセステバランを見て、悲しそうな表情になる。
「モルマバさんには、本当に良くしてもらったんだ。リコの言う通り、このままにできないというなら、僕たちが出て行く。でも、これ以上モルマバさんに迷惑をかけたくないんだ。……頼む。」
「セステバラン、お前……。」
頭を下げるセステバランに、俺は言葉が詰まってしまう。
「どうして、そこまで……。止めれば済む話だろう! スリをやめろって!」
だが、セステバランは顔を上げると、首を振る。
「止めないよ。」
そうして、きっぱりと拒絶した。
セステバランは立ち上がると、ピューリに声をかける。
「そういうわけだから、ピューリ。支度して。」
「お兄ちゃん……いいの?」
あまりにあっさりと出て行くことを選択するセステバランに、むしろピューリの方が困惑しているようだった。
「当たり前だろ? 普通の生活もできるのかなって試してみたけど、ピューリに我慢させすぎちゃったね。ごめんな。」
セステバランは、ピューリに謝った。
俺には、もはやセステバランが何を考えているのか、さっぱり理解できなかった。
「リベルバースに戻るのもなあ……。いっそ、帝国を出ちゃおうか。」
すっかり出て行くことを決めたセステバランが、明るい声でこれからのことを話し始めた。
だが、そんなセステバランを、ピューリは困惑した表情で見ている。
その視線に気づいたセステバランが、ピューリの頭に手を置く。
「何を驚いているんだい、妹よ。善は急げと言うだろう? すぐに出るよ。」
「う、うん!」
そうして、二人は少ない荷物をまとめると、さっさと部屋を出て行った。
俺もベリローゼも、部屋の外で待機していたレインも、あまりの急展開に思わず呆けてしまう。
「……………………………………まじ?」
開けっ放しのドアを、茫然と見る。
「あの……リコ様、どうしますか? さすがに、これは黙っておくことはできないと思うのですが。」
ベリローゼに言われ、俺も気を取り直す。
さすがに、これで何も説明しないのは、モルマバに悪い。
昨日の騒ぎはともかく、スリのことくらいは言っておかないと、何がなんだかさっぱり分からないだろう。
俺は、モルマバへの説明の仕方を考え、頭を抱えるのだった。
■■■■■■
「済まない!」
事務所に入ってくるなり深々と頭を下げる俺に、モルマバがぽかんとなる。
いきなり出て行った二人のことを伝えないわけにはいかず、俺はモルマバに説明することにした。
言わないでくれ、と頼まれたところで、さすがにこれを黙っていることはできない。
「本当に? 出て行ったのか? え、本当に?」
モルマバは、俺からの説明を聞いても、まだよく理解できていないようだった。
「無理を言って面倒も見てもらったのに、こんなことになって……。本当に済まない。」
「いや、まあ、それはいいんだけどな……。とにかく、詳しく事情を説明してくれ。いくら頭を下げられても、何がなんだかさっぱり分からねえよ。」
モルマバに勧められ、俺はテーブルの席に着く。
今、レインとベリローゼは俺の後ろに控えている。
そうして、俺はピューリのスリのことを説明した。
ただ、昨日のことまでは言えなかった。
こちらは話が大き過ぎて、知ってしまうだけで多大な迷惑がかかる。
「…………スリか。」
「ああ。そのことをセステバランに止めてもらおうと思ったんだけど、止める気がないらしくて……。」
「それで、出て行く、と?」
モルマバの言葉に、俺は黙って頷く。
モルマバは腕を組み、厳しい表情で考え込む。
「まあ、事情は分かった。俺でも、セステバランに言って止めさせるだろうな。」
モルマバも、セステバランにはそれなりに信を置いていたようだ。
しかし、そのセステバランが、ピューリのスリをまったく止める気がないのは予想外らしい。
「……ちょっと変わった奴だが、注意すればちゃんと聞く奴でもあったんだ。だから、うちにも置いてやれたんだが……。」
セステバラン自身も、常識の部分で少々ズレていることもあったらしい。
ただ、そうした部分は注意すればきちんと気をつけ、仕事ぶりも真面目だったという。
「ピューリのことがなければ、悪い奴じゃなさそうなんだがなあ……。」
そう、惜しむようにモルマバが呟く。
俺自身、人のことを言えるような生き方をしているわけではないが、それでも周囲の迷惑ぐらいは考える。
誰かの世話になっているなら、その相手に迷惑をかけたくない、くらいのことは考えて行動を選択しているつもりだ。
だが、ピューリとセステバランは違うのだろう。
あの二人にとって大事なのは二人だけで、それ以外のことはどうでもいい。
そうやって生きてきたのだろうから、ある程度は仕方ないとは思うけど……。
「とにかく、いきなり人が減っては商売が困るだろう? 代わりの人が見つかるまでは、穴埋めくらいは俺が――――。」
「お前が、店で働いてくれるのか? 力仕事をできるのか?」
「ああ、力にはそれなりに自信があるぞ。」
何たって、俺には【戦意高揚】があるしな。
セステバランが抜けた穴を埋めると言う俺に、モルマバが声を上げて笑った。
「はっはっはっ、そこまで気にしなくてもいいさ。あの二人のことは、別にお前のせいってわけじゃない。」
「だが、困るのは困るだろう?」
「それはそうだが、穴埋めくらいならすぐに見つかる。そんなに気にすることはない。」
「そう、なのか?」
「ああ。」
そう言って、モルマバは頷く。
何でも、商売が順調なモルマバの店は、働きたいという人がいくらでもいるらしい。
「商売仲間から、うちで修行させたい、って話がいくつもあるんだよ。手は足りてるって断ってたくらいだ。何人かに声をかけりゃ、今日明日にも代わりくらい見つかるぜ。」
その、自信に溢れた言葉に、俺の罪悪感が少しだけ薄まる。
俺はもう一度頭を下げた。
「済まない。ありがとう。」
「だから、そう気にするなって。……意外に真面目なんだな、お前。傭兵なんかやってるくせに。」
モルマバの評に、俺は微妙な顔になる。
「…………なんか、前にもそんなこと言われた気がするな。」
「はっはっはっ! 俺も、前にそんなことを言った憶えがあるぜ!」
モルマバが大笑いした。
釣られて俺も笑い、二人で一頻り笑い合う。
そうして、話は俺のことに移った。
「これからどうすんだ? 帝都に住むってわけじゃないんだろ?」
「ああ、今回帝都に来たのは、あの二人のことを押しつけてしまっていたから、様子を見に来ただけなんだ。…………結果は、最悪になってしまったけどな。」
俺が顔をしかめると、モルマバも苦笑した。
「もう少し帝都にいるのか?」
「いや、他に用事もないしな。俺たちも出るよ。……帝都は宿も高いし。」
「金がねえなら、うちに部屋が余ってるぞ。泊ってくか?」
「……で、宿代代わりにコキ使うか?」
そんな冗談を言い合い、俺は席を立つ。
モルマバが、店の前まで見送りに来てくれた。
「何だか、騒がせるだけになってしまったな。」
「だから気にすんなって。また帝都に来たら、顔くらい出せ。」
「ああ、そうさせてもらう。じゃあ、また。」
「おう、気をつけろよ。」
「お邪魔しました、モルマバさん。」
「失礼します、モルマバ様。」
レインとベリローゼも挨拶し、俺たちは雑踏の中を歩き出す。
「いい人ね、モルマバさんって。」
「ああ。」
俺なんかの手紙一つで、身元のはっきりしない二人の世話をしてくれたのだ。
お人好しと言ってもいいくらいだろう。
後味の悪い結果となってしまったが、それも仕方がない。
俺としては、あのまま見逃すわけにはいかなかった。
そうして帝都を出て、俺たちは南に向かう。
ただ傭兵稼業をするならば、帝都で仕事を探すのもいいだろう。
だが、俺にとって傭兵はあくまで仮の姿。
一番の目的は別にある。
「まずは、ルースオマに戻って、情報収集か。」
「そうですね。」
とりあえずの方針を示すと、ベリローゼが頷く。
帝都の情報屋ギルドを使ってもいいのだが、俺はマシークのことをそれなりに信頼している。
貸している地図も回収したいので、まずはルースオマに向かうことにした。
ピィィィイイイ……ッ!
遠くから聞こえる鳴き声に、空を見上げる。
青空を優雅に飛ぶ白い鳥を、俺は目を細めて眺めるのだった。




