第60話 鬼ごっこ1
二年前のリベルバース。
セステバランは、俺からモルマバ宛の手紙を受け取ると、すぐピューリに帝都行きを提案したと言う。
もしかしたら普通に生きられるかもしれないと、懸命にピューリを説得した。
セステバランは、ピューリに危険なスリをさせていることを、ずっと心苦しく思っていたそうだ。
ピューリは、最初は嫌がったと言う。
今のままの生活で、何が問題あるのか、と。
それでも、何度も話し合いを重ねることで、ついに折れた。
普段はあまり積極的に何かをしようと言わないセステバランが、しつこく帝都行きを言ったからだ。
そうしてモルマバの世話になるようになったが、俺からの紹介であることは、ピューリには黙っていた。
モルマバにも、ピューリに言わないようにお願いしたと言う。
というのも、ピューリは俺のことが大っ嫌いだったからだ。
何でも、俺が大銀貨を投げて寄越したことを、侮辱されたと思ったらしい。
憐れまれ、施された、と感じたのだとか。
俺からすれば、あれはある意味で謝礼だった。
だが、それをきちんと説明したわけではない。
施された、と受け止められても、それは仕方のないことだろう。
そして、塔からの脱出で俺に助けられたというのも、気に食わなかった。
そのためセステバランは、モルマバを紹介したのが俺だと、今の今まで言えなかったそうだ。
「……で、言ったら言ったで、また癇癪を起した、と。」
セステバランの説明を聞き、俺は苦笑した。
モルマバの前なので、スリがどうのという部分は濁しながらになるが。
セステバランは、申し訳なさそうに項垂れている。
「もう、二年も前のことだし……。リコには本当に感謝してるんだ。だから、『ピューリも一緒にお礼を言おう』って言ったら……。」
ぶちぎれたらしい。
まあ、あの女の子の気性は、俺もよく存じ上げています。
ナイフを突きつけても、平然と暴れるような奴だ。
怪我をさせないように、こっちが気を遣ったくらいである。
「セステバランは、本当に良くやってくれているよ。いきなり店に来た時は、さすがに俺も困ったけどよ。……けど、ピューリはなぁ。」
「すみません……。でも、ピューリも根は優しい子なんです。今は、その……ちょっと上手くいっていないだけで。」
「ちょっと、なぁ……。」
モルマバは腕を組むと、顔をしかめた。
モルマバから見ても、セステバランの働きぶりは真面目なようだ。
とても頑張っていて、いずれは重要な仕事も任せられるようになるだろうとのことだった。
だが、ピューリはこの生活に不満があるようだ。
仕事もいい加減で、いつもセステバランがフォローをしたり、迷惑をかけた相手に頭を下げているのだとか。
両親はすでに亡く、たった二人だけの兄と妹。
リベルバースの街で困窮していた時、生活を支えたのはピューリだった。
決して褒められた方法ではなかったが、それでもピューリがいたからこそ、食べていくことができた。
二人だけで寄り添い、支え合いながら生きてきた。
しかし、帝都に来たことで、セステバランは自分の手で稼げるようになった。
そのことが、本当に嬉しかったと言う。
もう、ピューリに危険なことをさせないで済む、と。
これからは自分がピューリを支えようと、懸命に頑張ってきたらしい。
だが、ピューリは……。
その話を聞き、俺は溜息をつく。
「…………セステバランの考えは間違ってないよ。真っ当に生きられるなら、それが一番だろ?」
「うん……僕もそう思って、帝都に来たんだけど。」
ただ、そうして生きられない者というのも、いるのは確かだ。
「まあ、よく話し合うんだな。場合によっちゃ、少し距離を置くのも必要なんじゃないか?」
「……距離を?」
セステバランは、落ち込んだ表情で俺を見る。
「単純に、仕事が合わないってこともあるだろ? お前はお前の、ピューリにはピューリの、それぞれに合った仕事があるさ。今はそれが見つからず、イライラしてるだけじゃないか?」
「何贅沢言ってんだ。自分に合う仕事ぉ? 自分が仕事に合わせるもんだろうが。」
俺の意見を、モルマバが真っ向から否定する。
これは別に、モルマバが極端にブラックな考えの持ち主というわけじゃなく、この世界での共通認識だ。
世襲によって成り立っている、社会システム。
生まれた家によって、自分が就く職業というのは決まっているのだ。
そこからあぶれた者の受け皿に、傭兵のような職業もあるが、基本は世襲だ。
モルマバは店で人を雇っているが、おそらくこの従業員たちも、実家は商人だと思われる。
家を継げない、修行のためなど、様々な理由により実家の商売以外に就く商人の子弟はそこそこいるらしい。
ただし、そうして雇ってもらえるのは、やはり商人の家の者ばかりだ。
これは、商人の家の者以外に、商売のことが分かるわけないという考えによるもの。
実際はそんなことあるわけないのだが、根底にそうした考えが根付いているのも確かだ。
そこで、モルマバが周囲を見回す。
「そういや、女中のねーちゃんはどうした? ベリローゼって言ったか?」
「ああ、ベリローゼなら用事があるって、先に抜けさせてもらった。 セステバランと入れ違いだ。声かけたろ?」
「んん……? そうだったか?」
俺のてきとーな誤魔化しに、モルマバが訝し気な顔になる。
だが、深くは追及せず、セステバランの方を見た。
「とにかく、ピューリのことは何とかしろ、セステバラン。あの態度じゃ表に出せねえし、裏方の仕事もいい加減じゃ、置いとくわけにはいかないぞ?」
「すみません、モルマバさん……。」
今、セステバランとピューリは住み込みで働いているらしい。
さすがに、帝都では部屋を借りるのは高い。
セステバランの収入だけではとても、別に部屋を借りて、通いで勤めることはできないと言う。
まあ、実際は通勤の距離を考えなければ、安い部屋というのもある。
所謂、貧民窟と言われるような場所だ。
しかし、そんな所に住んでいるような者は、それこそ店で雇うわけにはいかないのだ。
何か問題が起きれば、そうした場所に住んでいる者が真っ先に疑われる。
例えば、盗難とか。
偏見ここに極まれり、といった感じだが、人権だの平等だのといった寝言の通用しない世界では、仕方のないことだろう。
「あのセステバランって人。随分と苦労しているみたいね。」
モルマバの店を出ると、それまでじっと黙っていたレインが口を開く。
「ピューリが甘えてるだけ、とも見えるけどな。まあ、家族の問題だ。他人がごちゃごちゃ言うものでもないだろう。」
「そうだけど、ちょっと可哀想ね。妹さんのこと、すごく心配してるみたい。」
おそらくセステバランには、負い目があるのだろう。
リベルバースの街での生活。
そして、帝都ではピューリに我慢を強いている、と。
それでも、ここ以外ではセステバランたちがまともに生きていく未来が見えない。
たとえピューリが働かなくても、自分が頑張ってピューリを支えられればそれでいいと、そう思っているのかもしれない。
俺は雑踏の中を歩き、一度振り返る。
「頑張れよ、セステバラン。」
そう呟き、レインとともに宿に向かった。
■■■■■■
「……少々、困ったことが起きました。」
レインと宿に戻り、部屋でくつろいでいると、ベリローゼが戻って来た。
俺はベリローゼに、ピューリの跡をつけるように指示していたのだ。
「何があった。」
俺は起き上がるとベッドの上で胡坐をかき、ベリローゼに報告を促す。
ベリローゼはベッドの前に真っ直ぐ立つと、報告を始めた。
「スリです。」
「スリ……?」
ベリローゼの報告に、レインが首を傾げつつ呟く。
だが、思い当たることがばっちりある俺は、顔をしかめてしまう。
「あいつ、また手ぇ出してんのか。」
「はい、二回ほど……。」
そこで、ベリローゼが真剣な表情で俺を見る。
「…………確認できたのが二回だけで、もしかしたらもっとやっていたかもしれません。」
そうして訝し気な顔になり、俺に尋ねる。
「あの、ピューリという少女はどういった方なのですか? ……その、何度か見失いそうになり……いえ、実際に何度か見失いました。尾行が気づかれたのかと思ったのですが、そうした感じもなく。ただアテもなく歩いたかと思うと、時々すごい速さで――――。」
「移動したり、スったりしていた?」
俺が続きを引き継ぐと、ベリローゼが黙って頷く。
俺はベリローゼを労い、テーブルの席を指さす。
ベリローゼが席に着くと、俺は大きく息を吐き出した。
「前情報が無い中で、よくやった。ピューリは【加護】持ちなんだ。おそらく俺と同じ、【加速】持ちだ。」
「やっぱり……。」
ベリローゼは、ピューリを尾行することで、おそらくそうなのではないかと見当をつけていたようだ。
「【加速】を使ってスリを行い、逃走にも使っていた。リベルバースの街で、そうやって生計を立てていたんだ。」
「そうだったの……。」
レインが、悲しそうな目で呟く。
犯罪に手を染めなくては生きていけない現実に、やるせないものを感じてしまうのだろう。
ベリローゼも、複雑なもの感じているようだ。
その表情は、悲し気だった。
「何だか、とてもイライラされている様子でした。スリが上手くいっても喜んでいる風でもなく、むしろ……何かを堪えているような、つらそうな様子で。」
その報告に、俺は目を瞑り、天井を仰ぐ。
これは、かなり不味い事態だ。
この事実をセステバランに伝えたとして、上手く説得できるだろうか。
「家族のこと……。本来はセステバランとピューリの問題だ。赤の他人が口出しすべきことじゃないが……。」
しかし、家族だからこそ、言えないこともある。
ピューリもたぶん、分かってはいるのだ。
リベルバースの街にいた時よりも、今の方がセステバランは幸せ。
だけど、ここには自分の居場所が無い。
そう感じてしまう自分にこそ、苛立ちを感じてしまう。
その苛立ちの発露が、スリという形で表出してしまっているのだろう。
モルマバの店にいて、セステバランが働いているので、スリなどする必要はない。
そんなことをしなくても食べていくことができる。
おそらく、ただ苛立ちをぶつけるためだけに、今はスリを行っている。
「大変だろうけど、お兄さんに伝えるのがいいのかな?」
レインが、心配そうな声で呟く。
俺は大きく息を吐き出すと、レインとベリローゼを見る。
「…………悪い子には、お仕置きが必要かな。」
「は?」
「リコ様?」
俺が何を言っているのか分からず、レインとベリローゼがぽかんとした顔になる。
(リベルバースの時は、生活のために必要なんだと思ったから見逃してやったが……。自分の苛立ちをぶつけるためだけにスリをやるのは、いただけないな。)
まるっきり子供のやることじゃないか。
誰でも、世の理不尽や、思い通りにいかないことに、苛立ちを感じることがある。
それでも、自分の中で何とか折り合いをつけて、やっているのだ。
『むしゃくしゃしてやった。今は反省している。』
犯罪者の供述の定番の一つだが、こんなのがまかり通ったら世の中が滅茶苦茶だ。
犯罪を犯す理由にすらなっていない。
そして、ピューリは反省なんかしてないだろう。
ちなみにネットミームに
『むしゃむしゃしてやった。今は反芻している。』
という、草を食む牛バージョンがあった。
元の世界にいた頃、犯罪のニュースで殺伐としたネット掲示板で、ちょっとだけほっこりしたことを思い出した。
「どうする気なの?」
一人ほっこりしていると、レインが恐るおそる尋ねる。
俺は気を取り直し、ちょっと真面目な顔を作った。
「俺に預けてくれ。考えがある。セステバランに伝えるのは、その後だ。」
「それはいいのですが……、一体どうするのですか?」
ベリローゼの問いに、俺は口の端を上げる。
「鬼ごっこ。」
俺の言っている意味が分からず、二人は不安そうに顔を見合わせるのだった。
■■■■■■
翌日、帝都の裏路地。
水色に染まる視界の中、俺は積まれた木箱を踏み台にして大きくジャンプした。
もどかしいスローモーションの動き。
俺は【加速】を発動しながら、帝都の街を疾走していた。
コンクリートでできた建物の屋根に手をかけ、身体を引き上げる。
そうして、同じように【加速】を発動して逃げるピューリを追いかけていた。
俺が屋根に上がると、すでにピューリは隣の建物に飛び移っていた。
(……思った以上に使いこなしてんな。)
そんなことを思いながら、俺も屋根の上を走り、隣の建物に飛び移る。
一応、人に見られないように気を使いながら、俺は【加速】を発動している。
そのため、お構いなしに【加速】を発動するピューリとは、市街地での鬼ごっこでは不利だ。
それでも……。
(どうやら、性能は俺の方が上らしいな。)
素の身体能力の差か、それとも【加護】にも個人差があるのか。
同じ【加速】を発動しての追いかけっこでも、俺は容易にピューリに追いつくことができた。
俺はピューリに追いつくと、手を伸ばす。
ピューリは苦し気に顔をしかめながら、その手を払おうとした。
だが、逆に払おうとした手を掴み、手首の関節を極める。
ピューリは集中が切れたのか、【加速】が切れた。
俺は極めていた手を放し、ピューリの胸倉を掴むと、足を引っかけて倒した。
「くぅっ!?」
ピューリは呻き、咄嗟に起き上がろうとする。
ドカッ!
そのピューリの横腹を蹴り飛ばす。
ピューリはコンクリートの屋根の上をごろごろと転がった。
「ごほっ……! げほっ!」
ピューリは身体をくの字に折り、咳き込む。
そんなピューリの下に、俺はゆっくりと近づく。
咳き込むピューリを、冷たく見下ろす。
「どうした、もう終わりか? さっさと逃げろよ。」
「このっ……クソガキ……ッ!」
ピューリは横になったまま蹴りを繰り出す。
しかし、俺が素早く飛び退くと、再び起き上がり逃走を開始した。
ピューリの背中を見送り、俺はそっと溜息をつく。
「……いいぜ。気が済むまで付き合ってやるよ。」
そう呟くと、俺は【加速】を発動し、ピューリを追い始めるのだった。
ピューリがまたスリに手を染めていると聞いた俺は、話をしに行った。
相当に鬱屈したものが溜まっているのだろうと思ったからだ。
しかし、やはりと言うか何と言うか、話し合いになどならなかった。
ピューリは俺の顔を見た途端に、逃走を図った。
とはいえ、これは予想の範囲内だ。
そうして俺は、帝都を縦横無尽に駆け回るピューリを追いかけ回した。
ピューリは俺が追いつくと、躊躇いなく殴りかかってきた。
そしてこれも、予想の範囲だ。
あのピューリが、大人しく話など聞くわけがない。
だからと言って、俺が大人しく殴られてやるつもりもない。
逆に殴り飛ばし、蹴り飛ばし、ピューリを叩きのめした。
がむしゃらに、無茶苦茶に暴れると、細かいことが割とどうでも良くなる。
暴れることでストレスが発散され、心の中で置き所の無かったものが、脇に追いやられるのだ。
本質的には、何も解決していない。
それでも、発散すればこれまで気になっていたことが気にならなくなる。
そのストレス発散に、付き合ってやることにした。
(こうやって、暴れることもできなかったんだろうしな……。)
ピューリを追いながら、そんなことを考える。
ピューリが本気で……【加速】も解禁して無条件で暴れたら、受け止められる者などそうはいない。
捌け口がスリとなってしまうのはどうかと思うが、思いっきり発散する場が無かったのも事実だ。
(甘えている……。まあ、事実その通りなのだろうけど。)
甘えて何が悪い、とも言える。
そんなピューリを、リベルバースにいた頃はセステバランが受け止めていた。
過剰な暴力は、甘えの表れ。愛情の裏返しか。
おそらくピューリには、安定した生活などどうでもいいのだろう。
ただ、兄と一緒にいられれば、それで……。
そんな二人の生活は、変わってしまった。
セステバランにとって一番は、勿論ピューリだろう。
だが、占める割合は低下してしまった。
モルマバの店で頑張り、ピューリとの安定した生活を求めるセステバラン。
安定など度外視し、セステバランに甘えたいピューリ。
このすれ違いが、少しずつピューリの心を蝕み、再びスリに走らせてしまった。
俺は人混みの中、ピューリを目で追う。
そうして細い路地に入ったピューリを追いかけ、俺もその路地に入った。
(【加速】!)
ドクンと心臓が跳ね、水色の視界の中、一気にピューリとの距離を詰める。
そうしてピューリの襟首を後ろから掴み、横に引き倒した。
「ぐあっ!?」
勢い良く倒れたピューリは、転がりながら壁にぶつかった。
そんなピューリを、俺は見下ろす。
(……リベルバースの街を出ることが二人のためになるか、俺にも分からなかった。)
それでも、セステバランが変化を求めているように感じた俺は、帝都に行くことを提案した。
その結果が、今のピューリだ。
ならば、この結果は俺の不始末とも言える。
原因のすべてではないにしろ、俺のお節介から始まったことなのだ。
(責任がある、とは言わないが……。)
このまま放っておくのは、目覚めが悪いってやつだ。
俺はピューリの胸倉を掴むと、体重を乗せ地面に圧しつけた。
「…………何なんだよ……っ。」
ピューリは、歯を食いしばりながら、苦し気に呻く。
「何なんだよっ、お前ぇ! クソガキッ! ぶっ殺すぞっ!」
「殺れるもんなら殺ってみろ。こっちはそんな脅し文句じゃなく、本気でそういう世界で生きてんだ。」
傭兵の世界は、生命のやり取りが日常。
ぶっ殺す、なんていちいち宣言などしなくても、それが平常だ。
ピューリは悔しそうに歯を食いしばり、俺を睨みつける。
胸倉を掴んだ俺の腕を、両手でガリガリと引っ掻いた。
今は俺も、手甲や胸当てを着けていない。
万が一にもピューリに奪われると厄介だと思い、短剣もナイフも魔法具の袋に仕舞っていた。
まあ、ただの鬼ごっこだ。
丸腰で十分だろ?
とはいえ、引っ掻かれれば痛いものは痛い。
回復薬で一発で治るとはいえ、さすがに血が出るほど引っ掻くってどうなのよ?
俺はピューリを押さえつけたまま、もう一方の腕を振り上げる。
そうして、ピューリの額を目掛けて振り下ろした。
ゴッ!!!
脳を直接揺らす、重い一撃。
これだけでピューリは軽い脳震盪を起こし、引っ掻いていた手が地面に落ちた。
「ふぅ……。」
俺は掴んでいた手を放すと、魔法具の袋から回復薬を取り出した。
半分ほどを血だらけの腕にかけると、残りを飲む。
そうしてもう一本取り出すと、ピューリの顔面にバシャッとかけた。
■■■■■■
「…………ん……ぅん……。」
俺が壁にもたれてピューリを見ていると、僅かに身動ぎした。
どうやら気がついたようだ。
「よお、目が覚めたか。」
腕を組み、ピューリを見下ろす。
ピューリはゆっくりと起き上がると、緩慢な動きで左右を見る。
そうして正面に立つ俺に気づくと、目を見開いた。
「お、お前っ――――!」
ゴンッ!
ピューリは咄嗟に飛び退ろうとして、頭を後ろの壁にぶつけた。
「くぅぅううう~~~~……っ!?」
あまりの痛みに頭を抱え、その場で蹲る。
うん、あれは痛いだろうな。
見ているこっちの方が、痛そうで顔をしかめてしまう。
「おい、大丈夫かよ。」
「ううう、煩いっ! 痛ぅぅぅうう……!」
「……回復薬あるぞ? 使うか?」
「いらないわよっ!」
ピューリはそう叫ぶと、ズズッ……と鼻をすすった。
あんまり痛いと、なぜか鼻水出てきたりするよな。分かる分かる。
しばらく頭を抱えて蹲っていたピューリだが、痛みが治まったのか、ふらつきながら立ち上がった。
無理をしているのが、ありありと見て取れる。
「急に立ち上がらない方がいいぞ。頭はおっかねえからな。」
「余計なお世話だっ!」
まあ、額を思いっきり殴った奴のセリフじゃないわな。
ピューリは警戒心全開の目で、俺を睨む。
だが、逃げる素振りは見せなかった。
「逃げないのか?」
「どうせ、また追いかけてくるんでしょ……。」
ご理解いただけたようで何より。
じとっとした目で見るピューリに、俺はにっこりと笑いかけた。
「また、スリやってんだってな。」
「それが何よ? 文句でもあんの?」
文句?
そう言われて、俺は少し悩んでしまう。
(別に、俺が盗られたってわけじゃねえしな。)
そう考え、俺は首を振る。
少々思うところがあり、こうして追っかけ回したが、それは文句とは別のものだ。
「いんや、別に文句はない。」
「じゃあ何なのよ!?」
ピューリは、またイライラし始めた。
沸点が低いなあ。
液体窒素か、お前は。
「何でスリなんかやってんだよ。」
「いいでしょ、別に。」
そう言って、ピューリはぷいっと横を向いてしまう。
俺はやれやれ……と、溜息をつく。
「セステバランが悲しむぞ。一生懸命、頑張ってるのに。」
「…………それが何よ。」
素っ気なく答えるが、ピューリが一瞬躊躇ったのはバレバレだ。
やはり、セステバランのことは大事に思っているのだろう。
「兄ちゃんが頑張ってんだ。応援してやるのが家族ってもんじゃないか。」
「余計なお世話! お前に何が分かるって言うのよっ!」
余計なお世話は百も承知だ。
そして、俺は分かっている気になっているだけで、実際のところは何も分かっていない。
「ああ、お前の言う通りだ。俺は何も分かってない。」
「だったら――――!」
「でも、それはセステバランだって同じじゃないのか。話してくれなくちゃ、分からないだろ?」
「っ!」
「言わなくても分かって欲しいのかもしれないが…………やっぱり話し合わなくちゃな。」
俺がそう言うと、ピューリは泣きそうな顔をして、唇を噛む。
「…………っ……!」
何事かを呟くと、キッと俺を睨んだ。
「何もっ、知らないくせにっ!!!」
「あ、おい!? ピューリ!」
ピューリは叫ぶと、再び【加速】を発動して駆け出す。
路地を飛び出し、大通りに出たピューリを、俺も【加速】を使って追いかけた。
人混みの中を追いかけるのは、中々に骨が折れる。
基本的に【加速】の発動中には、人とは接触しないようにしないといけない。
この【加護】を発動していると、ゆっくりとした動きになるが、それはあくまで俺の主観だ。
俺はゆっくりと押し退けているつもりでも、やられた方は突然すごい勢いで押されたような感じになる。
できるだけ接触しないように動くが、そうすると思いっきりは走れない。
ピューリと【加速】の性能について差があろうと、思うように進めるかどうかは、周囲の状況次第というわけだ。
(くそ……、距離が縮まらない!)
人通りが多いため、なかなか差が詰められずに、ただ追うだけの状況になる。
そうして、前を行くピューリは人混みを抜けた。
俺の方は、まだ人混みの中にいた。
(まずいな、これは……。)
どうやって差を詰めるか考えていると、ピューリが向かう先が見えた。
ここは、大通りの突き当り。
皇帝の居城のある湖だ。
ピューリは、湖畔にある桟橋に向かっていた。
(おいおいおい、やめろ馬鹿! それだけはよせっ!)
桟橋には、船が係留されていた。
おそらく許可を得た、漁業関係の船だろう。
これから船を出すつもりのおじさんが、船の準備をしていた。
「よせっ! やめろっ!!!」
時間切れで【加速】が一旦切れ、俺は叫んだ。
声は聞こえているだろうが、ピューリは無視して桟橋を走る。
そうして、おじさんを突き飛ばし、手漕ぎボートのような船を奪う。
「あ、おいこらっ! 何すんだっ!」
おじさんが、勝手に出された船に叫ぶ。
ピューリはオールで桟橋を押すと、船を出してしまった。
(あの、馬鹿! やりやがったっ!)
知ってか知らずか、ピューリは大罪を犯した。
スリなんか目ではない、死刑確定の罪だ。
俺は再び【加速】を発動し、一気に駆ける。
そうして桟橋を駆け抜け、離れて行く船を視界の中心に捉え続けた。
(くそったれがぁっ!)
ピューリの乗った船は、すでに十メートル以上離れてしまっている。
(【戦意高揚】ッ! 気合入れろおおぉぉぉおおおおっ!!!)
勢いもそのままに、力いっぱい桟橋を蹴り、ピューリの乗った船に向かって跳躍した。
ピューリは、驚きに目を見開く。
まさか、この距離をジャンプしてくるとは思わなかったのだろう。
俺は走り幅跳びのように、空中で足をかく。
仰け反った身体を、無理矢理に前に押し出す。
ダンッ!!!
そうして船に着地し、桟橋の方を振り返る。
桟橋では、異常に気づいた人たちが騒ぎ出していた。
カンカンカンカンカン……ッ!
船小屋に備え付けられていた鐘を打ち鳴らし、周囲にも異常を知らせる。
皇帝の居城への不法侵入に準じる、大罪。
大逆罪と同等として扱われ、未遂でも既遂でも死刑となる。
少しずつ遠ざかる、騒がしい湖畔を茫然と眺め、俺はどう対処するべきかを必死に考えるのだった。




