第49話 攻撃中止命令
俺たちが砦の奪還に参加して、五週間が経った。
砦の周囲の至る所から、砂埃が上がっている。
「突っ込めええーーーーーーっ!」
「「「おおうっ!!!」」」
ヨッテンソーム軍の攻撃が開始され、砦を囲う壁の様々な場所で、激しい戦闘が繰り広げられていた。
一度は燃やされた攻城兵器が先日届き、連日砦に対して攻撃が行われているのだ。
また、攻城兵器だけではなく、ヨッテンソーム軍の補充もされたようだ。
おそらく、今この砦に動員された王国軍と領主軍の騎士や兵士は、二千ほどだと思われる。
傭兵も、七~八百人くらいが砦への攻撃に参加していた。
ただ、届いた攻城兵器は破城槌のみだ。
そのため、砦の門の周辺でもっとも激しい戦闘が行われている。
俺たちは、そんな門から防衛の目を逸らすため、砦の側面から攻撃をしていた。
砦の壁は五メートルもない。
七メートルくらいの木製の梯子を運び、壁を登っての侵入が試みられていた。
「矢が来るぞ! 盾、構えっ!」
俺の役目は、そんな梯子を運ぶ集団の横で、壁の上の動きを周囲に知らせること。
砦を守る側からすれば、梯子がかけられるのを黙って見ている訳がない。
壁に取り付かせまいと、矢の雨を降らせてきた。
ちなみに、なぜ俺がこの役目を負っているかと言うと、梯子を担げないからだ。
体力自慢のごつい連中が梯子を運ぶが、その中に俺は入れない。
主に、身体的理由で……。
レインとベリローゼは、大盾を運ぶ係だ。
矢が射られると、梯子を運んでいた連中が、梯子を手放す。
そうしてレインたちが運ぶ、畳のような大きさの盾に、その身を隠すのだ。
俺も盾の下に潜るが、少々はみ出してしまう。
(【加速】!)
なので、手に持った刃の付いていない槍を使い、自分に当たりそうな矢を叩き落していた。
味方が密集して盾に身を隠すため、短剣で矢を落とすのは危険だ。
長物なら、短剣よりも高い位置で軌道を逸らすこともできる。
「「「ギャアアーーッ!」」」
「「「グワッ!?」」」
何十本と降り注ぐ矢に、あちこちから悲鳴が上がる。
逃げ遅れた者、俺のように盾からはみ出した者に、何本も矢が刺さっていた。
(思ったよりも、弓兵が多いな……!)
連日攻防が続いているというのに、まだこれだけの人員を、砦の側面の防衛に回せる。
これは、砦に籠っていた賊は、三百どころではないだろう。
五百~七百、さすがに千まではいないだろうけど。
ヨッテンソーム軍の包囲が完成する前に、それだけの人員を砦に動員していたのだ。
これだけ用意周到、準備万端で待ち構えていた連中が、ただの賊というのは無理がある。
やはり、裏で糸を引くのは帝国か?
「よし! 進めえっ!」
矢が止まると、再び梯子を担いで壁に向かって移動。
こんなことを、俺たちは毎日毎日、延々と繰り返していた。
夕方となり、焚き火を囲んで食事を摂る。
砦の攻撃を開始して、今日で四日目。
すでに傭兵だけでも、死者は三百人を超えていた。
軽傷ならば回復薬で治せるが、弓矢の当たり所が悪かったり、壁の上から落とされる熱した油などで、相当な被害が出ていた。
「大丈夫か?」
食事の乗った皿を持ち、俯いて手をつけようとしないレインに声をかける。
レインは疲弊していた。
肉体的にもそうだが、何より精神的に疲弊しているようだった。
隣にいた、さっきまで生きていた者が、次の瞬間には死んでいる。
そんなことが、何度も何度も何度も、繰り返されるのだ。
レインでなくても、精神をすり減らすだろう。
実際、周りの見てもそんな感じの者は多い。
生気の無い、何の感情もない目で、ただスプーンを口に運ぶ者、炎をただじっと見ている者。
たった四日で、まったく攻略の進まない砦に恐れをなして、逃げ出した者もいるらしい。
つまり、平常の戦場だった。
俺は自分の食事を掻き込み、皿を地面に置く。
そうして、レインの持っている皿を取り上げた。
「ちゃんと持て。落とすぞ。」
「………………。」
レインの生気のない瞳が、俺の方を向いた。
俺も黙って、レインを見る。
ベリローゼも、気づかわし気にレインを見ていた。
「…………どう、して……?」
レインがぽつりと呟く。
この「どうして」は、皿を取り上げたことに対してではないだろう。
――――どうして、普通でいられるの?
沢山の人の死を目の当たりにし、それでもいつもと変わらない俺に対して、疑問を抱いているのだ。
自分は、こんなにも心が痛いのに、と。
「ごちゃごちゃ考えるな。自分が生き残ることだけに集中すればいい。……食事も、その一つだ。」
そう言って、俺は皿を差し出す。
レインは緩慢な動きで皿を受け取ると、もそもそと食べ始めた。
きっと食欲など無く、吐き気も感じているだろう。
それでも、無理矢理にでも詰め込む。
理由など考える必要はない。
ただ、食べる。
そうやって次の戦いに備えることが、大事なのだ。
「……レイン様。」
ベリローゼが、そんなレインの姿を痛まし気に見ていた。
レインもベリローゼも、何度か矢を受けている。
幸いなことに、回復薬で治療可能な程度の怪我で済んだため、すぐに復帰したが。
戦闘が始まればレインも動けるようになるのだが、やはり注意力は散漫になってしまうようだ。
そんなレインを護るために、ベリローゼがカバーしようとして、自分も受傷してしまっていた。
俺には、レインを責めることはできない。
ベリローゼを注意することもできない。
いくら騎士を目指していたと言っても、レインはまだ十四歳の女の子なのだ。
心構えは、頭ではしていただろう。
だが、そんなのは現実の戦場の凄惨さの前には、無意味だ。
これは、レインが甘いのではない。
戦場とはそういうものなのだ。
どれほどの覚悟があろうと、その覚悟を易々と越え、普通は誰でもショックを受ける。
初めから戦場に馴染める者もいるが、そういう奴は、そもそもがまともじゃないからだ。
戦場とは、まともな者に耐えられるような、そんな生易しい場ではない。
それが分かるから、ベリローゼは必死にレインを護る。
それで自身が傷を負おうと、レインのことを黙って庇い続ける。
俺は戦場に慣れてしまったが、ベリローゼのいた環境も、相当に凄惨だったようだ。
俺も、今でこそレインのことを気にかける余裕があるが、最初はひどいものだった。
こんな思いをしてまで、生きる意味があるのか、と本気で悩んだくらいだ。
それでも生き延びたのは、リシャルドの思いがあったから。
ティシヤ王国のみんなに何があったのか。
原因を解き明かし、何とかして助けてやりたい。
また、ティシヤ王国を元のように戻したい。
その思いがあったから、俺はぎりぎりで正気を保ち、慣れることができた。
心を、麻痺させることができたのだ。
(……さすがにこれだけ時間が経ってしまうと、それが叶わないことくらいは受け入れたけどな。)
ティシヤ王国を元に戻すなど、夢物語だ。
それでも、みんなへの弔いと思って、俺は原因の究明を続けていた。
俺が考え事をしていると、レインは何とか食事を食べきったようだ。
俺はその皿を受け取り、地面に置いた自分の皿も取る。
「ベリローゼのも寄越しな。片付けてくる。」
「私が片付け――――。」
「ついでに受付に行って、回復薬の補充もしてくる。ベリローゼはレインについててやってくれ。」
たとえぼったくり価格であろうと、背に腹は代えられない。
まだ回復薬の手持ちに余裕はあるが、減った分は補充しておきたかった。
ないとは思うが、状況によっては補充できなくなることだってあり得るのだから。
ヨッテンソーム軍の壊滅、なんて事態によって。
俺はレインのことをベリローゼに任せ、焚き火を離れた。
すでに、季節も冬になろうとしていた。
夕方にもなると、最近では本当にあっという間に日が落ちる。
それでもあちこちで焚き火が焚かれているので、暗くて歩けないということはないが。
俺は皿を返し、受付に向かう。
受付のテントでは、戦いに参加するためにやって来た傭兵たちが、列をなしていた。
現状、戦況は膠着状態。
連日砦を攻めてはいるが、攻めきれていない。
傭兵たちは、ばんばん命を落としている。
それでも戦いを聞きつけ、駆けつける傭兵たちが後を絶たない。
そのため、減った分の人員の何割かは補えていた。
さすがに集まるペースより、死んで脱落するペースの方が早いが。
「回復薬をくれ。十本だ。」
俺は列には並ばず、適当に係りの兵士を捕まえて、用件を使える。
大銀貨五枚を渡し、回復薬を十本受け取った。
通常、店で買えば三千シギング。銀貨三枚だ。
それをここでは、五千シギングで売っていた。
えげつねえな、まじで。
まあ、回復薬一本、大銀貨一枚なんて言われないだけマシだが。
(砦奪還に協力してやってんだから、従業員割引してくれよな。)
ヨッテンソーム軍の騎士や兵士には、必要なら無料で使わせているだろう。
だが、傭兵にはそんなサービスはない。
むしろ、戦費調達の一環にされていた。
まあ、軍が管理しているだけ、まだマシとも言えた。
戦場には、行商人が酒や肴、回復薬などを売りに来ることがあるのだが、こちらは本当にぼったくり価格だ。
回復薬一本、大銀貨一枚なんてのはマシな方で、中にはただの水と中身を入れ替えて売りつける悪徳商人もいるのだ。
大半が普通の行商人なので、詐欺かどうかは使ってみないと分からない。
そのため、慣れた傭兵なら酒などは行商人から買うことはあっても、回復薬などはまず買わない。
酒なら、その場で少し味見をしてみればいいからだ。
俺は受け取った回復薬を魔法具の袋に仕舞い、テントを離れる。
そして、改めて受付に並んだ傭兵たちを眺めた。
(…………まともに戦えそうなのは、三割くらいか?)
自前で装備が整っているのが、そのくらいだ。
残りは農夫や、普通に街を歩いているようなおっさんだった。
これまでの人生で、一体どれだけ剣を振ったことがあるやら……。
(これは、まだしばらくはかかりそうだな。)
大して戦力にならない奴でさえ採用し、どんどん投入している。
被害ばかり拡大し、戦況は好転しない。
(ま、稼がせてもらっているから、文句はないけどな。)
長引けば長引くほど、給金が増える。
先月は、ただ訓練しているだけで五十万シギングを貰えた。
そして、戦闘になれば一日あたりの給金は増額される。
食うに困ったプライテスが戦場にやって来たのは、金を使わずに食わせてもらえ、そこそこ給金が貰えるからだ。
まあ、プライテスの場合、酒をやめれば何とかなったんじゃないかと思うが。
そんなプライテスだが、今は別行動だ。
元々、然程仲良しという訳ではないので、それは大した問題ではない。
現在、プライテスは門の前に配置されている。
破城槌で砦の門を打ち破ろうという、一番の激戦区だ。
プライテスは、そこが一番稼げると聞き、自分から門の前に配置してもらっていた。
俺たちは、稼ぎよりも生き残ることを最優先にしている。
そのため攻撃の開始前から、プライテスとは行動を別にしていた。
■■■■■■
砦の攻撃を開始して、九日目。
昼過ぎ。
「矢が来るぞ! 盾、構えっ!」
俺たちは、相も変わらず砦の側面を攻撃していた。
降り注ぐ矢を盾で防ぎ、梯子を砦の壁にかける。
俺は少し下がって、周囲の様子を確認する。
どうやら隣の班も、梯子をかけることに成功したようだ。
防衛の目が分散されるのは有り難い。
「登れ登れえっ!」
誰かが、梯子を登るように声を上げる。
だが、俺はそれを止めた。
「待て! 油だ! 下がれっ!」
「避けろぉぉお!」
「「「ぎゃあああーーーっ!!!」」」
梯子を登っていた男が、頭から熱した油を浴び、落ちる。
梯子を支えていた連中も、同様に浴びてしまう。
壁の上の賊が、かけられた梯子を押し返そうとしていた。
「押さえろ押さえろっ!」
「倒させるな!」
「行け行け行けっ! 登れぇ!」
他の場所でも次々に梯子がかけられ、壁に取り付く。
どうやら、連日の攻撃が功を奏し、防衛側の人員が手薄になってきたようだ。
これまでで、もっとも攻撃が勢いに乗っていた。
(これは、今日で落ちるか?)
俺は周囲の状況を確認し、そんなことを思う。
門を打ち壊す破城槌を使った作戦も、まだ結果が出せていない。
それでも、防衛側の人員を一番引き付けているのは、門の攻撃班だった。
俺たち側面の攻撃は、あくまで予備の作戦だ。
ただし、砦への侵入に成功したら、やるべきことが決まっている。
壁の上を移動し、他の班が壁を越えるのを援護する。
そうして、門を内側から開けるのだ。
俺は、壁の上の賊を見る。
動きを見て、自分の班の連中に状況を知らせる役目を続けた。
プワアアァァアアーーーーーーーーーーーーーーン……!
その時、ラッパの音が響いた。
咄嗟に振り返り、俺は自分たちの陣を見た。
赤の旗と青の旗が掲げられている!?
「中止ぃ! 中止ぃぃいいっ!」
怒号の中、俺は声を張り上げて命令を伝える。
突然の、攻撃中止命令。
昼を過ぎて間もないという半端な時間に、なぜか即時攻撃中止の旗が上がっていた。
「何ぃい!?」
「どういうことだ!」
「何だっ!?」
「ふざけるな、おいっ!」
砦の壁に取り付き、もうすぐ乗り越えようというタイミングでの、不可解な中止命令に非難の声が上がる。
主に、俺に向かって。
俺が旗の方を指さすと、全員が驚いた顔になる。
だが、俺たちが攻撃を止めようと、防衛側には関係ない。
次々に降り注ぐ油や石に、あっという間に梯子を登っていた者が落とされた。
「退けっ! 退けええっ!」
壁に取り付いていた他の班も、次々に梯子を外される。
攻撃ができない以上、こんな所に留まっていても一方的にやられるだけだ。
「撤退っ!」
「退けっ、撤退だっ!」
攻撃の手が緩むことで、防衛側からの反撃が強まる。
俺たちは、降り注ぐ矢の雨を、這う這うの体で逃げ出すのだった。
「くそったれめ!」
「もう少しで、いけそうだったのによぉ……。」
「勝つ気あんのか、馬鹿野郎がっ……!」
何とか弓の射程圏内から逃げ出し、みんなが口々に罵り合う。
もう一押し二押しで、壁に登ることができそうだった。
今日は俺たちの班だけではなく、他の班もそんな感じだ。
一カ所だけが壁に登ることに成功しても、反撃で跳ね返されてしまう。
だが、あちこちで壁に登ることに成功すれば、壁の上を制圧できる。
壁の上を制圧すれば、門の周辺に移動して防衛の手を緩めさせることができる。
そのまま開門に成功すれば、もはや砦は落ちたも同然だ。
どれだけ反撃されようが、数の上ではヨッテンソーム軍の方が上。
予想以上に多くの賊が砦に籠っていたようだが、それでも倍以上のヨッテンソーム軍が雪崩れ込むことになる。
勝利まで、あと一歩二歩というところまで迫っていたのだ。
レインが、暗い顔をして俺の隣に並ぶ。
「……どうかしたのかな。」
レインは、少しだけ気力を取り戻していた。
おそらくだが、深く考えることをやめたのだろう。
悩んでいれば、迷っていれば、誰かの血が流れる。
戦場では、その流れる血が自分とは限らない。
自分が悩み、迷うことで、隣の誰かが血を流す。…………命を落とす。
そのことを理解し、俯くことをやめたのだ。
「さあなー。アホの考えることは、よう分からん。」
レインの質問に、投げやりに答える。
どんな事態が起きたのか知らんが、せめて今日の夕方まで待てなかったのか。
そんな思いが、俺の中にもあった。
俺は陣に戻ると、どかっと地面に腰を下ろす。
半日で仕事が終わったとはいえ、命懸けで戦っていたことには変わりがない。
心身に疲れを感じる。
つーか、この後また攻撃に行けとか言われても、俺はボイコットするぞ。
今日はもう、やる気が殺がれてしまった。
いいところでお預けを喰らったのだ。
周りにいる他の連中も、そんな感じだった。
あちこちで、指揮官に対する不満の声が上がっていた。
「そういや、ベリローゼはどこ行った?」
「え?」
普段、レインの傍を離れることのほとんどないベリローゼが、姿を消していた。
まさか、撤退中にやられた!?
「…………いたよな、ベリローゼ。陣に戻ってくるまでは。」
「ええ……さっきまではいたのに。」
レインと二人で、周囲をきょろきょろと見回す。
少し離れた所を、こちらに向かって歩くベリローゼを見つけた。
……トイレか?
ベリローゼは俺たちの所に来ると、俺の横で膝をつく。
そうして、声を抑えて耳打ちしてきた。
「南部で戦闘が起こったそうです。」
「……南部?」
ベリローゼの言葉を、何気なく繰り返す。
(南部って……………………オランジェスッ!?)
俺は驚愕に目を見開き、ベリローゼを見る。
ベリローゼは黙ったまま、こくんと一つ頷いた。
どうやらベリローゼは、この不可解な攻撃中止命令の理由を探りに行ったようだ。
ヨッテンソーム軍から派遣されている、俺たちに指示や命令を出している連中に「ちょっと教えて」と尋ねても、教えてもらえるようなことではないだろう。
おそらく聞き耳を立て、断片の情報を拾ってきたのだ。
「よくやった、ベリローゼ。他には何かないか?」
「申し訳ありませんが、これ以上は……。ただ、上も相当に慌てた様子。砦に張り付けているヨッテンソーム軍を、再編するようなことは言っていました。」
「そうか……。」
ベリローゼはそう言うと、レインの横に移動する。
そうして、レインにも耳打ちした。
ヨッテンソーム軍のオランジェス王国への侵攻。
これは、事前に噂としては仕入れていた。
どうやら情報屋ギルドの掴んでいた情報通りに、事は進んでいるようだ。
(やっぱり、まんまとカモフラージュに使われたか……。こんなカモフラージュのために、命を落とした連中は浮かばれないな。)
レインも、ベリローゼの仕入れた情報の意味を理解したのだろう。
悲し気な表情で、目を伏せていた。
(さて……これから俺たちをどうする気だ?)
オランジェス方面に転進させるか?
だが、その場合は契約を結び直す必要があるはずだ。
俺たちに黙ったまま、オランジェスに行け、とは言えないことになっている。
ただ、上の連中が慌てている、というのが少し気になる。
もしかしたら、この作戦は上層部でも、ごく一部の者にしか知らされていなかったのかもしれない。
絶対に情報が漏れる訳にはいかなかっただろうし。
とは言え、情報屋ギルドが掴んでいる時点で漏れている訳だが、砦に派遣されている軍の連中でも事前に知っていた者は少なかったようだ。
(大条約の破棄…………ヨッテンソーム王国の上の奴らは、屁理屈で誤魔化そうとしているようだが。)
かなり危険な賭けではあるはずだ。
情報統制には、相当に気を使っていただろう。
(これは…………荒れるな。)
大陸中に、再び戦乱の嵐が吹き荒れる。
そんな予感を、俺は感じていた。
■■■■■■
その日の夜。
プライテスが俺たちの所にやって来た。
「無事だったようだな。」
「よお。どうしたんだ、プライテス。何か用か?」
プライテスは門の攻撃班に志願し、そちらで過ごしていた。
わざわざ俺たちの所に顔を出したのだから、きっと何か用事があるのだろう。
「いや、攻撃班が解散になってな。…………どうにもあっちは、博打好きが多くて適わん。」
博打で痛い目に遭い、距離を置こうとしたのに、門の攻撃班には博打好きが多かったらしい。
夜の間、ずっと博打に興じる連中ばかりだったようだ。
そんなだから、門を落とせなかったんじゃねーのか?
プライテスが腰を下ろし、水袋を呷る。
そうして、熱い息を吐き出した。
「リコたちは聞いたか、オランジェスのこと。」
「少しだけな。大変なことになったみたいだな。」
「まったくだ……。」
俺は、プライテスの話に合わせる。
事前に情報屋ギルドから聞いてはいたが、それを言っても仕方ない。
ついさっき、聞いたような振りをする。
「そっちの攻撃班が解散になったのか?」
「ああ。もう無理に、砦を落とすことまでは考えていないのではないか。少なくとも、オランジェスの件が片付くまでは。」
「確かにな。」
「お前たちの班にも、明日には指示が来るだろう。」
本命の作戦が動き出した以上、カモフラージュは必要ない。
砦への攻撃を続ければ、それだけ損害が大きくなる。
「ヨッテンソーム軍の大半が、オランジェス方面に転進することになるらしい。」
「そうなのか? 俺たちはどうなるんだ?」
「分からん。行けと言われれば、喜んでそっちにも参加するのだがな。」
プライテスは、ヨッテンソーム軍のオランジェス侵攻に、手を貸してもいいと思っているようだ。
プライテスのそんな言葉に、レインが視線を逸らす。
「プライテスは、大条約破棄をどう思う……?」
俺がそう言うと、やや複雑な顔になる。
「こんな商売だ。国同士の争いが増えれば、稼ぎ放題ではあるな。」
「まあな……。」
プライテスは、俺と似たような考えのようだ。
だが、これまでも何だかんだ、傭兵はやって来れた。
局地的な揉め事で済めばいいが、今回のヨッテンソーム王国のやり方は、少し強引すぎる。
アウズ大陸の全土が戦乱に巻き込まれるような事態は、さすがに俺も賛同しかねた。
下手をすれば、本当に大条約が破棄され、五十八年前に逆戻りだ。
戦乱に晒された、大条約締結前の時代に。
その引き金を引きかねない、ヨッテンソーム王国のやり方には、少し思うところが無くもない。
傭兵として揉め事は有り難いが、ヨッテンソーム王は決着点をどう考えているのか?
大条約の穴を突き、本当に誤魔化しきれるのだろうか……。
プライテスは水袋を呷り、眉間の皺を深くする。
「リコの言いたいことは分かる。……大条約があろうと無かろうと、俺たちはやって来れた。」
「ああ。」
「だからこそ、今回のオランジェスのやり方は気に食わん。ヨッテンソーム軍が求めるなら、私は手を貸すつもりだ。」
「……………………ん?」
プライテスの言い方が、引っかかった。
オランジェスが気に食わない?
俺はレインとベリローゼを見る。
二人も、不思議そうな表情で顔を見合わせていた。
「ちょっと待ってくれ。ヨッテンソーム軍は、オランジェス領に侵攻するんだよな?」
「場合によってはそうなるだろう。攻められた以上、守るだけとはいかんだろうしな。」
「攻められたぁ!?」
何?
どゆこと???
俺は目をぱちくりさせながら、プライテスを見た。
プライテスも怪訝そうな顔をして、俺のことを見ていた。
「何を言っている……? オランジェス王国軍が、ヨッテンソーム王国に攻め込んできたのだぞ? 防衛のために、砦に張り付けていた軍を南部に移すことになったんだ。」
ヨッテンソーム軍が、オランジェス王国に侵攻したのではない。
オランジェス軍が、ヨッテンソーム王国に侵攻してきたのだ。
砦奪還に動員していたヨッテンソーム王国軍と領主軍二千のうち、二百~三百を残し、南部に回すことになった。
国土防衛のために。
だから、上の連中は慌てていたのだ。
突然のオランジェス軍の侵攻を聞き、砦への攻撃を中止させた。
被害を抑え、一人でも多くの騎士や兵士を、南部の防衛戦に回すために。
(…………何が、どうなっているんだ!?)
予想とはまったく真逆の事態となり、俺の頭は混乱するのだった。




