第41話 鰐の魔物
貧民窟の一画。
すでに陽は昇り、清々しい日光が降り注い…………ではいなかった。
ひしめき合った家屋によって、日当たりは最悪と言えた。
一日のうちで、日光が地面に当たる時間は非常に短い。
そのため、常にジメジメとしている。
ガタガタッ……!
建付けの悪いドアを開け、女の子がボロ家から顔を出した。
「……どこに行くんだ?」
家の中から聞こえた声に、女の子はギクリと肩を震わせる。
女の子は慌てて顔を引っ込め、振り返る。
「べべべ、別にぃ? ちょっとお散歩に行こうかなあ、って。」
「最近、よく散歩に行くね?」
「いいでしょ! 健康にいいんだよ、お散歩!」
「ふーーん……。」
女の子の苦しい言い訳に、男の子は怪しみながらも深くは追及しなかった。
お散歩と言いながら、女の子はいつもお金を稼いで来ていた。
一体、どこで何をしているのか。
「危ないことしてるんじゃないよな?」
男の子の質問に、女の子は少しだけ表情を曇らせる。
だが、すぐにいつもの明るい表情に戻った。
「危なくなんてないよ。いざとなれば、この足があるから!」
女の子は片足を延ばし、男の子の方に向ける。
「行ってくるね!」
「気をつけるんだよ。」
「うん!」
女の子は、元気に返事をすると、そのままドアの向こうに行ってしまった。
男の子は肩を竦めると、開けっぱなしのドアに向かう。
そうしてドアを閉めようとして、手が止まる。
「ピューリ……。」
女の子の名前を呟くと、意を決してドアを閉めるのだった。
ピューリは貧民窟を駆け抜けると、街の中心に向かった。
街の中心、リベルバースの塔だ。
いつものように、建物の陰になっている場所から、塔を囲む石壁を登る。
石壁の上から少しだけ顔を出し、中の様子を窺う。
塔の中から魔物が出て来ることがあるそうだが、ピューリが通うようになってからは、まだ出くわしたことは無い。
塔の外では。
いつも通り、覇気の無い傭兵たちが、そこいらでのんびりしているだけだった。
(こんな奴らが傭兵だって? 偉そうに!)
ピューリは、傭兵たちがよそ見をしているタイミングを見計らい、【加速】を発動した。
そうして素早く石壁を乗り越えると、所々にある岩や木箱などの物陰に隠れた。
いくつかの中継地点を経て、塔の傍に置いてある階段状の台の陰まで駆け抜ける。
もし見咎められても、別に構わない。
どうせノロマのこいつらに、捕まえることなんてできやしないから。
ピューリは台の陰に入ると、周囲の様子を窺う。
侵入者に気づいた者はいないようだ。
(フン……ウスノロばっか。)
ピューリは台を上がった先、塔の中を窺う。
どうやら、窓の近くには誰もいないようだった。
(どいつもこいつも、間抜けばっかり。傭兵なんか、目じゃないよ。)
すでに、ピューリが無断で塔に侵入するのは四回目だ。
なぜ危険な塔に、ピューリは侵入するのか。
それは……。
(…………あいつっ。絶対に許さないんだから!)
憐れみ、施しをしようとした、あのガキ。
傭兵の小間使いでもやってるのかと思ったら、あんなガキが生意気にも傭兵をやっているらしい。
それも、塔の中にある“何か”を手に入れようとしている、という話も耳にした。
もし、それを先に奪われたら?
塔から“何か”を盗ってくるつもりの奴らが、目の前でそれを奪われたら?
(フフン…………いい気味。)
塔の攻略などどうでもいいが、偉そうにピューリを憐れみ、施そうとした奴が恥をかけばいい。
そう考え、ピューリは危険な塔への侵入を繰り返していた。
とは言え、正面きって魔物と戦うことはできない。
いくら足に自信があろうと、戦うこととはまったく別だ。
そのため、隠れながら塔内を進み、塔攻略をしている傭兵たちの様子を窺う。
魔物と遭遇しそうになったら、【加速】を使って逃げる。
魔物の相手など、間抜けな傭兵たちにやらせればいい。
ピューリはただ、傭兵たちが目的の物を手に入れる寸前で横取りするだけでいいのだ。
(今日中に手に入れるって、宣言してるって話だし。)
それはつまり、ピューリにとっても今日が勝負ということだ。
(絶対に、先に掻っ攫ってやる!)
これまでは傭兵たちが倒した魔物から、適当に剣などを数本拾って小金を稼いでいた。
鉄くずと、どちらがマシといった程度の値段だったが、それも今日まで。
教会が、大金を投じてまで手に入れようとしているお宝だ。
果たして、どれほどの値がつくか。
(…………待っててね、お兄ちゃん。)
家で待っている兄を思い、ピューリは気合いを入れる。
そうして、【加速】を発動して塔の中へと侵入するのだった。
■■■■■■
塔の攻略、十七日目。
俺たちはついに、最上階に上がって来た。
見た感じは、他の階層と違いは無い。
通路が左右に分かれていて、どちらが当たりかは不明だ。
隊長が慎重に左右を確認し、左のルートを指さす。
俺たちは、黙って頷いた。
どちらが正解か分からないのだから、別にどちらでも構わなかった。
構造が分からないのだから、こればかりは割り切るしかない。
俺は試しに【災厄】を発動してみるが、因果に変化は無かった。
ただ、上に向かっていた“力”の流れは、変わっている。
“力”の進む向きが、下から上ではなく、後ろから前になっているのだ。
つまり、左右の通路ではなく、正面の壁の方向。
これでは左右のどちらが正解か、その判断の材料にはならなかった。
それでも、回り込んで進むべき方向の見当だけはついた。
今はそれで良しとしよう。
「…………『鰐の魔物』が留守にしててくれればいいが。期待はしないでおけ。気を引き締めろよ、お前ら。」
ケベロムの言葉に、再び頷く。
そうして俺たちは、慎重に通路を進んだ。
いくつかに分岐するが、行き止まりに当たる。
何度も分岐に戻って他の道も進むが、そこも行き止まりだった。
「こりゃ、最初の左右の分岐で間違えたか?」
メッジスの呟きに、少しだけ微妙な空気が流れる。
だが、誰が選んでも当てずっぽうの二分の一。
あの判断に文句を言ってもしょうがない。
上がってきた階段に向かって引き返していると、前衛のカンザロスが立ち止まる。
「…………どうした?」
声を落とし、ケベロムが尋ねるが答えない。
カンザロスは壁に背中をつけて、曲がり角の先を窺った。
どうやら、また例の気配のようだ。
だが、今回は俺は気づかなかった。
カンザロスを見守り、俺たちも押し黙る。
だが、しばらくするとカンザロスがそっと息を吐いた。
「どうだった?」
俺がそう声をかけると、首を横に振る。
「気配がした気がしたんだが…………気のせいだったのかもしれない。」
「そうとは限らねえだろ。注意しておくに越したことはねえ。」
メッジスの意見に、俺とウラコーも頷く。
ここは魔物の領域なのだ。
それも、魔王かもしれないと噂される、魔物がいる階層だ。
どれだけ注意しても、しすぎる、ということは無い。
俺たちは再び気を引き締め、探索を続けた。
一時間ほど慎重に探索し、おおよそ階層の半分を踏破した。
この階層では、下にいたような魔物にまったく遭遇しなかった。
そうして、ついに俺たちはそれっぽいドアを見つけた。
一本道の突き当り。
そこに、異様に装飾の施された立派なドアがあった。
作成した地図で確認すると、ドアは完全に階層の中心に位置しているようだ。
もしも、あのドアの向こうがまるまるボスの部屋だった場合、階層の半分がボス部屋ということになる。
俺がごくりと喉を鳴らすと、隊のみんなも緊張した面持ちでドアを見ていた。
じっとドアを見ていると、俺は違和感を抱く。
違和感の正体は、すぐに判明した。
「…………ドアが、開いてる?」
「……え?」
「そう言われれば。確かに、開いてるな……。」
ドアまで三十メートル以上離れているため、すぐに気づかなかったが、僅かにドアは開いているようだった。
丁度、人がぎりぎり通れる程度の隙間。
「キャアアッ!?」
その時、悲鳴のような声が聞こえた。
ドアの向こうだった。
「何だ、今の声は?」
怪訝そうな顔で戦闘体勢を取った隊長の横をすり抜け、俺はドアに向かって駆け出した。
「あ、おい、リコッ!」
「リコ君!」
飛び出した俺に、ウラコーとホーマーが呼びかける。
「くそっ、行くぞっ!」
隊の全員が、すぐに俺の後を追いかけて来る。
何が起きているか分からない。
分からないが、あまり喜ばしい事態ではないことは確かだ。
俺たちはドアに辿り着くと、そのドアを慎重に開いた。
そうして、部屋に入った。
その部屋は、とにかく広かった。
やはり、階層の面積の半分が、まるまるこの部屋に充てられているようだ。
そして、半円状のこの部屋は、礼拝や儀式のための場所のようだった。
正面の奥に、大きな祭壇らしき物が見える。
ドアから祭壇まで、真っ直ぐに青い絨毯が敷かれていた。
そして、塔の外壁部分には、壁が無かった。
広い間隔を空け、柱が等間隔に並んでいる。
こんな開けっ放しの状態では、雨風など防げるはずがないのだが、部屋の中は静かで風も無い。
そして、部屋の中に『鰐の魔物』はいなかった。
俺たちは警戒しながら、部屋の中を把握するために、懸命に広い空間を見回す。
「あそこを見ろ。」
カンザロスが指さす先。
二時方向の奥に、人が倒れているようだった。
「声の主は、あれか?」
俺は咄嗟に飛び出しそうになるが、思い留まる。
部屋の中の異常が、それしかないのだ。
人が倒れている。
……………………なぜ?
あの人は、なぜ倒れているのか。
魔物に襲われた?
なら、その魔物はどこだ?
罠にかかった?
なら、その罠はどこにある?
俺たちは、ドアの前で動けずにいた。
どこかで覚悟を決め、動かなくてはならない。
だが、その方針が立てられずにいた。
俺はふと思いつき、意識を集中して【災厄】を発動してみた。
“力”は、おそらくこの部屋に流れていた。
ではその“力”は、この部屋のどこに流れていたのか。
そうして【災厄】を発動し、俺はぎょっとした。
部屋の中心に、凄まじい“力”の塊が見えたからだ。
その“力”は、形を持っていた。
――――巨大な鰐だった。
鰐は、俺が気づいたことを察したのか、突進してきた。
「左右に散れ! 来るぞ!」
鰐が、大きく口を開いて迫る。
開いた口は、床から天井まで届きそうなほどだった。
俺は注意を呼びかけながら、咄嗟に回避行動を取る。
意識の集中が切れたため、【災厄】も切れてしまう。
魔物の姿は見えなくなってしまうが、とにかく今は回避だ。
俺が右に駆け出すと同時に、ケベロムとウラコーが右に。
カンザロス、メッジス、ホーマーが左に駆け出した。
ホーマーは駆け出すというか、カンザロスに引っ張られる感じだが。
俺たちが回避した後、入ってきたドアの方から突風が吹いてきた。
俺は意識を集中し直し【災厄】を発動する。
どうやら、突撃してきた鰐はそのまま壁に衝突したらしい。
壁に衝突し霧散した“力”が、突風のような風となって伝わってきた。
“力”自体は、壁を通り抜けるはず。
だが、濃密すぎる“力”は壁にぶつかり、周囲に分散した。
その分散した“力”が、突風を起こしたのだ。
「くっ!? 見えねえ敵だと!?」
ケベロムは、手で顔を庇うようにしながら、ドアの方を睨む。
だが、ドアも壁も、特に何も起きてはいなかった。
姿の見えない、“力”そのもののような魔物。
だが、あの鰐は実体もあるはずだ。
塔の外壁に張りついた傭兵たちを喰らい、その光景が目撃されている。
『……自らは来ず…………こんな蟻どもを送り込むとは……。…………どこまでも馬鹿にしおって……。』
突風が止むと、しわがれた老人のような声が聞こえた。
しかし、すぐに先程の突風以上の風が部屋中に吹き荒れ、俺は堪らずしゃがみ込んだ。
「何だ、この声は!?」
いきなり聞こえてきた声に戸惑いつつも、ケベロムは暴風に耐えながら叫ぶ。
分断されてしまったカンザロスたちも、懸命に風に耐えていた。
この暴風も、“力”そのものだった。
濃密な“力”が、部屋の中を無茶苦茶に動きまくっている。
俺だけが、それを【災厄】を通して見ることができた。
俺は振り返り、数十メートル離れた、部屋で倒れていた人を見る。
暴風に煽られてはいるが、吹き飛ばされるようなことにはなっていなかった。
(くそ……。ホーマーなら、【治癒】で治せるかもしれないのに。)
怪我をしているかどうか分からないが、状況的にはあの鰐にやられた可能性が高い。
だが、残念ながらホーマーは反対側に避難してしまった。
(…………?)
俺が倒れている人を見ていると、何となくの違和感を覚える。
暴風の中、目を凝らして倒れている人をよく見てみる。
そうして倒れた人を見ていると、微かにその人の周りが発光していることに気づいた。
野球のボールのようなサイズの光が、いくつか漂っているのだ。
(何だ、あれは……?)
よく分からない現象が起きていた。
俺は混乱しそうな頭を、舌打ち一つで切り替える。
倒れている人は気になるが、今はそれどころではない。
俺は改めて部屋の中を見回した。
今は、魔物を形作っていたような“力”の塊はない。
部屋の中を、縦横無尽に動き回っているような感じ。
「ケベロムッ!」
俺は叫ぶようにケベロムを呼び、祭壇と倒れていた人を指さす。
俺たちの目的は、ここに祀られている“何か”だ。
おそらく、奥の祭壇にある可能性が高い。
そして、倒れている人。
できることなら、この人の救助もしたいと俺は考えていた。
もっとも「自分たちが無事に逃げ出せるなら、ついでに」の話ではあるが。
ケベロムは頷き、カンザロスたちに向かって叫ぶ。
「祭壇に向かえ! 絶対に持ち帰るぞ!」
力技になってしまうが、正直それしか手が無いのも事実。
元々、ロクな情報の無い状態での奪取作戦だ。
強引でも何でも、とにかく奪い、持ち帰る。
『…………コソ泥の手先は、コソ泥か……。……我が聖域を汚す、……こ……に魅入られし、罪の子らよ……。』
再び聞こえてきた、しわがれた声。
暴風は更に吹き荒れ、部屋の中央に“力”が集まる。
その“力”が、徐々に形を成す。
「鰐だ! 部屋の中央!」
俺は“力”の集まった場所を指さし、叫ぶ。
それは、はっきりとした形を取り始めた。
「おいおい、何だこりゃ……。」
「……嘘だろ。」
呻くように、ケベロムとウラコーが呟く。
見ると、カンザロスやメッジスも、驚愕に目を見開いていた。
ホーマーは、必死になって祈りの仕草を繰り返していた。
その鰐は、ついに実体を現した。
尻尾を含めた体長は、二十メートルを優に越える。
凄まじい巨体の、鰐の魔物だった。
そして、鰐の魔物に跨った…………いや、乗ったと言うべきか。
一人の老人が、禍々しい黒いオーラのようなものを纏い、俺たちを睥睨した。
『…………我を侮ったこと、後悔させてやろう……。』
「く、来るぞっ!」
老人の纏う禍々しいオーラが膨れ上がり、威圧感が増す。
カンザロスが叫ぶと同時に、鰐が突進してきた。
鰐はドドドドッ……と地響きを立てながら、俺たちの方に向かってきた。
「ぅわあああぁぁああっ!?」
「くそがあぁぁああああっ!」
ケベロム、ウラコーが必死になって回避する。
俺も横っ飛びで何とか回避するが、その拍子に【災厄】が切れてしまう。
ていうか、戦いながら【災厄】を維持するとか、無理。
そこまで集中力を【災厄】に割くことができなかった。
何とか鰐の突進を躱すが、鰐はそのまま外縁部の柱をなぎ倒し、外へと飛び出した。
そうして空中で方向転換すると、再び突進して来る。
バキイッ!
「ぐわっ!」
鰐が振り回した尻尾で、ウラコーが弾き飛ばされる。
ウラコーはその一撃で壁まで飛ばされ、叩きつけられた。
鰐は止まることなく、そのままカンザロスやメッジスの方に突進した。
カンザロスは立ち尽くすホーマーを庇いながら、何とか突進を回避する。
だが、再び尻尾が振り回され、尻尾の一撃を正面から受けた。
「ぐうおおおぉぉぉおおおおおっ!」
しかし、カンザロスはその尻尾の一撃を大剣で受け止めた。
背中に庇ったホーマーを守るため、その場で踏み留まり、大剣で尻尾を上に逸らすことに成功した。
(おいおいおい、まじかよ! あれを正面から受けて、上に流すとか!)
ケベロムと並び、圧倒的な肉体を持つ、隊のツートップ。
人間離れしたその肉体は、鰐の魔物という化け物と正面から渡り合える膂力を持っているようだ。
俺は壁に叩きつけられ、崩れ落ちたウラコーに駆け寄った。
そうして回復薬を取り出すと、頭からばしゃばしゃとかけてやる。
空になった一本目を放り捨て、二本目もかける。
そこでウラコーは意識が戻ったのか、頭を一つ振った。
「くぅ……ぐっ、すまねえ……。」
「どうだ!? 動けるか!」
「あ、ああ……何とかな。」
どうやらウラコーは、大きな怪我はしなかったようだ。
壁に叩きつけられたことで、軽い脳震盪と打撲を受けた。
だが、打撲に関しては回復薬で治っている。
あとは、脳震盪の方だが……。
「俺は、どのくらい気を失ってた?」
そう尋ねながら、ウラコーは壁に手をついて立ち上がる。
若干よろめくが、すぐにしっかりと立てるようになった。
「ほんの一瞬だ。寝てる間に魔物が倒されてるなんて、そんな甘い展開はない。」
「ちっ……、起こすのが早えよ。」
そんな、軽口を叩き合う。
どうやら、ウラコーは大丈夫そうだ。
「寝てる間に片付いちゃ、自慢話もできねえだろ?」
「いいんだよ。どうせ面白おかしく、誇張して話すんだから。」
どうやら、気を失っている間に片付いたとしても、大活躍したことにして自慢できるようだ。
まあ、傭兵たちの酒飲み話など、そんなものだ。
きっと、鰐のサイズも倍以上の大きさに誇張されるのだろう。
俺はウラコーに、思いついた作戦を簡単に説明する。
「さっき、カンザロスが鰐の尻尾を真正面で受けながら、流してみせた。おそらく、俺たちの中でそんな真似ができるのは、カンザロスとケベロムくらいだろう。」
「まじかよ…………あれを正面でかよ。」
先程自分で受けたため、どれほどきつい一撃かは身をもって知っている。
ウラコーは呆れたように、カンザロスと鰐を見た。
「てことで、おもりは二人に任せよう。ウラコーはメッジスと祭壇に向かってくれ。目的を達成するには、あの鰐を倒すか――――。」
「祀られている物を奪う、だな。」
俺の言葉の続きを引き取り、ウラコーがニッと笑う。
元々、祀られている物を掠め取る作戦だったのだ。
ケベロムとカンザロスのKKコンビに頑張ってもらい、その間に目標を奪取する。
まあ、奪ったところで、無事に脱出できるかはまた別の問題だが。
「リコはどうするんだ?」
「俺は、あれを何とかするつもりだ。」
俺が視線を向けると、ウラコーも俺の視線の先を追う。
そこには、相変わらず倒れたままの人がいた。
「悲鳴の主、か。」
「ああ、何でこんな所にいるのか分からないが、できることなら助けてやりたい。」
まあ、あくまで可能なら、ではあるが。
一応は、あの悲鳴があったからこそ、俺たちも不用意に祭壇に向かうことを避けられた。
そうでなければ、俺たちがいきなり吹き飛ばされ、初手で全滅という可能性もあったのだ。
「あの人をホーマーに治療してもらう。ホーマーには一緒に部屋の外に避難してもらい、それから俺も祭壇に向かう。どうだ?」
「どうだも何も、良い悪いの判断がつかねえよ。とにかく、思いつくことは全部やる。いくぞっ!」
ウラコーは、塔の外縁部に向かって走り出す。
大回りに、祭壇を目指すつもりのようだ。
俺もウラコーと同時に走り出す。
俺が目指すのは、倒れている人だ。
ケベロムとカンザロスは、何とか鰐の噛みつき攻撃を避け、尻尾をいなしていた。
メッジスは祭壇に向かおうとしているようだが、鰐もその動きに気づいているようで、先回りしようとしていた。
メッジスの邪魔をしようとする鰐。
その鰐の邪魔をしようと動く、ケベロムとカンザロス。
最初はどうなるかと思ったが、打ち合わせなどなくとも、全員が最善の行動を選択していた。
…………ホーマー以外は。
ホーマーは、一人で壁際まで戻り、必死に神に祈っていた。
まあ、戦闘職じゃないしな。
「ホーマーッ!」
俺はホーマーに向かって、大声で呼びかける。
そうして、こっちに来るように手でゼスチャーを送った。
ホーマーは、俺の呼ぶ声に気づいているようだが、動けないでいた。
この戦いの中で、「こっちに来い」というのは、少々酷な注文だったようだ。
だが、それならそれで都合がいい。
ホーマーに動いてもらうのではなく、こちらがホーマーに向かって動けばいいだけだ。
どうせ部屋の外に避難してもらうつもりなので、下手にホーマーが動くよりは、今の場所に待機してもらった方が話は早いかもしれない。
俺は、倒れている人に駆け寄った。
さっきまであった、光のようなものは見えなくなっていた。
目の錯覚か……?
そして、倒れていたのは、十日くらい前に会ったスリの女の子だった。
「何で、この子が……?」
不思議に思うが、今は迷っている場合ではない。
女の子は気を失い、ぐったりしていた。
弾き飛ばされ、床を転がったのか、全身に擦り傷を負っている。
特に、左足や左腕に大きな怪我をしていて、骨折もしていそうだ。
おそらくだが、不意打ちで尻尾攻撃でも喰らったのだろう。
俺は回復薬を女の子にかけ、まずはざっと軽い怪我を治す。
そうして、女の子を抱えて立ち上がった。
ホーマーの所まで行き、【治癒】をかけてもらう。
二人を部屋の外に退避させれば、一旦は俺のミッションは完了だ。
女の子を抱えてホーマーの方に向かおうとしたところで、俺はギクリとする。
鰐の上に乗った老人が、こちらをじっと見ていたのだ。
その、禍々しいオーラの中から、こちらを見つめる二つの目。
背筋に、ぞくりと冷たいものが走った。
鰐が、動く――――。
「避けろっ! リコッ!」
「逃げろおっ!」
ケベロムとカンザロスの声が届いた。
その時、鰐の尻尾が頭上に迫っていることに、俺はようやく気付くのだった。




