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明日の俺から死亡報告が届くので、今日のうちにダンジョンを攻略する  作者: 空乃 カナタ


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第16話 午前六時、通知なし

第一核の内部には、完成した天ヶ瀬市があった。


孔界はない。


事故もない。


澪、岳、環は生きている。


俺も生きている。


同じ朝、同じ仕事、同じ会話を、穏やかに繰り返している。


「これが牢獄に見えますか」


霧生が尋ねる。


「今は」


「明日も全員が生きる」


「明後日も?」


「永遠に」


街の人々は笑っている。苦痛を感じている様子はない。


「本人たちは固定されたと気づかない」


「気づく必要がありますか。幸福なら」


霧生の妻と娘もいた。


二人は彼へ微笑む。だが霧生は近づかない。


「あなたも、あれが本物じゃないと知ってる」


「個人の願いは捨てました」


「捨てたんじゃない。選ぶのが怖いから、全員の選択を止めた」


彼の表情が歪む。


「選ばせた結果、私は失った」


「俺も失った。でも柊木が戻った選択を、なかったことにはしない」


「死を美化するな」


「していない。死なない方法を探す。でも、本人が選んだことまで消さない」


第一核が警告音を放つ。


外から澪たちが外殻へ到達した。


霧生は最後の緑線を俺の足元へ示す。


「ここへ残れば、全員助かる」


「失敗を報告できない世界は、完成品じゃない」


俺は緑線から降りた。


第一核の中心に、胸から伸びる黒い糸が見える。


返信先。


それを壊せば死亡報告も、残痛も、未来を確かめる手段も消える。


「未来を知らずに、また誰かを失うかもしれない」


霧生が言う。


「そのときは、残った人と直す」


外殻が揺れた。


澪の声が届く。


『朔。準備できた』


俺は初めて、死ぬ時刻を知らないまま前へ進んだ。


*


ー返信先を壊すー


「《定着》!」


澪の声と同時に、第一核の外殻が止まった。


三秒。


一秒目。


久世が核の圧力を四基の停止済み中継器へ分ける。環が食われた未来の流れを青い軌跡として可視化する。


二秒目。


俺は胸の黒い糸を両手でつかんだ。


触れた瞬間、回避してきた死が全部戻る。


崩落。


槍。


落下。


巨人の腕。


予報室の床。


痛みの向こうに、それぞれの未来で最後まで見ていた俺がいる。


助けられなかった俺。


間違えた俺。


今の俺へ短い報告だけを送った俺。


「受け取った」


俺は言った。


「もういい。次はこっちで決める」


三秒目。


黒い糸を引き抜くのではなく、手を離した。


接続を拒む。


胸の中で、何かが静かに閉じた。


第一核が未来を返そうとする。俺は受け取らない。


黒い糸に亀裂が走る。


澪の《定着》が切れた。


核が暴れ、霧生が光へ引き込まれる。


「久世さん、霧生を!」


俺が叫ぶ。


「敵を助けるのか」


「全員生還です!」


久世が笑い、霧生へ腕を伸ばした。環の軌跡が戻れる道を示し、澪が俺の腰へワイヤーを巻く。


「朔、戻って!」


返信先が完全に砕けた。


痛みが消える。


突然ではなく、朝霧が晴れるように、身体から遠ざかる。


代わりに第一核の中から無数の光があふれた。


選ばれなかった道。


言わなかった言葉。


回避された事故。


食われていた明日が、街へ戻っていく。


第一核は空腹を満たせず、透明になった。


澪のワイヤーが俺を引く。


久世が霧生を抱え、環が最後まで余白のある地図を掲げる。


四人と一人で、崩れる核から飛び出した。


背後で、四年前から続いていた脈動が止まった。


スマートフォンの黒い通知画面が、白く消えた。


*


ーすべての明日が戻るー


天ヶ瀬市へ、道が戻った。


市境を越えた列車は隣町へ着いた。


橋を渡った人は向こう岸へ出た。


推奨表示の消えた交差点で、人々は少し迷い、それぞれ違う方向へ歩いた。


孔界は次々に閉じた。


黒い水面は透明な雨のようにほどけ、残響体は灰色の粒子となって空へ消える。


第一核の崩壊で、明日保証塔も停止した。


俺たちは地下ホームへ投げ出された。


澪が最初に起き上がり、全員の状態を確認する。


「環」


「無事。地図端末は壊れました」


「久世」


「無事。霧生も呼吸あり」


「朔」


「痛み、なし」


言ってから、胸へ手を当てた。


本当に何もない。


残痛も、冷たい返信先も消えている。


榛名と救助班がホームへ到着した。霧生は担架へ載せられる直前、目を開けた。


「固定は」


「失敗しました」


俺が答える。


霧生は天井を見た。


「妻と娘は、戻らない」


「はい」


「それでも街は進む」


「間違いながら」


彼は長く目を閉じ、それから榛名へ言った。


「全記録を公開してください。私の指示も」


責任が消えたわけではない。


それでも、自分の失敗を次へ渡す選択だった。


地上では救助と復旧が始まった。


死者はゼロ。軽傷者はいたが、全員が治療を受けた。固定されていた時間の記憶も残っている。


俺は検査のため病院へ運ばれた。


窓際のベッドで、スマートフォンを見つめる。


翌朝六時。


画面は暗いまま。


「通知なし」


俺が言うと、椅子で眠っていた澪が目を開けた。


「怖い?」


「少し」


「私も」


「どうして澪が」


「あなたが、もう先に教えてくれないから」


彼女は笑い、俺の手を握った。


分からない未来を、同じ場所から始める。


それで十分だった。


*


ー午前六時、通知なしー


半年後。


午前六時、目覚ましが鳴った。


スマートフォンの画面にあるのは、今日の天気と予定だけだ。


死亡報告はない。


最初の一か月は、毎朝再起動した。通信履歴を調べ、黒い通知の痕跡を探した。


今は一度見るだけで端末を置ける。


隣の部屋から、食器の音がした。


「起きてる?」


澪が顔を出す。


「六時だから」


「普通の人は、休日ならもう少し寝る」


「今日は調査」


「仕事好き」


「澪に言われたくない」


二人で笑う。


同居を始めて三週間。まだ互いの生活手順に、小さな不具合が見つかる。澪は使った救助具を玄関に並べ、俺は確認表を冷蔵庫へ貼りすぎる。


そのたび話し、直す。


天ヶ瀬中央駅の旧ホームは、孔界災害記録施設として保存されることになった。


今日は安全調査の最終日だ。


駅前で久世と環に合流する。


久世は救助員養成課程の教官を始め、娘から「説明が長い」と評価されたらしい。


環は大学へ戻った。卒業研究の題名は『変動空間における未完成地図の有用性』。余白だらけの地図を誇らしげに持っている。


榛名は独立調査委員会で証言を終え、孔界残滓の無害化を研究している。


霧生は裁定を待ちながら、明日保証計画の全記録へ注釈を付けている。彼の行為が許されたわけではない。だが失敗は隠されず、次の制度を直す材料になった。


四人で旧ホームへ降りる。


第一核があった場所には、透明な窪みだけが残っていた。


環が測定器を置く。


「位相反応、ゼロ」


久世が壁を確認する。


「構造異常なし」


澪が俺を見る。


「残痛は」


「なし」


「怖さは」


「少し」


「正常」


彼女が俺の言葉を返した。


調査完了の印を押す。


全員で帰る。


地上へ上がる階段の途中で、赤い傘を持った少女とすれ違った。


楓だった。


母親と一緒に、記録施設の見学へ来たらしい。半年ぶん背が伸びている。


「お兄さん、もう迷わない?」


「迷うよ」


楓は不思議そうな顔をした。


「でも、戻れる道をみんなで探す」


彼女は納得したように頷き、赤い傘を肩へ載せた。


外は晴れている。


駅前広場へ出ると、人の流れは一つではなかった。仕事へ行く人、店へ入る人、立ち止まって空を見る人。


澪が俺の隣へ並ぶ。


「今日の帰り、どこへ行く?」


以前なら、予定表を開いて最適な経路を出しただろう。


「まだ決めてない」


「珍しい」


「澪が決めてもいい」


「二人で決める」


手をつなぎ、駅とは反対の道へ歩く。


そこに危険がない保証はない。


明日も同じ道がある保証もない。


それでも、間違えたら立ち止まれる。誰かに聞ける。選び直せる。


スマートフォンは沈黙したままだった。


午前六時の通知がなくても、今日の俺たちには行き先を決める時間がある。


未来は届かない。


だから、こちらから迎えに行く。

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