僕のヒーロー(後編)
「……あ……」
ふたたび目覚めると、そこは保健室の中だった。
あの日と同じように、空は柔らかく晴れている。
何時だろうと時計を確認すると、すでに放課後に近かった。
(また、夢を見てたのか……)
何の夢かは忘れたが、いい夢だった気がする。
近ごろは疲れが溜まっていたから、うっかり眠ってしまったのかもしれない。枕代わりにしていた腕はじんじんしたが、しばらくすると元通りになった。ほっと息を吐き、固まった腕を回す。
ぎくしゃくと体操のようなものをしていると、軽やかなノックの音がした。
「間宮くん、待った?」
「桐生くん」
現れたのは桐生だった。隣に知らない生徒を二人連れている。
「遅くなってごめん。こちら、三崎くんと山田くん。で、こっちは間宮くん。僕のと……し、親友です」
「こんにちはー、三崎です。桐生くんの友達です」
「山田です」
現れた二人は、とても安心する顔立ちだった。美形過ぎず、威圧感もなく、強いて言うなら癒し系? 二人ともはしゃぎすぎる事もなく、ごく自然に挨拶する。
だがそれよりも、間宮は「親友」の言葉の方に気を取られてしまい、あわあわと口ごもった。
「ま……間宮です。初めまして」
「クラス違うけど、選択科目は一緒なんだって。夏からは合同授業もあるよ。その時はよろしく、間宮くん」
「こ、こちらこそ」
「間宮くん、購買のパン食べたことある? 一番人気はBLTサンドなんだけど、特番人気は別にあるの知ってた? 買ったことある?」
「い、いや」
「じゃあそのうち食べよっか。ね、山田くん」
隣にいる少年ににこっと笑うと、彼は無言で頷いた。にぎやかなのにうるさくなくて、明るいのに派手じゃない。ぽかぽかした陽だまりのような、ほっこりした空気が二人を包んでいる。
その心地よさにつられて、間宮の心もほろっと解けた。
「た……食べてみたい、ぼくも」
「よし決まり! そうしよう」
三崎くんはにこにこして、間宮と指切りを交わしてくれた。
呆然としていると、隣にいた桐生と視線が合う。
ちょっと得意げに胸を張られ、間宮は「えぇ…」と言ってしまった。
「なんで桐生くんが自慢そうにしてるの?」
「僕の自慢の友達だから。間宮くんも会いたいって言ってただろう?」
「言ったけどさぁ……」
――異世界の扉が開いてから、そろそろ半月。
あの時咲いた花火は、他の誰にも見えていなかった。
気づかなかっただけかもしれない。けれど、あんな大きな音がしたのに、誰も気づかないなんて事があるのだろうか?
よく分からなかったけれど、間宮はとりあえず納得した。
あの時の事を知っているのは、桐生と間宮だけなのだ。
このもやもやを解消する手段がないのはもどかしいけれど、それはどうしようもない事だ。
――と思っていたら、三崎くんが「ああそうだ」と言った。
「そういえば、間宮くんも異世界の扉見たんだって? すごかったよね、あれ!」
「……へ?」
「びっくりしたよなぁ。いきなり扉が開くんだから」
「へ……? え、へ?」
「あれ、見てなかった?」
不思議そうに聞かれ、間宮はふるふると首を振った。
「……み、見た」
「じゃあみんなで異世界仲間だ。せーの」
手を出され、なんとなくその上に手を重ねる。残りの二人も乗ってきた。
「異世界ばんざーい、はい!」
「ばんざーいっ」
よく分からないまま彼につられ、なぜか万歳を口にする。山田くんは無表情で参加していた。
間宮は相変わらず保健室にいる事が多かったが、少しだけ変化もあった。
いくつかの科目は努力して、授業に参加できるようになったのだ。
もちろん難しい部分も多かったけれど、その時は桐生が力になってくれた。学年問わず人気者の彼の存在は、間宮への物珍しさを和らげてくれた。
――あれから、父親とはひと悶着あった。
異世界の扉が開いた日、父親は学校に来るつもりだった。
その場で間宮の退学が言い渡され、それでおしまいのはずだったのだ。
なのに、扉が開いてしまった。
間宮の事を真剣に思ってくれた桐生の気持ちが通じたんじゃないかと思っている。誰にも言う気はないけれど、神様が聞き届けてくれたんじゃないかと。
だから、間宮は戦う事にした。
怖かったし、逃げたかった。本当は逆らいたくなかった。
足はがくがくしていたし、声だってみっともなく震えていたけれど、間宮は逃げなかった。退学したくないと父親に告げ、真っ向から立ち向かったのだ。
父親は間宮に腹を立て、いつも通りに殴ろうとしたけれど、そこに桐生が現れた。総合病院のひとり息子の存在は、父親も知っていたらしい。さすがに彼を殴れるはずもなく、父親はトーンダウンした。
桐生は間宮を友達だと言った。大事な友達で、たくさん助けてもらったのだと。
彼が困っている時には、力になりたいと思ったのだと。
まっすぐな目で語る桐生に、父親は不快な顔をした。だがその表情の中に、かすかに別の感情がよぎったのを見た。
狼狽に混じっていたそれは、途方に暮れた、子供みたいな顔だった。
家でまた話し合う事にして、父親はそのまま帰っていった。ほっとしたら体の力が抜けてしまった。床にへたり込んだ間宮を、桐生が立ち上がらせてくれた。
そこで気づいた。
――ぼく、前に夢を見たよ。
夢の中で、間宮は誰かと話していた。
それは子供のころから見る夢だった。
夢の中の間宮は、知らない誰かと友達で、一緒になって遊んでいた。
その誰かは世界を救うヒーローで、間宮とともに活躍するのだ。
顔も名前も知らないけれど、間宮は彼が好きだった。笑いかけられるたびに、胸があたたかくなる気がした。
彼は何があっても間宮を見捨てず、つないだ手を離さずに、一緒に危機に立ち向かう。
力を合わせて戦う時が好きだった。
ピンチをひとつ解決するたび、彼は笑って間宮を讃える。その声に聞き覚えはなかったけれど、彼は間宮の親友だった。
でも、今なら分かる。
「あれは君だったんだ、桐生くん」
「間宮くん……?」
「君がぼくを助けてくれたんだ。ずっと前から、ずっとそばで」
桐生は不思議そうな顔をしていた。意味がよく分からなかったのかもしれない。それでもいい。自分はそれを知っている。
「君がぼくのヒーローだったんだ、桐生くん」
「…………」
何か言いかけ、桐生はかすかに顔をゆがめた。そんな顔をしてもイケメンはイケメンだ。むしろ、泣きそうな表情が格好いい。
(だから)
こんな感謝の言葉くらい、丸ごと受け取ってほしいんだ。
***
学校に言うのは一時延期した父親だが、問題は解決していなかった。
むしろ、家の中の方が問題だ。
止める人がいない分、まったく歯止めが利かなくなる。母親に手を上げる事はしない父親だけれど、万が一という事もある。それに、間宮をかばった母親が誤って殴られる可能性もあった。
桐生は家まで付き合うと言ってくれたけれど、それは丁重に断った。
家の中は父親の領域だ。桐生だって無事では済まないかもしれない。
大丈夫だと説き伏せて、ひとりで帰る事を決める。
本当はものすごく怖かったけれど、逃げるわけにはいかなかった。
「大丈夫だよ、桐生くん」
だって。
「いざとなったら、異世界の扉に頼むから。絶対に大丈夫だよ」
「間宮くん……」
怖かったけれど、負ける気はしなかった。
あんな奇跡が起きるなら、きっと。
きっと――。
「……くん、間宮くん」
はっと気づくと、まだ保健室の中だった。
「いきなり黙り込んだけど、大丈夫? 具合悪い?」
「い、いや……」
平気、と首を振ると、三崎くんはほっとしたように笑って「よかった」と言った。山田くんも小さく頷いている。
「それで、どうなったの? お父さんとの対決は」
「た、対決?」
「あれ、決闘だっけ? 果たし合い? リベンジマッチ?」
「対決で大丈夫だと思うよ、三崎くん」
山田くんが控えめに口を挟む。三崎くんは照れくさそうにへへっと笑った。その締まりのない笑顔に、肩の力が抜けてしまう。
「お父さんは……すごく怒ってたけど、でも」
――最後にはとうとう認めてくれた。
成績は三十位以内で、赤点がひとつもない事が条件だったけれど。
母親の加勢も効いたのかもしれない。いつの間にか仕事を見つけてきた母親は、記入済みの離婚届を前に父親に迫った。
――この子は私が育てます。一生あなたには会わせません。
よく分からないが、慰謝料と養育費のあれこれとか、この家の権利がどうとかいう話に加え、生活水準の大幅な下落を持ち出され、父親は折れざるを得なかった。その時の母親は、いつもの何倍も大きく見えた。
間宮の退学は無期延期になり、今も学校に通っている。
「見たかったな、その時の二人。カッコ良かったんだろうなぁ」
「い、いや、ぼくは別に……。すごかったのはお母さんと桐生くんで」
「間宮くんだってすごいよ。ちゃんと立ち向かったんだから」
ね、と山田くんに顔を向ける。彼も無言で頷いている。
「そんなこと、ないよ……」
桐生や母親がいなかったら、間宮はきっと退学していた。
助かったのは二人のおかげだ。間宮にそんな力はない。
けれど、三崎くんは首を振った。
「何もしない人のところに、異世界の扉は現れないよ」
「――――……」
「だから、これは間宮くんが頑張った結果だと思うよ」
三崎くん、と間宮は呟いた。彼はにこにこと笑っている。
ごく平凡で、目立った特徴のない彼だけれど、桐生が友達になりたがった理由の一端が分かった気がした。
そして――もうひとり。
「や、山田くん……」
名前を呼ぶと、彼は無言でこちらを向いた。
静かな目の色にはっとする。
どこか不思議な雰囲気を持つ、桐生が気にかけていた人。
「山田くんも……そう思う?」
どうして聞いたのか分からなかった。
彼はちょっと首をかしげ、ぱちぱちと軽く瞬きし、それから小さく口を開いた。
「――一度目の花火」
「え?」
「いい音がした。色は見えなかったけど、はっきりして、気持ちのいい音だった」
「…………」
「二度目の花火もそうだった。大きくてよく響く、やさしい音だった」
山田くんは微笑を浮かべていた。
「ノックは三度。だから扉は開いたんだと思うよ」
「三度……」
「でも結局は、二人が頑張ったからじゃないかな」
それだけ言うと、彼は口を閉ざしてしまう。どう反応していいか分からなくて、間宮は「そっか」と頷いた。
桐生だけでも、間宮だけでも駄目だった。間宮に何ができたのかは分からないけれど、それでも二人が頑張ったから。そう思うのは、ひどく気分が良かった。
「一度目の花火も見たかったな」
何気なく呟くと、三崎くんが反応した。
「俺動画で見たことあるよ。白っぽくて目立たない感じだったけど」
どうだった? と桐生に聞く。彼は苦笑して首を振った。
「それどころじゃなくて、覚えてないよ。今度みんなで実験する?」
「あ、いいかも。せっかくだから、昼と夜でそれぞれやろう」
それはもう普通の花火なんじゃないかなと思ったけれど、楽しそうだとも思ってしまった。
また話をしようと約束して、三崎くん達が帰っていく。
二人になると、桐生がうーんと伸びをした。
「楽しかったね、間宮くん」
「うん、すごく」
「そろそろ校門が閉まるころだな。もう帰る?」
うん、とふたたび頷く。
その前に、と間宮は口を開いた。
「一度目の花火も特別だったよ」
「間宮くん?」
「一度目も、二度目のも。異世界の扉が開かなくても、ぼくにとっては特別だった」
桐生が間宮のために打ち上げてくれた花火の音を、死ぬまで忘れないと思った。
あの花火はどんな色をしていたのだろう。
青空に咲き誇る、夜しか見えない空の花。
それは白っぽくて、淡く色づいた、きっと何よりも綺麗な色だ。
いつか、と間宮は呟いた。
いつか、君に何かあったら。
「今度はぼくが助けるから」
「間宮くん……」
「絶対に、ぼくが助けるから」
君に何かあったら、何を措いても助けに行く。
つないだ手を離さない。何があっても、どんな時でも。
だって君は友達だから。
かけがえのない、たったひとりの親友だから。
だから。
「約束だよ、桐生くん」
小指を差し出すと、桐生は目を丸くした。
それから笑って指を絡める。
あの日と同じ、金色の光が差し込んで、部屋を美しく染め上げている。
(強くなりたい)
誰かを傷つける力じゃなくて、異世界の扉を見つけ出せるような。
誰かのために必死になって、奇跡さえ起こしてしまえるような。
大切な人が困った時、いつでも駆けつけられるような。
そんな自分になるための、強さが欲しい。
きっと今すぐには難しい。――でも。
いつか君の力になりたい。
(だから、どうか)
今はこの手を離さないで。
ぼくの友達。
たったひとりの、ぼくのヒーロー。
了
お読みいただきありがとうございます。
桐生のピンチには、きっと間宮が駆けつける事でしょう。今度は彼が桐生のヒーローになるかもしれません。そんな日が来るか来ないかは、誰も知らない未来の話。
ちなみに、山田くんの秘密はばれていません。花火は夏休みに決行します。
*本編での桐生は隠し事をしているため、少々描写を削っております。あの少し後、三崎くん達とは友達になりました。




