言い出せ5話
ー5話
カラオケフリーダムの社員になった。
月いちで給料が入ってくる。
機材もプロ用の最新機種が用意されていた。
しかし、美里さんのニュアンスを出すには、ストラトキャスターとミニアンプが必須だった。
リスナーから、美里さんの路上ライブ時代の画像や音源を集めて聴き倒す。ひとつ劣れば、何の意味もない。
春菜に社員になった事を告げると、喧嘩になった。
「何それ…おかしい!私の尊敬する小林智昭はどうなるの?他人のカラオケ作ってさ、小林智昭の歌はどこいっちゃうの?」
春菜は涙ぐんできた。
「どこにも行かないさ。美里さんのオケで数字が出れば、山崎恭之助の目にとまる。山崎さんなら、僕の歌を理解してくれる」
春菜は後ずさりした。
「センターを降りる時は、死んで運ばれる時だけだって言ったじゃん!うそつき!うそつき!うそつきっ!」
ドアを突き飛ばすように出て行った。
「きついな。きついよ。その事は」
1時間くらいしてスマホが鳴った。
「はい。小林です」
ー三ノ宮だけど?春菜来てるよ。何が有った?ー
小林は事情を話した。
ーらしくないんじゃない?小林智昭がさ、そんなんでさー
「わかってる」
ーわかってないでしょ。そりゃさぁ、彼が夢捨てて自分の幸せ考えたら、たまんないよ女は。特に春菜はさー
「夢捨ててないよ」
ー春菜に業界理解できるとおもう?ー
「僕だって納得なんかしてない。理解なんかしてないよ。でもこれはチャンスだと判る、それだけだ」
ーいいけどさ。私のベッドで泣き疲れて寝ちゃてるんだけど?ー
「すまない。すぐ行くよ。春菜のアパートに戻す」
ーあのさ。春菜しばらく預かるよ。旦那は海外出張だし、息子はイギリス留学中だし、店はNo.2が優秀で店長は出る幕なしだし、けっこう今寂しいのよー
「助かる。頼む」
路上ライブ版松沼美里で、10曲を作った。
稲沢さんがチェックする。
「しかし、ストラトキャスターってこんな良い音が出るとは知らなかった」
徹夜明けの身体に血液が巡るのを、小林は感じた。
「出ません。美里さんの工夫がいっぱい有るんです。判るでしょ?ギターとミニアンプが喜んでるのが、美里さんは天才じゃない。努力と工夫の人です」
稲沢さんはうなづいた。
「山崎恭之助さんが聴きにくる。あの人は、美里さんの初ライブを聴いてる人だ。認めてくれたら、山崎恭之助公認を使える。彼の信者は多い」
小林は目を見開いた。
「山崎さんが認めてくれたら、数字出ますよ。やりましたね稲沢さん」
稲沢は微笑んだ。
スタジオを出ると、太陽が目に滲みる。
「徹夜したのにもう10時かよ。スタバでサンドイッチでも食うか」
入口を入って、春菜に気付いた。
お客さんにサンプルのコーヒーをプレゼンしていて、小林には気付いていない。
引き返そうとして、呼び止められた。
「小林くん」
春菜の友達のほの子だった。彼女もシンガーで歌っている。
「朝帰り?変わったね。サラリーマンはどう?」
小林はカウンターのほの子の前に立った。
「ラテのラージ。アメリカンクラブサンドイッチ」
「春菜。強がってるけど、やっぱり寂しいみたい。仲直りしてよ」
「難しい。時間が要る。でも必ず迎えに行く。そう伝えといてくれ」
ほの子はやれやれと言う顔をした。
「もうオリジナルは歌わないの?」
「夢は捨ててない。オリジナルは作ってる。路上ライブはやれてないけど」
「みんな小林は終ったって言ってるよ」
「何も始まってないよ。だから終わらない」
小林はラテとサンドイッチを持って、2階に上がった。
外を眺める席で食べた。
食べ終わって立ち上がった。
変顔の春菜が立っていた。
「うそつきっ!」
の予告のあと、フルスイングの平手打ちが小林の左頬にヒットした。
ビックリしたオッサンが、間に割り込んで春菜の肩を押さえた。
「店員さん。客なぐっちゃまずいよ」
「すいません。彼女で、怒らせてるんです」
オッサンは朝帰り風の小林を見た。
「浮気か?ばれないようにやれよ。こんな可愛い子が彼女で浮気なんかすんなよ」
小林は平謝りでスタバを出た。
真っ直ぐに帰らずに、池上商店街に入って行った。
カフェハッシーくんに入る。
カウンターに座る。
マスターの小川さんが黙ってコーヒーを淹れる。
「珍しいね。こんな時間に。その左頬の可愛い手形は春菜ちゃんのだな」
「きついですよ」
「男ってやつは、いつだってきついさ。でも、女だってきつい。春菜ちゃんよく頑張ってるよ。こないだ新宿のトリニティブルー満杯にしたらしい。土岐くんが、こんどの事で春菜ちゃん鍛えられて、成長したって言ってた。小林に頼ってばかりだったのに、立派だったって言ってた」
「そうなんですか…僕より先にメジャー行くかもしれませんね」
香ばしさと共に、コーヒーカップが置かれた。
「無理だよ。春菜ちゃんには夢が有り過ぎる。業界に夢なんてないだろ?カラオケフリーダムの社員なら知ってる事だ」
小林はコーヒーを口に運んだ。
「マスター。そう思ってました。けど、稲沢さんって人と仕事してるんですけど。この人、夢の塊みたいな人なんです。業界に夢はないけど、業界を支えてるのは、夢を持った人達なんです」
マスターは微笑んだ。
「良い人に出会ったね。でもきっと、稲沢さんも小林くんの夢が引き寄せたんだな。そのコーヒーどうだい?」
「おいしいです」
「カンコーヒーにスタバにエクセルシオール、コンビニコーヒー。違うだろ?」
「違います」
「僕とおかあさんと、常連さんの夢が詰まってる。だから、この店は潰れないんだ。小林くんと春菜ちゃんに常連さん。心配ない。君達の夢は潰れない。信じろ」
「はい」
「徹夜したように見えるな。帰って寝なさい。夢見るには疲れが一番の敵だ」
「マスター。春菜をお願いします。もうちょっと時間が掛かります」
「もちろんだ。小林くんがシンガーに帰ってくるまで、みんなでしっかり守るから心配いらない」
小林は思った。
幸せとか希望は、ずっと近くに有って、気付くものだと。




